カヤ(ヨシやススキなど)を材料にして、職人たちの手作業で作られる茅葺き(かやぶき)屋根。「茅葺き」と聞けば、世界遺産に登録されている岐阜県の白川郷や、三重県の伊勢神宮、京都では美山町の「かやぶきの里」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
今回訪れたのは、京都府南部・山城地域にある禅定寺(ぜんじょうじ)。京都府の指定文化財である本堂は、宇治田原町内で最大規模の茅葺き屋根の建築です。現在、この屋根の総葺き替えを手がけているのが、山城地域に拠点を構える山城萱葺(やましろかやぶき)株式会社です。
2004年に創業した山城萱葺は、事業を始めて間もない頃に禅定寺本堂の葺き替えを担当。現在は約20年ぶりに2度目の施工にあたっています。
今回は、茅葺き職人として新たに仲間に加わるメンバーを募集するにあたり、長年にわたって山城萱葺が携わってきた禅定寺で、社長や社員の皆さんからお話を伺います。
家業を守りながら、自ら茅葺き職人の道へ
「私はヨシ屋としては4代目、屋根屋としては初代なんです」。そう語るのは、代表取締役社長の山田雅史(やまだ・まさし)さんです。
山田さんの家では代々、宇治川や淀川のヨシ原を維持・管理し、茅葺き屋根の材料を刈り取り、販売することを生業としていました。山田さん自身は、建築専門学校を卒業後、建築の現場監督業務に3年間従事。その後、家業に入ったものの、茅葺き職人が高齢化によって減少していく状況に直面しました。
「自分たちは材料を刈って売る仕事だけど、このままでは売る相手である屋根屋さんが絶滅してしまう。自分はもともと建築をやっていたし、手先も器用なほうだったので、『じゃあ自分で屋根を葺いたらいいやん』と思ったんです」
29歳の時に自ら茅葺き職人になることを決意し、家業の傍ら修業を開始。4~5年経った頃には、一人で屋根を葺けるようになっていたそうです。そして、一緒にヨシ刈りをしてきた仲間たちと共に、2004年に山城萱葺屋根工事を創業し、2014年には山城萱葺株式会社を設立しました。
山城萱葺では、全国の民家や社寺、茶室などの茅葺き屋根の補修や総葺き替え、新築を手がけています。特に近年は、重要文化財を手がける機会が増えていると山田さんは語ります。
「文化財の仕事をさせていただいて良い結果を残すと、また次の文化財の仕事の紹介につながる。高いハードルが来たらチャンスだと捉えて、少々背伸びしてでも『やります』と挑戦してきたことで、少しずつステージが上がってきたのかなと思います」
さらに、「ハードルを跳ぶ準備ができていたから跳べた気がする」とつづけます。
「高いハードルに挑戦するために大切なのは、技術と人ですね。僕自身は、ただ屋根を葺くのが得意な人間なんです(笑)。でも仲間が増えて、事務能力も含めて体制を整えていく中で、文化財など大きな規模の仕事を任せてもらえる機会が増えてきました」
茅葺きの文化を継承する社会的意義
山田さんの家業だったヨシ原の維持・管理やヨシ材の生産・販売も、現在も変わらず行っています。毎年冬には、京都の伏見や大阪の梅田・十三間の河川敷で、ヨシ原の刈り取り作業を行います。
「ヨシやススキは一年草なので、毎年刈らないと立ち枯れしたまま残って、藪になってしまいます。ヨシ原は人間が手を入れないとその形でいられない自然、いわば二次的な自然です。もともとは人間も自然の一部なんです」
近年の研究では、ヨシ原の利活用によって高いCO2削減効果が得られることが明らかになっています。また、茅葺き屋根を作る過程で出るカヤくずは、処分するのではなく畑の肥料にするなど、農業とのサイクルの中で自然に行われてきた営みが、サステイナブルな取り組みとして再評価されているそうです。
2022年には、ソーシャル企業認証制度(社会課題の解決やESG経営を目指す企業を評価・認証する制度。通称、S認証)を取得した山城萱葺。「世の中でSDGsと言われ始める前からずっとやってきた当たり前のことに、新しい名前が降ってきたみたいな感じ」と山田さんは笑いつつも、「自然環境に対して果たす役割と、お施主さんに良いものを提供すること、その両方が大切。これから仲間に加わってくれる人も、環境を意識しながら、社会的に意義がある仕事だという誇りを持って取り組んでもらえたら」と力を込めて話します。
茅葺き職人を目指すには、環境への意識の他にも求められる資質があるのでしょうか。
「環境に興味があって、ものづくりが好きな人だったら、この仕事は向いていると思います。とにかく『好き』『やってみたい』という気持ちがあれば、きっとつづけられるはずです。日本の茅葺き職人は200人ほどしかおらず、全国的にもまだまだ足りない状況ですから、私たちは一人でも多くのプロを育てたいんです」
現在、社内の職人は男性のみですが、全国的には女性の職人も少しずつ増えているとのこと。山城萱葺でも女性の応募者がいれば積極的に採用したいと考えているそうです。
さらに会社の今後について尋ねると、「社員が幸せであれる働き方を継続していきたいですね。そうじゃないと、つづかないですから」と山田さん。社員の皆さんには「家族を大事にしてほしい」といつも伝えていると言います。
「私たちは自分の仕事が社会にとって意義があると思って取り組んでいます。その社会のベースには家庭があるわけですから、家庭をないがしろにするのはおかしいですよね。だから、子どもの学校行事や急な体調不良など、何かあったら遠慮なく休んで、と伝えています」
そんな言葉から、社員一人ひとりの幸せを第一に考え、個々を尊重する社風が伝わってきます。最後に山田さんは、茅葺きになぞらえて、会社のあり方をこんなふうに表現してくれました。
「茅葺きってしたたかなんですよ。揺れて力を逃がすので、実は地震にも強いんです。私たちも茅葺きのように、社会の変化にも対応できるような、したたかさ、しなやかさを持った会社でありたいですね」
茅葺き職人を一般的な職業にしたい
つづいて、専務取締役の伊東洋平(いとう・ようへい)さんにお話を伺います。伊東さんが山田社長に出会ったのは学生時代。山城萱葺では冬にヨシの刈り取り作業を行うほか、夏は堤防の草刈りも行っていたため、その作業をアルバイトとして手伝ったのがきっかけでした。
「お小遣い稼ぎで草刈りのアルバイトをしていたら、茅葺きの現場も手伝ってほしいと連れて行かれて(笑)。その時、茅葺き屋根の上からの眺めがすごく良かったんです。普通の家よりもっと高くて、飛行機も近くに見えて。就職してからも、その記憶はずっと残っていました」
大学卒業後、大阪の警備会社で7年ほど働いていた伊東さんは、ある日、電話で山田社長から「いつ帰ってくるねん」と言われたと当時を振り返ります。
「仕事で大変な時期だったので、社長の言葉を聞いて『帰る場所があるんや』とありがたかったですね。警備を担当していた施設が閉館になるタイミングとも重なり、山城萱葺への転職を決めました」
学生時代からずっと心に残っていた、茅葺き屋根からの景色にも背中を押され、茅葺き職人の道へと進んだ伊東さん。しかし、未経験の世界で壁にぶつかることもあったそうです。
「ある程度までは割とすんなりとできたんですけど、数年経った頃に何度か壁にぶつかった時期があって。自分一人では乗り越えられなくても、社内外の職人たちと一緒に仕事をしていく中で、引っ張り上げてきてもらった気がします。この業界は、他社の職人に現場を手伝ってもらうこともよくあるし、いろんな意味でお互いに助け・助けられる関係があるんです」
入社して約12年になる伊東さんは、今は職人としてだけでなく、複数の現場を管轄する工事統括責任者として仕事に携わっています。職人と役員という立場の違いによって、仕事のやりがいも変化しているのでしょうか。
「一人の職人としては、やっぱり屋根が完成した時にやりがいを感じますね。1日50cmずつ進んでいって、何ヶ月もかけてやっと25mプールほどの広さが完成するので、きれいに揃った時には達成感があります。役員としては、達成感を感じるまでにはまだ至っていなくて。今は働く環境や福利厚生などの制度を整えている最中です」
茅葺き職人という仕事を、特別なものではなく一般的な職業の一つにしたいと話す伊東さん。「まだこれからの部分もありますが、業界内のスーパーホワイト企業だと自負しています」と笑います。
最後に伊東さんは、これから茅葺き職人を目指す人に向けて、こんなふうに話してくれました。
「初めは、料理で言ったら『皿洗いから』みたいな感じで、入った現場で学んでいくことになります。もちろん基本的なことはきちんと教えていきますが、わからないことがあれば積極的に質問して学ぶ姿勢を持ってもらえるとうれしいですね。未経験の世界で、これまでの経験やプライドが邪魔をすることがあるかもしれませんが、そういうものをかなぐり捨てて、素直さを持って取り組んでほしいと思います」
「誇りに思える仕事」を志して京都へ
つづいてお話を伺うのは、入社3年目の小野晃穂(おの・こうすい)さんと妻の未生(みお)さんです。小野さん一家は、晃穂さんの山城萱葺への入社を機に、横浜から京都へと移住してきました。
晃穂さんの前職は、携帯ショップの店長。茅葺き職人への転身を決意したのは、43歳の時だったそうです。
「家業が外装施工業だったので、20代の頃は私も現場で働いていたんです。30代はずっと携帯ショップの仕事をしてきましたが、『形に残る仕事がしたい』という気持ちは心のどこかにずっと残っていました。そんな中、ある日突然、妻からLINEで山城萱葺のWebサイトが送られてきたんです」(晃穂さん)
なぜ唐突に山城萱葺のサイトを?と驚いて尋ねると、「私もあんまりよく覚えていないんです」と笑いながら首を傾げる未生さん。ただ、晃穂さんが「形に残る仕事がしたい」と以前に話していたことは覚えていたと言います。
「たぶん普段の何気ない会話でぽろっと言っていたんですよね。それで、『こんな世界もあるよ』と妻が提示してくれたんだと思います。山城萱葺のサイトを見て、自分が手がけたものが文化として形に残る仕事に、とても魅力を感じました」(晃穂さん)
茅葺き職人の仕事に興味を持った晃穂さんは、すぐに山田社長に直接電話をかけたそうです。
「たぶんその時も、社長は屋根の上にのぼっていたと思うんですけど(笑)。突然電話してきた私に、仕事や会社についてとても丁寧に説明してくださって。この仕事をしている人は人間的にも素敵なんだなと感じて、より一層興味が湧きました」(晃穂さん)
その後、現場を見学し、茅葺きの文化を継承している職人たちの姿を見て、「誇りに思える仕事だ」と感銘を受け、自分もこの道に進もうと決意した晃穂さん。40代で未経験の世界に飛び込むことに不安はなかったのでしょうか。
「30代からの10数年は体を動かす仕事をしていなかったので、体を戻すことができるのかなという不安はありました。あとは、全国各地の現場に出張して、3ヶ月から半年ほど滞在するという働き方も初めてなので、少し不安でしたね。でも、不安よりもやってみたい気持ちのほうが大きかったです」(晃穂さん)
京都への移住に関しても、「関西弁に馴染めるか、ちょっと心配でした」と笑う晃穂さん。最初は「ほかす(捨てる)」「なおす(片付ける)」といった関西弁がわからず、先輩に説明してもらったそうです。
横浜で生まれ育った未生さんも、移住には不安があったものの、「本人がやると決めたことを応援したい」という思いだったと話します。
「夫の行動力があったからこそ、私も一緒に新しいことにチャレンジできたなと思っています。ただ、一番悩んだのは娘のことでした。小学5年生で引っ越すことになったので、新しいお友達とうまくやっていけるか心配で。本人も不安そうでしたが、ある時、急に『行ってもいいよ』と言ってくれたんです。その言葉に背中を押されて、私も『よし、頑張ろう』と思えました」(未生さん)
一つとして同じものはない、茅葺きの魅力に惹かれて
実際に職人として働き始めて、茅葺きの魅力をより一層感じていると話す晃穂さん。
「職人一人ひとりの手によって施工の違いがあるし、地域によって屋根の形状や使う素材もさまざま。すごく多様で、同じ屋根が一つもないんです。自然と向き合う職業でもあるので、高い人間性がないとできないし、自分を磨きつづけていくことが大事。そこに対して自分が食らいついていくことに、とてもやりがいを感じますね」(晃穂さん)
入社1年目は日本茅葺き文化協会の研修にも参加し、座学や実技を通じて基礎をしっかりと学ぶことができたと振り返ります。
「研修でインプットしたものを現場でアウトプットして、先輩からフィードバックをもらって改善して、仕事を覚えていきました。家に帰ってからも、『今日はこんなことをやったよ』と家族に話して、一度アウトプットして自分の中に落とし込むようにしていましたね」(晃穂さん)
未生さんも、新しい世界に飛び込んで働いている晃穂さんを温かく見守っています。
「体力仕事だから帰ってきた時には疲れているけど、翌朝起きてくると顔がすごくいきいきしているんですよ。『今日はこの部分を葺かせてもらった』といつも写真を見せてくれます。よく覚えているのは、最初の頃、社長が葺いた部分と夫が葺いた部分の差がすごくて(笑)。社長が作ったようなきれいな屋根を目指して頑張ってもらいたいですね」(未生さん)
未生さんのちょっぴり手厳しいエールに、「頑張ります」と笑顔で応える晃穂さん。家族の心強い支えのもと、研鑽の日々を送っていることが伝わってきます。
「最近はお寺に行くと、気づいたら最初に屋根に目が行くようになってきました」と楽しそうに話す未生さん。現在は、山城萱葺のSNS運用もサポートしています。茅葺きワークショップに参加して写真をSNSにアップするなど、「茅葺きを知ってもらうきっかけづくりができたら」と模索中だそうです。
最後に、お二人に今後の目標をお聞きしました。
「見てみたい、さわってみたいとか、映えるから写真を撮りに行きたいとか、きっかけは何でもいいので、若い人たちに興味を持ってもらえるように発信していきたいです」(未生さん)
「早く現場を任せてもらえるように、まずは仕事を一つひとつ覚えていきたいですね。文化財などに携われることを非常に誇りに思いますし、職人の皆さんをリスペクトしているので、そこに肩を並べるためにはもっと努力が必要だなと思っています。これまで守ってきたものを継承して、社会貢献につなげていくことをしっかりと見据えて取り組んでいきたいですね」(晃穂さん)
茅葺きの仕事について、なんとも楽しそうにいきいきと話してくださる山城萱葺の皆さん。茅葺き職人と聞くと特別な職業だと思ってしまいますが、伊東さんも小野さんも、何気ないきっかけから未経験の世界に足を踏み入れたというエピソードが印象的でした。
今この記事を読んでいる方も、もしかするとそのきっかけの一つを手にしているのかもしれません。見学や体験も可能ですので、もし少しでも興味を持ったのなら、ぜひ一度現場を訪れてみませんか?
編集:北川由依
執筆:藤原朋
撮影:清水泰人