「キャリアブレイクのコラムを書きませんか?」
誰にも言っていない、自分の中だけで決めたタイミングなのに、こんなことある?どこかの神様が私に「はい、どうぞ。気づくことができますか?」と試しているのか?と苦笑した。そう。私は今、まさにキャリアブレイクしている。
私が東京から京都に移り住んだのは、2021年2月。コロナ禍真っ只中であり、越境する移動を自粛すべき時であり、近年で一番京都が静かな時だった。
京都には血縁もなければ地縁もない。旅先として来たことが数度ある程度。当然、誰も私を知らない。誰もが質問する「なぜ京都へ?」へのアンサーが自己紹介になった。
会社勤めのゴールテープが見えた時に感じた焦り。考え抜いた末に辿り着いた「京都」というアンサー。
私は人事という職業を自分の仕事としてから25年が経つ。順風満帆とは言い難いたくさんの挫折があったが、やりがいある時間も過ごしてきた。20代後半になってからようやく「自分のキャリアは人事でいく!」とキャリアチェンジを決め、念願かなったのは30代になってから。
振り返ってみれば、全く知らない世界で新しい経験を続けていく嬉しさで駆け抜けていったように思う。けれど、50歳手前になって会社勤めのゴールテープが初めて見えた時、「退職後に何をしていくのか?」と問われたような気がした。
人事の仕事は自信を持ってやってきたと言えるが、それは「職業」であって「個人的な何か」ではない。そう思った時に焦りを感じた。50歳目前になってからの、自分探し。数年を要した。
私は二つの気づきに辿り着いた。一つは、伝統や習わしと共に生きている京都の人の暮らしに憧れを感じているということ。もう一つは人が集まって楽しんでいる場を提供することが好きということ。そう言語化できた時に目に飛び込んできたのが「京都芸術大学 空間演出デザインコース オンライン入学説明会」だった。キーワードが揃い過ぎていて、こちらに来なさいと言われているような気がした。コロナ禍での在宅勤務を良い言い訳に、「京都で空間演出を学びながら生活すること」を実現することに躊躇いはなかった。気づきを得た翌年の2月には引っ越しを完了し、その年の4月には晴れて入学というハイスピードで人生が動いていった。

誰も知らない土地だからこそ、自分に課していた重荷に気がつくことができた。
京都に来てからは、今までの価値観や考え方を見直す事がしばしばだった。それは何も知らない土地に一人で生活するからこそということもあったし、東京の外資系コンサルティング会社というある意味特殊な価値観の中でキャリアの大半を過ごしたことによるギャップもあったと思う。
「空間演出デザインコース」とはすなわちデザインを学ぶということで、全く新たな経験であり、しかも建築も含まれるため図面も描くことも初めての体験だった。未経験であることの辛さと楽しさのせめぎ合いだった。残念なことにコロナ禍ということで教師、生徒を問わず授業以外の集まりは自粛せよという状況だったため、授業以外でのつながりを広げることはなかなかハードルが高かった。
それでも、京都で人とのつながりを作りたいという思いは強かった。東京にいた頃から参加していたオンラインイベントを主催していたツナグムさんで情報を得ようとしていたところ、「つぎの西陣をつくる交流会」が3年ぶりにリアル開催されることを知って一も二もなく参加した。

6組のプレゼンターの中に、歴史ある建物の保存活用を応援するコミュニティカフェ「ぶんぶんカフェ」があった。このプレゼンによって、「京都市文化財マネージャー」の存在と、文化財を保護するという活動に市民が参加していることを知った。
大学の卒業制作が「デザインの力で課題を解決する」というテーマで、日々「課題」を考えていた。そんな中、京都らしさを感じさせてくれる連棟の町家が思った以上に消失していることに気が付き、課題として取り上げることはできないかと思っていたところだった。「とにかく話したい!」と思い、交流会でプレゼンターのお二人に声をかけた。
自分が京都に来た経緯や大学の専攻のこと、京都で人とつながる何かがしたいと思っていることなどをつらつらと話したところ、「※京都文化財マネージャー育成講座(建造物)に申し込んだほうがいい」とアドバイスをくれた。
※京都市主催の育成講座。計66時間の全講座を終了した受講生のうち、京都市文化財マネージャー(建造物)として活動を希望する方々を、京都市文化財マネージャー(建造物)として登録される。

実のところ、初対面でここまで具体的なコミュニケーションになるとは思っていなかった。その後、別のイベントでお会いした時も「申し込んだ?今回は今まで以上に申し込む人が多かったから間に合ったかなと思って」と声をかけてくれた。友人や知人でもない関係の中の気遣いには、心地よい距離感がある。優しさというほどに相手に負荷をかけず、でも、「忘れてはいませんよ」という思い。そういう考え方に気がつくことができた。
京都で自分の価値観や考え方を見直すことができたのは、「ああ、そう考えていいんだ」と思うことが多かったから。そう考えるたびに、自分に課してきたものや人事として他者にも課すべきものと思っていたことから解放されていくことを実感した。
言葉では、「自分を大切に」「自分を第一優先で」「他者と比べなくていい」と思っていたけれど、それがどういうことなのか、どうすればそれらができるのかが実感できていなかった。きっと私があのまま東京で生活をしていたら、過去からの延長線上でしか考えられず、開放感を得ることはできなかったのではないかと想像する。
人事という職業柄、「採用では経歴を見て判断する」し、評価では比較の中で優劣をつける」ということを業務として行うため、至極一般的に言われる良いキャリアを歩んでいることが高価値だという考えにとらわれることもある。しかし京都で自分の価値観とのギャップを実際に経験していくことで、職業との向き合い方や考え方を変えていいと思うことができた。
私自身も含め誰もが自分を大切にして第一優先にして他者と比べないことを選択していい。自分のありたい様を見つけていいし、そのためにどんな方法をとってもいい。毎日が人生初の経験をしているのだから、間違うこともあればうまくいくこともあるし、わからないことがあってあたりまえなのだ。

名言「あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。」が如く。
京都に来てから4年と少しが経ち、人事業務支援のフリーランサーとして活動を開始してもうすぐ2年が経とうとしている。先日で、とある企業の人事支援が一区切りついたこともあり、更なる自分らしい働き方を考えるためのリフレッシュ期間に入っている。
自分がどうありたいか、どんなことで価値を提供できるか。そんなことを慌てずにゆっくり考えたいところだが、その前に、とにかくやりたいこと(やらなければならないことではなく)を楽しみ尽くすことにしている。「ああ、もう楽しみつくした!」と思うことが今の目標だ。こんなところで慌てて中途半端に楽しみと義務感が混ざってしまうことで罪悪感を生み出してしまう。そんな時間を過ごすほどの時間的余裕はもうない。
こんなに振り切れているのは、京都に来てからの人との関わりが、後押ししてくれていると感じているからだ。「今、無職です」「ゆっくりしています」「何か小さなことでも新しいこともやってみたいんです」などと知り合いに話すと、「周りに声かけておくよ」「ゆっくり休んでそろそろ働こうと思ったら言ってよ」と言ってくれる。
「だってほら、京都にはそれが仕事になっちゃうのか、って人も多いからね」
人との付き合いに暖かみがある。心地よい距離感がある。
50を前にした私は会社勤めのゴールテープを見た気がしていたが、いつの間にかゴールテープのない道を選択したようだ。
ゲストプロフィール

佐藤 しのぶ
東京都出身。コロナ禍に乗じ、猫1匹、犬2匹を連れて、2021年2月に京都移住を実行。編入した京都芸術大学/空間演出デザインコースにて、芸大生であることを満喫中。歴史ある建築や街並み好きが高じて、京都市文化財マネージャー、大阪府ヘリテージマネージャーの認定を受けている。その繋がりもあって、「京都モダン建築祭」というイベントにはボランティアとして参加。約25年の人事経験を活かし、フリーランサーとして幅広く人事業務を請け負う。人事専任がいない企業での人事の立ち上げや、評価制度を作りたいなどの支援が可能。
編集:つじのゆい
執筆:佐藤 しのぶ