2024.03.05

03 啓蟄 – 京都は帰る場所だと思う。

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京都には、季節ごとの行事やならわし、風物詩がたくさん存在しています。このコラムでは、1年を春夏秋冬の4つに分け、さらにそれぞれを6つに分けた「二十四節気(にじゅうしせっき)」にあわせて、京都移住計画に関わる人たちの等身大の京都暮らしをお伝えします。

大学進学をきっかけに京都に住んで5年。この3月に大学を卒業して、長崎県対馬市の水産加工会社で働くことになった。つまり、京都から長崎へ移住するのだが、4月以降も僕は京都にいるんじゃないかと思ってしまうくらい、どこか他人事のように捉えてしまっている。そのため、引越しの準備なんて全く進んでいないし、積読本はベッドのそばで乱雑に積まれているままである。

けれど、こうしてコラムを書く機会をいただいたのだから、僕自身が京都を離れることを実感するためにも、どうして京都が帰る場所だと感じているのかを振り返ってみたいと思う。

愛媛出身の僕にとって、京都は修学旅行で行ったことがあるくらい。だから、京都に対しての思い入れは大してなかったし、「できるだけ早く、長く海外へ行きたい。カナダへ行こうか、チェコとかもいいな」なんて、京都での生活なんて置いてきぼりで、海外で暮らすことばかりを考えていた。

京都での生活が2年目に入ったところで、コロナ禍が始まったことで生活が一変した。そう簡単に、海外には行けず、実家にも戻れず、京都に居なければいけなくなった。ワクワクしていた海外で生活をするという計画が真っ白になり、目的も目標も見失った。それからは、毎日降りかかってくる大学の課題をこなしながら、自宅とアルバイト先を往復するだけの1年間を過ごした。京都で生活をする必要性を感じておらず、楽しくない。なんなら、京都に飽きてすらいた。

そんな時に就職活動が始まり、僕も同期たちと同じようにエントリーシートや学生時代に頑張ったエピソードを準備していた。けれど、海外にすら行けていないし、日本や京都でも何かを成し遂げていないと引け目を感じていたこともあって、やる気は次第になくなっていった。今思うと「就職活動なんて」と言って、拗ねていただけだと思う。

ジタバタしている中で、「町家 学びテラス・西陣」とご縁を繋いでいただいた。

そこでは、地域をフィールドにして事業をしている起業家やフリーランスの方々と出会った。事業のことや働き方にも関心はあったのだが、それ以上に、僕が楽しめなかった京都での暮らしを楽しんでいる様子がものすごく羨ましかった。僕も京都での暮らしを楽しめるようになりたいと思うようになった。

それから商店街や西陣といった地域コミュニティに関わり、公園で働くなんてこともさせてもらった。常連になったコーヒー屋でアルバイトもした。行きつけの立ち飲み屋も銭湯もできた。舞鶴でゲストハウスの立ち上げも手伝わせてもらえた。地域の人に、名前やあだ名で呼んでもらえるようになった。気がつけば、全く関心のなかった京都のことが、自分ごとのように感じられるようになって、京都で暮らすことが楽しくなった。このまま京都で暮らし続けるんだろうなと思っていた。

そんなタイミングでご縁をいただき、対馬に3ヶ月間滞在した。対馬の海や山、地域の課題に触れたことで、離島という環境で、地域課題の当事者として関わりたいと感じ、移住することに決めた。確かに、京都を離れることはちょっぴり寂しい。けれど、僕は京都は帰ってこられる場所だと感じているからこそ、対馬でも挑戦していくことができるのだと思う。悩んだら多分、帰省と称して京都に戻ってくるだろう。

だからこそ、今は「いってきます」と言ってから京都を離れたい。

執筆:森賀 優太
編集:藤原 朋

森賀 優太

愛媛県新居浜市出身。京都産業大学国際関係学部卒業。コロナ禍をきっかけに海外留学を断念。その結果、日本国内のまちづくりにハマり、特に西陣と商店街がホットワードに。その後、何を思ったか、大学を1年間休学。休学期間中は京都市内を拠点に長野や長崎、インドネシア等々へ行ったり来たりを繰り返す。2024年4月からは長崎県対馬市に移住し、水産加工や飲食、観光事業を提供している有限会社丸徳水産の広報・営業担当として勤務する予定。

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