募集終了2021.04.14

目指すは舞鶴を照らす一番星!おもろい仕事をつくり、若者が帰りたくなる会社になる

地方移住を考える時、もしくは地元にUターンを検討する時、「都市部のように仕事の選択肢がない……」と諦めてしまったことはありませんか?

そんな現状を変えようとチャレンジをつづけるのが、「株式会社ホリグチ」です。

ホリグチが根を張るのは、京都市内から車で約1時間半のところに位置する、舞鶴市。人口約8万人、明治時代には旧海軍舞鶴鎮守府が開庁し、大正期にかけて赤レンガ倉庫群が建造されたまちで、海軍ゆかりの地をひと目見ようと、数多くの観光客が訪れます。

そんな歴史深いまちで、ホリグチは今年80周年を迎えました。20年後に迎える100周年、そしてその先も。まちに必要とされる会社であるため、新規事業担当者を募集します。

まちと会社の未来のために、強力打線をつくりたい!

ホリグチ本社。京都府北部と福井県若狭地方にまたがる、大浦半島にある。

「事業を野球に例えて、僕はよく打順を組むんです。今は6番バッターまでいるので、7~9番を創り試合が出来る状態にしたい」と開口一番、社長の堀口宏之さんはこう答えました。

一体どういうことでしょう。

「野球には1番から9番まで打順がありますよね。今うちの4番バッターは、舞鶴発電所のメンテナンス事業です。でも野球の4番バッターだって、調子を崩して下位打線に下がったり、怪我をして休んだりします。会社の事業でも同じだと思うんです」

堀口さんは3代目。創業者の孫でもある。

「時代、時代で必要とされる仕事は違います。10年後になくなる仕事もあれば、10年後に生まれる仕事もあるはず。会社の事業も9番バッターまでつくり、できれば控えや二軍事業があるくらい幅広くい事業を並べて、調子の良し悪しを考慮しながら打線を組み直していきたいと考えています」

現在、ホリグチが手掛ける事業は、舞鶴発電所のメンテナンスのほか、地域情報を発信するWebサイト「まいぷれ」の運営、舞鶴土産の開発・販売など多岐に渡ります。

「端から見ると統一性がないと言われることもあります。でも、逆にリスクヘッジになっている」と堀口さん。コロナ禍でも、売上が下がった事業もあれば上がった事業もあり、会社としては大きな影響を受けずに済んでいるそうです。

関西電力唯一の石炭火力としてベース電源を担う、舞鶴発電所。

実はホリグチ、もともとは公共工事などの建設業を生業とする「堀口建設」として産声を上げました。しかし、時代の流れと共に事業が立ち行かなくなり、2011年に建設部門を廃業。会社の存続のため、事業づくりに奔走してきた過去があります。

「昔は土建業がうまくいって、本社がある大浦半島の土木工事の多くを堀口建設が受注していた時代もありました。父の時代に資材部門の『堀口商事』(現在は合併しホリグチの一事業に)を創り、外販も行なってきましたが、業界の環境も変わり経営状態も祖父の時代に比べ悪化していきました。堀口建設の盛衰を経営の内外から観ていた私は、建設業に代わる柱を創る必要性を感じ、Uターンした1999年から少しずつ、時代に合わせた事業をつくろうと多角化を進めてきました」

社長就任以来、堀口さんは積極的に新規事業にチャレンジしてきました。今回の募集も、強力な打線をつくると同時に、未来の4番バッターを育てるためのもの。

「今ホリグチの事業は6番バッターまであります。だから9番バッターをつくり、育てていきたい。そのためにも、時代に応じてスクラップ&ビルドを繰り返していきます」

建設業に変わり、ホリグチを支える4番バッター

現在ホリグチの4番バッターを務める、舞鶴発電所のメンテナンス事業とはどのようなものでしょう。

「ホリグチが担当するのは発電所の点検や清掃です。2004年の稼働時から、電力の安定供給の一翼を担ってきました」

発電所を訪れると、森田薫さん、岩崎仁志さん、石脇洋一郎さんが出迎えてくれました。

左から、森田さん・岩崎さん・石脇さん。それぞれ勤続12年〜16年、稼働初期から現場を守ってきた。

「社員に安心して長く働いてもらえるよう、年齢に応じた業務の割り振りを意識している」と話す堀口さん。実際、どのような役割分担で仕事を進めているのでしょうか。

30代の森田さんが担当するのは、石炭船から貯炭場、そしてボイラまで石炭を搬送するベルトコンベヤの清掃業務。

「コンベヤから石炭がこぼれたり粉塵が詰まったりすると、安定した電力を共有できません。そのためスピード感を持って仕事をすることが求められます」(森田さん)

50代の石脇さんが担当するのは、ベルトコンベアの点検メンテナンス業務です。

「敷地内に張り巡らされたコンベアを歩いて、異常がないか確認します。平日であれば半日、土日には1日がかりで点検します。1日2万歩を超えることもありますよ」(石脇さん)

そして、来年60歳になる岩崎さんは出荷担当です。

「石炭灰を回収するトラックが構内に来たら、安全に誘導しトラックに石炭灰を移します。基本的にボタン操作なので、体力的な負担は少ないです。以前は清掃や点検を担当しましたが、歳をとって出荷に移りました。長く働けるように、と会社が配慮してくれるのは有り難いです」(岩崎さん)

ホリグチの定年は70歳。しかし、その後も希望すれば、堀口さんが代表を務める配食サービスの会社で、働くこともできるそう。実際、発電所を引退された70代の方が2名配達員として活躍しているとのことで、「安心して長く働いてもらいたい」と堀口さんが環境づくりに力を入れてこられたことを窺い知れます。

子育てもやりたい仕事も、諦めなくてよかった

つづいてご紹介する事業も、多角化を進める中で生まれたもの。地元暮らしをちょっぴり楽しくするような、オリジナル情報を届けする「まいぷれ」舞鶴版の運営です。

担当するのは、堀内華子さん。大阪から舞鶴に移住し、2016年からホリグチで働いています。

右:堀内さん。「まいぷれ」で舞鶴のお店やイベント情報などを発信している。

ハローワークでホリグチの求人を知ったとのことですが、入社の決め手はなんだったのでしょうか。

「勤務条件が週2〜3日・9時30分から15時までだったので、子育てと両立しながら働きやすいのではないかと思いました」

とはいえ、子育て中は平日に開催される保育園や学校の行事に参加したり、子どもが急に熱を出したりすることもあります。「子どもの存在がネックになるのではないか……」と不安を覚えながら面接に望んだ堀内さんに対して、堀口さんがかけた言葉は意外なものでした。

「『子どもが熱を出したり早退する必要があったりする時は、柔軟に対応しますよ』って。以前の職場では、『子どもが熱を出した時、預け先はありますか?』と聞かれていたので、びっくりしました」

舞鶴で開催されるイベントを「まいぷれ」で告知したり、時にはパンフレット制作を受注することもある。

ホリグチで働くまで、堀内さんに情報媒体の運営や編集経験はなかったそう。しかし、「仕事も子育ても妥協しなくていい環境を整えてくれる会社に、お返ししたい」との思いからスキルアップし、今では一人で「まいぷれ」の編集や執筆を担うまでになりました。

そんな堀内さんの姿を見て、堀口さんは「一人ひとりのライフステージにできるだけ寄り添いたいし、それに対して社員が仕事で返してくれているのを実感する」と語ります。

どうしても子どもの預け先がない時は、会社に連れてきて子どものお世話をしながら、仕事をすることもあるそう。堀口さんや社員も快く受け入れてくれる。

「勤務時間だけで仕事を選んでいる女性は、まだまだいると思います。私がホリグチでさせてもらっているような柔軟な働き方が広がり、やりたい仕事も子育ても諦めなくていいようになるといいですよね」

また子育てや「まいぷれ」の仕事を通して、舞鶴のまちへの見え方も変わったのだとか。

「移住した当初は、欲しいものが揃わない不便さを感じることもありました。だけど、食べ物もおいしいですし、人の温かさに触れることも多くて。今ではすごく住みやすいまちだと思っています」

20年後は創業100周年。目指すのは舞鶴の一番星。

最後にご紹介するのは、児島信行さん。堀内さんが編集を担当する「まいぷれ」の営業や、新規事業の立ち上げを担っています。

「2019年に入社する前は、祖父が創業した『児島食品』を経営していました。でも、経営が立ち行かなくなってしまった。その話を社長にした時、誘ってもらったんです。しかも、一部の従業員さんも児島食品が販売していた舞鶴土産の事業も引き継いでいただけると。こんな嬉しいことあるかなって思いました」

児島食品が開発した商品は、現在ホリグチが販売。「肉じゃが」「ビーフシチュー」「赤煉瓦カレー」といった舞鶴ゆかりの商品から、企業のOEM製造まで手掛ける。

舞鶴のお土産販売事業は、現在ホリグチの主力事業の一つになったほか、2020年夏にはECサイト「北京都逸品百貨店」をリリースしました。

また、市内にある「一般社団法人KOKIN」と共に、ふるさと納税の推進事業を手掛ける地域商社「合同会社HOUKO」を立ち上げるなど、社内外を巻き込みながら事業をつくっています。

新規事業は、どのように生まれているのでしょうか?

「お客さんと話をする中で得た情報やニーズを元に、社長と話しながらできることを考えています。北京都逸品百貨店も、『舞鶴の商品を多くの人に買ってもらいたい』というお客さんの思いを聞き、事業として成り立つのではないかと考えつくりました」

入社から数年で、複数の事業を立ち上げた児島さん。今後の大きな目標を聞くと、20年後に迎えるホリグチの創業100周年の構想を教えてくれました。

「今取材していただいている『舞鶴赤れんがパーク』で、お客さんも招いて100周年パーティを開催したいんです。これは社長の夢、僕は一緒に叶えたい」

「児島食品が倒産した時、社長はじめ多くの方に助けていただきました。だから次は恩を返していきたい。目の前で困っている方や、僕たちと一緒にやりたいことがある方がいれば、どんどんチャレンジして。そうすることで、ホリグチは舞鶴にとって必要な会社でありつづけるだろうし、まちも面白くなると考えています」

20年後、60歳になった自分を想像し、『最近の若者は……』と文句を言うんじゃなくて、若者に教えてもらいながら一緒に楽しく働けるようチャレンジしつづけたいと、児島さんは話す。

児島さんの100周年構想を聞いて、堀口さんもつづけます。

「2041年は、僕にとっても大きな節目の年。20年後には67歳になりますから、いい形で引退できるよう準備を進めていきます。ギリギリで100周年を迎えるのではなく、突き抜けた状態で、次の世代にバトンタッチしたいですからね」

「舞鶴には仕事がないと言って、都市へ出て行ったまま帰ってこない方もいます。その責任の一端を、経営者である僕は担っていると思っていて。だからこそ残りの20年は、舞鶴に帰りたくなる会社、面白い仕事をつくっていきます。そのためにも、ホリグチを家業ではなく公の器になれるくらい大きな仕事を担う会社に育て、舞鶴を照らす一番星になりたいです」

社員が長く安心して働ける環境をつくるため、事業を多角化してきたホリグチ。一見、いろいろなことをやっている会社としての印象に終始してしまいますが、じっくりお話をお伺いすると、みなさん共通して舞鶴への思いをもち、地域に必要とされる会社であろうと楽しみながら仕事をつくり出していることがわかりました。

20年後、100周年を迎える時には、果たしてどんな事業が生まれ、どの事業が4番バッターを務めているのでしょうか。ワクワクする未来を一緒に創造したくなったあなた、一緒に働きませんか?

※本記事はBeyond Career事業にて受注・掲載した求人記事となります。Beyond Careerについてはこちら

執筆:北川 由依
撮影:Takeru Inoue

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