2023.03.25

13年の中国生活を経て京都へ。旅で出会いゲストハウスをつくった夫婦の移住

CHECK IN

京都のおもしろい人を訪ねる「人を巡る」シリーズ。京都に移住した人の体験談や京都の企業で働く人をご紹介する連載コラム記事です。移住するに至った苦労や決め手、京都の企業ならではの魅力など、ひとりの「人」が語る物語をお届けします。

第28弾にご登場いただくのは、ゲストハウスソイ経営者の植田麻紀さん、シム・グァンファさんご夫妻です。シムさんはシンガポール出身、麻紀さんは高知県出身。お二人とも若い頃から旅が好きで、旅先のチベットのラサで出会いました。

それ以降ずっと一緒に旅を続けてきた二人。やがて結婚し、2004年に中国四川省成都市でシムズ・コジー・ゲストハウスを開業。その後、2014年に京都東山の地でゲストハウスソイをオープンし現在に至ります。

今回は、京都を選んだ理由や移住してからの暮らし、ゲストハウスを通じた人との出会いなどを伺いました。

どこからでも山が見渡せるのが好き

東山区の馬町バス停からほど近いゲストハウスソイ

ーー京都でゲストハウスをオープンされてから今年で9年目を迎えられるということですが、京都で暮らしてみて印象はどうですか。

マキ

とても心地よくて好きです。まちのサイズ感もいいし、都会すぎず自然も多いですね。その一方で、都会らしい洗練された雰囲気もたくさんあって気に入っています。

シム

山がどこからでも見渡せるのがいいですね。冬になると、山の上に雪が積もっていたり。鴨川の水も、底が見えるほどきれいだし、よく鴨川沿いをサイクリングしています。あとは木材で造られている建築が好きなので、お寺などを見るといつも「すごいな」と感心します。

京都の雰囲気を感じるフロント

ーーなぜ京都を選ばれたのでしょうか。

マキ

日本でゲストハウスを開くなら、関西だと思っていました。というのも、私は高知県出身で、関東の事情はよくわからないからです。それで、京都と広島を候補にしました。京都は旅行でしか来たことがなかったし、知り合いもいませんでした。でも、観光地としての知名度は申し分ないですよね。ただ、京都は物件が高そうだというイメージがあって、広島も候補にしたんです。ところが、調べてみるとそんなに変わらなかったので、それなら京都しかないということで選びました。

10年後にどうしていたいか考えて選んだ道

2004年、中国でオープンしたシムズ・コジー・ゲストハウス

ーー以前は中国の成都市でゲストハウスを経営されていたんですよね。そこから日本に来ることになった経緯を教えていただけますか。

マキ

2004年に成都市で「シムズ・コジー・ゲストハウス」を開いて、2008年に市内の別の場所に移転して「シムズ・コジー・ガーデンホステル」をオープンしました。でも、残念ながら事情があって、ゲストハウスを手放さなければならなくなってしまったんです。でも「もう一度ゲストハウスをしたい」という思いはあって、次は北京かチベットのラサか台湾かと考えていたんですが、迷いもあったんですよね。

中国で経営していた宿でゲストとともに

中国で経営していた宿でゲストとともに

マキ

信頼する友人に相談してみると「10年後にどんな生活をしたいか考えて決めたら?」とアドバイスされました。それで、やりたいことや自分の気持ちを書き出して、心の整理をしながら、10年後に思いを巡らせました。10年後は子どもたちも大きくなるし、自分たちも歳をとっているから、どちらかの祖国に戻ったほうが暮らしやすいのではないかと気づいたんです。2人で話し合って、私の祖国である日本に戻ることに決めました。

シムズ・コジー・ゲストハウスの看板は、現在ゲストハウスソイのリビングにある

ーーそうだったんですね。今のゲストハウスがある場所とはどのように出会われたのでしょうか。

マキ

京都に移住すると決めたあと、二人で10日間ほど、ゲストハウスの候補地を下見に来ました。今の場所は候補地にはなかったのですが、たまたま近くを通った時にこの建物が目に止まったんです。はじめは、「これ何?」って感じで。もともとは京都女子大学の学生が住む下宿の木造アパートだったと聞いて、それなら部屋も多いしゲストハウスにするにはいいんじゃないかと思いました。当時で築50年、取り壊し寸前で、跡地に新しい家を3軒建売する計画もあったので、早く決断しなければならなくて。これからもっといい物件に出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。自分の勘と運を信じて「これも縁だ」と思って決めました。それで、13年にわたる中国生活に別れを告げて、京都へ来ました。

マキ

来て良かったです。京都は世界中にファンがいて、何回も来る人や一週間ずっと京都に滞在するゲストも多いんです。日本ではそんな地方都市は他にはないと思います。やはり京都ブランドは強いですね。

一期一会の出会いと長年にわたるつながりを大事に

1999年旅の途中のチベットで出会ったお二人

ーー旅がお好きだということですが、ゲストハウスをしようと思ったのはどうしてですか。

シム

絵を描くのが好きな人が画家になるのと同じように、旅が好きだったので、旅との関わりが密接な宿をやりたいと思いました。

マキ

旅の一番の醍醐味は、人と出会うことだと思ったからです。観光地のことは忘れても出会った人のことは忘れないし、あの人とこの景色を見て、こんな話をしたという人との思い出は残るじゃないですか。ゲストハウスを開いたら旅人に出会えるから、一生バックパッカーの旅が続くようなものだという考えで、心からやりたかったんです。でも、ゲストハウスの経営者になったら、もちろん旅人同士というわけにはいかなくて、常に緊張感を持って対応しています。

ーーゲストハウスを訪れる人たちとの関わりの中で、大切にされていることは何ですか。

シム

ゲストから「ここはこうしたほうがいい」というフィードバックを受けたら、できる限り改善するようにしています。ただ、フィードバックを待つだけじゃなく、ゲストを観察することも大事だと思っているので、満足しているか、困っていることはないかと、できるだけ快適に過ごせるように常に気配りを心がけています。

お手製のチキンスープを筆者に入れてくれるシムさん

マキ

例えば、中国からのゲストが、客室にポットが用意してあるのに「お湯ください」ってフロントに来ることがあるんです。それは中国では日本と違い、どこにでもお湯が用意してあるからなんですが、そんな習慣の違いにも対応して、ウォーターサーバーを用意しました。ゲストが必要としているものを観察して、改善していくというのは中国の頃から変わらないですね。

ーー心に残っていることや、今後京都でチャレンジしたいことはありますか。

マキ

私にとっては、ゲストハウスって出会いの宝庫なんです。長く滞在してくれるゲストや、滞在は短くても何度も来てくれるゲストもいます。一期一会ですね。中国にいた2008年に四川省の大地震が起こって、被災地の支援をするボランティアの人たちが泊まりに来たことがありました。その時は私も協力し、一致団結して支援活動をしたことが心に残っています。そんなゲストとのつながりをこれからも大事にしていきたいと思っています。

京都のゲストハウス開業時、中国の友人含め、たくさんの人がお祝いにかけつけた。

マキ

京都でも、この先、落ち着いたら京都の観光業にお返しできたらと思います。語学もできるので、もっと世界に京都の魅力を知ってもらえるお手伝いができるかもしれません。

編集:藤原朋
執筆:若林佐恵里

CHECK OUT

2004年から2005年にかけて、四川省の綿陽市で日本語を教えていました。休みのたびに大都市の成都市にバスで出てきて、シムズ・コジー・ゲストハウスに宿泊し、旅をしたり、のんびり過ごしたりしていました。シムさんはご飯を食べに行く場所を探しているわたしと旅行者に、おすすめのレストランを教えてくれました。年末年始に宿泊した時は、マキさんが年越しそばを作ってくれて、宿泊者みんなで日本スタイルの年越しをしたことを今でも覚えています。そんな雰囲気が今もゲストハウスソイにはあります。

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