CHECK IN
京都のおもしろい人を訪ねる「人を巡る」シリーズ。京都に移住した人の体験談や京都の企業で働く人をご紹介する連載コラム記事です。移住するに至った苦労や決め手、京都の企業ならではの魅力など、ひとりの「人」が語る物語をお届けします。
第37弾に登場いただくのは、株式会社tsumug代表取締役の牧田恵里さんです。起業家として活躍されるだけでなく、QUESTION1階「awabar kyoto」の店長を2023年7月末まで務め、スタートアップの繋ぎ手としても奔走されてきました。
取材は4月の初旬。訪問先は、牧田さんが「スタートアップ論」の講師を務める、京都芸術大学。春の陽気と、新入生の活気に満ちたキャンパスを一緒に歩きながら、お話を伺いました。
ロールモデルは、母
ーー牧田さんは、なぜ起業家になったのですか?
人生で最初に起業をしたのは、大学3年生のときでした。小さな頃から身近にロールモデルがいたので、私は起業を特別なことだと思っていないんです。
私のロールモデルは、母。40代でテクノロジーの分野で起業し、初年度から年商5億円を達成するような経営者でした。
ドラえもんの歌のように、みんな「こんなものを作ってみたいな、やってみたいな」って、きっと楽しみに夢見ている未来があると思います。自分が生きている間に、そんな未来を実現できるかもしれないというスピードと可能性を秘めているのが、スタートアップや起業の魅力です。
ーー牧田さんにとっての起業は、見たい未来に近づくための手段なんですね。
そうです。私はスタートアップという言葉を「超ド短期で急成長する事業体」と定義して、この業界に身をおいてきました。エンジニアというよりは、企画やPM(プロジェクトマネージャー)寄りですね。素敵だな、良いなと思ったものを、人に伝わる形にしていくのが好きなタイプです。
ただ、これまでは起業やスタートアップに人生の時間をたっぷり使っていましたが、今、生活の大半を締めているのは、もうすぐ1歳(取材当時)になる娘です。
京都の多様なコミュニティでの、子育て
ーー牧田さんが、京都に来たきっかけを教えてください。
出身は名古屋ですが、人生で一番長く住んだのは東京です。2020年の頭には、出張でシンガポールに行っていました。コロナ禍でシンガポールの街はロックダウンしてしまい、東京もこんな風になるのかなと不安に思って……。帰国後、tsumugの本社がある福岡に移ったのですが、食べ物も美味しいし、家賃も安いし、すごく良いじゃんって(笑)そのまま、東京から福岡に移住しました。
福岡にいる間は、コロナ禍でほとんど移動ができませんでした。自社のリサーチをするとき、ユーザーと直接会えないため、データや数字ばかりを見るようになってしまって。リアルな場の空気を感じたり、直接声が聞きたいと思うようになっていきました。
そんな中、tsumug取締役でawabarのオーナーでもある小笠原治さんが「awabar kyotoの店長おらんねん」と言った瞬間に、じゃあ私、やってみたいですと手を挙げて、京都での生活が始まりました。
ーー京都での生活に、不安はありませんでしたか?
その頃、娘を妊娠していたので、出産への不安の方が大きかったですね。「awabar kyoto」(現在は閉店)の近くに、出産数も多く、ホテルのようなご飯が食べられると有名な産院があったので、そこに通うことにしました。
ただ、実はそのまま京都に住み続けるつもりはなかったんです。福岡の病院に母が入院する予定だったので、生まれてくる子どもと母との3人生活をするつもりで福岡の部屋も申し込んでいました。ですが、母が名古屋に帰っている間に症状が悪化し、そのまま亡くなってしまい……。すこん、と心に空白を抱えたまま、京都にいました。
病院の近くに、享保元年から続いている割烹料理屋さんがあるのですが、そこの女将さんから「産後は1人でいたらあかんよ」と声をかけていただいて。しばらく住ませていただけることになったんです。
ーー割烹料理屋さんでの生活はいかがでしたか?
常連のお客さんたちのコミュニティが、本当に温かかったですね。先輩ママさんが色々と教えてくれたり、おじいちゃん、おばあちゃんたちも、みんな家族のようになってくれたり。娘のお食い初めのときも下は0歳、上は80代の皆さんが集まり、祝っていただきました。京都のコミュニティは、年齢に幅があるのが特徴だなと思います。
日曜日の朝に、鴨川沿いをゆっくりランニングしている常連さんたちがいて、「私もベビーカーで参加して良いですか」と聞いたら、「ダイバーシティじゃん」ってOKしていただいて(笑)駅伝みたいに、みんなで交代でベビーカーを押したら、娘もすやすや眠りについてくれました。私は運動できて、娘は寝られて、まわりはみんな笑っていて、すごく良い時間でしたね。
出産前は「1人でも子育てできる」って、やる気満々だったんですけど、絶対無理だったと思います。今はお料理屋さんから他の場所に引っ越しましたが、あのとき1人だったら、こんなに明るく子育てできませんでしたね。
未来に、価値を残す
ーーそのほか、京都でのエピソードがあれば教えてください。
私、京都に出張で来ていたときから、鼓を習っているんです。お師匠さんは、曲の歴史的な背景の説明をすごく魅力的にしてくださって。毎回30分ほどの稽古なんですけれど、鼓でこんなに汗かくんだ、というほど熱中しています。
発表会も年に1回あるのですが、姉弟子さんたちが私の前年の演奏を覚えており「今年はよく声が出ていたね」と声をかけてくださったんです。
スタートアップの世界は、情報量もスピードも猛烈です。だからこういう社長でいなきゃとか、出資を得るためにサービスをつくらなきゃとか、流れに委ねて進んだ後で自分の軸を見つけたり、価値を決めていくことも多いんです。
その点、伝統芸能には、すでに確立された技術や価値観があります。自分の軸を大切に、積み上げていくことの価値を学びました。
ーー京都での暮らしを経て、気づくことはありますか?
京都は何世代、数百年と続く企業やお店がたくさんあって、今のAI時代だけでは作れないような、素敵なものを手がけられていますよね。スタートアップという手法を活用すると、すごいスピード感を持って未来を作ることもできます。
私がいなくなった後、事業がどんな風に続いていくんだろう、続いていった未来にどんな価値を残せるんだろうという視点も、この街で暮らし、新しく持てるようになりました。今、教育に情熱を持って関わらせていただいているのも、そういった気づきからです。
本当に大切なものに気づくためには、時間軸を長く捉えて、のんびりと取り組んだり考えたりすることが大切なのかも。それができるのが、京都の暮らしの面白さなのかもしれませんね。
執筆・撮影:小黒 恵太朗
編集:北川 由依
CHECK OUT
牧田さんのお話の中で、「スタートアップのような猛スピードの世界って、どんどんと進んで行けてしまう」という言葉がありました。僕もフリーランスとして働き出し、目の前の仕事を一生懸命やっていたら、あっという間に1年が経っていました(ありがたいことです)。
写真も文章も、誰かの想いを残し、届ける仕事。そんな自分の軸は、どこにあるんだろう。自分自身は、未来にどんな価値を届けられるんだろう。もう一度立ち止まって考えたくなる、取材の一時でした。