京都府宮津市。京都市に次いで京都府内2位の観光客人口を誇る天橋立があることで有名な地。「海の京都」の印象が強いものの、同市内の上世屋・松尾の棚田が2022年2月、農林水産省主催の「つなぐ棚田遺産」に選定されました。穂がつく季節の黄金色に輝く様子は絶景で、新たな観光資源としても再注目されている棚田ですが、完全無農薬米の安全性と味の良さでも知られており、同市内にある飯尾醸造は、3代に渡ってその保存に尽力してきました。
「弊社は地元の人たちからは”なんだか近寄りがたい会社”という印象をもたれがちなんですが、決してそうではないんです」
そう語るのは、京都府宮津市にある1893年創業の”お酢屋さん”、飯尾醸造の5代目当主、飯尾彰浩さん。本記事で、蔵人と販売スタッフを募集します。
「唯一無二の、一番良いものをつくりつづけたいという想いに関して言えば他社には負けない自負があります。けれど、そのためにすごいスキルを持ったスタッフが当初から集まってきているかというとそうではなく、いま弊社で働いてくれている社員やパートのほぼ全員が最初は発酵の素人、農業の素人でした」
飯尾醸造の考え方や理念に共感して入社してきた人はほぼおらず、一方で離職率が低いのも特徴。特別なことをしている会社ではなく、愚直に、地道に、”普通の”ものづくりを重ねている会社であるといいます。
たった3軒の契約農家とスタートさせた完全無農薬米作り
飯尾醸造が醸し出す酢の大きな特徴である完全無農薬米の使用。そのはじまりは1964年、東京オリンピックが開催された年。祖父が蔵の周りを歩いていると赤い旗が立てられている光景がふと目に留まりました。当時の農薬は劇薬で、田植えの直後に蒔くことが多く、子どもたちが生き物を取るために田んぼに入らないようにと赤い旗が立てられていたのです。
いつの間にかドジョウやフナもいなくなり、その様子にショックを受けた祖父。「水生生物にとって良くないものを使って酢を醸造すれば、人の体にとっても良くないだろうから使いたくない」と、そこから3年ほどかけて契約農家になってもいいという農家3軒を見つけました。とはいえ、当時は商品管理もさほど厳しくない、おおらかな時代。酢づくりといっても祖父が祖母になめさせて「酸っぱいからいけるわ」と言えば完成といった具合でした。
それが高度成長期、父の代へと移行してからは、きちんと分析をして、商品化することが求められるように。さらに農家の後継者問題や高齢化問題が勃発します。標高の高い地で行う棚田の農業は敬遠されるようになり、広い田んぼで機械を使う農業にシフトされ、全国的にも棚田が激減。これでは美しい景観も損なわれてしまう。そうした状況に危機感を覚えた父が棚田を残すため、社員も含めてみんなで米づくりをしようと提案しました。20年前のことです。
「祖父の時代はお客さまに対し、自信を持って提供できるものを使ってもらいたいという消費者にフォーカスした意思決定だったはず。それが父の代になって、苦労している農家さんにしっかり報いたいと、農協よりも高い価格でお米を分けてもらうようになりました。今でも農協の3倍の価格でお米を購入しています。また、美しい里山の景観を残したいと蔵人が米をつくることをはじめました。そうやって一つひとつステークホルダーを増やしていったんです」
米と昔ながらの発酵にこだわった酢づくり
そんな飯尾醸造の『富士酢』は、昔ながらの静置発酵法で醸造されます。日本でこの手法を使って酢を造っているのは生産量の1%以下です。多くの酢はコンプレッサーで空気を送り込み、培養に近いかたちで発酵させるため8時間から2日で仕上げるのに対し、静置発酵の場合は自然環境の中で発酵させるため100日から200日ほどかかります。それでも静置発酵を続ける理由は、シンプルに”おいしいから”。
味を良くするためには無論、良い材料を使うことも重要です。使っている米はすべて丹後地域で栽培された無農薬の新米限定。通常の純米酢でJIS規格の5倍、プレミアムになると8倍の米の量を使います。
「日本全国、棚田で作るお米は味がいい」と飯尾さん。棚田があるのは標高400〜500メートルの場所で、昼間の温度は平地と変わらなくても朝晩の温度は平地に比べると5度から10度近く下がります。植物は人間や動物と同様に、昼に光合成して夜に呼吸するため温度が高すぎると暑くて眠ることができません。なので夜が涼しい棚田は、稲が夜間にぐっすりと休めて、それによりおいしいお米になるのです。
こうして作られる『富士酢』は、アミノ酸や有機酸といったまろやかさにつながる栄養成分が多く含まれ、うまみ成分は一般の酢の5倍にも及びます。うまみがあると人間の舌は酸味を柔らかく感じ、それにより塩や砂糖、醤油といった調味料の使用量がグンと減るのです。まろやかな酸味があると1割から2割の塩分を減らすことができるため、生活習慣病の予防や悪化を防ぐことができます。
飯尾醸造には、日々ユーザーからの嬉しい感謝メールが届きます。腎臓を患って尿が一滴か二滴しか出なかった高齢者の男性から飯尾醸造の紅芋酢を毎日飲みはじめて、コップ半分くらいまで尿が出るようになったとか、内臓脂肪が減ったとか、体重が10キロ落ちたというもの。
食事制限を強いられている人たちにとって、健康状態を改善でき、なおかつうまみ成分の豊富な飯尾醸造の富士酢を日々摂取することは、日常に”おいしさ”と”健康”を取り戻すことにつながっています。
経営理念は「モテるお酢屋。」
そんな飯尾醸造の経営理念は「モテるお酢屋。」。ステークホルダーは、消費者・社員・原料生産者・地元・取引先・食材の生産者です。
現当主が最も大事にしていることは、ステークホルダーに飯尾醸造が必要とされることで、「モテる」という経営理念がそれを言語化しています。
「”モテるお酢屋。”って偉そうなんですけど、大体の人は自分でモテるとは言いません。この理念には”モテるために努力をします”という戒めを込めているのですが、全員からモテたいわけではなくて、必要とされる人からモーレツにモテたい。なので、大勢に良い顔をするつもりもありません」
テレビで取り上げられる場合も、放映される日時を伝え、「X日までにご注文いただけたらスムーズにお渡しできます」と事前に連絡します。テレビ放映後も新規のユーザーはたとえ1ヵ月から2ヵ月待たせてしまうことになっても、以前からのユーザーには必ず翌日出荷を心がけます。個人客も法人客も分け隔てなく、「これまで大事にしてくださったお客さまの信頼を裏切らない」ことに重点を置き、しっかりと区別。「そのバランスをとることは、ものづくりと同じくらい大事」といいます。
飯尾醸造の社会性を味方につける仕組みづくりといったカルチャーは、5代目となった現在にも引き継がれてます。飯尾さんは、フードロスを意識した『富士ピクル酢』の開発・販売や町の古い商家を買い取ってのレストラン経営をはじめました。
大ヒット商品『富士ピクル酢』が誕生したのは2010年のこと。国内で年間1900万トンの食べ物が捨てられていて、そのうちの4割は実は食べられるという農林水産省の発表を目にした飯尾さんは、野菜のフードロスに焦点を当てました。
冷蔵庫で干からびてしまうダイコンの切れ端や中途半端に残ってしまうセロリやキュウリを酢漬けにするとおいしい。そこで”エコの酢”というテーマで開発をはじめました。当時は、日本の家庭でピクルスを漬ける習慣がなく、ピクルス専用のお酢がなかったため、新しいカテゴリとして話題に。このヒットにより、大手メーカーも同じようなピクルス専用の酢をどんどん売るようになり、今ではピクルス酢専用のコーナーが大きなスーパーでは定着しています。
「弊社だけがピクルス専用のお酢を作っても、日本全国のシェアを考えると影響力がないですけど、大手がそこに参入すると一気にフードロスが減る。それは地球環境全体にとって、良いことだと思います」
また、飯尾醸造は、宮津市内で120年前に建てられた商家をリノベーションしたイタリアンレストラン「aceto(アチェート)」の経営も行っています。
名物料理は、無農薬玄米と6時間煮込んだ地場産の魚のアラを炊いてソースにした玄米リゾット。客単価1万円の高級レストランですが、この建物を買い取り、レストランを経営しはじめたのも、この場所をどうにか残したいという想いから。日常使いにはハードルが高いと思われる客単価も、もともとある定食屋やうどん屋との競合となることを避けるため。宿泊客を増やして宮津を潤わせたいという願いもあります。
求める人材は自己と会社の”成熟”を共に楽しめる人
現在、働いている人たちは、社員とパートを含めて30人ほど。ちょうど世代交代の時期に差し掛かっており、経験不問で、丹後地域や宮津を好きになって、自己成長や会社の成長といった幸せの”成熟“を共に楽しめる若手人材を求めています。成熟とは、周りの人に良い影響を与えられ、ポジティブなオーラをまとっていること。
「敏腕な人もいいと思うんですけど、うちには合わないのかなと。ゴリゴリに自分でやっていくという人ではなくて、みんなと調和しながらという人のほうが合っていると思います」
募集する蔵人に求める人柄は、すべてが揃っている必要はありませんが、①実直にコツコツとものづくりができる人、②会社が仕掛けることを楽しんでくれる人、③ロジカルな部分がある人です。同じく販売に関しては、①押し付けの営業ではなく、ふんわりとやわらかな接客ができる人、②eコマースや各種業務のデジタル化において外部と抵抗なくやりとりができ、興味が持てる人です。
醸造の仕事と聞くと、力仕事の印象が強いですが昔に比べると機械が導入されたこともあり、だいぶ減ったそうです。それでも大変な仕事に変わりはなく、「美化はしたくない」といいます。
基本、冬場の酒蔵は週一休みですが、麹づくりの際は2人が交代制で酒蔵に泊まり、夜中も麹の面倒を見て朝が早いときもあります。お酢蔵に至っては、発酵の状態が心配だからと、正月休みでも二人交代で発酵の状態をチェックして、土日に出勤し、振り替え休みを取ることも。
ジョブローテーションは少なく、一人のスペシャリストとして一つの道を貫いていくのが飯尾醸造のスタイルです。だからこそ、ルーティンワークの中で、自分なりにやりがいや楽しみを見つけて、成長していける力が必要となります。
丹精込めて作った酢を気持ちと共にお客さまのもとへ
飯尾醸造で11年間務めたのち、結婚・出産を機に退職したあと、別の企業に再就職。しかし、やっぱり飯尾醸造が良いと4年のブランクを経て”出戻ってきた”という販売部リーダーを務める、庄司夏子さん。
その決め手となったのは、尊敬する上司や同僚と働けること、土日祝日が休みで子どもとの時間が取れることでした。
「子どもが急病のときも先輩社員が”早く迎えに行ってあげて”と手を差し伸べてくださる。そんな子育てに理解ある環境も魅力です」
販売部門は、法人、通販、宅配と3つの部門に分かれており、庄司さんが担当するのは法人部門。具体的な仕事内容は、売上伝票や送り状の作成、取引先との電話やメールの対応、蔵内の店舗販売などです。
近年はSNSやブログで、社員が自分の言葉を使ってアウトプットするデジタル発信も増えている反面、納品書に手書きのメッセージを添えるといったアナログな心配りも継続。
その際に大事にしていることは「米づくり、酒づくり、酢づくりからのバトンを受け継いで、蔵人が丹精込めて醸し出すお酢をその気持ちも含めてきちんとお客さまのもとへお届けすること」といいます。
「業務の効率化や改善化は常に意識していますし、今がベストじゃない、もっと良くなれると常に思っています。一方で、そればかりを追い求め、ずっと続けてきた飯尾醸造らしさを失わないように務めるのも私たちの役目。良い風習を受け継いでいくために、熟練した社員がまた新しい社員を教育し、言われたことをしっかり行うだけではなく、自分で考え行動できる力を養う。先代の時から続くそんな姿勢も飯尾醸造らしさと思います」
気持ちの良い発酵を目指して日々精進
今年で入社6年目となる酢づくり杜氏、和田寛章さんの前職は教師でした。教師の仕事は楽しさややりがいを感じる一方で休日が少なく、子どもが生まれたのを機に飯尾醸造への転職を決意。しっかりと休みが取れて、残業が少ないという理由でした。
発酵は未経験だったものの、勤続年数30年を超える大ベテランの社員のもと、しっかりと酢づくりを学びました。ある日、社内プレゼンで「彼を育てることが酢づくりを継承すること」と先輩にいわれ、感嘆したといいます。
ぶつかることも多かったと言いますが、未経験者で後輩である自分の話もしっかりと聞いてくれ、飯尾醸造の「聞く文化」はすばらしいと太鼓判を押します。
今では酢づくりのために欠かせない膜を”菌膜ちゃん”とちゃん付けで呼ぶほど、この仕事に愛着をもっています。2021年4月に酢づくり全般のサブリーダーを任されてからは、酒を醸すところから瓶詰・出荷するところまで全行程に関わるようになりました。
「仕事で一番大事にしていることは、生き物である菌膜ちゃんに、いかに気持ちよく発酵してもらえるか。菌膜ちゃんが数々の試練を乗り越えて、無事発酵できたときが一番の喜びです。5月からのオフシーズン中は、自社の田んぼ作業を手伝うことも。残業が少なく、休日も取れるため、子どもの成長を愛妻とともにゆとりをもって見守れるのも魅力です」
“声を聞くこと”が杜氏の仕事
平成10年に入社したという杜氏の藤本真充さん。京都府向日市からの移住者です。
残業の多い仕事で体を壊し、医者から「辞めないと死ぬよ」と言われたのが28歳のとき。休職中に京都市内で行われたUIターンの説明会を訪れ、食の安全性に対する4代目の熱い気持ちに触れ、蔵見学のためにはじめて宮津を訪れました。海と山に囲まれた風景や澄んだ空気、なにより蔵人のやさしい人柄に安らぎを感じたといいます。
酒づくり全般の責任者である杜氏になって19年。蔵人5人に指示を出しつつ、自分も動きます。多くの蔵ではすでに精米しおえた米を使いますが、飯尾醸造では精米も蔵人の仕事です。米を精米し、それを炊き、蒸して、麹づくり、酒母(しゅぼ)育成、醪(もろみ)管理、調合と作業はつづきます。
一番の繁忙期は酒づくりが行われる1月から4月で、5月から10月は酢づくりがメインです。1月から2月は泊まり込みで作業をするため、その間は、麹やもろみづくりを新人も一緒に行います。作業は夜まで続き、蔵の中は5度前後、一方の麹室は30度と、寒かったり暑かったりを繰り返すので体力が必要。その代わり、その2か月を過ぎれば残業はほぼゼロ。とはいえ、泊まり仕事をなるべく少なくするために、今は社長と相談しながら温度管理と重量管理においてIT化を進め、ゆくゆくはなくしていく運びです。
「20年以上やっていますが、醸造に関して言えば思うようにいったことが一度もないんです。毎日気温も違えば、湿度も違います。コミュニケーションをはかるのが難しい。だからこそ、”今どうしているのかな”と醪の声を聞くことが大切になってきます。コントロールというより、いかに醪に寄り添うか。そこは人間と一緒ですね。じゃあ、醪だけに寄り添えば良いのかといえばそうではなく、米の状態であったり、水の状態であったり、温度や湿度だったり、蔵人の体調だったり、全部に対して神経を使うので疲れるんですけど、それが終わったときに今年もなんとかなったなと安堵します」
繁忙期は朝昼晩、蔵人たちと行動を共にするため、密にコミュニケーションを取らなければ成り立ちません。仲間意識が強いぶんだけ、一緒にものをつくったという達成感も増します。
「仕事で一番大事にしていることは全体に気配りをすること。蔵人全員がそうした気持ちで取り組まないと酢の出来栄えにも影響が出てしまうため、『酢づくりは人づくり』としみじみ思います。それは飯尾醸造のポリシーでもある、関わってくれるステークホルダーがみなハッピーになれる仕組みを考えることにもつながります」
大事なものを大事に
効率化や経費削減が頻繁に叫ばれる時代。よその地域から米を仕入れるほうが3割ほど原価を抑えられるものの、飯尾醸造は地元のお米を使うことにこだわります。その理由を聞くと「無農薬米に祖父が舵を切ろうとしたときに、助けてくれた3軒の農家があるから」と飯尾さんは即答。
「それがなかったら今の飯尾醸造はないので、地元に対する恩返しのモチベーションとなっているんでしょうね」
58年前の恩を返しつづけるよう務めると、自然と、自身や会社への応援の輪も広がるといいます。
「恩返しをしていると、見てくれている人がいるので結果的にプラスになって返ってくるんです。だから自己犠牲のつもりはありません」
周りを出し抜いてでも、自分だけが潤えばいい。そんな熾烈な競争社会が続いて久しくなりますが、私たちの多くがそんな社会の在りように限界を感じ、息がつづかなくなっているのも事実です。これまでの信頼を第一に、相手の幸せを考えながらその小さな声や呼吸にそっと耳を澄ます。自然相手のモノづくりから生まれた飯尾醸造の感覚こそ、本来の”人間らしい”営みを構築させてくれるものと感じました。「地道に、愚直に」。いい言葉ですね。
※本記事はBeyond Career事業にて受注・掲載した求人記事となります。Beyond Careerについてはこちら
編集:北川 由依
執筆:山葵 夕子
撮影:稲本 真也