2017.03.12

和束町から「小さな循環のある暮らし」を作る価値観の異なる二つの地域を経て和束町へ移住

宇治からさらに南、お茶の一大産地の和束町。凛と引き締まった空気と、清らかな水、青々とした茶畑が広がるこの地域で観光業や援農プロジェクトを行っているのが山下丈太さんです。

様々なプロジェクトを行いながら地域の人たち同士や地域と人たちを繋ぐ、山下さんの移住をめぐるストーリーに迫ります。

アメリカと和束。価値観の大きく異なる二つの地域で過ごした幼少期。

大阪で生まれ、6歳の時に和束町に引っ越してこられた山下さん。現在は和束町で、合同会社ゆうあんビレッジの代表としてツアーコーディネイトや援農プロジェクトなど、様々な面から和束町を支援する活動を行われています。快活で多様性に寛容な山下さんの性格は、一風変わった幼少期に形作られたんだそう。

「生まれは大阪ですが小学校に上がるときに、和束に移住しました。小さな小学校だったので、友達ともとても仲良くなったんですよ。家に遊びに行ったりして楽しくなってきた矢先に、両親から『アメリカに行くぞ。』と突然告げられて。小学1年生の冬にはアメリカのミネソタ州に移り住みました。」

わけもわからず向こうの小学校に編入した山下さんを待ち受けていたのは、今までとは真逆の文化でした。

「日本では協調性を重視されるのに対してアメリカでは自己主張が求められるし、今までは放課後友達と遊んでいたのに、すぐに家に帰らされる。とにかく全てが真逆でしたし、日本人も僕一人だったので、最初の半年はうまく適応できなくて辛かったですね。」

大きな衝撃とともに始まったアメリカの暮らしですが、半年もするとすぐ慣れ、向こうでも友達が増えてきたんだとか。そうして2年をアメリカで過ごして再び突然日本に帰ってくることになったんだそう。

「再び和束に戻った時は、玉手箱を開けたようでした。和束の友達が変わったのではなくて僕自身が知らないうちに変化してしまっていたんですよ。自己主張をしたり女の子とも同じように話すのは、和束では”普通”ではなかったんです。価値観が違いすぎていじめられたりもしたのですが、日本とアメリカ二つの文化を経験することを通して“どっちが正しいとかではなくて、どっちでもいいんや。”と思えるようになったんです。」

そんな幼少期の経験を通して、今でもいろいろな価値観を受け入れられるようになり、新しい価値観を発見することが楽しいと思える人格が出来上がっていったんだとか。小学生にして多様な価値観に出会った山下さんは、その後もとてもユニークな道を進んでいきます。

厩務員を目指し進学、就職

そんな山下さんが和束の中学校、京田辺の高校を経て、進学したのは私立大学。その大学に決めた動機は「競走馬の世話をする厩務員(=厩舎に所属し、厩舎が管理する競走馬の身の回りの世話を行う人)になるため」だったんだそう。

「高校の時に友達に連れられて遊びに行った競馬場で見た馬がすごくかっこよくて、ジョッキーという仕事に憧れ始めたんです。でもゆくゆく調べるとジョッキーになるためには中学生の頃から修行が必要で、目指し始める時期がもう遅すぎるということがわかったんです。だから、ジョッキーではなく現役競走馬を飼育管理する厩務員になろうと決めました。受験の直前まで大学に行く気はなかったのですが、厩務員のあと、調教師になる夢があるなら大学に進学すべきという現場関係者のすすめもあり、急遽大学に行くことにしたんです。」

そうして入学した大学で4年間馬術漬けの毎日を送ったのちに、滋賀の育成牧場に就職されます。念願の就職先だったそうですが、朝早くから厩舎や馬房の清掃、藁の刈り取り、馬の手入れ…仕事後の乗馬の練習など激務から、だんだんと疲れがたまっていったところで怪我をして、転職。

その後に洗剤メーカーと塾講師でそれぞれ3年間働いたんだとか。

「塾の校舎が京都に近くなるにつれて地元に帰ることも多くなりました。和束に帰ってきて、和束町に入った瞬間に感じる、キリッと引き締まった空気が好きで、その空気を感じる度に『僕の帰る場所はここなんやなぁ』と思っていました。だから、いつか住みたいという想いは常にありましたね。」

そして、30歳の頃に結婚を決断、それを機に和束に移住することを強く意識し始めたんだとかそうやって考えていた時に目に留まったのが、『和束が消滅可能性都市に指定される』というニュースでした。

「『和束を守りたい』ともちろん思っていましたが結局一番は『自分が和束で暮らしたい』というのが一番の決断の理由ですね。そのタイミングで、父親と仲が良かった和束町雇用促進協議会の木村さんに会って意気投合したこともあり、移住して委託事業の職員として和束で働き始めました。」

そうして和束町に帰ってきた山下さんは、両親が住まなくなった実家を拠点に、様々な活動を始めます。

人との出会いから、仕事が広がっていく

最初は、雇用促進のためのセミナーを開催することから始まったそうですが、人との出会いを経て、仕事が広がっていったんだそうです。

「外に出て行って、いろんな人とやりとりをする方が好きだったので、セミナーもしつつ、和束への観光客招致をしていました。一緒に働いている木村さんとも観光は和束にとっても重要だという話をしていたこともあって、観光用のHPを作ったり旅行会社に営業に行ったりと、委託職員ながらに自由にやらせてもらっていました。」

その一環で和束の茶農家さんのところに働きに行って見えてきたのが、様々な価値観の農家さん全てに共通して『農繁期に働き手がいない』という課題を抱えているということ。その事に注目した山下さんは、働き手を求める農家と若者がつながる仕組みについて考え始めたといいます。

「そんな時に、季節ごとに移動し共同生活をしながら援農(農家ではない人が農作業を手伝うこと)を行うコミュニティを作っている人に出会ったんです。その人に援農をしたいという若者を繋げてもらったりアイデアをもらったりしながら、茶農家さんの農繁期である5月から7月に働きながら共同生活をするプログラム『ワヅカナジカン援農プロジェクト』を始めました。」

そんな風に始めたプログラムも3期目が終わり、延べ約50人が参加。仕事を辞め元気がなかった参加者が和束での時間を通して元気になったり、50人中7人が和束に移住したりと和束の魅力がぎゅっとと詰まったプログラムに成長したんだそう。

その他にも農家さんが持ち回りで店番をしていた和束茶カフェの運営を引き継いで旅行業と掛け合わせたりと、人との出会いを生かしながら様々な仕事が生まれていったんだとか。

小さく循環する暮らしを、いつか和束で

現在は委託の職員の任期が終わり合同会社ゆうあんビレッジの代表としてお仕事をされる山下さんですが、和束町の活性化には留まらないさらに大きな野望があるんだそうです。

「もちろん和束が好きですし、これからも『帰ってくる場所』はここだと思ってはいるんですが、和束だけにこだわりがあるわけではないんです。いま僕が関心があるのは、町単位で小さく循環していく暮らしなんです。お金に頼らず、自分で作れるものは作り足りないものは交換して自然の豊かさを感じながら生きるそんな方向に田舎が発展していけばどんどん魅力的になっていくと思うんです。」

「太陽と共にくらし、恵みを収穫しながら食べ物をつくり、体を整え、循環する仕事をつくり『本来の生き方』『本物の豊かさ』を体験することで、新しいわくわくするビジョンを創造する。」というコンセプトを掲げ3000坪の自然豊かな敷地でヒトの知恵を結集した持久的な、自給的な暮らしを実験している奈良のコミュニティの<とようけの森>という場所を訪れて、そう思うようになっていたんだそう。

「都会で人が疲弊していく中で、和束のような田舎が自然を活かした循環型の暮らしを提供することで多くの人が和束を訪れ癒されるのではないかと思うんです。和束は、地域の人の先進的で新しいことにチャレンジする気質を持っているし、空気も水も美味しく豊かな自然がある。和束ならこの新しい暮らしを作っていけると思うから、時間をかけてゆっくりとそのための仕組みを整えていきたいです。」

仕事がひと段落する冬の時期に、山口県や東京、奈良など様々な地域を訪れている山下さんは日本全体の流れを感じ取り入れながら、和束と関わっているようです。

田舎への移住の第一歩は長期滞在をしてみること

京都の田舎に移り住みたい人に何かアドバイスがあれば、とお聞きしたところ「住む前に一度長期で滞在してみること」という答えが返ってきました。

「共同生活型援農プログラムの『ワヅカナジカン援農プロジェクト』でも感じていることなのですが、長期滞在すると住むという観点から地域に関わることができてその土地に自分が合っているか判断ができるんです。だから、一週間でもいいから、滞在してみるといいと思います。」

そして観光と住むことの違いについてもこう続けます。

「その地域がその人に合うかどうかは、結局自分がその地域に合わせられるかどうかなので、それを確かめる期間を設けてみてください。京都には和束だけではなくいろんな個性を持った田舎がたくさんあるので、滞在してみて欲しいと思います。そのためにも『田舎に住んでみたいけど機会がない』という人に向けてこれからも『ワヅカナジカン援農プロジェクト』を中心にいろんな機会を提供していきたいです。」

最後に、「和束に来た時に、感じたギャップは?」とお聞きしたところ、「ギャップというよりは、昔住んでいる時に知らなかったことを発見した感じでしたね。価値観が何度も崩壊してきているからこそ、ギャップというよりも全部発見になる。驚きというよりは、『また新しいこと見つけた!』って嬉しく感じますね。」

和束町に移住してきた山下さんの暮らしは、様々な価値観を吸収し、人を繋げて場を作り町を豊かにする循環そのものでした。

ワヅカナジカン援農プロジェクトについて

山下さんが取り組まれている『ワヅカナジカン援農プロジェクト』。
京都移住計画では山下さんをはじめ、ワヅカナジカンの参加を経て和束に移住された矢守さん、受入先農家として参加された伊吹さんのお話を通じて『ワヅカナジカンとは?』に迫る記事を掲載しております。
また、ワヅカナジカン公式WEBページでは4月20日まで2017年5月からのワヅカナジカン第4期の参加申込も受付中。この記事を読んでワヅカナジカンに興味を持たれた方はぜひご一読ください。

・京都移住計画:コミュニティと共に地域で働く移住体験・ワヅカナジカン:3ヶ月間援農プロジェクト
・ワヅカナジカン公式WEBページはコチラ

▼3月のイベントのお知らせ

今回ご紹介したような事業継承や創業・起業といった働き方の選択肢を、より多くの方にお届けする為に、
実際に、起業や事業継承をした人たちとのリアルに出会える場をご用意しました。

“いつかと“先延ばしにしている「移住」や「転職」や「起業」や「事業継承」のヒントとなる機会。
開催日程などの詳細が決定しましたので、気になる方は以下よりご覧の上、是非エントリー下さい。

3月25日(土)これからの家業の話をしよう@東京
→実家が家業の人たちの京都出身者の集いの場を東京でご用意します。

本記事は、公益財団法人京都産業21が実施する京都次世代ものづくり産業雇用創出プロジェクトの一環で取材・執筆しております。

写真:もろこし

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