京都移住計画での募集は終了いたしました
心尽くしのおもてなしや贅沢な食事のことを指す“ごちそう”という言葉。
もともと、馬で走り回ることを意味する“馳走”から、方々を走り回って食材を集め、もてなしの準備をするという意味が備わり、丁寧語の“御馳走(ごちそう)”になったといわれています。
今回ご紹介するのは、そんな馳走の精神を大切にする京都の料理店「馳走いなせや」。店主らが旬の食材や地酒の仕入れに奔走し、季節感たっぷりの和のコース料理やアラカルトでもてなしてくれる町家料理店です。
開店16年目を迎えた今春、「よりよいおもてなしができるように」と店内の一部とメニューのリニューアルを実施。同時に調理と接客の両セクションに新たな仲間を迎え、再スタートを切ろうとしています。
そもそも、「馳走いなせや」はどのような経緯で誕生したのか、そして現在どんな人たちがどんな思いでお店を切り盛りしているのか、応募の前に知っておきたいあれこれをキーパーソンの3名に伺いました。
はじまりは起業初期の“地酒の教訓”
最初にお話を伺ったのは、「馳走いなせや」を運営する株式会社いなせやの代表取締役・高田佳和さんです。生まれも育ちも京都の西陣。両親がそれぞれ自営業をしていた影響もあってか、20代後半で「自分も経営者になろう」と飲食業界での起業を決意。外食産業の会社で経営ノウハウを学んだのち、31歳の若さで独立を果たし、今日まで35年間、浮き沈みの激しい飲食業界を生き抜いてきました。
高田さん
おばんざい料理店に始まって、地酒の専門店、焼き鳥店、そしてこの店(馳走いなせや)という順番で、これまでに4店舗を手掛けてきました。1店舗か2店舗ずつ手堅くやってきましたが、初期の頃は長続きしなくてね。その頃の失敗のおかげで自分の軸が定まり、経営力が付いていったように思います。
高田さんが語る「失敗」とは、おばんざい店のウリとして全国から集めた地酒について「満足に説明ができなかったこと」。その結果、徐々に客足が遠のいてしまったそうです。
高田さん
本当に日本酒が好きな人は、どこの蔵元のどんな人が作っているのか、酒造りのストーリーと一緒にお酒を味わいたいんですよね。珍しいものを置けば喜んでもらえるだろうと簡単に考えて、生産者のもとへ足を運ばなかったことが悔やまれます。
しかし、転んでもただでは起きない高田さん。近畿圏の酒蔵めぐりを通じて、当時一般に流通していなかった「無濾過生原酒」の存在を知り、再起のチャンスを手繰り寄せます。
無濾過生原酒とは、味を整えるための濾過や加水、火入れを施していない、いわば“生まれたてのお酒”。新鮮でみずみずしく、濃厚な旨みと酒本来の味わいを感じられる一方、温度管理などを怠ると風味が大きく損なわれるおそれがあります。そのため、冷蔵宅配サービスが普及するまで広く出回ることはなく、新酒の時期だけ蔵人たちの間でひっそりと楽しまれていました。
高田さん
初めて飲んだときは、目からウロコでした。日本酒ってこんなに個性があっておいしいんだ、何としても店で出したいと思いました。当然、品質を担保できないものは出せないと断られましたが、納得してもらえるまで粘り強く交渉して、数軒の蔵元さんから直接仕入れられることになったんです。
高田さんはおばんざい店を閉めたのち、同じビルの1階に無濾過生原酒に特化した地酒店をオープンさせます。
「今度こそ作り手の思いやお酒の魅力をきちんと伝えたい」
近畿の蔵元に絞ったのも、カウンター8席の小空間に留めたのもそのため。今日につながる地産地消の営みは、ここから始まっていました。
作り手の顔が見える“ごちそう”でもてなす店を
高田さんはその後、「腹ごしらえをした後にお酒を楽しみたい」という地酒店の常連客の声に応え、奥の空き店舗で焼き鳥店を開業します。
こだわったのは、メイン食材の地鶏選び。京都産を中心にさまざまな地鶏を食べ比べ、養鶏場にも足を運び、京都・亀岡の七谷地鶏を見つけ出しました。
高田さん
地酒と同じく、誰々がこんなふうに育てた鶏なんですよ、だから旨いんですよ、と説明できるものを使いたくて。焼き鳥店の場合、そこまで知りたがるお客さんは少ないでしょうけど、話のネタになるじゃないですか。僕は、お客さんとお話することもおもてなしの一部だと思っているので、料理人含む店のスタッフにも生産者さんの話を伝えていました。
そして、焼き鳥店の開店から5年の月日が経った2008年、高田さんは柳馬場三条の京町家で「馳走いなせや」を開業します。きっかけはまたもや、常連客の何気ない一言でした。
高田さん
その頃には地酒店と焼き鳥店を一つに集約していたんですけど、常連さんがある時『焼き鳥屋だと接待で使いづらいなぁ』とおっしゃって、『じゃあ、接待向きの店を出しましょうか?』って冗談半分で言ったのが始まり。何となく物件探しを始めたら、たまたまこの町家に出くわしたんです。建物の改修に数千万円かかると聞いてずいぶん悩みましたが、これまでの集大成となる店を作ろうと決意しました。
目指したのは、京都ならではの料理や地酒でもてなす、大人のための食空間。作り手の顔が見える四季折々の素材を活かしたとびきりの“ごちそう”を提供するべく、和食の料理人をはじめとした精鋭を集めて出発しました。
昼は丼や麺類など軽めの食事を、夜は会席料理と一品料理をそろえて、お一人様から団体客まで幅広く迎えるスタイルは開店当初と変わらず、高田さんが考案した名物料理「地鶏のすき焼き」の人気も健在です。
中でも高田さんが力を入れているのが、月に一度のペースで開催している「昼酒の会」。毎回一つの蔵元にスポットを当て、季節のお酒と会席料理のマリアージュを楽しむという趣向を凝らしたイベントです。希少な限定酒や発売前の新作などが味わえるうえに、蔵元の当主や杜氏とも語り合えるとあって、美食家はもちろん、料理や酒造のプロからも支持されています。
高田さん
普段から店で蔵元さんの話をしていますが、作り手の方とならより深い話ができますよね。蔵元さんもまた、お客さんやうちの料理人とのやりとりの中でいろんな気づきがあると喜んでくださっているので、これからも皆さんのお力を借りながら会を続けていきたいと考えています。
リニューアルを機に、おもてなしの体制強化
高田さんは、店の基本コンセプトや名物イベントなどは「大事に守っていきたい」としつつ、「時代や人に合わせて変えるべきところは変える」という考えです。これまでにも広間の座卓をテーブルに入れ替えるなど、こまめにアップデートを行ってきましたが、今年(2024年)はさらに大がかりなリニューアルを控えています。
高田さん
動線をよくするためにカウンターの一部を改装するのと合わせて、アラカルトのメニューもブラッシュアップすることにしました。七谷地鶏の養鶏家さんが最近鴨肉に力を入れているので、店長とも相談して当店独自の鴨料理を作り出したいですね。
続けて高田さんがリニューアル期の「もう一つの大事なミッション」として挙げたのが、今回のスタッフ募集です。調理と接客に各1名ずつ、社員として長期的に働ける人材を必要としています。
高田さん
コロナ禍の影響もあって長年勤めていた社員が2人辞めてしまい、店長の内藤さんが1人で切り盛りしている状態なんです。内藤さんの奥さんが時々ホールを手伝ってくれていますが、なるべく早く新しい方を迎えて体制を整えなければいけません。
人的なリソースが不足する中、どのように新たな人材を育てていくのかも重要な課題に。高田さんはこれまでの「マニュアルは一切不要」との考えを改め、配膳の仕方やレジの管理といった基本業務のマニュアル化を進めることにしました。
一方で、「お客さんへの心配りや声掛けなど、接客については先輩の立ち振る舞いを見ながらご自分のスタイルを築いてもらえたら」と、個々の努力と成長に期待しています。
求める人材像を伺ったところ、「うちはお客さんの年齢層が高めなので、30〜40代の落ち着いた方がいいかもしれませんね。何でしたらご夫婦で働いていただいても構いませんよ。仕事中にケンカをしてもらっては困りますが(笑)」とのこと。
加えて、「何か特技をお持ちだったり、うちでやってみたいことがあれば言ってください」というメッセージもいただきました。聞けば、過去に京都伝統の式包丁を修得した女性スタッフが在籍した時期、本人が希望する時間帯でその技能を発揮できるように朝食営業を行っていたそう。
そんなふうに大所帯の飲食チェーンなどでは簡単に受け入れられないことも、「馳走いなせや」ではむしろ歓迎される可能性大!と言えるでしょう。
料理で、接客で、人生経験を活かし切る
社員の個性や自主性を重んじる高田さんの懐の深さを、今、誰よりも痛感しているのが店長の内藤徹さんです。前店長に代わって2年ほど前から現場を任され、現在は調理、接客、店舗運営の一切を取り仕切っています。
内藤さん
こちらへ転職したのが2021年ですから、まだ勤続3年くらいです。その僕を信用して店を任せてくれるっていうのは、ものすごくありがたい反面プレッシャーでもあって、高田さんの期待、お客さんの期待に応えたい一心でやっています。
熱く謙虚に話す内藤さんですが、10代の頃は「どうしようもないやんちゃくれ」だったそう。中学卒業後に進んだ調理師専門学校では無断欠席に無断バイト、就職先の料理店にパンチパーマと真っ赤なスーツで初出勤、目上の人に平気でタメ口を使う……やんちゃなエピソードは枚挙に暇がありません。しかし、修業時代のさまざまな思い出を聞くうちに、人一倍向上心が強く努力家な内藤さんの素顔が見えてきました。
例えば、最初の店で寿司職人の見習いに入ってまもない頃のこと。「自分も寿司を握りたい、握らせてほしい」と先輩に直訴したところ、「じゃあ、祇園祭は人手が足りないからそれまで覚えろ」との指令が。覚えろと言っても直々に教えてくれるはずもなく、盗み見て覚えるしかない時代。このままでは祇園祭に間に合わないと悟った内藤さんは驚くべき行動に出ます。
なんと、毎日店を出る時に店頭のショーケースから握り寿司のメニューサンプルを1個拝借し、それを使ってシャリの量を感覚的に覚えるトレーニングを開始。さらに毎朝定時の30分前に出勤し、残り物のシャリを使って一連の動作をスピーディに行う練習を繰り返し、ついに目標の祇園祭デビューを果たしたのです。
内藤さん
先輩に見てもらった時、どうやって覚えた?って聞かれたんですけど、見て覚えましたって答えました。サンプルを持ち出したなんて言えないし(笑)、努力を人に知られるのも何か嫌で。人が休んでいる時に動いてこそ何かを得られるという考えを当時から持っていましたね。
その後、鳥料理の老舗や高級割烹などで鍛えた料理の腕を買われ、20代後半で京都の老舗料亭の料理長に。ところが数年後、内藤さんは自らその地位を捨て、和食のレストランチェーンに転職します。一体何があったのでしょうか。
内藤さん
料理人同士の競争に疲れちゃって、新しい世界を見たくなったんです。レストランではロボットが寿司を握ってくれるし、セントラルキッチンはあるし、同じ和食でもこんなに違うのかと驚きましたね。
内藤さんは入社後まもなく直営店の料理長となり、売上や人件費の管理などの実務を担いました。ほとんど触ったことのなかったパソコンをマスターしたのもその時期です。その後はエリアマネージャーとして各店舗の管理や運営、社員教育などを担当。これらの経験が「自分の財産になった」と内藤さんは振り返ります。
幹部クラスへの昇進が確実視されていたにもかかわらず、内藤さんはまたも転職に踏み切ります。「僕の最後は白衣なのかなと思った」。老舗の京料理店の厨房に入り、再び包丁を握ることに。本店の副調理長を務める傍ら地方営業に出向く機会も多く、そこである気づきが芽生えたと言います。
内藤さん
催事にいらしたお客さんと接していて、京都の料理ってこんなに喜んでもらえるんだって実感したのと同時に、次はお客さんの目の前で自分の料理がしたいなと思うようになりました。
そして2021年、内藤さんは15年勤めた京料理店に別れを告げ、「馳走いなせや」の門を叩いたのです。
内藤さん
波瀾万丈の料理人人生ですよね。どうしようもなかった僕がここまで来られたのは、行く先々で会った師匠や先輩、本音をぶつけてくれたお客さんのおかげです。この店でもそう、高田さんやお客さんに出会わなかったら、地酒の奥深さや料理とのマリアージュについて学べなかったと思います。
苦労話も笑い話に変えてしまう底抜けの明るさと、人との出会いに感謝する謙虚な心。そんな内藤さんだからこそ、高田さんは自分の店を安心して任せられると判断したのでしょう。
成長をもたらす、お客さんと“話せる店”
入社後まもなく、内藤さんは自身と高田さんの共通点に気づいたそうです。それは「いい食材を求めてどこでも行ってしまうところ」。自ら進んで丹後半島の宮津港へ赴き、せりの見学や情報収集に駆け回って産地直送の仕入れルートを確立。最近では、「昼酒の会」などで深めた知見を活かし、地酒のセレクトにも取り組んでいるそうです。
アラカルトのお品書きを見せてもらうと、鮮魚のお造りや地鶏のすき焼きといった定番の品々のほかに、チーズなどの洋の素材を活かした創作メニューも見受けられます。それらは自身のひらめきとお客さんの声をヒントに作り上げたもの。内藤さんはこの店のカウンターを、「接客の場であると同時に勉強の場」と捉えています。
内藤さん
カウンター越しに接客する店はごまんありますが、この店ほどお客さんとの距離が近いところはないんじゃないかというくらい“話せる店”なんです。だから、こういうの作ってみたんですけど、どうですか?って試作品を出すと、良し悪しをはっきり言ってくれる。料理人として成長したい人に打ってつけの職場だと思います。
今後、新たな仲間が加わった際には、以前勤めた会社でも実践したOJTをベースに、「できるだけその人が目立てるようにバックアップします」と宣言。例えば、料理の注文が入った時は自分が調理に回り、お客さんと話す時間を作ってあげる。口下手だったなら引き立て役を買って出る。そんなふうにして「1日も早くこの店で働く楽しさをわかってほしい」と言います。
調理・接客が助け合い、チームでおもてなし
調理については「多少経験があったほうがありがたい」そうですが、ホールのお仕事は未経験者も大歓迎とのこと。昨年11月からホールを手伝っている内藤さんの妻・友美さんも飲食店での接客経験はゼロだったそうです。取材のために駆けつけてくださった友美さんに普段のお仕事内容などについて伺いました。
友美さん
まずは営業が始まる前に掃除やテーブルセッティングなどお客様を迎える準備をして、お見えになったら席へご案内、ご注文を伺ってできあがったらお運びして……というのが基本の流れで、ほかにレジ締め業務や電話の対応などもあります。前任の方が事細かに教えてくださったおかげでひと通り覚えられましたが、最初はドリンクの種類もよくわからなくて、ハイボールって何だろう?みたいな状態でした(笑)。そんな私でも何とか務まっているので、未経験でも大丈夫ですよ。
友美さんは、後任者がスムーズにホールの仕事を覚えられるように、配膳の仕方やマナーなどを詳しくまとめたマニュアルを作成済み。可能な限り一緒に働く時間を設け、マニュアルでは伝えきれない接客のコツなども共有していくつもりです。
理想の人材像をたずねると、「人に何でも聞ける人がいいかな」。つまり、わからないことを放置したりごまかしたりせず、その都度、内藤さんやほかのスタッフに質問・相談ができる人を指します。
「私たちはチームでおもてなしをしているので、困った時は助け合うのが当たり前。私も地酒のことはうまく説明できないから、いつも店長に任せているんですよ」と、にこやかに話してくれました。
すると、近くで様子を見守っていた内藤さんからも賛同の声が。
内藤さん
そうそう、キッチンとかホールとか関係ないですよ。料理人のほうが偉いみたいな風潮はうちにはないので、お互いに助け合っていきましょう。
リニューアル・オープンは5月12日の予定。さまざまな変化を楽しみにしているお客さんも多いことでしょう。「カウンターのこの部分が新しくなりました」「こちらが新しいメニューです」、それから「新しい仲間が加わりました!」。お客さんにそう発表できる日に向けて、内藤さんたちは着々と準備を進めています。リスタートを切る馳走いなせやの一員に、あなたも加わりませんか。
執筆:岡田 香絵
撮影:中田 絢子
編集:北川 由依
京都移住計画での募集は終了いたしました