2024.05.02

わたしは今、わたしを生きている。

当時はまだ「キャリアブレイク」という言葉も知らなかった。

ただ、〇〇大学や〇〇会社のように何も肩書きがない状態になったとき、自分がどう感じるのか興味があった。人生に空白期間を設けて自分を見つめ直す期間をつくってみたいと思い、あえて転職活動をせずに過ごしてみることにした。

自問自答の日々

キャリアブレイク前は、新卒入社した神戸の会社で、携帯ショップのクルーとして働いていた。人と話すことが好きな私にとって、お客さんに向き合って、商談を進めていくのは性に合っていた。接客の数を重ねて、商材への知識も深まっていくことで、わかりやすく契約数や売上などの“数字”が伸びていくのも、楽しく心地よいものであった。

ただ、その心地よさは深い喜びにはならなくて、「売れたという事実に対しての喜び」という一時的なものでしかなかった。数字が伸びていくことのこわさを覚える自分もいた。

「私自身」と「クルーとしての自分」が乖離していくなんともいえない感覚もあった。〇〇さんと私の関係ではなく、お客様とクルーの関係だからと割り切って、実績を積み上げるために商品を提案してしまうこともあった。目の前の人を第一に大切にできない。これは本当に私がやりたいことなのか?と自問自答する日々を送っていた。

とはいえ世間一般的にみると、ファーストキャリアが短いのはデメリットになるかもしれない。「約1年でやめるなんて考えが甘いのかな」「せめて3年は働いた方がいいのかな」とも思ったけれど、どうしても心に抱いた違和感を無視することはできなかった。

・問いを持ち続けながら、もっと人生の色味を増やしていきたい。
・自分の感性や感覚を大切に毎日過ごしていきたい。
・時間を消費するのではなく、時間とともに歩んでいきたい。

そんな想いを見つめ、悩んだ結果、退職という決断をした。
そうして、私のキャリアブレイクがスタートした。

キャリアブレイクという決断

退職してから最初の1週間ほどは解放感があったが、何者でもない自分に不安を感じるようになった。予定が何もない日は寝ようと思えばいつまでも寝ることができてしまう。久しぶりに会う人に「今何の仕事してるの?」と聞かれても、自信を持って今の状態を伝えることができなかった。

そんな気持ちを抱えていた頃、キャリアブレイク研究所が運営する「おかゆホテル」を知った。当時住んでいた神戸の自宅からもほど近い場所にあることを知り、訪ねてみることに。おかゆホテルは、一時的な離職や休職中の方や検討されている方、ふと人生に立ち止まりたくなった方などにむけた「人生の寄り場」としてひらかれている宿である。

朝食には土鍋で炊いたあたたかいおかゆが出てくる

代表理事の北野貴大さんや同じように会社を辞めた人たちとの出会いから、「キャリアブレイク」という言葉を知り、仲間ができたことで、少しホッとした。ひとりではない、ということがとても救いになったのだと思う。

それからいろんなことに挑戦した。「休みたい」よりも「自分が心からわくわくするものを見つけて生き方を変えたい」という気持ちが強かったので、私にとってのキャリアブレイクは「休息」よりも「破壊(break)」の意味合いが強かったように、振り返って思う。

まずは少しでも興味があることを書き出してみた。

コーヒー、カフェ、パン、カレー、音楽、ピアノ。あとは、地域の人や子どもと関わること──。

キーワードになるものをSNSで検索して、すてきな場所や活動を見つけては、これからどんな場所で、どう過ごしたいかのイメージを膨らませていった。

イメージが膨らんだら、行動あるのみ。あるときは、「ダモンテ商会」というご夫婦で営む男木島のベーカリーカフェでのインターン募集の広告記事をみて思い切って行ってみたり、気になるカフェに「一度見学や体験をしてみたいです」とDMを送って1日働かせてもらったり。

どきどきしながら、えいやと一人で飛び乗った

また、積極的にいろんなひとに会いに行って、お話を聞かせていただいたり、「今こんなことに興味が出てきているんです」と意識して話した。

そうしたなかで、「この方の取り組み面白いよ!」「こんな働き方もあるみたい」と教えてもらうこともあり、広がりのきっかけをいただくことができた。新たな繋がりができて、探究教室でのアルバイトやピアノの先生、間借りのカレー屋さんなどにも挑戦した。

「休息日のバター」という店名で週1回開いたカレー屋さん

数多くの挑戦は、充実しているようにみえるかもしれないが、心の浮き沈みは常に感じていた。心からやりたくてやっている自分と、とりあえず何かやらないとと焦る自分、その両方が存在していた。今だからこそやろう。予定がないことがこわい。いずれも正直な気持ちであった。

そんなキャリアブレイク中の私を支えてくれたのは、京都というまちであった。

非日常のような日常が漂う

毎月のように京都へ行った。大学時代に住んでいたこともあり、私にとって京都というまちは、懐かしさもあるけれど、どこかご褒美のような特別感が有り続ける。近くて遠い場所であった。

いま、この瞬間を穏やかに味えた景色

鴨川に座りながら、コーヒー片手にパンを食べる。
本を片手に気になるカフェでゆっくり時間を過ごす。
何も考えずに写真をとりながら散歩する。

京都にいると、なぜか「焦らなくても、そのままでいいんだよ」と教えてもらえる気がした。また、京都に訪れる度にいろんな出会いや繋がりを感じられた。『立ち呑みHANABI(烏丸駅)』や『西京極バルじゅんちゃん(西京極駅)』など、飲みに行くととなりの人と友達になり、知人の家に遊びに行くと、大体誰か知らない人がいた。(それが京都だからという根拠はないけれど(笑))話をしている中で、共通の知り合いがいることが判明することもあり、繋がりを巡っている感覚が面白かった。

特に紹介したいのが、ゲストハウスの『NINIROOM』と『KéFU stay & lounge』。ここで出会った人たちとは忘れられない時間を過ごした。

NINIROOMは知人やSNSで存在を知り、ひそかにずっと憧れていた場所であった。これまでゲストハウスにも泊まったことがなく、宿泊する勇気がでなかったのだが、せっかくキャリアブレイクをしているのだし行ってみようと、ドキドキしながら予約をした。

初めて降りる駅。でも知っている景色。スマホの画面からみていた場所に立っている。なんだか不思議な感覚だった。

ホテルに入ると、スタッフの方や宿泊者の方が笑顔で迎え入れてくださった。住み込みで働いている人、常連さん、初めて訪れた人。同じ空間にいる人達と、自然と会話がうまれ、広がっていくのがとても幸せな時間であった。

KéFU stay & loungeでは、カメラ片手に西陣のまちを歩くという、KéFU主催のフォトウォークイベントに参加した。なんともなしに通り過ぎてしまいそうな場所や、道ばたに落ちている包み紙でさえも、どこか愛おしく感じて、普段はなんとも感じなかった景色を好きになれた瞬間であった。

思わずパシャリ。懐かしの「いちごみるく」

イベントには、東京や岡山、香川など遠方から参加されている人もいた。普通に生活をしていたらきっと出会うはずのなかった人たち。共にシャッターを切りながらゆっくりと西陣のまちをあるく。とても豊かで尊いものだった。イベント後は、そのままKéFUに宿泊する人と一緒に、北野白梅町駅近くの中華屋『誠養軒』で瓶ビールを分けっこしながら語り合った。そのあとは西陣にある『源湯』という銭湯へ自転車を走らせ、お風呂上がりにはコーヒー牛乳を一緒に飲んだ。

銭湯MAPを頼りに自転車を走らせた

「どこの誰」ではなく「ただ今という時間を共に過ごしている」という感覚が心地よかった。かつてクルーとして働いていた時に感じていた“乖離する感覚”は薄れていき、私が私として存在していられるような気がした。

仕事が暮らしに溶け込む

「もう一度、京都で過ごしたい」

そう思うようになったとき、京都移住計画に掲載されていた「一般社団法人暮らしランプ」の求人記事を見つけた。同法人は、暮らしランプは福祉事業を中心福祉事業を中心としながら、日常の暮らしの少し先を明るく灯すような多様な事業を営む団体であった。「暮らしのほんの少し先を、ほんの少し明るく灯すランプ。それは、何気ない日常の少し先にあるワクワクする楽しみなこと」という言葉に惹かれ、見学を申し込んだ。

「今はピアノの先生をしたり、カレー屋さんをしたり。キャリアの空白期間を味わいながらいろんなことをつまみ食いしながら過ごしています。今はカレー屋さんをしたり、ピアノの先生をしたり、いろんなことをつまみ食いしながら過ごしています。まだ自分で何をやりたいか決めきれていないけれど、暮らしランプにすごく興味を持って……」

とにかく、ありのままの今を伝えた。

それに対して「カレー屋さんやピアノの先生、すてきですね」という言葉をもらった。

キャリアブレイク期間を肯定的に捉えてくれたこと、また包み隠さずにありのままの姿を見せたいと思えたことは、小さいようでとても大きな一歩であった。また、「無理のない範囲で来てもらえたらいいよ」と勤務時間を調整してくれて、社会と接続し直す二歩目三歩目を自然と踏み出すことができた。

暮らしランプで過ごす時間は、自分の心がどこにあるのかを感じられるような気がした。

わたしとあなたの関係性が心地よく存在する。仕事をするぞと意気込んで働くというよりは、日常からひとつなぎの場所として過ごすことができるような場所だと思った。

みんなと一緒にペイント。絵の具に触れるのなんて何年ぶりだったのだろう

流れのままにアルバイトをはじめ、気がつけば京都へ引っ越しをして暮らしランプへ就職をしていた。京都というまちは、間違いなく次への一歩を踏み出すきっかけをくれた。

キャリアブレイクを経て

約1年半に渡ったキャリアブレイク。

安定した生活や高い給料ももちろん大事だけれど、人との関わりや日々の彩りなど、自分が働く中で大切にしたいことに改めて気付くことができた期間であった。自分の意思でいろんな道を切り拓きながら、心からの喜びを感じたり、時にはもがき苦しんだり、感情を目一杯味わいながら生きた毎日だった。

そんな日々を送れたのは、紛れもなく周りの方々の存在や支えがあったからだ。一緒に楽しんでくれたり、悩んでくれたり。いろんな人に助けてもらいながら、1日1日を送ることができた。

あえて一度立ち止まってみたり、歩くようなスピードで過ごしてみることで見える景色があると思う。

暮らしや仕事、まちや人との繋がりが人生の中にどう在ると心地良いと感じるのか。今ある生活をゆっくりと見つめ直してみるのも、一つの選択肢としてあっても良いのではないかなと。

一度きりの人生。ちょっぴり寄り道してみるのも悪くないかもしれない。

執筆:大下 真実
編集:つじのゆい

大下 真実

兵庫県出身。京都での大学生活を経て、神戸の会社で携帯ショップ店員として働く。「もっと自分の感性を大切にしたい」という想いのもと、約1年半のキャリアブレイク期間を過ごし、現在は京都にある一般社団法人暮らしランプで障がいのあるとされる方々と共に働いている。

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