社会人6年目の2026年5月末、心と体が自分にストップをかけた。
心療内科の先生から告げられたのは「適応障害です。お仕事、一度お休みされた方がいいと思います」という言葉だった。内心では「やっぱり、そうだよね」と思った。それと同時に「自分が適応障害?」と、どこか受け入れられない部分もあった。
「自分 vs 仕事」の対決に大敗を喫したようにしか思えなかった。
社会人を6年続けて直面した、突然の停止線
2021年3月、僕の社会人生活は、岡山県倉敷市でスタートした。
福井県の大学を卒業後、僕は岡山県倉敷市にあるデニムブランドに就職した。アパレルの専門学校を卒業しているわけではなく、ただデニムをはじめとするファッションが好きだという思いで飛び込んだデニム業界。好きなデニムに囲まれて奔走する毎日は、刺激に溢れていて、忙しくも充実した日々を過ごしていた。
5年目に突入してまもなく、このままデニム業界を突き詰めるか、何か新しい挑戦をするかの二択が目の前にあった。僕が選んだのは、新しい挑戦だった。
学生時代のイタリア留学時に小さな副業としてやっていたブログをきっかけに、ITやWEB業界にも興味を持っていた僕は、念願のWEBマーケ会社に転職することにした。転職をきっかけに、生まれ故郷である京都に実に9年ぶりに帰ってきて、心躍ったのを覚えている。
京都でスタートしたWEBマーケの仕事は、毎日が新しいことの連続で、アパレルとはまた違う楽しさを見出していた。時が経ち、業務にも慣れて、自身の成果も出始めていた頃、自分の中で小さな違和感が芽生え始める。成果が出ていることは達成感があるし、嬉しい。でもどこか虚しさがある。
「もっと大きな成果をあげれば、この虚しさも嘘のように消えるはずだ」
そう思って自分の時間と体力を仕事に投入した。
そんな中、ある金曜日の朝、最寄り駅までの道中、足が止まって進めなくなった。動悸もして、みぞおちが締め付けられる感覚で、その日はそのまま仕事を休んだ。翌日、心療内科を訪れ、下された診断は「適応障害」だった。
仕事に対する気持ちは強く持ってきたつもりだったし、どんどん成長したいと日々思って業務に励んでいた。そんな自分が適応障害だと言われても、正直すぐには信じられなかった。でも、その時を思い返せば、体が出社を拒否しているだけではなく、自分が「何をやりたいのか」「何が好きなのか」さえもすぐに答えられないような状態だった。
頭だけは仕事を頑張ろうとしていて、心と体は限界を迎えていたのだ。
自分を肯定できなかった葛藤
診断された週明けからすぐに休職期間に突入したが、急に仕事に行かなくなっただけで、何をしたらいいか、いや、何をしたいかがわからなかった。
残ったのは、「仕事に負けた自分」だけだった。自分のことを「貧弱だ」とラベリングし、受け入れられなかった。
正直なところ、同じ職場への復帰は難しいなと思っていたが、かといって他に何がしたいのかさえわからないのに、転職などできるものかと思った。キャリアブレイク期間中、そんな僕を助けてくれたのは、僕の生まれ育った京都という街の空気だった。
なぜ僕はもう一度京都を選んだのか
高校卒業まで京都で過ごし、その後福井県と岡山県でおよそ9年を過ごし、また京都に戻ってきたのにはわけがある。「外に出てみて初めてその土地のよさが分かる」とよく言うが、まさにこれが、僕がもう一度京都を選んだ理由だ。
バイク大好き人間の僕は、岡山に住んでいた頃、1〜2ヶ月に1度はバイクで京都に帰ってきていた。京都に帰る度に、感じたのは、「京都の空気感が好き」だということだ。僕が好きな京都の空気感は、京都という街の歴史や、今もなお残る寺社仏閣や歴史ある建物が織りなしているのだと思う。四条や河原町に繰り出すと、自分の「好き」が刺激され、やってみたいことやアイデアがどんどん浮かんだ。
そういう京都も、京都にいる時の自分も好きだった。
だから自ずと「大人になった今、京都でもう一度暮らしたい」と思うようになり、帰郷(帰京)を果たした。そして、休職期間中、とにかく好きに時間を使うことだけを意識していた僕は、「バイクに乗ること」と「書店に行く」ことを繰り返した。
この点、京都はキャリアブレイクを過ごすのに最適だなと感じたことがあった。

一つは、自然が近いこと。京都市内からバイクで1時間も走れば、亀岡市や南丹市の豊かな自然にアクセスすることができる。なにも考えずにただバイクに乗って、自然の中で風になる。繰り返すうちに、少しずつ僕の頭の中からノイズが減っていった。
もう一つは、知的好奇心を揺り動かす街だということ。僕のお気に入りは「大垣書店京都本店」「新風館」「丸善書店」だ。特に用事はなくても、これらの場所には足繁く通った。

本や好きなアイテムに囲まれて過ごす時間は、僕を癒してくれるだけではなく、僕の中の知的好奇心を優しく呼び起こしてくれたように思う。
自然でノイズを取り除き、街で「好き」の刺激を受けていった僕は、自分がやりたいことを少しずつ見定めていくことができた。
偶然巡ってきたチャンス
パソコンの画面上で数字を追うのではなく、自分の手と体を使って、直接この街の役に立つ仕事がしたい。そう腹が決まってからは、自分のこれからを探すように『京都移住計画』のコラムを何本も読み漁った。地域で働く人たちの熱い想いに触れていくうち、ふと手が止まり、釘付けになったのが足立電気工業様の求人記事だった。
記事を見た時「まさにこれだ」と直感した。未経験の不安より、やってみたい気持ちが遥かに大きかった。すぐに連絡して面接をしていただき、無事内定をいただいた。
このチャンスとご縁は、京都で過ごしていたからこそ巡ってきたし、自分もそれを逃さずにアクションできたんだと思う。
キャリアブレイクは立ち止まりではなく「充填」の時間
キャリアブレイク当初は「立ち止まる=ダメなこと」だと思っていたが、京都での時間を通じて、その考えは180度変わった。キャリアブレイクは、何十年と続くキャリアの中で「人生のちょうどいい息継ぎ」だったと、今では確信している。
一度仕事を離れて、自分の心が向く方向を信じて、自分の好きなように時間を使って、自分が行きたい場所に行けば、納得のいくキャリアを見つけやすいと思う。キャリアブレイクに入ってすぐに行動をおこす必要もないと思う。
全力疾走で42.195kmは走れない。
一旦息を整えて、何かできそうならやってみる。それくらいのゆるさで全く問題ない。焦る必要もないし、自分を甘やかしていい。自分の心にしたがって、自分の中に「好き」を充填してやる期間。それが、僕が思うキャリアブレイクだ。

とうじ
京都市出身。新卒で岡山県倉敷市のデニムブランドに就職し、海外営業職をはじめとする幅広い業務に従事する。京都のWEBマーケティング会社への転職を機に京都に戻ってくる。適応障害になったのを機にキャリアブレイクに入り、京都の街と自然に触れ、自分の原点に回帰する。この秋から京都移住計画で掲載されていた電気工事会社で新たなキャリアをスタートさせる。
執筆:とうじ
編集:つじのゆい



