募集終了2018.11.22

“変化”を”好機”に変えて。創業190年の老舗旅館を未来につなげる

(2022/2/22更新)

京都には、創業100年以上の老舗がたくさんあります。旅館、料亭、伝統工芸など、営みは違いますが、共通して抱えているのは、先代からのバトンをどうやって未来につないでいくかという課題です。

時代の変化に並走しながら、時代の先を見据えながら、老舗としての在り方を探っていく。今回、新しい仲間を募集している『綿善旅館』も、まさに新陳代謝の真っ只中を歩いています。

綿善旅館は、天保元(1830)年に創業。国内外から観光客が訪れる四条烏丸〜三条河原町エリアの老舗旅館として、20年後、30年後の未来につなぐ方法を模索しています。

大切にしているのは、古き良きことを守り、新しさを受け入れること。

老舗旅館のおもてなしを通じて、「お客様に幸せになってもらいたい」という想いはどんなに時代が変わろうとも揺るぎません。その上で、変えるべきところを変えていき、必要なら新しいことも取り入れていきます。

京都移住計画で求人募集のお手伝いをするのは2回目。前回の取材から約1年が経ちました。

今回募集するのは、綿善旅館の姿勢に共感しながら一緒に歩んでくれる人。創業190年の老舗旅館が描く未来の景色を、あなたも眺めてみませんか?

旅館の原点は、友達を家に招くこと

最初にお話をお聞きしたのは、若女将の小野雅世(おの・まさよ)さん

大手銀行の法人営業部で経営感覚を磨いたあと、専業主婦を経て、2011年に綿善旅館の若女将としての道を歩みはじめました。持ち前の行動力で様々なアイデアを出しながら「0から1」を創る、サッカーで例えるならフォワードのようなタイプの方です。

雅世さんが改めて感じているのは、お客様にしても、従業員にしても、やっぱり「人」が大事だということ。人がいなければ、なにかを守ることも、なにかを新しくすることもできません。

「うちのホームページにスタッフ紹介ページがあるでしょう。実は、あれを見て働きたいっていう人がすごく多いんですよ。応募するときの最後のトリガーになっているみたい。違う旅館も見たけど、このスタッフ紹介を見て、こんな人たちと働きたいって言ってくれる人が8割、9割。結局は人なんやなって」

綿善旅館の公式ホームページにある「スタッフ紹介ページ」。今回の記事に登場する方々も掲載されているので、覗いてみてください。

スタッフ紹介ページには、桃太郎の若女将や新撰組のフロントマネージャーが並んでいて、趣味や休日の過ごし方も個性的。素直に楽しく働きやすそうだなという印象を受けます。

もちろん、人といっても様々。
綿善旅館に必要なのは「優しさに秀でた人」だと言います。

「例えば、お客様にご提供したお茶が空っぽになりそう、だから、新しくお取り換えした方がいいとか、周りを見渡して、相手の一歩先を読むことです。それは、お客様だけでなく、従業員に対しても同じ。目の前にゴミがあれば拾うとか、ありがとう、ごめんなさいを素直に言えるとか。それって全部、優しさだと思う」

言い換えれば、気づける人、気配りができる人。大手企業や一流ホテルで経験した偏差値的な優秀さよりも、周りの人を気づかい、あたたかく接することのできる、優しさに秀でている方が大事。

そして、それは旅館の原点にも通じてきます。

「尊敬する若女将さんの受け売りなんですけどね、旅館って、友達を家に泊めるのと同じことやと思って欲しいんです。友達が遊びに来るときって、玄関を掃きますよね。窓ガラスを拭いたり、鏡が曇っていたら嫌だなと感じたり。掃除機もかけるし、ご飯もちょっとええのをつくってあげようとか。同じように、旅館でも、職種とか仕事の垣根を越えて、お客様に喜んでもらうにはどうすればいいかなって考える。結局はそこが一番大事なんですよね」

大切な友達を自宅に招くとき、少しでも喜んでもらいたいなと思う。玄関のチャイムが鳴る瞬間まで、掃除や洗濯、食事の用意をして、喜んでもらえるにはなにが必要だろうかと、ワクワクしながら考える。それは、「自宅」が「旅館」に変わっても同じこと。どんなに時代が変わっても、揺るがない旅館の原点です。

人を起点に始まる、旅館の原点。そして、優しさに秀でていることについて、綿善旅館の従業員の皆さんはどのように体現しているのでしょうか。客室係の前田清華(まえだ・きよか)さんにお話をお聞きします。

大切にしたい、お客様との関わり方

綿善旅館のなかで、お客様と接する機会が多い客室係。朝食と夕食の配膳にはじまり、お布団の上げ下げ、お部屋の整理・整頓・準備、宴会席でのお世話など。まさしく、旅館の最前線で活躍するポジションです。

高校時代、飲食店のアルバイトをしていた前田さん。卒業後の就職先では「もっとお客様を身近に感じたい」と思うようになり、飲食店よりも距離感が近い旅館業を選びます。

綿善旅館の一員として働きはじめて、今年で2年目。お客様を身近に感じるなかで、意識しているのは身を乗り出して、絡んでいくこと。何気なく話しかけることもあるし、周りを見渡して、困っていそうな人がいれば積極的に声をかけてみる。その先で、「ありがとう」という言葉がなによりもうれしいと言います。

「毎年、おじいちゃん、おばあちゃんの団体様が宴会利用でいらっしゃるんです。初めて客室係として担当したとき、熱燗の温度調整で何度も注意されてしまって。頑張ってつくっていたら、最後には『これや!これ!』って満足していただいたんです」

「今年は担当から外れていたのですけど、ちらっと顔を出したら覚えてくれていて。そしたら、『来年も絶対に来るし、俺が死ぬまでちゃんと働いといてな』って言ってくれはって。この仕事をやっていて、よかったなって、心から思いました」

今でこそ働く楽しさを感じていますが、入社して間もないころは、辞めたいと思うほどに大変な日々でした。客室係の新人は、基本的には教育担当と2人ペアで動きます。1フロア(約9部屋)の仕事を任され、布団の上げ下げ、部屋の準備からはじまり、一人でもこなせるようになったら、朝食・夕食の配膳も担います。

また、言葉づかいも大事。例えば、語尾に「ね」をつけたらダメ。仕事仲間に対しても「持っていきますね」ではなく「やらせていただきます」。敬語や挨拶はとても大切で、旅館の独特の習慣に慣れるまでは大変かもしれません。

そのなかでも前田さんが頑張ってこられたのは、ご自身の負けん気の強さこそあるものの、周りの仲間との関わりだと言います。

「家族みたいやなって思います。一緒にお昼ご飯を食べたり、仕事じゃないオフのときも遊んだりしますし。上司の方もすごく面倒をみてくれはります。仕事のミスで落ち込んでいたときとか、『なんかあったらちゃんと言いや』って声をかけてくれますから」

大変な時期を乗り越えたからこそ、今の前田さんがある。新しく入社する人にとって、仕事はもちろん、色々な相談に乗ってくれる、頼れるお姉さん的な存在になるはずです。

そんな前田さんにとって、綿善旅館は第二の家族が集まる大切な場所。だから、もっと綿善旅館のことを知ってほしいし、盛り上げていきたい。前田さんの胸中には、ある夢があります。

「すごく大きいけど、NHKの番組に綿善旅館が特集されるのが夢なんです。私も出演するからって、お母さんともちょっとした約束をしていて。そのためにも、サービスを徹底して、従業員もたくさん増やして、忙しさがお客様に伝わらないような環境を整えて、日本一の旅館になれたらいいなって思っています」

銀行から旅館、異業界・異業種の転職

時代の変化に応じながら、新しいことにも肯定的な綿善旅館。それは、環境だけでなく、働く人にも当てはまります。

今回の募集は、旅館で働いた経験や外国語を話せるスキルは問いません。ここまでに伝えてきた綿善旅館の姿勢に共感できるなら、異なる業界や業種であっても大丈夫。実際、重見匡昭(しげみ・まさあき)さんもその一人です。

2018年4月に取締役として入社した重見さん。若女将・雅世さんの旦那さんですが、前職は銀行員。異業界・異業種からの転職者です。

地元の山口県で3年、大阪府に転勤して9年。経験と年齢を重ねた12年目を迎えたとき、ある悩みを抱えます。銀行員である限り、今後、どのタイミングで転勤を命じられるか分からない。このまま、妻と子どもを京都に残しながら、全国転勤する生活を続けていいのだろうか。

そのとき、同じタイミングで小野善三社長から「綿善旅館で働いてくれないか」と誘われていたこともあり、重見さんは全く異なる旅館業の道を選択します。

「銀行を辞めるのは重い決断でした。色々とできることも増えてきて、銀行員としてもっと広いフィールドで仕事ができるときだったので。葛藤もありましたけど、妻や子ども、家のことを考えるとね」

でも、綿善旅館を選んだのは、家族のためだけではないといいます。

「同じ環境でずっと働くよりは、全く違う環境で働くのもいいかなってどこかで感じていたんだと思います。ひとつの事業を動かす、事業のリスクを負いながら仕事をするのは、人生のなかであまり経験できることではないんだろうなって」

これまでは会社に属するサラリーマン、お客様もまた同じくサラリーマン。これまで、重見さんは、本当の事業リスクを負わない者同士で仕事をする世界で働いてきたんだと感じているそうです。

「事業の責任を負って仕事をするって、チャレンジだなって思って。京都には縁もゆかりもないですし、どちらかといえばホテルに宿泊した経験の方が多いですけど、最後にはね、今の道が勝ったんです」

旅館で働く、誇りを感じてもらうために

経営サイドの一人として、綿善旅館での道を歩み出した重見さん。取締役として労務管理をしつつ、現場での仕事もこなしています。

重見さんは、目の前に向き合いながら守り整える、サッカーで例えるならキーパーのようなポジション。雅世さんとはタイプが真逆なので、たまに口論になってしまうのだとか。でも、目指す頂上は同じですし、お互いが違う意見を持っているからこそ、より良いアウトプットができています。

重見さんは、入社して半年。取締役としての重みを感じると共に、綿善旅館が抱える様々な課題が見えてきたといいます。

「一番頭を悩ますのは労務管理ですね。働き方改革が取り沙汰されていますが、旅館業は時代の流れに乗り遅れていると思います。従業員の方々が働きやすい、やりがいをもっと感じてもらえるように、まず、働く環境を整えないといけない」

もちろん、以前よりはしっかりと管理されていますが、「中抜け(※)」や「タスキ掛け(※)」といった独特の文化は残っている。それらが、時代の流れによって軽視できなくなってきた。昔のやり方では、通用しなくなってきています。

※中抜けとは・・・1度目の出勤と2度目の出勤の間にある休憩時間のこと。

※タスキ掛けとは・・・中抜けを挟んで1日のシフトとしてカウントすること。例えば、「早朝に1度目の出勤をし、中抜け、夕方頃に2度目の出勤をして21時くらいに業務終了」や「夕方頃に1度目の出勤をし、中抜け、早朝に2度目の出勤をして午前中に業務終了」など。

「入社半年目がなにを偉そうに言うてるねんって感じですけど、ここで働きはじめて、従業員さんって本当にすごいなって思うんです。早朝に出勤して、昼休憩して、夕方にまた出勤して、旅館の仕事ってめちゃくちゃ大変ですよ。なんか、”相撲取り”みたいな生活ですよね。稽古して、昼飯食って、また稽古するみたいな」

「だから、まずは、世間一般の普通の環境で働いてもらえるようにしないといけない。労務管理や福利厚生を整えたり、経営理念をしっかり明文化したり、脇を固めながらステップアップしている段階です。その先で、旅館で働くことの価値を高められたらいいなと思います。お客様にもっと時間をかけて、丁寧に接客して、褒めていただいて、旅館業のやりがいを感じてもらいやすくしたいですね」

みんなが幸せになる、旅館を目指したい

取締役としての責任の重さを痛感している重見さん。一方、若女将の雅世さんは綿善旅館をどのような形で変えていこうと考えているのでしょうか。

「綿善旅館は”家業”なんですね、父が社長で、母が女将で、娘の私が若女将。旦那は取締役です。ただ、従業員も含めて家族みんなでワイワイ仲良くやりましょうっていう家業では、これからの時代は難しい。家族だから労働時間とか関係ないよね、では済ませられないですし、誰かが一人でも欠けてしまうと大転けしてしまう恐れもある。だから、”企業”にしないといけない部分は確かにあります」

雅世さんもまた、重見さんと同じように仕組みを整える必要性を感じています。でも、完全に企業化するのは少し違う。

「今後、規模を大きくしたいという話ではありません。逆に規模を縮小して、もっとお客様との距離を縮めたい。現状、満室になったらお客様の顔と名前が一致しなくて、やむを得ずバックヤードでは部屋番号で呼んでしまう時があります。だから、○○さんのおかえりです、○○さんのご到着ですとか、多少悩んだとしても、顔と名前を思い出せるくらいの規模感がいいなと。その先で、お客様も、従業員も、その周りにいる人たちも、みんなが幸せになる旅館にしたいんです」

みんなが幸せになる旅館。
具体的には、どのような旅館を思い描いているのでしょうか。

「お客様にとっては、一生で忘れられない旅館になれたらいいですね。一人ひとりに真摯に向き合って、最後の最後に綿善旅館を思い出してもらえるようなおもてなしをお渡ししたい。従業員のみんなにとっては、休日が終わって、次の日に溜息を吐きながら出勤するのではなくて、『休みが終わった!頑張ろう!』って思えるような旅館であってほしい」

「あとは、地域との関わりも近くしていきたいです。ちょっと遠目の綿善さんじゃなくて、『あら? 綿善行きはるの? じゃあ、回覧板持って行こうか?』って言ってもらえる、そんな近しい旅館に」

出発点にあるのは、お客様に幸せになってもらうこと。そのためにも、従業員にも幸せになってもらいたい。そして、その幸せの波紋は地域へと広がっていく。気高い老舗旅館としてではなく、親しみある老舗旅館として。

同時に、綿善旅館が変わるには、従業員の意識も変わらないといけません。自分に与えられた仕事をこなす上で、職種や仕事の垣根を越えて動く姿勢が求められます。

「例えば、客室もできるし、調理場もできるし、なんならフロント業務もできまっせってなると、1日のなかで活躍できるフィールドが増えますよね。そうなると、複数の人の仕事を肩代わりできるようになるので、無駄なく、無理なく、仕事を振り分けられる。結果、休みも増えるし、勤務時間も減らせます」

そして、重見さんはその先陣を切っています。

「僕が綿善旅館に入ったとき、一通りの仕事を全部やらせてくれって頼んだんです。同じ大変さを経験しないと、他の従業員と同じ目線で会話できないですから。洗い場やって、料理の盛り付けやって、フロントの仕事をして、来月には客室業務もやり始めます。その先を見据えて、まずは僕ができるということを証明したいですね」

もちろん、入社早々、全てを任せるつもりはありません。
適材適所を見ながら、その人らしい個性を発揮できるフィールドで働いて欲しい。

でも、一人がフレキシブルに何役もこなすことは、旅館業の原点——友達を招き入れるときのように、掃除も料理もこなすこと——にも通じています。だからこそ、優しさに秀でた姿勢が求められる。お客様だけでなく、共に働く仲間のことも気づかえる人が、これからの綿善旅館に必要です。

綿善旅館を守る、未来につなぐ使命

目の前の課題に向き合いながら、少しずつ前に進んでいる綿善旅館。最後に、雅世さんが綿善旅館を未来に繋いでいきたいと、強く再認識したお話を聞かせてくれました。人の移り変わりが激しくなり、雅世さん自身も精神的・体力的に参っていて、老舗旅館としての危機を感じていたときの出来事です。

「東日本大震災の避難をきっかけに7年間、毎年うちに宿泊していただいているご家族がいるんです。そのお子さんがね、今は小学5年生なんやけど、『今年の旅行はどこに行く?』って聞いたら、『京都』じゃなくて『綿善に行きたい!』って言ってくれはるんですって。ハワイとか沖縄とかも候補に挙げているらしいのですけれど、毎年、綿善って。すっごく、ありがたいでしょ」

子どもは物心が付きはじめると、もっと新しい場所、もっと遊べる場所など、様々なことに興味を持つようになります。でも、お話に登場するお客様は、2歳から数えて7年間、毎年、綿善旅館を選んでくれている。

「例年通り、今年も泊まりに来てくれて。そしたら、従業員が入れ替わっていることに気付いて、それでね、言うてくれはったんです。最初に来たときと最近ではメンバーがほとんど変わっているけど、私たち、伝えているからって。綿善の良いところ、なんで綿善を選んでいるかを、私たちの口から若い仲居さんたちに教えているからって、だから、ずっと無くさんといてなって」

「もう、絶対にサービスのクオリティが下がっているなって思っていたし、実際、お客様もそう感じてはったんやと思う。でも、そうやって応援してくれる方がいるから、やらなあかん。もう、無くされへん。私たちは綿善旅館の営業を続けること自体も、義務のひとつなんやと思っています」

綿善旅館をどのような形で未来につないでいくのか。

新しく入社される方にとっては、整っていない「難しさ」を感じる場面があるかもしれません。でも、綿善旅館の姿勢を確かめながら仕事をするなかで、自分の強みを発揮できる「面白さ」も得られるはず。それは、異なる環境からやってきた、あなただからこそ感じられること。

古き良きことを守り、新しいことを受け入れながら。
綿善旅館だからこそ描ける景色が、少しずつ広がりはじめています。

執筆:山本 英貴
撮影:もろこし

募集終了

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