キャリアブレイクという言葉を知ったのは、ずっと後のことだ。
その頃の私は、ただベッドの上にいた。朝も昼も夜も、境界が曖昧なまま時間が流れていく。東京での起業は失敗に終わり、実家のある大阪へ、そして時々京都へ。学生時代を過ごしたあの街に、足が向いた。
動けなかった日々
成功する気満々で実家のある大阪から上京した自分が、まさかこんなふうに戻ってくるとは思っていなかった。20歳から人の人生を祝う絵本を作り、ブランディングのクライアントワークをし、ギフト系のtoCアプリを開発していた。「全ての人の人生は祝福されるもの」と理想とする社会を描き、それを形にしようと必死だった。


けれど起業して3年、体が動かなくなった。たくさんの同期の起業家たちが活躍する姿を背に、もっと急がなきゃ、早く社会にインパクトを残さなきゃと思いながら毎日を過ごした日々。右も左もわからない社会での生き方にもがいた結果、精神的に限界を迎え、メンバーにも給料が払えなくなっていった。その苦しさは、今でも胸の奥に深く残っている。
東京を離れる時の感情は、正直なところ曖昧だ。あまりにも潔く失敗に終わった挑戦は、悔しさよりも、「やっと家族に守られる、帰れる」という安堵感があったように思う。それは、失敗を認めた瞬間でもあり、同時に、ようやく息ができる場所に辿り着いた瞬間でもあった。
京都に帰還するという選択
大学生時代に過ごした京都に戻ったのは、実家が大阪だったからという、すごくシンプルな理由だった。特別な意図があったわけではない。でも、何者でもなかったあの頃を過ごしたあの街がいつも暖かく迎えてくれるのは、心のどこかで知っていた。
ベッドから出られない日が続く中で、時々、大学時代の友人であり今の職場である株式会社talikiの代表取締役でもある中村と話をするために京都へ行った。それくらいしか、外に出る理由がなかった。
その時に訪れたのが、鴨川だった。
学生時代から馴染みのある景色。緑が多く、都会の中にある自然。川のせせらぎを聞きながら、ぼーっと過ごせる場所。大学生の頃は当たり前に通り過ぎていた景色が、そのときは違って見えた。
安心感を与えてくれる、特別な景色に変わっていた。
不思議なことに、大学時代よりも居心地が良かった。あの頃は、未来に向かって何かをしなければと焦っていた。友人と語り合い、夢を描き、前に進もうとしていた。でも今の自分には、何もする必要がなかった。ただそこにいるだけでよかった。鴨川は、そんな自分を受け入れてくれる場所だった。

「理想」から「まず生きる」へ
キャリアブレイクの期間、何も生産的なことはしていなかった。
目標も立てなかったし、次のキャリアを探すための活動もほとんどしていなかった。ただ、生きることに注力した。起業していた頃の自分は、「理想とする社会」を語ることが好きだった。世界をより良くしたい、人々の人生を祝福したい、そんな大きなビジョンを掲げていた。でもそれが、いつの間にか自分を追い詰めていた。
京都で過ごした時間は、そのすべてを手放させてくれた。
鴨川のほとりでだらっと座りながら、何も考えない時間を過ごした。川の流れを眺めながら、ただ息をした。理想を語る前に、まず生きる。そのシンプルなことに、ようやく立ち返ることができた。
起業家を支える側へ
今、私は社会課題に取り組む社会起業家の支援や、大手企業の新規事業創出の開発支援をしている。起業を「する」側から、「支える」側へ。起業をする、事業を作っていく上で様々な覚悟や姿勢、知識が必要であることを痛感したからこそ、同じような失敗を次の起業家達にはしてほしくないし、自分の経験をいい意味で踏み台にして大切な誰かの喜びのために命をかけられる起業家達を支えたいと思って働いている。
あの時、ベッドから出られなくなるくらい死ぬほど苦しんで後悔して過ごした日々があったからこそ、今の自分がある。キャリアブレイクは、起業家だった自分が失った時間ではなく、もう一度原点に立ち返る時間だった。
急かさない街、京都
京都という街の良さは、急かさないことだと思う。
東京では、常に何かをしていなければならない気がしていた。止まることは遅れることで、遅れることは失うことだった。でも京都は、そんな私を急かさなかった。鴨川は、ただそこに流れ続けていた。
今、もし次のキャリアが見つからなくて苦しんでいる人がいるなら、伝えたいことがある。
動けない自分を責めなくていい。何も生産的なことをしていない自分を、否定しなくていい。ただ生きることに集中するだけでもいい。そして、もし可能なら、京都のような「急かさない場所」を見つけてほしい。それは実際の場所でもいいし、心の中の場所でもいい。
キャリアブレイクは、現在地を改めて教えてくれる経験だった。
起業家だった時は盲目的で、なんでもできると信じていて、ありがたいことにたくさんの人が応援をしてくれていた。起業という体験は素晴らしくも、宙に浮いたような経験だったと今では思える。そんな私が東京で失敗して、お金もなくなり人脈も閉ざして、改めて文字通り人生を一から始めるきっかけがキャリアブレイクだった。まだまだ社会を知らないこと、世界を大きく変革できるような能力もまだまだ足りていないことを全身で受け入れるために、今までの自分を一度すべてを手放す時間や、また一から始めるために立ち上がるための時間が必要だった。そして京都は、その時間を優しく受け止めてくれ、一歩一歩踏み締めることのできる街だ。
鴨川は今日も、変わらず流れている。当たり前の景色が、誰かにとっての特別な景色になる。そんな美しさが、この街にはある。


灰田 大亮
taliki創業時のプログラム1期生として参画し、株式会社を設立。toC向けアプリ開発やブランディング事業に挑み、事業立ち上げから法人化、資金調達、そして休眠に至るまで、スタートアップのリアルを体感。その後、介護系ベンチャーに参画し、IPOに貢献。キャリアブレイク後、自身の創業経験と、ベンチャーの上場の過程での経験を基盤に、社会起業家支援に情熱を注ぐ。困難を乗り越え、事業を成功に導くための実践的な知見と、強い推進力を持つ。
執筆:灰田 大亮
編集:つじのゆい



