2016.10.14

心にスポットを当てて働く。地域を支える福祉法人

京都移住計画での募集は終了いたしました

人口減少社会の地域課題と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?空き家の増加は言うまでもなく、耕作放棄地、学校の閉校…など、建物や土地が荒れていくことを想像しがちですが、同様に「人」を支える人すらも少なくなっていく状況になります。今回ご紹介する「みねやま福祉会」は、そんな地域で暮らす人たちの幸せを支えていく人を求めています。

訪れたのは、京都の北部、丹後半島の付け根に位置し、天女の羽衣伝説で知られる町、京丹後市峰山。そんな自然に囲まれた環境で育った櫛田さんは、祖父の意志を継ぎ、丹後で福祉の仕事をする為にUターンしてきました。地域のお祭りで日焼けした肌と、引き締まった爽やかな笑顔がとても印象的です。

そんなエネルギー溢れる櫛田さんの福祉に対する思いや、半世紀以上にわたって地域全体を支えて続けてきた「みねやま福祉会」が求める人物像、これからのビジョンについてお話を伺いました。

今回は前半と後半の2回に分けて、「みねやま福祉会」が挑戦しようとしている全国初の人材養成センターの構想や日々の仕事の実態、丹後の暮らしを紹介していきます。

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地域に必要なサービスをキャッチすることの大切さ

「みねやま福祉会の創立は1950年。当時29歳だった祖父櫛田一郎が戦災孤児の受け入れを始め、乳児院を作ったことから始まりました。なぜ、乳幼児だったのか?それは人間の人格形成にとって一番大事な時期だという事実と、心にスポットを当てることがいかに重要かということに、祖父がいち早く気づいたからでした。」

そして時は経ち、1970年。女性が社会に参画していくような時代になったにも関わらず、その頃の北近畿には0歳児を預かる場所がなかったといいます。

仕事に出たいけど出ることができないというニーズをキャッチして乳児保育所を作り、その後も時代の流れに沿って、高齢者の福祉需要が増えると高齢者福祉事業、障がいを持つ方が遠くまで療育に通わなければいけないと判ったら障がい福祉事業というように、常に地域に求められるサービスをつくることで事業を拡大し、みねやま福祉会は、約470名の職員と17ある事業所で成り立っています。

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「今は、クオリティを求められる時代になり、これまで以上に人材の育成に力を注いでいかなければならないと感じました。そして、来年の春。全国初の宿泊可能な福祉人材を養成する人材養成センターを開設します。特別養護老人ホーム(60床)、保育所施設(定員20名)、障害者施設(就労継続支援B型・生活介護・放課後等デイ)など、サービスは多様にありますが、ここでも「心」にスポットを当てた現場実習をしていきたいと考えていて、人間同士の関わり合いや、丹後半島全体で地域との関わり方を考えていくための準備をしています。職員の幸福を追求し、その幸せを共感できる仲間を増やしていくことが、いまの福祉には必要なんです。」

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今回の求人は、特別養護老人ホームなどの福祉施設や、福祉人材養成施設から成る複合施設(仮称)宮津福祉人材養成センター」の開設に伴う募集が中心です。

チャレンジする前に諦めるのが嫌だった

みねやま福祉会の創業者の孫である櫛田さんに、地元を出て、戻ってこられるまでのお話を伺いました。

「僕には、プロのサッカー選手になりたいという夢があったので、ずっとサッカーを続けてきました。ところがある日、同級生と大喧嘩をしてしまいまして…、その原因というのが、“こんな田舎の環境では絶対勝てない、生まれてしまった時点で運命が決まっている”という発言でした。」

周りには、大きな夢にチャレンジする前から諦め、現実的にはこの辺が妥当だろうと決めつける人ばかり。そんな風に精神的にブレーキをかけられるのが嫌で、櫛田さんは大阪の大学へ進学し、サッカー部で選手兼マネージャーとして活躍されました。全体を見て何が必要で、自分が何をすべきかというその頃に身についた視点が、今の仕事に活きていると言います。

そして、進路決定のタイミングで、櫛田さんの実父が福祉事業を行っていることを知るはずもない恩師に、“福祉の仕事が向いているのではないか”、と言われたことをきっかけに自分の道を再確認し、福岡の福祉施設で働き丹後に戻られました。

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「僕が丹後に戻ってきて6年が経ちますが、ご飯が本当に美味しくて、自然がいっぱいあって、人が暖かいので、本当に良かったと思っています。しかし、戻ってきたばかりの頃は、チャレンジすることを諦める閉塞感がまだまだ存在していて、さらには僕が子供の頃に感じていたような大人達の元気がなくなっていたように思いました。」

櫛田さんの挑戦は、その空気を変えることから始まりました。

「仲間内で批判しあっている人達を集めてイベントを企画することから初めて、端から眺めているだけの人を巻き込み、人のつながりを作っていくことで、まだまだ丹後は終わっていない!という空気感が広がり、面白いことを創ることに繋がる」と、櫛田さんは語ります。その熱意が広がるかたちで、NPO法人チーム旦波(たにわの設立にも携われました。

自分らしく生きられる職場と地域

みねやま福祉会の拠点である京丹後市は、福祉に対して積極的な環境であり、福祉の手当の水準は、行政によって差はあるものの、基本的に都会と変わらないと言います。だからこそ、都会暮らしが息苦しいと感じている人にとっては、自分らしく生きていく環境が丹後で見つかるかもしれません。

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「カメラ、料理、ダンス、なんでもいいので趣味がある人に来て欲しいです。それが仕事で役立つこともあるし、地域に関わるきっかけの一つになります。その例として、近所の子供達がゲームばかりしているのを憂いたうちの職員が、児童養護施設を開放する事業「のびっこくらぶ」を構築しました。タケノコ堀りや伝承遊び等、季節や文化に触れる遊びの提供を行っています。タケノコの調理法は施設の調理員が教えました。地域のおばあちゃんを巻き込んだ取組は「わくわくふれあいまつり」というイベントや「おひさまひろば」という子育て広場で行っております。」

「そのつながりから、行政の窓口などではキャッチアップできないようなSOSを見つけられることも多々あります。好きなことがある人は、それを職場でやれる環境があるので、やりがいを感じてもらいやすいと思いますし、みんなが笑顔で暮らせる環境をコーディネートするためには、大切なことだと思います。」

みねやま福祉会の懐は深く、海が嫌いだったり、丹後の環境が苦手でなければ歓迎する体制だといいます。研修システムも充実しており、自分のライフスタイルに合わせた雇用も積極的に取り入れていて、時短などは当たり前。今は3年間の育休取得の実現にむけて動いているようです。サービスを必要とする人が1人でもいれば対応する、という心構えで運営されています。(入所施設は365日運営、保育所は元旦のみ休業)

みねやま福祉会の職員研修制度について 

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次に、実際働いている職員の方に、仕事のことや日々の暮らしについてお話を伺いました。

松田さんは、峰山乳児院付設幼児寮という児童養護施設で働くUターン組。中学生の頃から地元の丹後で、保育士になることを夢見て、大阪の短期大学の卒業と同時に、みねやま福祉会に就職されました。

訳があって親と一緒に生活ができない子供たちが生活している児童養護施設に配属となり、思い描いていた保育士の仕事とは全く違う現実に、最初は戸惑いを感じたと言います。

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「実習では、児童養護施設で働くという意識をしていなかったのですが、丹後の自然と地域の行事が大好きなので、そういう環境の中で子供たちと一緒に生活しながら働くということに、今はとてもやりがいと感じてます。一言で言うと、お母さんのような仕事ですね。」

帰る家がひとつ増えたという感覚
 

「最初は仕事だと思っていたので、家庭的な雰囲気をつくるのが難しかったのですが、慣れてきたら自分の家だと思うようになりました。休みの日も子供たちに会いに行ってしまいます。」

夜勤の時は睡眠時間が短く、休みがなかなか合わないので、家族からも心配されることもあるけれど、希望休の制度もあり、食べたいもの、行きたい場所、やりたいと思ったことは子供たちと一緒にできるので働きやすいと語る松田さんの柔らかい笑顔が印象的でした。

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みねやま福祉会の児童養護施設は、中庭を囲むように2つの小規模グループケア、本体施設の幼児寮の計3つの施設で成り立っています。小規模グループケアには、高齢者の小規模多機能型居宅介護施設も隣接しており、様々な生活体験ができる子供達の家のような場所を目指しておられます。

一人の職員につき2人ずつの子供を担当し、その子のことを深く考えることができる環境なのだそうです。職員同士は話し合いを大事にしていて、自立支援会議を3ヶ月に1度実施。20代の職員が多く、自分達の悩みも共有しやすい空気感だと松田さんは言います。

幼児寮で活躍する職員のインタビューはこちら

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田舎だから何もないという意識でいると、何も起こらないかもしれません。しかし、楽しもうという気持ちさえあれば、人と人のつながりが仕事と生活の垣根を越えて、自分を取り巻く環境を面白いものにできる。そんな人生の豊かさを共感しあえる幸せを、みねやま福祉会で働く職員から感じられました。

「福祉という仕事は、社会のまさにセーフティネットです。児童養護施設は子どもの人権擁護における最後の砦とも言われます。中心にあるものではないけれど、みんなの笑顔を支える黒子のような存在が理想なんです」と語る櫛田さんの言葉がとても印象的でした。

利用者に限らず、職員やその地域に住む人に至るまで、人間を大事にする姿勢が隅々まで行きわたり、職員同士の結びつきまでも暖かいと感じることができたのは、その思いが根底にあるからかもしれません。

暮らすように、働く人を求めて
 

福祉業界の若手人材不足が社会の課題になる中、みねやま福祉会では、現場スタッフ中心に構成されたリクルーティングチームSKIPPAを結成されており、若いスタッフが人材確保の取り組みを通じ、みねやま福祉会全体・地域全体を見直していく機会もあり、見知らぬ地域であったとしても、ちゃんと人とのつながりを作れるきっかけとなる場所が存在していました。

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そんな若手人材の採用に携わっているのが川渕さん。川渕さんもまた、大学卒業後、東京の大手企業に勤めた後に、地元に戻ってきたUターン組です。実は現在、京都移住計画のメンバーとして京都移住コンシェルジュの肩書きを持ちながら、田舎への移住促進を行う傍、「みねやま福祉会」の採用支援のお仕事などもされています。

現場にずっといるわけではないからこそ、客観的に見える「みねやま福祉会」のお話もお聞きしました。

「職員もサービスを受けている方も、普段通りの生活をしている一部という雰囲気が、全体に流れていることに驚きました。サラリーマン時代の時に感じていた仕事と生活のオンとオフを分ける感じがあったからこそ、この職場は、そうではなく生活の延長線上で、自然体で働いている感じがして、素敵な職場だと思っています。」

松田さんにも感じたことは、“暮らすように働く”ということ、きっとそういう職員の方が多いのだろうというのは、川渕さんのお話からも感じ取ることができました。

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 さて、そんな川渕さんの役割としては採用以外のことも期待されているそうで、京都移住コンシェルジュとして、地域のコミュニティやその土地のことを知れるからこそ「みねやま福祉会」にて採用後の暮らしの面もサポートしているんだとか。

「今年の4月に小林さん(福井からのIターン就職)は、みねやま福祉会か京都市内の法人かで迷った結果、みねやま福祉会を選んでくれたんですけれど、“私の為に1日付きっ切りで色々と仕事以外のところも案内をしてくれたことも決め手になった”と言ってもらえました」と、川渕さんは嬉しそうに語ってくれました。

仕事だけだと家と会社の(往復)になり、土日休みではないから、地元の友達もいないIターン者にとって、孤立しがちな職種ですが、もともと住んでいる人や、同じ境遇の移住者をつなぐことで、友達ができたり、丹後の暮らしを含めたサポートができることにやりがいを感じていると言います。

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「みねやま福祉会」は仕事面だけではなく、プライベートが充実するということも大事だと考えています。人生をどう捉えるか?を大事にしており、そこに向かって伴走できるような立ち回りが、地域をつなぐような仕事をしているからこそ、僕にできることだと思います。」

福祉業界の経験もなく畑違いだった人間を、採用担当のメンバーとしているというところに、柔軟に新しい発想や考えを受け入れていく土壌があり、チャレンジできる環境を与えてくれるのが「みねやま福祉会」の良さだと川渕さんは言います。

 「萎縮せずにオープンマインドで提案していける環境があるので、自分の特技や趣味や好きなことを、その環境でやりたいことを実現していける。やりたいことが明確な人は、是非チャレンジしていって欲しいなと思います。」

後半では、全国的にも人材が不足している保育所で、都会との違いを経験したスタッフや、一番多くの求人をしようとしている高齢者福祉施設で働く、仕事が楽しくて仕方がないという笑顔全開のスタッフや、麻雀日本一になった経験を持つスタッフなど、多様な仕事のことや丹後の暮らしについてお届けしたいと思います。

この求人へのエントリーは前編のみからでも可能となります。
後編はこちら

京都移住計画での募集は終了いたしました

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