「こんにちは。無職です。」
これは私のYouTubeの挨拶だ。
「京都に心奪われ仕事を辞めて移住した無職の生活」を発信するチャンネルである。
一人称は「無職」。無職がアイデンティティだ。
YouTubeで伝えたいことは主に3つ。
「大好きな京都の魅力」
「好きな場所に住む幸せ」
「幸せな生き方はたくさんある」
無職でも人の役に立つことはできると思っている。
関東に住んでいた私が、なぜ移住しキャリアブレイクで何をしたのか話していく。
心奪われて確信。楽しき人生は京都にあり!
「楽しきことは良きことなり!」
京都が舞台の小説『有頂天家族』の名台詞をもじった私のモットーだ。
今までの人生を振り返ると、「楽しさ」を重視する生き方をしていた。
「楽しい=幸せ」という安直な思考回路。
興味を持ったことには色々と手を出してみて、
芋づる式に興味が湧いて、また手を出す。
やがて「死ぬまで続けたいほど楽しい」趣味が見つかる。
そのひとつが「京都旅行」だった。

毎年何度も京都を旅行をした。
地図に載っている神社仏閣を片っ端から巡ったり、大晦日に独りで平等院鳳凰堂の除夜の鐘をつきに行ったり、どんどん京都にのめり込んだ。
やがて「定年になったら京都に移住しよう」と思うようになる。
「大好きな所に移住したら、周りは好きなものだらけ。楽しいに決まっている!」
老後を京都で思いっきり楽しむためには、十分な資金が必要だと考えた。
そこでまずは、お金の勉強をして、自分が許容できるリスクの中で資産を増やす方法を探した。FP検定や簿記の資格を取得。株式による資産運用もした。
もちろん、仕事も「私の中」ではたくさん働いた。京都旅行など「死ぬまで続けたいほど楽しい」趣味とお金の知識習得以外の出費もなるべく抑えた。
しかし、30代になり「このままで良いのだろうか」と考えることが増えた。
極端だけれど「若い時間の多くを使って老後の楽しみの準備をしている」状態だと思った。
人生が楽しくないわけではなかった。
でも「もっと楽しい人生を送りたい」
京都との逢瀬を重ねるうちに、京都愛の高まりに拍車がかかる。
ふと自分が死ぬ瞬間を想像した。
「もっと若い頃に京都に移住すればよかった」
こう言って後悔すると確信した。
定年を迎えて移住した時、京都中を練り歩ける体力があるかわからない。
定年を待たずにできる限り早く移住しようと思った。
やがて、預金残高が目標額に到達した。
また、株式の利子が増えていけば、老後の生活にも余裕が生まれそうな見通しがたった。しかし、株式が紙切れになったら路頭に迷うリスクがある。
夢だったマイホームの購入など色々諦め、安定した職業を手放すことを考えた。
京都生活を楽しむために、リスクを覚悟して優先順位が低いものを手放す。
そして、生活できる最低限の収入で生きていくことに決めた。
すぐに東京有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」で移住相談をした。
移住コンシェルジュの方のおかげで不安点が解消され、2022年9月に移住を決意。
その2ヶ月後に退職願を提出。
2023年4月に退職し、6月に移住を果たした。33歳になる年だった。
これからは、老後のためじゃなくて全力で「今」を生きるのだ。
「せっかくだし無職期間を長くして、京都を満喫してやりたい事をやろう」
身も心も京都に捧げるキャリアブレイク
移住してからは、「在住×無職」が生み出す時間と機動力を生かして京都を存分に満喫している。
カメラを片手に四季折々の京都の景色を見に行く。
雪が降った地域があれば、すぐに向かった。
また、京都の様々な神社仏閣や行事に足を運んだ。
時代祭のために夜明け前に場所取りをして祭を楽しみ、そのまま夜の鞍馬の火祭を見た。
「闇夜の奇祭」と呼ばれる宇治のあがた祭では終電をあえて見送り、最後まで見とどけて、1時間半歩いて帰宅したこともあった。


こんなことは旅行で京都に訪れていた頃はできないし、体力的に定年後でもできないだろう。
毎日が楽しかった。
私は今を生きている。
好きな場所に住むことはこんなにも幸せなのだ。
京都に移住して本当に本当に良かった。
楽しいキャリアブレイク期間を引き延ばす努力も怠らない。
預金残高と熾烈な戦いを繰り広げながら、家賃3万円弱のアパートに住み、水道水を愛飲し、ランチを43円のうどんで済ませるなど生活を切り詰めた。

寂しさと人との出会い
少し時を巻き戻すが、移住して1ヶ月近く経ったころ。
京都の生活を楽しく満喫している中でも違和感があった。
一日の会話が
「レジ袋いりますか?」「いりません。」で終わる日々。
無言の日もある。
こんな生活が1ヶ月近く続いた。
感じていた違和感は寂しさだった。
「自分は独りでも生きていける」
そう思っていた。
そんな現状を変えたくて、
2023年7月に京都移住計画が主催する「京都移住茶論」に参加した。
移住者をはじめ、京都好きが集まるイベントだった。
京都のこと、移住生活のことを語り合った。
とても楽しい時間だった。
「人と一緒に過ごすのは楽しい」と実感した。
これが転機になる。
その後も京都移住計画のイベントに参加。
顔見知りが増えていった。移住計画の人たちとも少しずつ話すようになる。
そして、とても嬉しいことに、今回の記事の執筆をさせてもらうことに繋がっている。
2023年9月。写真好きが集まるオンラインコミュニティに入った。
ネット上でコミュニティの人と交流するうちに仲良くなり、実際に会って遊ぶことになる。
初めは不安だった。
「人と一緒に過ごす楽しさ」を求めて勇気を出して参加。
初対面の挨拶は「はじめまして、無職です!」
とても楽しかった。
今では、こんな私でも仲良くしてくれる友人ができた。
何もない無職の時にできたご縁はこれからも大切にしていきたい。
友人やコミュニティの人に、京都を案内する機会に恵まれ、自分がやりたかった「京都の魅力を伝える」ことができている。
キャリアブレイクとの出会い
2024年4月。キャリアブレイク研究所×京都移住計画の特集記事を読んで、「キャリアブレイク」という言葉を知る。
「今まさに私がやっていることだ」
すぐにキャリアブレイク研究所のHPを見た。
無職であることを肯定的にとらえ、価値を見出すという活動をしている。
自分が考えていることと重なった。
7月。キャリアブレイク研究所が主催する「無職酒場」に参加。
無職の人や無職の生き方に共感してくれる人が集う場だった。
同じ無職の人と話せるのはめったにない機会だ。
他の人の経験をたくさん聞くことができた。
「人には色々な生き方がある」
それを体感できる時間だった。
とても楽しく、なにより優しい世界だった。
自分にとっての幸せな生き方
1年を超える京都でのキャリアブレイクは、人生の中でトップクラスの幸せな時間だった。
私にとってキャリアブレイクは今後の人生の方針を決める荷造りの時間だ。
いったん仕事という重い荷物を手放した。
夢だった京都生活を手に入れて、さて何を持って楽しい人生を歩むか。
考える時間はたくさんあった。
京都を満喫しつつ、YouTubeなどの新しいことを始め、色々な人と会った。
そして現時点で私が考える幸せな生き方が定まった。
大好きな京都の四季の景色を楽しみ、神社仏閣の歴史の深さを感じ、たまに美味しい抹茶スイーツを食べ、時々数少ない友人と遊ぶ。
そうして得た知識や経験を発信する。
それが少しでも人の役に立ったらラッキー!

京を生きる
これからは、自らの手で「無職」というアイデンティティを崩壊させ、キャリアブレイクを終わらせる。
預金残高との戦いが防戦一方になりつつあり、お金を理由に我慢することが増えてきたからだ。
正社員にこだわらず「生活費を賄える収入」が得られる仕事を探す。
理想は、京都のことを知ったり、京都の魅力を発信したりする仕事だ。
プライベートでは、引き続き京都を満喫し、YouTubeで発信を続ける。
今回みたいに機会をもらえれば、移住生活やキャリアブレイクの体験を積極的に共有したい。
これからも今を楽しみ、その先の楽しさを求め続けて京都で幸せな人生を送っていく。
「楽しきことは良きことなり!」

和−なごみ−
埼玉県出身の30代。古都京都に心奪われ、2023年に職を辞し移住 。1年以上の無職期間を過ごし京都を満喫する。「楽しきことは良きことなり」をモットーに、京都の史跡や神社仏閣を巡りながら四季を感じ、お祭りをはじめとした行事に積極的に足を運ぶなど、ありとあらゆる京都を楽しむことに重点を置いた生活をしている。そんな生き方をYouTubeで発信し、「京都の魅力」や「好きなところに住む楽しさ」を伝える活動をしている。
執筆:和−なごみ−
編集:つじのゆい