募集終了2021.03.29

大工として一生モノの技術を身に付けて。小さな町の「住」を担う

一軒家が建つまでには、設計にはじまり乾燥、上棟、内装、そして引き渡しまで数多くのプロセスがあります。今でこそ早ければ数ヶ月で一軒家が建つことも増えましたが、かつては数年かけて町の大工によって建てられ、その後も折に触れて、懇意の大工がメンテナンスをして住まれる方の暮らしを整えるお手伝いをしてきました。

そうした昔ながらの大工の技や姿勢を大切にしている会社があると聞いて訪れたのは、京都府北部に位置する与謝野町の「有限会社小山住建」。海と山に囲まれた人口約2万人の町で、地域に根ざし、暮らす人々の「住」を支える大工を募集しています。

リピート率ほぼ100%!町に根ざした工務店

小山住建は、1995年創業。社長の小山浩明さんが、大工として独立したのを機に立ち上がりました。最初に手掛けたのは、同級生の新築住宅。大工としての浩明さんの腕を信頼しての依頼でした。

「今までに新築の一軒家を27棟、建ててきました。もしかしたら、この数字は少ないかもしれません。しかし、建てた後の改修・リフォームはほぼ100%受注しています。新築も20年ほど経つと、修繕すべきところが出てきますし、模様替えをしたい方もいます。そんな時にうちを思い出して頂けるのは嬉しいことです」

40年以上、家づくりに携わってきた浩明さんが得意とするのは、木の目利きです。

「木は面白いですね。一つとして同じ木目はないので。柱や梁、土台などの構造材には昔からよく使われているヒノキや杉を使うと、しっかりとした家が建ちます。内装材は、部屋のデザインに合わせて木目を組み合わせると、美しい仕上がりになります」

そばで話を聞いていた、浩明さんの奥様でもあり事務職員の小山富美代さんは、「今では木の目利きができる人は少なくなった」とつづけます。

「大工の仕事と言っても、なんの技術も身につかない現場があるんです。昔は大工が現場でノコギリやカンナを使って木材を加工していましたが、今では工場で加工し、現場では組み立てるだけになっているところも多い。すると、何年働いたとしても技術や目利きの力は身につきません」

その点、「小山住建は材木を現場で加工し組み立てていくため、大工として必要なスキルはしっかり身につけてもらえる」と浩明さん。

「うちで15年働いて、独立したスタッフもいます。今も30代の大工が2人、働いていますが、どちらも家一棟建てられます。つまり、家の構造がわかるということ。全体を見ながら、一つひとつ作業できるので、しっかりした家を建てられますし、コスト感覚にも優れています」

与謝天橋立ICからすぐのところにある小山住建の本社。社長が独立後、休日を使って5年がかりで建てた。

浩明さんの言葉からは、大工としての責任感、そして若手を育成することへの意欲が感じられます。その背景には、10代の頃、丁稚奉公した親方の教えがありました。

「大工である以上、どんなに偉いお坊さんでも総理大臣でも、家ができたらみんな大工に頭を下げる。任せられているんだから、しっかりしたものをつくれよって。その言葉がずっと心に残っています」

「大工の仕事を覚えれば、図面も書けるし改修工事もできます。身に付けた技術で、一生ご飯を食べていけます。若いうちに与謝野町へ移り住んで、自分の手で小さな家を建てて。子どもが大きくなったら家を増築して、悪いところが出てきたら改修して、そうやって暮らしていくのも楽しいと思いますよ」

大工になり自分の手でマイホームを建てる

大工になり、自らの手で自分の家を建てる。そんな生き様を実際に叶えたのが、大工の山本清喜さんです。

高校は、宮津市にある建築学科に進学。卒業後、一度は現場監督として働いていましたが、大工になる夢を諦めきれず、小山住建に転職しました。

「2020年に、念願のマイホームを自分の手で建てました」

と話す山本さんは、とても嬉しそう。

とはいえ、ゼロから技術を身に付け、理想の家を形にするまで15年、大変なこともありましたよね?

「それはもう、凹んでばかりの日々でしたよ(笑)兄弟子から怒られるのも辛いし、思い描いていることに技術が追いつかないのも悔しいし」

それでも、日々を積み重ねてこれたのは、一人前の大工になりたいという目標と、持ち前の負けん気の強さがあったからでした。

「子どもの頃から父に、『大変なことがあっても何クソっと思って取り組め』と教わってきました。高校のサッカー部でも、たくさん怒られましたが、負けん気で乗り越えてきたんです。大工になってから悔しい思いもしました。だけど、それでも翌朝になれば不思議と仕事をしたいって気持ちになりましたね」

現場でサイズを測り、材木を加工していく。

大工として身に付けた技術は、プライベートでも活きているのだとか。

「親戚からは、締まりの悪い建具を見てほしいとか、壁に穴が空いたんだけど直せるかと、よく相談されます。妻からは、『こんな棚をつくってほしい』ってYouTubeや写真を見せられますね(笑)出来上がった時に、『すごい』『そっくり』と言ってもらえると、『よっしゃ』ってなります」

自分の手でマイホームを建てる。その目標を叶えた山本さんが、次に目指すのは設計もできる大工です。

「自分で家を建てられるようになりましたが、図面を書いたり建築に関わる申請書類を作成したりまではできません。次は設計を覚えて、図面から担当できるようになりたいと勉強中です」

あくなき技術の追求をする山本さん。その視線の先には、大工としてのイロハを教えてくれた兄弟子の存在があります。

「兄弟子はすでに独り立ちをされたので、会社にはいません。でも僕にとっては絶対的な存在として頭の中にいます。いつまで経っても追いつけないまま。カンナがけ一つとっても、仕上がり具合を兄弟子と比べてしまいますね。まだまだ兄弟子に追いついていない気持ちがあるから、向上心を持って進んでいけるんだと思いますし、僕もそういう存在になりたいと思っています」

小さな町の工務店を未来につなぐ、新たなチャレンジ

さて、最後にご紹介するのは、小山住建のもう一人の大工、小山拓也さん。社長の浩明さんの息子でもあります。

設計から現場工事まで担う拓也さんは、山本さんと高校の同級生で、同じくサッカー部に所属していたそう。同級生コンビで、小山住建の現場を切り盛りしています。

同級生から依頼があり、拓也さんが設計から施工まで手掛けた新築住宅。木の温もりを感じられる空間に仕上がった。

2025年頃には、浩明さんから社長の座を引き継ぐ話もあり、目の前の仕事に向き合いながら、未来の仕事や与謝野町にも目を向けています。

新たにチャレンジ中なのが、カキ殻を使ったオリジナルの漆喰の開発です。

右:「かや山の家」の青木ヒロシさん。料理だけではなく、触れるもの・目に映るものもはできるだけ丹後産のものでつくられた宿にしたいと考えているため、カキ殻の漆喰を壁に採用。漆喰塗りワークショップを開催し、地域の人たちと楽しみながら塗った。

「与謝野に面する阿蘇海では、近年カキの異常繁殖が生じ、カキ殻の堆積による悪臭や景観破壊が問題になっています。そこで、不要なものを再利用して何かできないかと考え、カキ殻の漆喰を開発しました。漆喰をつくるためには石灰・ノリ・藁の3つの材料が必要です。僕たちは、丹後産のカキ殻・アカモク・近隣農家さんの稲藁を混ぜています」

現状、地域の工務店として大手と差別化できることは、地元産の木材を使うなどごくわずか。地域資源を使った漆喰を商品化し、地域循環型の建材として、飛び道具になることを期待しています。

また、今後は他業種とコラボレーションした内装材も、積極的に取り入れていく予定です。

「与謝野は、丹後ちりめんに代表するように織物産業が盛ん。でもコロナの影響もあり、需要が落ち込んでいます。ポリエステル糸を使った丹後ちりめん『ポリチリ』であればコストを抑えながら、ちりめん独特の風合いを生かした装飾も可能です。生産地として、地元での活用を積極的に提案していきたいです」

こうした活動をはじめる以前、拓也さんは「町のために何かしたい」と思う気持ちはあったものの、行動に移せていなかったと振り返ります。地元愛を表現する転機となったのは、2018年に同世代の経営者と、アメリカ・ポートランドを訪問したことでした。

「プライベートで、近隣の若手経営者との旅に出ました。僕は初対面の方ばかりでしたが、参加者は名の知られた実力者ばかりで。みなさん町や業界の未来を考えていて、すごく刺激されました」

「またポートランドは、全米で住みたい街No.1とも言われており、先進的なまちづくりを進めるまちとして世界中から注目を浴びています。エコやDIY、そして地元志向が強く、『食』も『住』も、地産地消がベースにありました」

こうした出会いや経験があり、帰国後、「自分も与謝野町のためにも何かできないか」と考えた末、本業と地域資源を掛け合わせた商品開発を思いついたそうです。

「まずは地域に喜ばれることをしようと思いました。そこで、不要なカキ殻を再利用した漆喰のアイデアを思いつきました。問題になっているカキ殻を有効活用できたら、まちも、暮らす人も幸せになれます。他業種とコラボレーションをして売上が伸びたら、関わった多くの人たちに喜ばれます。そしたらきっと巡り巡って、僕も幸せになれるだろうって」

「かや山の家」からは与謝野の町を一望できる。山と海がすぐそばにあり、自然豊かな町だ。

最後に、大工として、次期経営者として目指すところを聞きました。

「相談があった時に、背中を押せる存在になりたいです。僕がカキ殻の漆喰について、かや山の家の青木ヒロシさん相談した時、興味をもって『一緒にワークショップをやろう』と言ってくれて、すごく嬉しかったんです。だから僕も、相談があったら『いいね、こんなんどう?』って言える人になりたい」

「お客さん一人ひとりに理想の暮らしがあります。古民家に暮らしたい人も、機能的な家に住みたい人も、道具のようにラフに家を使いたい人もいます。一人ひとり異なるライフスタイルが存在するからこそ、こんな家がいいんじゃないかって柔軟に対応できるような提案をしていきたいです。無理難題も大歓迎です」

お話の中で見えてきたのは、身につけた大工の技術は一生モノの武器になること。そして、自らの手でマイホームを建て、暮らしを形づくっていく喜びがあることでした。

そんな喜びを味わいながら、小山住建のみなさんは、これからも生きていく上で欠かすことのできない「住」を担い、町の大工として与謝野町で暮らすみなさんの生活を支えていくことでしょう。

近い将来訪れる代替わりに向けて、会社も変化の時。もし小さな町の大工に興味を持たれたらなら、一度話を聞きに行ってみませんか。

※本記事はBeyond Career事業にて受注・掲載した求人記事となります。Beyond Careerについてはこちら

執筆:北川 由依
撮影:稲本 真也

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