今回取材で訪れている峰山を含む丹後エリアには、訪れるべき場所、食すべき自然がたくさんあります。まず、白米が美味しいこと。ハレの日には、そのお米を使って代表的な郷土料理である「ばら寿し」が振舞われます。日本海に面しているので、松葉ガニや岩牡蠣などが豊富に獲れ、まさに食の宝庫と言える場所です。
また西日本最大級の道の駅、丹後王国「食のみやこ」には、峰山駅からシャトルバスも出ているので、車がなくても遊びに行くことができます。日本の夕日百選にも選ばれた夕日ヶ浦温泉海岸や、歩くたびにキュッキュ!と可愛い音がする「鳴き砂」で有名な琴引浜。自然が綺麗なまま維持されているからこそ、豊かに暮らすことができる町です。
後半では、そんな自然豊かな丹後にある「みねやま福祉会」で働く職員のリアルな日常や、暮らしについて紹介していきます。
プライベートが楽しくなければ、仕事も楽しめない
まず最初にお話を伺ったのは、京都市内の保育所で7年間の勤務経験がある櫻井さん。児童部門で4年間勤務されており、勤務先の「ゆうかり子ども園」で、約20名の3歳児クラスを2人体制で担当されています。
丹後出身の彼女は、地元に戻ってくることは全く意識していなかったといいます。しかし、京都市内で勤めていた時は、大人の理想を子どもたちに押し付けるようなことが多く、自分がしたいと思える保育ではない、と感じていたそうです。そんな思いの積み重ねから、ふとしたことをきっかけに前の職場を辞め、地元に戻ってこられました。
「Uターン後も地元に居続けるつもりではなかったんですが、また都会に出るとなったら、住む場所や仕事も新しく探さないといけないので、メリットがあまり感じられませんでした。そこで、友達が勤めていた「みねやま福祉会」に勤めてみようと思ったんです」
実際に働いてみて、都会の保育所との違いについて質問したところ、「みねやま福祉会の保育所では、子どもたちを取り巻く環境がまるで違った」と櫻井さんはいいます。
それは、自然が間近にあること。都会だと遠足でバスに乗ったりしないと見たり感じたりすることのできない自然が、丹後では、木の実を拾ったり、セミの抜け殻を見つけてくる子がいたり、子どもたちと一緒に自然を楽しむことができる環境がここにはあります。
櫻井さん自身も、休日には友達とドライブして滝を見に行ったり登山をしたりと、豊かな自然がある環境を精一杯楽しんでいる様子を感じました。また、結婚ということで、住み慣れたこの町での生活を続けていくことを更に意識するようになったと照れくさそうに話してくれました。
「プライベートが楽しくないと仕事も楽しくないし、仕事が楽しくないとプライベートでモヤモヤしてしまう。私は、どちらも楽しくしていきたいです。つらいこともきっとあると思いますが、なんでも語り合える職員関係なので、子どもが好きで元気があって、楽しく明るく仕事ができる人と一緒に働きたいです」
「ゆうかり子ども園」の幼児は、約160人。職員は30〜40名程度ですが、若いスタッフが多く見られ、職場の雰囲気は子どものエネルギーをもらったパワフルさ、かつ職員の仲の良さが感じられました。
「ここでは、保護者や子どもを大事にする思いが強いと感じます。一緒に働いている上司を見ても、理念のとおり利用者を大切にされているなと思います。以前は子どもを自分たちの理想に追い込むような感じだったので、子どもたちが本来の姿ではいられなかったのですが、ここでは、まず子どもの思いや気持ちを聞こうとします。だから、なんでこんなことするの?と思うような事態が起きても、以前と違って気持ちがしんどくなることがないです」
仕事のやりがいについて、以前は乳児を担当することが多く、日々の成長を間近で感じることがやりがいだったそうですが、今担当している3歳児は、保育所で体験したことを家でもやってみたり、またそれを保育所でやってみてくれたり、言葉にして伝えることができるので、ちゃんと楽しんでくれてるということを実感できる、と語っておられました。
京丹後出身の画家である井上香奈さんがボランティアで描いたという「ゆうかり子ども園」の玄関にある壁画は、カラフルでとても印象的。そんな丹後出身者の故郷を想う気持ちを受け、人々の期待に応えるように、子どもたちが帰って行った後も、職員たちは笑顔で動き回っていました。
麻雀日本一、夢を叶える仕事
次にお話を伺ったのは「障がい者地域生活支援センター もみの木」に勤めておられる稲穂さん。
彼もまた、京都の大学を出て地元である丹後に戻ってきたUターン組。大学を卒業後、1年半のフリーター期間を経て、「みねやま福祉会」に約4年間勤務されています。現在は、障がい者の相談支援専門員として利用者の家族や本人の悩みを聞き、それに適したサービスを企画するお仕事をされています。
稲穂さんは、大学の頃に麻雀で学生日本一になったという面白い経験の持ち主でもあります。そんな彼が、なぜ地元に戻ってきたのか、お仕事の実情について語ってくれました。
「大学に通ってた頃は、都会暮らしに馴染めなくて麻雀ばっかりやってたんです。働くことにも気力が起きなかったので、心を許せる友達がいる地元に帰ろうと思い、戻ってきました。子どもの頃は、丹後に特に魅力を感じてませんでしたが、帰ってきてから、この町が自分の心の拠り所で、癒される場所だと気づくことができました」
丹後に戻ってきてからは、友達や人と人のつながりを活かして、都会にいた時よりも新しいことにチャレンジできるチャンスが沢山できたといいます。
「都会では巡り会えなかっただろうと思うことが、職場以外でもどんどん活躍できる場所が増え、みんなの輪の中に参加していける感じが楽しい、やろうと思えば何でもできるんや!って思ったんです」と語る稲穂さん。櫛田さんの背中をみて刺激を受ける毎日だそうです。
「戻ってきてよかったと感じる時は、季節の移り変わりを肌で感じられる時ですね。なんでもないことなんですけど、友達と喋りながら時間がゆったり流れていく、そんな日常に癒されています」
すごく前向きな印象を受ける稲穂さんですが、「もみの木」に配属された最初の頃は、利用者の行動の1つ1つや思考を理解想像したりすることができず、利用者と対面することに悩んだ時期があったといいます。しかし、小難しく考えずに「人と人とが一対一の関係を築いていく」というシンプルな考えに立ち返り、少しずつ信頼関係を深めていくことができたとき、「稲穂さんがそういうならそっちのほうが良いんやろ」と利用者の方からも認めてもらえるようになったと言います。
「直接利用者と対峙していた経験を活かして、今は相談支援専門員という裏方的な仕事をしています。一人じゃ外出できないから、ヘルパーさんと一緒にツアーの計画を練ったりだとか、利用者がしてみたい事の夢を叶える、というスタンスでやっています」
「もみの木」の定期利用者は、約45人。土日も解放されており、ふらっとお茶にくる人や様々な人が訪れる地域の憩いの場所だといいます。そんな施設で働く職員も、元自衛官・カレー屋の店長・バーテンダーなど、さまざまな経歴の持ち主が集まっています。
施設長である家谷さんは、元JA職員。その時の経験を活かして、「もみの木の」裏庭には、広大な畑があります。利用者と一緒に本格的に畑いじりをしたり、色々な種類の野菜を作り、これまでの経験や特技を活かしているといいます。稲穂さんも、麻雀日本一という噂を聞きつけた利用者から麻雀の試合を申し込まれることもあるのだとか。
「お話することが好き、でもいいんです。どんな特技でも活かせる職場環境だと思いますし、相手のことを想像しないといけない仕事なので、日頃の利用者との関わりの中で、どれくらい深い関係を築けていけるか、人が喜んでいる顔を見るのが好きな人と一緒に働きたいです」
京丹後市の市街地に位置する「もみの木」。しかし、周りには畑が広がり、涼しい風が施設を吹きぬけます。どんな人でも受け入れる懐の深さを感じられる職場でした。
仕事が楽しすぎる!ストレスフリーの毎日
最後に訪れたのは、「はごろも苑 ないきの家」という小規模多機能型居宅介護施設。定員は25名。1日利用は15名ほどで、希望によりショートステイも可能です。24時間体制で、送迎から料理まで、幅広い仕事に対応しなければならない大変な仕事です。「ないきの家」の職員は15名程度。産休が2名ほどおられるそうです。
後藤さんは、地元の網野高校を卒業後、すぐに「みねやま福祉会」に就職されました。この場所で3年間勤務している彼女に、仕事の実態についてお話を伺いました。
「仕事が楽しすぎるんです!職員さんも楽しい人たちなんで、ストレス全然たまらないんですよ。ずっと空手をやっていたから、粘り強い性格なのかもしれないんですけど。一番驚いたことといえば、高校の頃は上下関係があったので、洗い物とか掃除は雑用だと思ってたんですね。でも、ここに入ってすぐに職員の先輩に"利用者から見れば、職員はみんな同じ"と言われたことに衝撃を受けました」
その先輩職員の言葉通り、誰とでも気兼ねなく話せるフラットな関係です。利用者は人生の大先輩なので、敬語を使うようにしているようですが、ひ孫ほどの年齢である後藤さんは、感情が高ぶる時は、たまに忘れてしまうと笑います。
京丹後市は、世界一長寿としてギネスにも認定された木村次郎右衛門さんが住んでいた地域。我々が圧倒されそうになるほど、仕事が楽しくて仕方がないのだと終始笑顔で語る後藤さんを見ていれば、その理由が分かる気がします。
前編でも登場した川渕さんが以前、ないきの家を訪れた時に、突然後藤さんに聞かれた一言が「蛇、手づかみできますか?私できますよ!」だったといいます。というのも、施設内に蛇が現れた時には、手づかみすることも厭わない後藤さんが先頭にたち職員一丸となって退治したそうです。また、体を動かすのが好きな彼女は、自宅まで1時間ほど走って帰ったりするなど、仕事とプライベートを思いっきり楽しんでいるそうです。
介護職は「キつい」「キたない」「キけん」という「3K」という言葉で表現されることもある仕事です。しかし、後藤さんから発せられる言葉は全て、「3K」とは、正反対のものでした。
有り余るほど元気いっぱいの後藤さんですが、以前は神経質な性格で、挨拶ができてもそれ以上の会話ができなかったり、人がどう思っているのかが気になっているようなタイプだったそうです。しかし、母親の影響で中学の頃から福祉の仕事に就きたいという夢を持っていたので、思い切って福祉の世界に飛び込んでみたら、性格が明るくなったといいます。
「以前、東京に行った時に、行き交う人たちの表情がすごく忙しそうだったんです。他人だからという感じで関わりがなさそうで、寂しいと感じました。丹後に住んでよかったなと思うのは、目が合えば挨拶するし、丹後の自然が好きということで繋がっていることです。お年寄りにも寂しい思いをしている人がいます。だから、人が好きで、イベント事などを一緒になって楽しんでもらえるような人が来てくれると嬉しいです。小さなことかもしれないんですけど、そんなことを大切に思ってくれる人と一緒に働きたいと思います」
取材した日に、お誕生日を迎える方がおられました。そういう特別な時は、一緒に回転寿司に行ったり、送迎の際にソフトクリームを食べにいったり、自由に楽しむことができる環境だそうです。
今回お話を聞いた職員の方々は、地元出身者ばかりでしたが、職員の中には全く違う地域からやってきた方も多くなかには海外からの方もいらっしゃいます。多様な経歴やバックボーンの方を受け入れる懐の深さがある「みねやま福祉会」。人の暮らしを支えながらも、自らもその土地の暮らしを楽しむことができる場所だということを感じました。
全く知らない町を好きになれるかどうかは、その場所で出会う人とのつながりが重要です。人を大事にする「みねやま福祉会」であれば、仕事を通じて地域に接することができ、そこから生まれたつながりによって、暮らしを豊かにしていくことができる可能性に溢れています。
そうして、仕事と暮らしを切り分けるのではなく、その両方をより良くしていくことを通じて、人を支え、人知れずまちの未来をも支えている仕事になっているのだと感じました。そんな「みねやま福祉会」が気になった方は、是非エントリーしてみてください。