2023.04.14

甘納豆の技と知恵を種に施し、自然と人が共に生きる未来を描く。

京都移住計画での募集は終了いたしました

コロンとした豆の形がそのまま残る、SHUKAのお菓子。口にいれると、本来の豆よりもすこし柔らかくほどよい歯応え。噛むごとに広がるやさしい甘さ、豆の風味。噛めば噛むほどという言葉はこのお菓子のためにあるのかもしれない。舌に残る余韻につられて、「もうひとつ」とついつい手が伸びる。

思わず夢中になるこのお菓子を作っているのは、京都市壬生に店舗を構える有限会社斗六屋(とうろくや)。販売を行う店舗の横には工場があり、「斗六」と書かれた緑色のレトロな暖簾が掲げられています。

こちら、実は100年近く続く甘納豆専門店でもあるのです。

家業である斗六屋を継ぎ、新ブランドとしてSHUKAを立ち上げたのは4代目・近藤健史さん。今回は、これから近藤さんと共にSHUKAを盛り上げてくれる接客スタッフを募集します。

南座前から始まった斗六屋の歴史

まずは、斗六屋の歴史から紐解いていきましょう。

斗六屋の始まりは1926年。近藤さんの曽祖母である近藤スエノさんが、甘納豆専門店「斗六」を祇園・南座前に開業しました。

聞くところによると、その前はインドで暮らしていたことがあるとか、芸妓さんであったとか。明治生まれの女性であることを考えると、その人生の道のりはおそらく、波乱万丈なものだったのでしょう。そんなスエノさんが腰を据えて、商売を始めようと目を付けたのは、甘納豆でした。

創業当時使用していた版画の引き札。今でいう、チラシやショップカードのようなもの(提供:斗六屋)

「江戸時代に大福や羊羹など色んな和菓子が誕生したんですが、甘納豆ができたのは明治の少し前。つまり、当時は最新の和菓子だった。きっと曽祖母は、新しいことにチャレンジすることを厭わないタイプの人だったんじゃないかな」

4代目・近藤 健史さん

戦争で南座の店舗は閉店となりますが、近藤さんの祖父にあたる・正俊さん、その後には近藤さんの叔父である照明さんが家業を継ぎ、斗六屋を守ってきました。

近藤さんは、小さな頃から家業が何であるかは知ってはいましたが、特に意識をすることはなかったと言います。しかし、中学の時に同級生から『甘い納豆なんて気持ちわるい』とからかわれ、触れたくない存在になってしまったそう。

初代から作り続けられてきた甘納豆「名代 斗六」(提供:斗六屋)

小さい頃から生き物が好きだったこともあり、生物の分野で研究に打ち込み、その経験を活かせる仕事に就くつもりでした。そんな近藤さんに転機が訪れたのが、大学院生のとき。

「就職先を考えたときに、ふと家業のことを思い出したんです。でも継ぐなんて気持ちは毛頭なくて。家業に関わることも社会経験の一つになるだろうなという、軽い気持ちでアルバイトをすることにしました」

近藤さんが家業に入ってすぐの頃の節分祭の様子(提供:斗六屋)

期間限定のアルバイトとして、斗六屋で働くことにした近藤さん。地元・壬生寺の節分祭りで、売り子として甘納豆を販売することになります。店頭に立って驚いたのは、なんと3日間のうちに3000人もの人が買いにくる盛況ぶりだったこと。50年ほど毎年出店し続けていたため、「節分祭りといえば甘納豆」という常連さんも多くいらっしゃいます。

「正直、こんなに甘納豆を買いに来る人がいるんだと驚きました。『いつもありがとう』って声をかけてもらえて嬉しかったし、何より甘納豆のおかげで自分の生活があることに気づいたんですよね」

その日の体験から、近藤さんは家業を継ぐことを決意。まずは滋賀の老舗菓子店に就職し、2年間接客スタッフとして和・洋の菓子について学びを得ました。

自然をリスペクトしたお菓子「SHUKA」の誕生

2年の月日を経て戻ってきたとき、近藤さんは家業が抱えるたくさんの課題に気づきました。

「これまで卸売がほとんどだったので、自社の名前で商品を作って販売したいと考えました。名前の入った小売用のパッケージを制作したり、砂糖の量や豆の種類を変えてみたりと、トライ&エラーを繰り返しながら直接お客様と出会う機会を持つようにしました」

「古くさい」「お年寄りが食べる菓子」というイメージを覆し、甘納豆の良さを伝えるために、積極的にマルシェや催事などに出店。「海外で認められれば、インパクトが与えられるのでは」と考え、イタリアのスローフードの世界大会に出品したことも。試行錯誤を続けてきたある日、光が差し込みます。

2020年12月、イタリアで出会ったチョコレートにヒントを得て、チョコレートメーカー「Dari K」と共同で開発したカカオ豆を使った新感覚の甘納豆「加加阿甘納豆(かかおあまなっとう)」を発売。テレビに取り上げられるなど注目を集め、若いお客さんも来店するようになりました。

しかし、注目されるのは、古臭いイメージの甘納豆とカカオがコラボしたことが珍しいからであり、「甘納豆そのもののイメージは変わっていないんじゃないか」という懸念もあったそうです。

そこで近藤さんは、甘納豆というものを根本的に変える必要があるのではないかと思い、中川政七商店の中川政七会長にコンサルティングを依頼。中川さんと対話する中で気づいたのは、「自分が受け継ぎ、後世まで残したいのは、甘納豆というカタチではなく、自然をリスペクトしたものづくり」だということ。

「僕が甘納豆の一番好きなところは、色や形を変えず、素材の個性そのものを活かしているところ。自然や生物の個性をリスペクトし、ほんの少し人の知恵と技術を使って手を加える。この価値観やスタンスこそが大切なんだということに気づきました。一お菓子屋にしては大きなテーマですが、『自然と人が調和した、美しい世界を伝え残す』というビジョンが明確になりました。

さらに、中川さんの「甘納豆って豆と糖、根源的にいうと種と糖だよね」という発言にヒントを得て、ブランドネーム「SHUKA(種菓)」が誕生。素材を豆から種へと広げ、これまで甘納豆で培った「砂糖漬け」という古来の食品保存技術を活かして商品を制作。斗六屋の屋号と製品は残しつつも、SHUKAを主軸においた事業展開に舵を切ることになりました。

入り口の土壁に種が埋め込まれており、「自然と人の調和を体現した菓子作り」を表現している

現在では、大手百貨店の催事やテレビ、雑誌の取材などに引っ張りだこ。甘納豆から始まった歴史を「SHUKA」として引き継ぎ、新しい甘納豆の魅力を発信し続けています。

人も、お菓子も「個性」を大切に活かしたい

近藤さんにお話を聞く中で、何度も出てきたのが「個性」という言葉。素の個性を大切にしたい。それはスタッフに対しても同じ考えです。

「僕は色がある人が好きなんです。自分の価値観があって、やりたいことがあって。このお店もあくまで舞台として、スタッフそれぞれがやりたいことを叶えられる場所でありたいと思っています。価値観も考え方も違う個性を持つ人が集まったら、もっと面白くなると思いませんか」

近藤さん自身も家業のためだけでなく、自ら楽しんで甘納豆に向き合っているのが伝わってきます。なにしろ肩書きは「甘納豆研究家」ですから。

「今でも研究をしている感覚なんですよ。今人類が分かっている範囲を広げるのは研究者の役割。甘納豆はまだまだ手つかずの分野ですから、やれることだらけです」

今年からは新たなラインナップとして、種の洋菓子を展開する予定。まだまだ近藤さんのあくなき研究は続きます。近藤さんのように探究心や好奇心を持って仕事に取り組める人なら、きっとこの場所で楽しく面白く働けるに違いありません。

将来的には、「自然と人が調和した暮らしを体現できる場をつくりたい」と語る近藤さん。

「豆を収穫し、そこの水で炊いて…と工程をすべてその場で行える。お菓子の製造だけでなく、自然と人が調和した衣食住を行える村のような場所。今はお菓子をつくっていますが、あくまでこの価値観を伝える目的なんです。そこに共感してもらえる方と、ぜひ一緒に働きたいですね」

お菓子の持つストーリーを自分らしく伝える

SHUKAの店内は、壁・床・天井が京都の土・水・稲藁でつくられた土壁でできており、小さな天窓からは自然光が差し込みます。これは土の中に植えられた種が、空に向かって芽を出す時にみる景色を再現しています。

「種の気持ち」を疑似体験できる店内。このお店に魅かれて入社を決めたのが、高山桐佳(きりか)さんです。

以前は東京に住んでいましたが、建築設備士である旦那さんの転職を機に新たな居住地を探すことになったのが京都にやってきた由縁です。

「東京でずっと生活する気持ちはあんまりなくて。転職するなら、住みたいところに住もうということになり、ひとまず最初は自然が魅力的な滋賀に住みました。旦那がキャンプが好きなので…(笑)。その後に京都に転職することになったので、じゃあ京都に住もうかって」

それまでは医療事務として働いていましたが、違う環境で働きたいと仕事を探していた時、求人サイトの中からSHUKAを見つけました。

「種のお菓子って何だろう?と思って、まずはお客さんとして行ってみることにしました。お店に入ったとき、温かみのある空間をすごく好きになって、ときめいて。試食でいただいたカカオ豆の、新しい食感にも興味を惹かれました。始まったばかりの新しいブランドということもお聞きして、ぜひ働きたいなと応募しました」

先代へのリスペクトを持ちつつも、新しいことにチャレンジする姿勢や、生産地の農家さんの想いを大切にしてものづくりに取り組んでいることなど、企業としてのあり方も高山さんの心を動かしたようです。

そんなSHUKAの想いや考えに共感している高山さんだからこそ、商品について説明するときは、想いを込めて、丁寧にしっかりと。

「私の役割はお会計や陳列をするだけではないと思っています。農家さん、職人さん……商品が出来上がるまでに携わってくれた方たちの背景をお伝えするのも、私の役割やと思うんです。試食のときもただ食べてもらうのではなく、ちゃんと知っていただくことを心がけています」

接客も、決まった型にはまりすぎないのがSHUKA流です。

「伝えるべき情報はきちんとありますが、自分らしく伝えるってのは大切かなと思ってて。例えば遠方でいらっしゃった方だと、『どこからいらっしゃったんですか』と声をかけることから始まります。なかには話の流れから、好きな音楽の話で盛り上がることもあるんですよ。お菓子を選びながら、ここで過ごす時間も楽しんでもらえたらいいなと」

接客がメインではありますが、手が空いている時は種菓の選別や袋詰めなど、製造の補助を行うこともあります。また、最近ではSNS更新をメインにした広報も高山さんの新しい仕事に加わったそう。

「もともと写真を撮ることが好きなので、SNSを担当したいとお願いしました。お客さんとしてSHUKAに来て、好きになって入社したので、その魅力を私なりにお伝えができたらいいなと思います。もっと海外の方にも知っていただきたいですし、コーヒーやお酒などのペアリングについても発信していきたいですね」

高山さんはアルバイトからスタートしましたが、今年の6月から正社員登用が決まっています。本人が望めばキャリアアップすることも可能。自分の個性をSHUKAでどう活かすかは、行動次第なのです。

SHUKAでの学びが、新しい未来を開く

最後にお話を聞いたのは、井ノ口 環(いのくち たまき)さん。現役大学生のアルバイトでありながら、SHUKAの製造担当という重要な役割を任されています。

井ノ口さんがSHUKAで働くことになったのは、食糧に対する危機感を覚えたことから。

「入学した年にちょうどコロナが直撃して、1年間大学に通えなかったんですね。そこで、フードバンクのボランティアに携わることにしたのですが、廃棄される予定の食材を目の当たりにするうちに、今後地球はどうなってしまうんだろうという不安を感じるようになりました。しかも温暖化による自然界の変化、それに伴う食糧危機に晒されていることに気づいたんです」

今ある資源をもっと大切にしなければならない。そんな想いで調べを進めるうちに、井ノ口さんの興味を引いたのが「豆」でした。

「家畜を育てるためにはどうしてもCO2の排出量が増えてしまいますが、豆は環境に負担なく、むしろ育てることで土が豊かになる。しかも、ビーガンの人も食べられるし栄養価も高い。豆ってすごいんだ!って」

そんな時に思い出したのが、節分祭のアルバイトをした斗六屋でした。SHUKAのコンセプトや素材に対する考え方に共感するところもあり、アルバイトとして入社。最初は製造の一部分を担っていましたが、2年経ち、現在ではすべての工程に関わるようになりました。工場長の助けを借りながら、日々製造に励んでいます。

「6種類の種で、①水に漬ける②炊く③蜜づけ④仕上げの4工程を行います。あとは製造と同じぐらいの時間、掃除をしているかもしれないですね。蜜が垂れるとカビの原因になるので、念入りに掃除を行います」

蜜漬けの後、砂糖を振り仕上げる

井ノ口さんにSHUKAで働く上で大切なことは何かとお聞きすると、「きちんと口に出して伝えること」という実直な答えが返ってきました。

工場にある製造カレンダーは、井ノ口さんの提案で作られたもの。以前は、出勤してからその日に行う業務を近藤さんから伝えられていたそうですが、「製造計画を事前に知らせてほしい」と提案。カレンダーには催事や季節のイベントが書かれており、何の種類をいつまでに仕上げれば良いか、見通しを立てて仕事に取り組めるようになったそうです。

「普通のことに聞こえると思うけど、意外と私は難しいなって思ってて。私もたまに『ま、いっか』って言いそびれてしまうこともありますが、やっぱりそれでは何も変わらない。ちゃんと『私はこう思ってます、だからこうしたいです』って伝えることが大事やなって」

製造カレンダーは、催事やイベントの予定、どの商品をいつ作るのかが一目でわかるようになっている

実は近藤さんの弟子でもあるという井ノ口さん。近藤さんとともに、中川さんとのリブランディングについての打ち合わせや経営方針を決める会議に出席。夏には契約している農家へ赴き、実際にどのように豆が育つのかを学びました。

アルバイトの域を超えて活躍できるのは、どんな夢を持っていて、何を学びたいかを口に出して伝えているから。

「今年はしっかり製造方法や経営、接客などを学びたいと思っています。その後は、ドイツに留学に行きたくて。SHUKAのお菓子っておいしいだけじゃなく、宗教もアレルギーの有無もほとんど問わない、とても良いお菓子なんですよね。携わるうちに食を通した異文化交流をしてみたいと考えるようになりました」

SHUKAを通じて、新たに膨らんだ井ノ口さんの夢。海外から戻ってきたいつの日か、井ノ口さんが発案した新たなお菓子が誕生するかもしれませんね。

斗六屋は、古きを重んじながらも、未知なる世界へと挑戦する旅の途中。きっと予想不可能なことも多いと思いますが、それを楽しんで進める人にはぴったりな場所ではないでしょうか。

まるで土の中に植えられた種から芽がニョキニョキと顔を出すように。SHUKAに出会うことであなたの眠っていた個性が芽生え、まだ見ぬ世界へとつながっていくかもしれません。

編集:北川由依
執筆:ミカミユカリ
撮影:進士三紗

京都移住計画での募集は終了いたしました

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