京都市内から車で2時間。日本海に面した京丹後市は、人口約5.4万人の京都最北端のまち。豊かな自然に育まれ、米やフルーツの栽培が盛んなほか、300年の歴史を持つ丹後ちりめんなどが有名です。
今回は、そんなまちの中心地にある「峰山高校」をフィールドに、高校生と地域をつなぐコーディネーターの募集です。
峰山高校は、丹後地方の中核高校の一つ。これまで2万8000名を超える卒業生を輩出してきました。生徒数は、普通科と工業科を合わせて一学年190人。2022年には創立100周年を迎えます。
「求めてやまじ 高き理想を!」という校歌の一節を教育スローガンに掲げ、進学に向け勉学に力を入れる一方、部活動もとても盛ん!1999年には春の選抜高校野球に野球部が出場、直近では全国高校ロボット競技大会にロボット研究部が5年連続で出場、軽音学部は軽音の甲子園と称される大会で準グランプリになるなど、積極的にチャレンジする生徒が多く在籍しています。
峰山高校で、今回、高校と地域をつなぐコーディネーターを募集するに至った背景について、まずは校長の長島雅彦(ながしま・まさひこ)さん、教諭の石田憲彰(いしだ・のりあき)さん、京丹後市の川口誠彦(かわぐち・まさひこ)さん、そして丹後暮らし探求舎の坂田真慶(さかた・まさよし)さんにお伺いしました。
「総合学習」で育む地元への愛着
左から坂田さん、長島校長、川口さん、石田先生。
長島:峰山高校と長年関わってきましたが、以前は京丹後を「田舎で何にもない」と思っている生徒、京丹後の魅力を感じることができない生徒が多かったように思います。そこで、京丹後市では、2016年に小学3年生から中学3年生を対象にしたカリキュラム「丹後学」が導入されました。その成果もあり、故郷に対して誇りを持つ子が増えたと実感しています。
石田:そうですね。しかし、「丹後学」で生まれた地域への愛着を、高校生活の中で育む機会はありませんでした。そのため大学卒業後に、「田舎には何にもないから帰ってこれない」と離れたままになる子もたくさんいました。そこで、2018年度より「総合学習」の時間の中で、京丹後で活躍する大人の話を聴く機会をつくっています。坂田さんも、ゲストの一人としてお話いただきました。
坂田:僕は東京から京丹後に移住して3年目。「丹後暮らし探求舎」として、移住支援の仕事をしています。僕や周りのUIターン者は、今まさにチャレンジしているタイミングなので、生徒のみなさんにもその熱量が通じ、「京丹後で何かできるのかも」「おもしろそう!」と感じ取ってもらえたていたら嬉しいです。
石田:みんな目を輝かせて、お話を聴いていましたよね。「こんな仕事があるんだ」「もっと聴きたい」と前のめりな生徒が多かった印象です。馴染みのある教員が地域の情報を話すよりも、多様な経験をした大人に話をしてもうらう方が、生徒たちの意欲も学びも深まると感じた場面でした。
長島:「こんな大人になりたい」と、将来のロールモデルになったのでしょうね。
石田:授業を重ねるうちに、ゲスト講師の方に話を聞きにいこうと考える生徒もでてきました。ゲスト講師の活動にボランティアとして参加するなど、高校の外にフィールドを広げている子が増えています。
長島:「総合学習」によって、生徒の思考や行動が劇的に変わるわけではありません。しかし、長い目で見たときに、地元に帰る選択をする子が、今まで以上に増える流れをつくれているのではと思います。
近い将来、仲間になる可能性を秘めているからこそ
2018年度から導入した総合学習の時間。生徒が地域と関わるきっかけになり、両者にとって良い効果をもたらしはじめているようです。
そして、次年度からは高校と地域をつなぐコーディネーターを配置します。地域の未来はどのように変わっていくと考えているのでしょうか。高校、市役所、そして民間の立場からそれぞれお伺いしました。
坂田:僕は「総合学習」の講義を経て、高校生は地域の未来にとって可能性の塊だと気づきました。今、移住支援センターの仕事で、”外”から京丹後に人を連れてくる取り組みをしているのですが、移住者は年に数十組。これから京丹後に住む高校生約1200人にアプローチを取り始め、「京丹後っておもしろいな、将来また戻ってきたいな」と思う子を増やし、卒業後も関係性を維持しながら、ゆくゆく京丹後に戻ってこれるサポートができると良いな、と思っています。
川口:京丹後市では、高校卒業と同時に多くの人が「外」に出ますが、帰ってくるのは3〜4割程度です。この割合を増やしていくことが、人口減少対策として重要だと考えています。高校生と地域をつなぐコーディネーターの取り組みは、Uターンにつながる施策として捉えており、京丹後市の議員さんも応援してくれていますよ!
長島:京丹後に大学や専門学校はありません。そのため、卒業後95%の生徒は、外に出てしまいます。外に出て行ってしまうことは、残念です。しかし、地元の良さを知らずに単純に都市へ行ってしまう子と、地元の良し悪しをわかった上で外に出て行く子では、おそらく都市での生活の仕方も、都市から地元を見る目も異なると思います。
もちろん将来、京丹後に戻ってきてくれたら嬉しいですよ。でも、たとえ都市で暮らす選択をしたとしても、地元を大切に思う気持ちを心のどこかに持っていてくれる子や、都市に住みいながら地元との関係性をつくれるような人になってほしいですね。
高校生と京丹後の可能性を引き出す役割
「地元に帰りたい」「地元のために何かしたい」と思った時、その思いを実現できるかどうかは、何が決め手となるのでしょうか。
その答えの一つは、地元で暮らす人の顔が見えるかどうか。地元にやりたい仕事があったり一緒に働きたいと思える人がいたり。自分が地元で役に立てるフィールドが見えるかどうかのように思います。
今高校生活を送る子たちが何年か先で、「地元のために何かしたい」と思ったとき、背中を後押しするのが、総合学習で得た経験となるのでしょう。そんな土壌を育むコーディネーターにはどんな人が適しているのでしょうか。
長島:ズバリいうと、坂田さんみたいな人です。具体的にいうと、生徒一人ひとりや京丹後の可能性を引き出すことに熱をもっている人。可能性の芽を引き出し、たくさんアイデアを出してくれる人が来てくれるとありがたいです。
坂田:ありがとうございます!(笑)
長島:高校生のほとんどは家と学校の往復で、出会う大人も限られた世界で生きているので、視野が狭くなりがちです。私たち教員も、学校という狭い世界で生きてきた人が多い。だから、坂田さんのように、広い世界でいろいろな経験をした人がいると心強いです。
川口:多様な経験をしていることに加え、高校生とコミュニケーションを取る必要があるので、素直で柔軟性のある方が望ましいですね。はじめは地域のことを知らなくても大丈夫。市役所も坂田さんもサポートしますし、住めば地域のことは自然とわかってきますから。
高校生は大きな可能性を秘めています。彼らの好奇心をくすぐっていただき、羽ばたかせていけるような役割を担ってもらいたいです。
長島:童謡の「ふるさと」には、”志を果たしていつの日にか帰らん”という歌詞があります。でも志を果たしてからでは遅いかな。志を果たしに帰ろうと思う子どもを、どれだけ育てられるかが私たち大人の役割だと思います。今の時代は離れていても「ふるさと」といろいろな方法で関われますから、さまざまなアプローチができるはずです。
先生とも親とも違う、斜め上の関係
次は峰山高校を卒業後、東京・京都を経て、2018年にUターンをした関奈央弥(せき・なおや)さんにお話をお伺いしましょう。現役高校生である、畑中みずき(はたなか・みずき)さんと和田真依(わだ・まい)さんにも同席してもらいました。
関さんは、京丹後で生まれ育ち、東京の大学へ進学。大学卒業後は、小学校の管理栄養士として働きながら、丹後の食を広める「丹後バル」の活動をしていました。地元に戻った現在は、地域おこし協力隊として、峰山町五箇地区を中心に、丹後地域の活性化に取り組んでいます。
関:大学卒業後は、地元に戻って学校栄養士をしようと京都府の教員採用試験を受けたんです。でも落ちてしまって……。それで、たまたま東京都の栄養士として採用され、東京都大田区の小学校で管理栄養士をしていました。栄養士として子どもたちに野菜の栄養や食べ方について指導をするのですが、情報を一方的に伝えても反応は鈍く、これでは食習慣は変わらないだろうなと思って。でも、給食で食べる野菜がどこでどんな風に作られているのかストーリーを伝えるようにしたら、苦手な野菜を食べられるようになったり、農家さんに興味をもつようになったり。子どもたちにいろんな変化が生まれました。
そこではじめたのが、先にも上げた「丹後バル」だったそうです。
関:東京で働きながら、丹後の農家さんや漁師さんとのご縁が増えていきました。そのうち、地元に戻り本腰を入れて活動しようと思い、まずは京都市内に転職。缶詰の商品開発を担当しました。京都市内や丹後のネットワークが広がり、より丹後の食を広める活動に力を入れようとしたとき、たまたま地域おこし協力隊の募集があって、Uターンするきっかけになりました。
Uターンした先輩として、関さんも総合学習の時間に、自身のキャリアについて話す機会をもらったそうです。その授業を受けていたと話す、まいちゃんとみずきちゃん。どんな感想を抱いたのでしょうか。
まい:就職するときには、京丹後に帰ってきたいなと思っています。だから、関さんのように若くても地元に貢献できることを知って、私も関さんみたいになれたらいいなと思いました。
みずき:ずっと「京丹後って何が魅力なの。海しかないよ」って思っていました。でも、地域おこし協力隊として関さんが、農業をしたりサイクリングツアーを企画したりしているお話を聞いて、自分の手で地元の良いところをつくっていけるんだな!って気づきました。実際、関さんが主催する田植えイベントにも参加して、農業にも関心が高まりましたよ。
日常生活を送るだけでは出会うことのなかったであろう、先輩との出会い。進路を相談したり地元のことを教えてもらったりする、お兄さん・お姉さんの存在は、生徒にとってロールモデルとなるだけではなく、同じ目線で地元を見られる仲間にもなっているようです。
みずき:先生と生徒だと、教える教えられる関係が大前提にあります。だけど、関さんは、同じ地域の人として接することができる。だから、地元のことを話すなら、先生よりも説得力があるんです(笑)私は地元のことを知っているつもりだったけど、総合学習の授業を受けたら、まだまだ知らないことがいっぱいあるなってわかりました。地元や仕事のことを先輩から教えてもらえるのは、楽しいですね。
まい:京丹後に住んでいる年の近い先輩から聞く本音の話は、進路を考える上でとても参考になります。来年度からどんなコーディネーターの方が来るのか楽しみです!
大人になってから気づく地元の良さもある
最後に訪れたのは、京丹後市内にある日下部農園。峰山高校出身の日下部知子(くさかべ・ともこ)さんに、お会いしました。
日下部さんは、関西の大学を卒業後、京丹後にUターン。塾講師として働いた後、上京し、現在のご主人との結婚を機に、再び地元へ戻ってきました。
大学卒業後、迷うことなく地元での就職を決めたと話す、日下部さん。決め手はなんだったのでしょうか。
日下部:大学生の頃、子どもをキャンプに連れて行ったり、障がいある方との交流の機会をつくったりしていました。その中で、都市で働くよりも、地域の人と触れ合いながら働きたいなと思って。せっかく働くなら、知らない土地よりも地元の方が良いと思い、Uターンしました。
就職先に日下部さんが選んだのは、塾でした。
日下部:大学生の頃も、養護施設などに勉強を教えていました。子どもの頃、地元の塾に通っていたんですけど、たまたま私が就職活動をしていると話を聞きつけた、塾の代表が、「働かない?」と誘ってくれて。京丹後は田舎なのに、その方はまったく田舎臭さがなく、かっこいいキャリアウーマンだったことに惹かれました。田舎にいても輝くことはできるし、のんびり田舎生活を満喫しながら、都市のセンスも取り入れて生きていけるんだなって。
日下部さんがUターンする決め手になったのは、憧れの大人がいたこと。やはり一度地元を離れて、Uターンするとき、どれだけ暮らす人の顔が見えるかは大切なことのようです。
日下部:以前、総合学習の時間にお話をさせていただいたとき、「高校生の頃、京丹後は田舎だし、何にもないって思っていました」と話したら、生徒が深くうなづいたのが印象的でした(笑)たぶん私も高校生の頃に、「京丹後って良いよね!」と言われても、よくわからなかったと思います。都市に一度出たからこそ、京丹後の良さに気づけたから。
自然がいっぱいで、子育てがしやすくて、地元の人たちが温かい声をかけてくれて。大人になってから気づく京丹後の良さもあるから、いつか地元に戻りたいと思える経験を高校生の頃にできるといいですね。
学校、市役所、地域…さまざまな人の思いが集結したことにより、高校生と地域をつなぐコーディネーターの取り組みは実現しようとしています。まずは峰山高校への導入のみですが、ゆくゆくは京丹後市内にある高校すべてに、そしてこのモデルが京都府内の高校に広がっていけばと京丹後市は願っています。
まだ真っ新なキャンパスだからこそ、どのような絵を描き、広げていけるかはコーディネーター次第。高校と地域をつなぐ京丹後市の新たな取り組みに、ぜひ力を貸してください。
執筆:北川 由依
撮影:もろこし