いつか、自然に囲まれた旅館で働いてみたいなぁ。そう思ったことはありませんか?
丹後半島の西に位置し、目の前が広大な日本海の浜辺に佇む、本陣粋月。
海に沈みゆく夕陽は、時間と共にオレンジ色から茜色へ姿を変え、空と海を染めていきます。全長8kmに広がるこの浜辺は、その美しさゆえ、“夕日ヶ浦”と人々に呼ばれるようになりました。ここに湧き出る天然温泉は、美人の湯として誉れ高く、豊かな自然に恵まれた場所で数十件の民宿や旅館が建ち並びます。
今回の求人先は、その旅館の中のひとつ。全国的にも珍しい山野草など、自然の恵みの素材を全て余すことなく料理として提供する個性的なお宿です。今後は事業譲渡も視野に入れつつ、後継者やスタッフを探そうとされている本陣粋月の女将さんを訪ねました。
人と人との心が通う、昔ながらのお宿のおもてなし
「こんにちは、いらっしゃい!」と、元気な挨拶で迎えてくれたのは、女将の安達和佳子さん。本陣粋月が他の旅館と異なると言われる所以は、女将さんが自ら山に入って摘んできた山菜や海藻、きのこなどの季節のものを使った山野草料理にあります。「自然を感じる、守る、活かす、共生し、旅人との心の触れ合いを大切にする」というスタンスで、大量に作られた市販の既製品はできる限り避け、安全で美味しいお料理と、心配りを提供されています。
ノビルという山野草の下ごしらえを一時も止まることなく、テキパキとこなす女将さんに、このような独特のスタンスで宿を始めた理由はどのようなものだったのか、お話を伺いました。
「私は、料理人である夫と結婚して家を出てから、城陽市で暮らしていました。私が38歳の頃、家庭の事情で家業を継がねばならない事態になり、連れ戻された形で、この旅館を継承しました。故郷へ戻ったばかりの私は、カラオケのような喧しいものが大嫌いで、団体のお客さまとよく喧嘩していました」
本陣粋月は元々、女将さんのご先祖様が建てられた別荘でした。そんな由来からか、議員・医者・企業の社長などの富裕層のお客さまが多く利用されていました。旅館を継承してから5年ほど我慢し続けた女将さんですが、「自分がこの旅館を経営する以上は、自分に合ったやり方でやっていこう」と決意し、思い切って家族向けの宿泊施設に建て替え、心のこもったおもてなしができるような方針に切り替えられました。
建て替え後は、今までの団体のお客さまを断ることも多かったそうですが、その中のお客さまの多くが、団体としてではなく、家族や個人のお客さまとして、この宿に来てくれるようになり、お客さまとの繋がりは以前より深くなったと言います。
自然に生かされていることへの気付き
しかし、今までやってきたことを急にガラリと変えるということに対して、良いことばかりではありません。
「リニューアル後の何年間かは毎日忙しく、1時間しか寝る時間を作れない時もあり、体重も激減しました。遂にはガンに侵され、何度も病院に運ばれて手術を繰り返していました。医者になぜ生きているのか不思議なくらいだと言われたくらいです」
この出来事を知った周りの人から、女将さんは丹後の山や海などの豊かなエネルギーを自然から頂いて生かされているのではないか?と言われたそうです。改めて、食べることの大切さを実感した女将さんは、旅館の食事も変えなければと思うようになりました。しかし、「田舎には都会のような洒落た食べ物はなく、浜防風や海藻など、地域で採れるものくらいしかなかったし、それも自分で取りに行くしかなかったんです」と女将さんは言います。
例えば、高級料亭の食材として稀に使用される“ヤブカンゾウ”。通常は煮物にして、魚の煮付けなどに添える程度です。しかし、女将さんの場合は、ジャムにしてみたり、デザートしにしてみたら美味しくなるのではないか?と、どんどん発想が広がってキリがないのだと言います。
「同じヒラタケでも、買ってきたものと採りに行ったものでは、味や香りが全然違うんです。山野草は捨てる所がほとんどありません。その美味しさを知らないのは、とてももったいない!春だけじゃなく、山野草は一年中採れるし、今日しか採れないものだってある。だから、私は毎日山に入ります」
女将さんは、金融会社や保険会社など職を変え、逆境に立たされながらも、様々な実績を積み上げてこられました。それは旅館を経営するようになってからも変わることなく、常に新しいことに挑戦することを恐れない。そんな信念を感じます。女将さんの元気の源は、自然だけではなく、真心を込めて触れ合う人の心のエネルギーも含まれるのかもしれません。
田舎の親元に帰ってきたような懐かしい喜びのある場所
旅館がメディアにも露出して忙しくなり、忙しくしていた時でした。ある旅行作家が宿泊した時のひとことが原点に立ち戻るきっかけになりました。それはこんな言葉でした。
「確かにここは、賞をもらっている素晴らしい旅館。でも今の料理は、観光旅館の料理。女将さんらしさが無くなってしまった。女将さんがここに戻ってきた時の原点に戻りなさい」
女将さんはその言葉を受けて、どこにでもあるような贅沢な和食ではなく、本陣粋月でしか食べることのできない、美味しい山野草料理を味わってもらおうと決意しました。本物の味が分かる夫に板場へ戻ってもらい、女将さんが寝る間も惜しんで丁寧に下ごしらえした山野草をふんだんに使った、玄人をも唸らせる山野草料理を完成させました。また、料理一品ずつ心を込めて説明し、おもてなしをすることで、接客の質を高めていく女将さんの熱意は留まることを知りません。
一組一組が丁寧に語らえる参加型の旅館へと進化していった結果、いまではプロの料理人がお忍びで本陣粋月の山野草料理を研究しに泊まられたり、調理学校の先生が生徒を連れ、学びにこられたりするなど、各方面へ影響を与え続けています。
本陣粋月には、決まったプランにこだわらず、お客様の要望を家族のように一緒に考え提供する、人間味のあるお宿です。そんなふうに長年、心の触れ合いを大事にしてきたという女将さんに、印象深いエピソードをお聞きしました。
「このお宿には、ガンを患ったお客さんが来ることが多く、あるお客さんが和歌山に帰られる際、薬草をお土産に持たせました。その後もそのお客様に、様々な薬酒や薬草を送り続けていたんですが、ある日突然、その方から電話がありました」
その電話の内容とは、女将さんからもらった薬酒や薬草を飲まずに病院の薬ばかり飲んでいて一向にガンが治る気配はなかったのですが、ある日ふとしたきっかけで、女将さんからもらった薬酒を改めて飲んでみようと決意して毎晩就寝前に飲んでいたら、知らぬ間にガンが消え、お医者さんも驚いていた、という喜ばしい話でした。そのお客様とはいまでも親しく交流が続いているそうです。また、他にも、末期ガンのお客様が「最後に女将さんのカニ味噌雑炊がもう一度食べたい」と家族で来店されたこともあります。
自分の生き方を旅館に委ねて魂を磨く
「これまで本陣粋月が培ってきた、“人と人が心を通わせる旅館”を残していきたい」と女将さんは語ります。冒頭でも触れたように、女将さんは事業譲渡も視野に入れ、後継者やスタッフを探しておられます。どんな人を求めておられるのか、お話をお聞きしました。
「特別なスキルは求めません。私がそうしてきたように、旅館のスタイルをガラリと変えてくれたほうが良いと思っています。人が好きだ、という思いが一番大切なこと。その思いや自分の生き方を旅館に投影してくれたらと思います。さらに、“食の安全”を考えながらやっていただけるような人が現れたら、私は喜んで身を引こうと思っています。また、私から山野草や自然環境について学びたいという人がいれば、もちろん手助けを惜しみません」
お金だけを目的に動くような、ズルい人間は嫌いだと明言する女将さん。「この旅館ほど、働くスタッフに対してハードルが低いところは無いですよ」。その言葉の通り、お金がなくても困っている人には無償で泊めたり、旅館で働かせたりしたことも幾度かあったそうです。同様に、捨てられた猫や犬も保護されていて本陣粋月はペット宿泊のできるお宿としても有名です。
周りからは、女将は変わった人ばかりを雇っていると言われることもあったそうですが、見方ひとつ変えれば、こんなに働いてくれる人はいないのだと女将さんは胸を張って伝えています。
「上手にやる必要はありません。ただ、ひたむきに前向きにチャレンジにしてくれるひとに来て欲しいです。危ないということだけを教えても人は成長しません。一緒に失敗して学んでいくことが大切なんです」
いままで一人一人違う個性に向き合い、愛情を注いでこられた女将さん。本陣粋月は、お客さまのみならず、従事するスタッフにとっても心を浄化してくれる場所なのかもしれません。
丹後は日本の真ん中に位置する豊かな場所
逆境にも負けず、様々な挑戦を重ねてこられた女将さんに、これからチャレンジしたいことについて質問しました。
「地域全体の底上げをしたいと常々思っています。ここには、本当に地域のためを思って活動できる団体や人材がいません。植物の生態も知らずに、種子を含んだ貴重な植物を刈り取ってしまう自治体は、学ぶ姿勢から、率先して市民へ示してほしいものですね。普段何気なくに使う水が、山から川、川から海へと流れていき、その流れた水の中で私たちが食べる魚が生きています。その水を汚してしまったら、その汚れが私たちに返ってくる。そんな当たり前のことが分からなくなっている人が多いのが残念でなりません」
そう語る女将さんは、誰もできないのなら、自分で商品を作ろうと近所に土地を購入し、専用建物まで建てましたが、適任者を見つけることができず、結局そのままの状態だそうです。では、本陣粋月にはどんなスタッフが在籍しているのでしょうか?20年近く女将の仕事を手伝ってこられた勢旗みなこさんにお話を伺いました。
勢旗さんは、19年間この旅館を手伝うスタッフの一人です。「人と話すことで新しい刺激をもらえるのが楽しい」と話す優しい笑顔が印象的です。旅館の接客を主に、旅館の掃除や山菜の下ごしらえなど幅広く仕事をされている勢旗さんに、今回求める人物像について聞いてみました。
「ここは、どんな人でも基本的に来るものは拒みません。会ってみないと分からないこともありますが、まずは、“人を愛する気持ち”が大切だと私は思っています。女将さんは厳しい面もあるけれど、ここにいる人たちはみんな、女将さんのことが大好きなんです」
「スタッフもお客さんも同じ目線で接しています」と、女将さんが言っていた言葉の通り、本陣粋月にいる全員が家族のような関係であることが勢旗さんの言葉から伺えます。夕日ヶ浦温泉全体の観光客数は、年々減少しています。その中でさえ本陣粋月は、心のこもったおもてなしができる人数しか予約を取らない、という方針を掲げています。
「スタッフ同士は、言い争いや競い合いをすることがありません。ただそのことが逆に、ここの課題かもしれません」と勢旗さんは語ります。
「自動車がないと暮らしていけない。バスも1日2〜3本。病院も遠く、都会と比べると不便なこともあるかもしれません。しかし、私をはじめ、ここに長く住む人にとっては居心地がよい場所です。海も山も近く、生活するのに、そう多くのお金を必要としません。だから、ここに来る人には、どうか希望を持ってきて欲しいのです」
本陣粋月がある京丹後市は、日本の真ん中に位置する町。他と比較にならないほど様々な自然の生態系が息づく貴重な場所なのだそうです。女将さんが毎日山に入りだしてから、風邪をひかなくなったという事実が、自然治癒力を回復させるほど力のある自然に恵まれた地域だと考えることができます。
一味も二味も違う、本物の味を楽しめる旅のお宿、本陣粋月。あなたの新たな人生をここから旅館と共に変えていきませんか?