「休まず働き続けるって、こんなに難しいんだ」
そう感じたのは、仕事を休まざるを得ない日が続いたときのことです。自分の体は「休みたい」と言っている一方で、会社を離れる不安が膨らみ、中長期の休みを取ることも辞める決断もできない日々を過ぎていきました。
そんな私が次の転職先を決めずに、「まあなんとかなるか」とキャリアブレイク期間を過ごせたのは、京都というまちのおかげでした。癒しとなる自然がある、気軽に話せるカフェの店主さんがいる、そしてなにより“無職である”ということを否定しない人たちがいる。そんな京都に心支えられ、キャリアブレイクを終えることができました。
2024年10月4日(金)に京都移住計画では「QUESTION TALK Vol.23 京都で人生の寄り道を。キャリアブレイク期間をどう過ごす?」を開催。一般社団法人キャリアブレイク研究所の代表理事 北野貴大さんと、京都移住計画の田村篤史がゲストで登壇し、「そもそもキャリアブレイクとは何か」という問いから、どう京都でキャリアブレイクを過ごしているかなどを、参加者と共に深めていきました。
「あなたはなぜキャリアブレイクを?」
横山
本日の司会・進行を務めさせていただきます、QUESITON コミュニティマネージャーの横山 里世子です。よろしくお願いいたします。本日はオンライン・オフライン合わせて、70名近くの方にご参加いただいています。まず、ゲストであるお二人の自己紹介を始めたく、一般社団法人キャリアブレイク研究所 代表理事の北野貴大さんからよろしくお願いいたします。
北野
初めまして、一般社団法人キャリアブレイク研究所の北野です。法人を設立する前は、JR西日本グループに所属しており、JR大阪駅直結の商業施設「ルクア大阪」をはじめ商業施設の企画開発を担当していました。
私がキャリアブレイクという言葉を知ったのは、妻がきっかけです。彼女はとても働き者で一生懸命仕事をしていたのですが、ある日突然「1年間無職をしてみたい」と告げられまして。当時は、キャリアブレイクという言葉も知らなかったので、とても驚きましたし、心配しました。でも、1年間の無職期間を有意義に過ごし、その後自分が納得した会社に再就職する妻の姿を目の当たりにして、「人生に無職をはさむって面白い」と感じたんです。
無職はキャリアのブランクだと思っていましたが、その後人生に休息を挟んで良い転機にしていく「キャリアブレイク」という言葉があることを知りました。そこからキャリアブレイクに興味を持ち、活動を広げていくなかで、2022年10月に一般社団法人キャリアブレイク研究所を設立しました。
北野 貴大(きたの たかひろ)
一般社団法人キャリアブレイク研究所/代表理事
2014年、JR西日本グループに入社。JR大阪駅直結の商業施設「ルクア大阪」をはじめ商業施設の企画開発に従事。2022年に退職し、同年、一般社団法人キャリアブレイク研究所を設立。キャリアブレイク中の人のための宿「おかゆホテル」や情報誌「月刊無職」、「むしょく大学」などキャリアブレイクの文化啓蒙活動を行う。『仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択肢 次決めずに辞めてもうまくいく人生戦略』の著者。
田村
みなさん初めまして、株式会社ツナグム代表取締役の田村篤史です。私が初めてキャリアブレイクしたのは高校生の頃です。当時の私は、社会人には自分で休みを決められる有給というものがあることを知り、「なんで大人だけそんな制度があるんだ、ずるい」と感じまして。また、毎日同じ場所に登下校することに対してなんとなく嫌だなという気持ちもあり、定期的に学校を休んでいました。要は、ズル休みです(笑)。
時を経て、無事に社会人になることができ、新卒で入社した企業は転職エージェントでした。キャリアブレイクの文化とは真逆で、転職エージェントの業界では「次の職を決めるべき」という風潮があります。というのも、求人企業に人を斡旋することでお金をいただいているので、就職してもらわないとお金になりません。「本当に早く職を選ぶべきなんだろうか」「この人に職を勧めていいものなのだろうか」という違和感を持ちながらも、転職先を紹介していることもありました。
一方で、仕事だけではない人生のシフトの仕方はあるのではなかろうかとか、地元の京都に帰りたいなど様々な思いが重なって2011年から「居・職・住」の情報を提供する京都移住計画を始めました。2020年からは京都信用金庫と弊社ツナグムで合弁会社である株式会社Q’sを設立して、食にまつわる仕事をしています。
田村 篤史(たむら あつし)
株式会社ツナグム 代表取締役
京都生まれ。3.11を契機に東京からUターン。京都移住計画を立ち上げる。2015年にツナグムを創業。採用支援、企業や大学など拠点運営、地方への関係人口づくり等を通じて、人の働く・生きる選択肢を広げる。2020年、京都信用金庫の共創空間QUESTIONの運営に参画。新会社Q’sを設立し、コミュニティキッチン事業を開始。2014年 『京都移住計画』出版。http://tunagum.com/
横山
ありがとうございます。ゲストのトークに移る前に、どういう人たちが参加しているのか気になっている人たちもいるのかなと思いますので、ワークを実施しようと思います。「今日参加した理由」や「キャリアブレイクについてどんなイメージを持っているか」などを自己紹介がてら近くの3〜4人で話し合ってみましょう。
横山
みなさん、グループでの話し合いありがとうございます。キャリアブレイク中、または経験者だという参加者にお話を聞いてみたいと思うのですが、どなたか話してもいいという方いますでしょうか? では、最前列で手を上げてくださっている方、よろしくお願いいたします。
参加者
絶賛キャリアブレイク中で、京都に住んでいます。以前は東京に住んでいました。京都が大好きすぎて年に1〜4回は訪れるほどでした。キャリアブレイクをしようと決意した理由は、体力がある若いうちに京都を満喫したいなという思いからです。「老後に京都移住できたら」と思っていたのですが、先送りしてしまうと後悔してしまうなという感覚がありまして。思い切って仕事をやめて、京都移住を決意しました。現在キャリアブレイクを始めて1年程です。京都を存分に味わえて、今が人生の中でトップクラスで幸せです。
田村
随分と思い切った決断ですね。「無職になるこわさ」や「次の仕事どうしよう」などの不安はなかったのでしょうか?
参加者
仕事は心配ではあったのですが、30代に入ってから「自分はこのままでいいんだろうか」という思いのほうが大きくなってしまいまして。自分が死ぬときを想像した際に、「もっと早く京都に移住すればよかった」と後悔すると確信したので、仕事を辞めるという決意ができました。
田村
言える範囲で構わないのですが、キャリアブレイク中の資金はどう工面したのでしょう?
参加者
キャリアブレイク前に資金運用をしていたので、ある程度なんとかなりそうだなという見通しがついていました。もちろん株価が暴落したら、路頭に迷うことになってしまうのですが(笑)。そのリスクを受け入れた上で、家賃が安いマンションを借りたり、食費を削ったり、少しでも長くキャリアブレイクを続けられるよう工夫しながら生活をしています。
第三の選択肢としての「キャリアブレイク」
横山
キャリアブレイク研究所では、どのような活動をしているのかを教えてください。
北野
最初に始めた活動が、休職・離職者など人生を少し立ち止まりたい人のための宿『おかゆホテル』です。そこからキャリアブレイク中の人たちが全国から遊びにくるようになりました。また、我々の活動を知った居酒屋の店主さんが「無職の人たち、居酒屋にいっぱい飲みに来てるよ」と教えてくれたんです。そこで、無職の人たちは飲食代が無料になる『無職酒場』というイベントを開催しました。
北野
キャリアブレイク研究所がやっていることは主に三つです。一つは、「情報をつくる」ということ。キャリアブレイクは日本の人たちが知らない文化ですので、「どのくらいの人たちがキャリアブレイク中なのか」「どういう過ごし方をしているのか」「貯金がいくらあるか」など、キャリアブレイクの実態を知るために情報収集をしています。もう一つは、無職酒場やおかゆホテルのように自宅・学校・職場とは異なる「サードプレイスづくり」です。そして最後に「キャリアブレイクを切り口とした場所・サービスの提供」です。私たちが提供するプラットフォームに1年間でのべ1500名ほど集まってきています。ですので、「ここだったら良い転機を過ごせるのでは」という場所やサービスを紹介するために、京都移住計画や女性のライフ&キャリアスクール『SHElikes』などと組んで、まるでキャリアブレイクのセレクトショップのような形で情報を展開しています。
横山
キャリアブレイクの人たちが集まる中で、どのような実態が明らかになったのでしょうか?
北野
様々なキャリアブレイクを過ごす人たちに話を聞いて、キャリアブレイクは主に4つのタイプに分かれると考えています。一つ目は、妊娠や出産、育休、介護などの「ライフ型」。二つ目は、労働環境が自分と合っていなかったり、人間関係がうまくいかずに休息を取る「グッド型」。三つ目は、自分らしく生きる時間をもう少し確保したい、感性を回復したいきたいと思う「センス型」。四つ目は、世界一周や起業に挑戦するような「パワー型」です。
横山
この4つの分類、すごくわかりやすいですね。北野さんがキャリアブレイクを広める理由をお聞かせください。
北野
キャリアブレイクが文化となり、日本社会のリズムが変化すると、様々な問題が解決されるのではと考えています。最近、ある大学で、「転機を自分でつくる」というテーマでお話させていただきました。なぜ学生に対して公演したかといいますと、就活がうまくいかなかった時に人生おしまいだと思い込んでしまうケースがあるからです。1年間休学したり、起業や大学院を目指したりする選択肢があるのに、それを知らないんですよね。「休んでもいい」「立ち止まってもいい」と社会のリズムがアップデートされた先に、就活がうまくいかなかったり仕事で追い込まれたりした時に死を選択することを減らせるのではないかと思っています。
横山
キャリアブレイクはヨーロッパでは当たり前の文化となっていますが、日本は少しのブレイクもブランクと捉えられてしまう要因などあったりするのでしょうか?
北野
ヨーロッパでは、高校3年生と大学1年生の間に、社会体験活動を行う「ギャップイヤー」という文化があります。なので、「人生の転換期に旅や放浪をすること大事だ」という意識が自然と身についていくんだと思います。そのような文化があるからこそ、「ブレイクしているのは自分だけではない」と孤独になりづらいのだと考えています。
キャリアブレイクで自分を知り、働き方を選んでいく
田村
北野さんの活動もあり、日本でもキャリアブレイクが少しずつ語られ始めていますよね。みなさん大っぴらにキャリアブレイク中とは言わないですが、「案外いるな」という感覚があります。というのも、京都に移り住んだ人とこれから移住したい人が語らい繋がる場である『京都移住茶論』を開催すると、必ずと言っていいほど「実はいま、仕事をしていなくて……」と教えてくれる方が1〜2人はいます。会社に所属して社会のレールに乗っているときは、案外分かりづらいですが、外れてみるとキャリアブレイク中の人たちに気づくことも多いのではないでしょうか。
北野
田村さんの感覚は正しいです。キャリアブレイク中の人たちは年間で約150万人います。これは1ヶ月以上の一次的な離職をしている人の数です。20年積み重なると3000万人が離職を経験することになり、これは労働人口の約6割にあたるほどになるんです。
でも大半の人たちが、「人生ドロップアウトしてしまった。これからどうしよう」という不安を抱えて、離職や休職していることを言えていません。一方で、先ほど発表してくださった参加者のように「無職になって京都と満喫してます!」という方も少ないからずいる。「無職=ダメなやつ」というラベルが徐々に剥がれてきて、「せっかくなら良い転機を呼び込む期間にしよう」と捉える人たちが少しずつ増えてきているように感じます。本来のキャリアブレイクの文化に近い空気になっていってるのではないでしょうか。
北野
社会のレールを外れてみたからこそ得られるものがあると思っています。その中の一つとして、「自分のよさ」に気づけるなと。レールから外れる前は「会社に所属しているからなんとかやっていけている」と考えている人も多いのです。しかし、会社を辞めてみると「実は、あれもこれもできてたじゃん」と自分のスキルに気づいて、自己肯定感がどんどん上がっていく。そんな人たちの姿を見てきました。
田村
なるぼど、キャリアブレイクが「気づきの期間」になっているのですね。一定のキャリアブレイクを過ごすと、次に出てくる不安として「就職できるかどうか」というものがあると思うのですが、みなさんどのようにキャリアブレイクを終えるのでしょう?
北野
これについては、人それぞれドラマがあるんですよ。スムーズに就職先が決まる人もいたら、ここでは簡単に話せない苦労を抱える人もいます。また、企業の対応も様々です。キャリアブレイクについて一切触れずに前職のスキルや経験だけで採用された人や、人事がキャリアブレイクを肯定的に捉えてくれて採用に至った人もいます。一方で、「ブランクがある」という理由で履歴書で不採用になった人もいます。
田村
今は多様な働き方が認められている時代なので、必ずしも正社員にこだわらなくてもいいのかなと思います。私も就職活動をしていたときに、週5フルタイムのオファーをいただきました。でも、仕事以外にも自分がやりたいことがあったので、週3勤務を交渉したことがあります。週3勤務だと、自分の時間も作りやすいですし、収入面の不安も小さくなる。そのような働き方があることを知っているだけで、少し楽になるのではないでしょうか。
非日常と日常が味わえる京都だからこそのキャリアブレイク
横山
では、これまでのトーク踏まえての感想や質問を参加者からいただこうと思います。
参加者
今週から産休に入り、半強制的にキャリアブレイク期間に入りました。転勤をきっかけに京都に住み始め、今年で10年目になります。
私自身はキャリアブレイクという言葉とは正反対の生き方をしてきました。自分自身の意志で仕事を辞めるという決断ができず、走り続けてきたように感じます。キャリアブレイクに入った今も、「止まること」が恐くて、隙間なく予定を入れてしまいがちです。
しかし昨日は、大河ドラマをぶっ続けで10時間観て、ようやく休みらしいことをしたなと。こんなにも1日がゆっくりに感じることは久しぶりでした。今後のキャリアブレイクでは、京都にはどのようなビジネスがあるかを学んだり、様々な生き方や価値観に触れたりして、子どもという新しい存在とどう生きていくかを考えていきたいです。
田村
素晴らしいご感想、ありがとうございます。「キャリアブレイクを京都で過ごすよさ」を重ねてお話しさせてください。もちろんキャリアブレイクはどこでもできて、南の島でゆっくり時間を過ごす方もいます。そんな中でもなぜ京都がいいかと言いますと、京都は非日常と日常が混ざり合うまちだからです。四条にはオフィスビルが並んで「働く場所」があり、大文字山や鴨川などの「自然」や寺社仏閣のような「文化」を感じられる場所がある。南の島だと、キャリアブレイク後の仕事やキャリアを考え始めた時に、ロールモデルや情報が少ないのかなと感じてます。京都だと、自然や文化と触れ合いながら、様々な仕事をする人と出会えるため「キャリアブレイクに最適なまち」だと考えています。ぜひ、そのような視点を持ってキャリアブレイクを楽しんでください。
キャリアブレイクで運や縁をを呼び込む隙間を作る
横山
では、そろそろ終了の時間も迫ってきましたので、最後にゲストのお二人に一言いただいてこの場を締めようと思います。
田村
本日は、みなさんお忙しい中お集まりいただきありがとうございました。最後に、私がキャリアブレイクに入る前に、先輩経営者がしてくれた話を紹介できればと思います。当時の私は、会社を退職するタイミングでは、次の転職先は決まっていませんでした。そんな時に「正しい道を選ぶか、楽しい道を選ぶか」と先輩経営者に言われたんです。
正しい道とは、私が以前やっていた転職エージェントでお客さんに勧めていた「早く次の転職先を決める」ということです。正しさというのは、自分の知っている世界のマジョリティを占めているものから構成されます。
一方で、楽しい道は、就職先を決めずに辞めるということで、自分がやりたいことに身を任せて、就職を選ばない道でした。正しいは思考的で、楽しいは感情的とも言えるかもしれません。
みなさんにとって、何が正しくて、何が楽しいのか、どちらの道に行きたいのかをしっかり見極めて選び取ってほしいなと思います。ただ、「楽しい=楽」ではないので注意してください。本日は、沢山の方に来ていただき、ありがとうございました。
北野
本日はありがとうございました。以前、キャリアブレイクをしている人から「仕事をしている時は運や縁が入る隙間すらなかったが、キャリアブレイクをしたことで隙間を作ることができました」と言われたことがあります。そこから、キャリアブレイクは「人生の隙間」だと考えています。
今日はオンラインで参加するという手段もあったにもかかわらず、化粧をして、服を着て、わざわざ会場に足を運んでいただきとても嬉しいです。きっと、「なにかよくわからないけど面白そう」みたいな直感から、今日は来ていただいたんだと思っています。わたしは、このような直感や感性みたいなのがなくなると、恐ろしい人生になるのではと漠然とした不安があるので、今日は来ていただいてほんとうに嬉しかったなと思います。ありがとうございました。
キャリアブレイクを終えて京都を離れた今、改めて無職の期間を京都で過ごせてよかったと感じます。
きっと今後も、立ち止まることがあるでしょう。休息が必要だと思うことがあるでしょう。そんな時に「ここに行けば大丈夫になる」と思える場所があるというのは、人生の大きな支えとなるのではないでしょうか。
いま立ち止まることに戸惑っているあなたに。
人生の転機が訪れますように。
執筆:つじのゆい
編集・撮影:北川 由依
お知らせ
11月9日・10日開催!これからのキャリアを京都で考えるプログラム「POP IN to kyoto」
「POP IN to kyoto」は、京都のまちをフィールドに、自らの人生についてじっくり向き合いながら、キャリアのモヤモヤ期間を過ごした先輩や仲間に出会うプログラムです。「転職しようか悩んでいる」「一度立ち止まってこれからの人生を考えたい」など同じようなことに悩む仲間と共に、モヤモヤの正体や今後のキャリアの歩み方のヒントを見つけませんか。
2日間のプログラムですが、1日のみの参加も可能です。お気軽にご相談ください。
・日時:2024年11月9日(土)〜10日(日)
・場所:
1日目 光安寺(京都市左京区黒谷町121 金戒光明寺)
2日目 町家学びテラス・西陣(京都市上京区福大明神町128)