2019.06.30

めざすのは鴨川デルタのような場東京からはじまる京都コミュニティ「to KYOTO」

「いつか京都に帰りたい」。京都移住計画は、田村篤史のそんな個人的な思いからはじまりました。あれから7年、移住計画は全国21地域に広がり、「生きたい場所で生きる人の旗印へ」をコンセプトに、居・職・住の3つの視点からUIターンを応援しています。

全国各地へ広がりを見せる一方で、京都移住計画自体の活動も、京都の農山村地域への移住支援、東京でのイベント開催などゆるやかに変化してきました。京都を愛するたくさんの人と出会い、つながり、関係性を築いてきたことで、私たちにできることも増え、やってみたいこともより自由に描けるようになりました。

そして、2019年7月からスタートするのが、東京からはじまる京都コミュニティ「to KYOTO」です。今回は、京都移住計画が新たに描く未来をについてご紹介します。

左:田村、右:藤本

田村篤史
株式会社ツナグム 代表取締役/京都移住計画 代表

1984年 京都生まれ。立命館大学在学中、APUへ交換留学、NPO出資のカフェ経営に携わる。その後休学しPRや企画を行うベンチャーにて経験を積み、卒業後は海外放浪の末、東京の人材系企業に就職。会社員の傍らシェアハウス運営なども行う。2012年4月に退職し京都へUターン。「京都移住計画」を中心に、町家活用や商店街活性といった地域に関わる仕事や、キャリア支援のNPO fullbloomの設立、大学のキャリアデザイン授業の外部講師、企業の採用支援・組織活性などを行う。

藤本和志
株式会社ツナグム ローカルプランナー/京都移住コンシェルジュ

広島県出身、4年間京都で大学生活を過ごし、東京で人材紹介会社の人事新卒採用を行った後、フィールドを京都に移す。その後、株式会社ツナグム(京都移住計画)に所属し、京の田舎への移住支援「京都移住コンシェルジュ」として、京都全域の「居職住」をテーマに人と人をつなぎ、新たなライフスタイルづくりの提案や地域での事業づくりを行う。東京の企画担当。

年間1000名以上の移住相談から見えたこと

田村:京都移住計画をはじめた2012年、当時僕は東京に住んでいて、「いつか京都に帰りたい」と願う人たちと共にマイプロジェクトとしてこの活動をはじめました。その後、僕が京都にUターンしたあと、東京で移住茶論というイベントや移住実現に向けて伴走するゼミを開催しながら、東京から京都へ帰る流れをつくってきました。

嵐電を貸し切って開催した「京都移住茶論」。京都に移住したい人や、移住した人の交流の機会となっている。
自分の本音に向き合い、同じような悩みをかかえる仲間と共に、未来への道筋をみつけていくプログラム「十人十話」。
京都市と共に東京で開催した「DOORS TO KYOTO」。京都で働くを考える2日間となった。

田村:マイプロジェクトだった移住計画の転換点となったのが、2014年に京都府さんと一緒に京都移住コンシェルジュ事業を立ち上げたこと。今年度で5年目になりました。

藤本:僕が京都府事業の京都移住コンシェルジュとして京都移住計画に関わり出したのが、2016年。田村さんがつくってきた動きが、東京→京都市内だとしたら、コンシェルジュは東京→京都府内全域のローカルの動き。北は京丹後市や舞鶴市、南や和束町や南山城村など京都の全域への移住を応援してきました。今では移住支援をしている自治体は全国各地にありますが、当時はまだ少なく、とくに20〜30代がコンシェルジュとしてフロントに立って窓口での相談業務からイベント企画、現地案内まで伴走する仕組みは珍しかったですよね。現在、年間1,000〜1,500名の方に窓口相談やイベントに足を運んでいただいています。

京都市内から車で約1時間、南丹市美山の風景。

藤本:2015年に東京で開催した「Discover Another Kyoto」や、2017年の「みんなのKYOTOを語らナイト」には、京都にゆかりのある人がたくさん集まってくれました。受動的に京都を帰りたいという人よりも、京都に関わるきっかけを求めている人の波が生まれているのを実感しました。この場からのちに京都へ移住した人も何人もいます。

「Discover Another Kyoto」では、”今まで知らなかった京都で暮らす”をコンセプトに、京都府の各地で活躍する知られざる12人の地域の実践者たちと、離れてもなお、京都(地元)に関わりたい人たちが集い、地域資源と自分資源を掛け合わせ、京都へ還るをつくる機会をつくった。
「みんなのKYOTOを語らナイト」。当時東京在住でスタッフとして関わってくれた関奈央弥さん(写真左から2番目)はのちに地元である京丹後へUターンした。

藤本:2016年からは東京専任のスタッフも置いて、東京→京都の流れを加速させてきました。ただ、さまざまな立場や年代の方のお話を聞くなかで、いきなり「UIターンしませんか?」と問いかけても、仕事や暮らす環境のハードルが高いと思われることが多くて。移住を切り口にするよりも、東京にいながら京都に関われるきっかけづくりをしていく必要があるなと思うようになりました。

田村:そうだよね。「いつかは京都に帰りたい」と思っても、UIターンするとなると仕事や家族などさまざまな状況を整理する必要がある。イベント単発の関わりの限界を僕も感じていて、点から線への関わりづくりをしていきたいと、数年前から模索してきました。

藤本:東京と京都は物理的に距離もあるので、気軽に行き来できる場所ではないとの声を聞くことも多かったですね。だからこそ、学生時代を京都で過ごした人が就職で東京へ行ったあとも、京都と関わりをもてるような仕組みづくりは大切じゃないかと。

東京で働きながらできる3つの関わり方

田村:京都にUターンしてから、たくさんの人に出会ってきました。キャリア支援をした学生も、今では20代後半になり100名以上は東京で働いています。彼らは新卒で入社後、社会人経験を積んで、30歳を目前に改めてキャリアを考え直す時期にきています。学生の頃に京都で出会った彼らが、東京でのイベント運営を手伝ってくれたりカメラマンとして撮影してくれたりと、嬉しい動きが生まれはじめています。

おそらくその動きは、彼らにとっての京都移住計画なんじゃないかと思っていて。この流れをもっと広げていけたらと思い、今回はじめるのが「to KYOTO」です。

田村:コミュニティでは、現時点で3つの関わり方を準備しています。一つが、オンラインコミュニティ。Slackを使った相互コミュニケーションの場で、京都の仕事情報やおもしろ情報をシェアしたり、東京や京都で何かやりたいと思った時に仲間を募集したりできる空間です。

コミュニティのオンラインオフ会の様子。

田村:2つ目は、プロボノ・複業や兼業で京都に関わる仕組み。以前から東京で開催する移住茶論に来てくれていた人たちが「SketTokyo(スケットーキョー)」を立ち上げ、東京にいながら京都に関われる仕組みをつくろうと動きはじめました。

例えば、京都の企業が東京でイベントを開催するとき、わざわざ京都から交通費をかけてスタッフを連れていくのではなく、京都にゆかりのある東京在住者が関われる機会があれば、お互いにとって良い関係をつくれるのではないかと。

田村:3つ目は、少人数制のゼミでがっつり内省・対話をしながら京都へのアクションを起こすもの。中長期でUIターンを伴走する「十人十話」のように、一定期間クローズな環境で情報交換ができる安心・安全な場としての仲間づくりをしていきたいと考えています。

少人数制のゼミ「十人十話」の仲間との京都合宿(今年度も実施予定)

めざすのは、鴨川デルタのような心地よい場

藤本:オンラインコミュニティや東京での京都イベントなどを通じて、出会った人たちと一緒に何かをつくっていく機会が増えるのはいいですね。京都移住計画で企画するイベントに参加してくれている人が運営者として、僕たちと一緒に何かしたいと思ってくれる人がいたら大歓迎です。

田村:うん。いざ京都にUIターンするとなった時に、僕たちも人となりがわかっているから、京都で人をつなぎやすかったり確度も上がったりすると思うから、このコミュニティを大切に育てていけたらなと思っています。

学生時代、京都で出会い、東京で就職した人たちとも、再会し、共に何かできる場にしていけたら。

田村:僕は「to KYOTO」を鴨川デルタのような場にしたいなと考えていて。鴨川デルタには、心地良いから来ている人もいるし、熱い議論をしている人もいるし、音楽を演奏している人もいる。そうしたさまざまな関わり方をコミュニティでもできたらなって。

藤本:僕たちが完成させたものを提供するのではなく、京都にUIターンしたい人たちと一緒につくっていきたいですね。

田村:今、東京でのイベントを企画するとき、こういう企画なら興味を持ってもられるかな?と想像しながら進めているけれど、コミュニティが稼働し、東京にいる人の顔が見えれば、今よりも当事者に寄り添った企画をつくれると思うから。「一緒に形にしましょう」と言ってくれるような人たちが現れたら嬉しいです。

「to KYOTO」は、2019年7月からスタートします。「いつか京都に帰りたい」、「東京で働きながら京都に関わりたい」、「東京で京都ゆかりの人とつながりたい」と思う人は、ぜひご参加ください。東京からはじまる京都コミュニティを一緒に育てていきましょう。

執筆:北川由依

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