2023.09.07

禅に惹かれてメキシコから京都へ。平穏な心で楽しむ京都での生活。

CHECK IN

京都のおもしろい人を訪ねる「人を巡る」シリーズ。京都に移住した人の体験談や京都の企業で働く人をご紹介する連載コラム記事です。移住するに至った苦労や決め手、京都の企業ならではの魅力など、ひとりの「人」が語る物語をお届けします。

第32弾にご登場いただくのは、メキシコ出身で京都大学大学院生のフランシスコ・フィゲロアさん。2015年に来日し、亀岡の禅寺での修行や大学での日本語学習を経て、現在は京都大学大学院で禅について研究しています。来日してもうすぐ10年。すっかり京都に慣れて生活を楽しんでいるフランシスコさん。今回は禅との出会いから、日本に来るまでのこと、京都でのことなどを聞きました。

禅との偶然の出会いから導かれるようにして京都へ

――日本に来た理由と今までやってきたことを教えてください。

日本で禅の修行をするために来ました。亀岡市にある臨済宗の禅寺で、東光寺と常徳寺です。そこで4年間修行をし、その後、京都市内の大学で日本語を勉強して、京都大学の大学院の博士課程に進学しました。テーマは仏教の瞑想で、座禅の手引き書を研究しています。それに加えて、認知科学の立場からも瞑想を研究しています。

東光寺

――どのようにして禅に出会ったのですか。

禅との出会いは偶然でした。メキシコに住んでいた時、失恋したり、アメリカへの進学準備がうまく進まなかったりして、落ち込んでいました。そんなとき、ある友達と会ったら「最近、座禅をしている」というので、「元気になりたいしやってみたい」と思って座禅会に参加してみたんです。それがとてもよい経験だったので、週に1回座禅会に参加するようになりました。座禅のおかげか、憂鬱だった気分も徐々に晴れてきて、「これはいい!」と続けることにしました。時を同じくして、別の友人がアジア研究所の仕事を紹介してくれて、そこの仕事を始めたのがきっかけで、仏教を学ぶため、修士課程に進学することになり、フィールドワークとして初めて亀岡市のお寺に来ました。

禅に向き合い、責任ある仕事も担った修行時代

――京都のお寺に着いた時の第一印象はどうでしたか。

正直にいうと、少しがっかりだったんですよ。というのも本当に小さなお寺でしたから。京都にはたくさんの有名なお寺があると聞いていたので、大きなお寺を想像していたんですね。でも、実際修行が始まって、毎日座禅したり修行したりすると、心のありようが変わりました。メキシコシティでの座禅会は週に数回だったので、やはり座禅会が終わると心が乱れてしまいます。でも、ここでは毎日なので心が平穏になり、乱れることがなくなりました。生活の場所は大事だということですね。1ヶ月でこんなことなら年単位でいたら、どんなに変わるのだろうと思い、もっと長くいたいと考えるようになりました。それで、卒業したらまた修行させてくださいと老師にお願いしたら、受け入れられたので、また京都に来たというわけです。

――修行時代のことを教えてください。

修業を始めて3ヶ月ほど経つと、「海外からのゲスト対応」はわたしの仕事になりました。ゲストがちゃんと禅生活をするように指導しなければならなかったんです。日本の人はルールだと言えば黙って守ってくれますが、欧米の方は「どうして?」と理由を聞く方も多くいらっしゃいます。ゲストが理解してくれるまで話をしないといけないこともあり、慣れるまでに1年くらいかかりました。その後、楽しく修行生活を送っていたのですが、4年ほど経った頃に燃え尽きた感覚があって。一旦お寺をやめて、大学で日本語を本格的に勉強することにしたんです。

苦しいことが消えるわけではない。でも、受け入れて生きる。

――京都での生活はいかがですか。困ったことはありませんでしたか。

日本語を勉強するため大学に行った時、家などは留学生用の不動産屋を紹介してもらえたので、スムーズに京都での生活をスタートできました。今住んでいるところの近所にバーがあって、最近そこによく行くようになり、友達ができて楽しいです。京都は山が近くて、自然のなかで歩けるところが好きなので、ずっと住みたいと思います。座禅も毎日2時間くらい取り組んでいます。

――これからやりたいことはありますか。

博士課程を修了したら、研究者になりたいと思います。今はお寺に通っていないけれど、知人の道場で時々座禅や禅問答をしています。最近は茶道もはじめました。茶道と禅は関係があるから興味深いですね。

――禅の言葉をひとつ紹介してくれませんか。

「松老い、雲静か」という禅の言葉があります。この言葉は「老いても大丈夫、雲があっても大丈夫」という意味だと理解しています。私もそんなふうにのんびり生きていきたいと思います。老いや雲はネガティブなものです。もちろん苦しいことや辛いことが消えるわけではありません。でも、大丈夫と思うのは、それを受け入れられるようになったからなんです。例えば、怒りはよくないと考える人も多いかもしれませんが、怒ってしまってもいいんです。大事なのはそれを受け入れること。受け入れられたら平静でいられると思うのです。私の場合、何より禅と出会ってからよく笑うようになりました。

編集:藤原朋
執筆:若林佐恵里

CHECK OUT

2020年、京都市内の大学で日本語を勉強していたフランシスコさんに会いました。禅のこと、メキシコのこと、日本語のこと、いろいろな話をするなかで、フランシスコさんがメキシコで住んでいた場所と、わたしが1999年の留学中にメキシコで住んでいた場所は目と鼻の先だということがわかりました。その頃、もしかしたら気づかずにすれ違っていたかもしれません。でも、なぜかその時は出会わずに、京都で出会う。人と人の出会いはつくづく不思議だなと思います。

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