「京都は時間の流れがゆっくりだね」
お世話になっている先輩が東京から遊びに来たとき、そう呟いた。社会人2年目で、仕事の勝手はわかってきたけど、まだまだできないことだらけで焦っていた私は、「東京も京都も同じ24時間ではないか」と心の中で文句を言った。先輩の言葉の意味なんて、ちっとも分かっていなかった。
私がこのまちに来たのは、2021年5月のこと。
新型コロナウイルス感染症が猛威を振い始めた2020年に新卒入社。いわゆる「コロナ禍入社」だった。入社時と共にフルリモート勤務。せっかく大阪から東京に出てきたのに、家の中でパソコンと向き合う日が続いた。「高い家賃を払ってまで東京にいる意味はないかも」という思いが膨らんで、京都に移住することに決めた。
京都を選んだのは「良さそうなシェアハウスが京都で見つかったから」「大学時代のインターン先が京都で、街としては良さそうだなと感じていたから」というざっくりとした理由からだった。
引っ越してからの私は、ちょっとだけ健康になった。京都には八百屋さんが多く、新鮮な野菜が安くて、よく食べるようになった。ウォーキングをしているおばあちゃんおじいちゃん、部活の体力づくりとしてランニングをしている高校生が二条城付近にいて、週末は私も走るようになった。
だけど、“私を取り巻く時間”は東京にいた時と変わらず、早く流れた。一分一秒でも早くクオリティの高い原稿を仕上げないと、あと1時間で取材の周辺知識をインプットしないと、課題図書は休日に回しちゃおう。早く、早く、早く、あれも、これも、やらなくちゃ。
そんな生活を経て、2023年3月末に会社を辞めることになった。今年の目標も立ていて、書きたい原稿もいっぱいあって、刺激的なプロジェクトもあったけど、心も体もストップしてしまった。原稿に書くはずだった言葉でいっぱいだった頭はスッカラカンに、今まで無理をさせて動かしていた体は鉛のよう重く、止まってしまった。
今後のことが何も決っていない、決められない。そんな空っぽな私を、「焦らなくて良い」「大丈夫だから」と心地よく包んでくれたのが京都というまちだった。
京都に流れる時間が、私を“ゆっくり”にさせていく
仕事を辞めて、「1日8時間でいかにより多くを生産できるか」という私を覆っていた“資本主義の膜”が、パンっと弾けたように思えた。とはいえ、“早さの呪縛”からはなかなか抜け出せずにいた。次の仕事を決めなくちゃ、社会復帰をしなくちゃと、ぐるぐると焦りが体を駆け巡る。
そんな私に「ゆっくりでいいよ」と教えてくれたのが、鞍馬寺の桜だ。
京都は盆地であるがゆえに、夏は暑く、冬は寒い。だから、桜が咲くような“ちょうどいい時期”は短い。ニュースで開花予報が流れてきたと思ったら、あっという間に葉桜になっており、仕事をしていたときは桜を見にいけなかった。
「観光客が少ない平日も空いているんだし、ちょっと足を伸ばした場所へ桜を見にいこう」と思って選んだのが鞍馬寺だった。鞍馬寺はあるのは、京都市左京区の北側エリア「洛北」にある鞍馬山の頂上。鞍馬山は標高が584mあり、本格的な登山とまではいかないが、目的地までは良い運動になる。(日頃、体を動かしていない方は、ちょっとしんどいかもしれない)
冬を超え、新葉を身につけた大樹を横目にしながら、満開の桜が咲く鞍馬寺を目指した。そびえ立つ大樹たちは、私が想像もつかないような年月をここで過ごし、毎日山を登り降りする人たちを見守ってきたのだろう。首がもげるぐらい見上げないいけないくらいデカいわけだ。
鞍馬寺の桜は美しかった。本殿前に植えられている桜たちは、「よく来たね」と言ってくれているようだった。
とにかく、何も考えず、ボーッと過ごした。子どもたちがキャッキャッと笑う中に、鳥の鳴き声がかすかに聞こえたり、桜も綺麗だけど、山の蒼さも映えてるなあと思ったり。ただただその場に身を任せていく。
「自分のペースでゆっくりでいいんだ」
仕事を辞めて、鞍馬寺で初めてそう思えれた気がする。悠然と、美しく生きる植物たちに囲まれ、早さに囚われる愚かさが身に染みた。桜の花が咲くようになるまで、何年もかかるんだ。“その時”を私も信じて、どっしり、ゆっくりと歩いていこう。
沢山の好きなものがあるから、明日も生きていける
何者でもなくなって、少し元気になってきたなと感じ始めた頃、ぶつかる壁は多かった。自分が何をしていきたいのかわからなくなったり、行きたい会社が見つからなかったり、せっかく面接を受けれてもお祈りメールをもらったり、人生ってうまくいかない。
心が挫けそうなとき、支えてくれたのは“好きなものたち”だった。
私はとりわけカフェや喫茶店が大好きだ。人口百万人当たり喫茶店事業所数が全国で8位の京都は、オーナーさんの“好き”が詰めこまれたお店が多い。その日の気分に合わせて、“好き”に会いに行った。
二条駅から徒歩10分のところにあるCLAMP COFFEE SARASAは、温かい日差しが差し込む店内の雰囲気が好きだ。木目調の店内は若干薄暗いけど、大きな窓にはグリーンカーテンがあり、程よい光が入ってくる。珈琲と本日のケーキを味わっていると、将来に対する不安も小さくなっていくようだった。
今出川に本店があるcafe de corazonは、常連のお客さんでいつも賑わっている。珈琲はもちろんのこと、ここはスイーツも格別だ。苦いと甘いを行ったり来たりするうちに、いつの間にか心も満たさせている。
仕事を辞めて間もない頃、二号店である二条城近くのcafe de corazon ninoに訪れた。数席しかないカウンター席に座るのは多少緊張したが、たわいもない話を店主さんとするなかで、心もほぐれていった。ポロッと仕事を辞めたことを打ち明けると、「人生そんなときもありますよね〜」とふんわりと聞いてくれたことが嬉しかった。
とても個人的な想いになってしまうが、喫茶ヒトクチヤとシェアハウス「PATHTO」を営む富依さん夫妻にはお世話になりっぱなしだった。京都に移住する理由となった「良さそうなシェアハウスが京都で見つかったから」はPATHTOのことだ。私はここで約2年間過ごした。
友人とルームシェアをし始めるためにPATHTOを出てからも、喫茶ヒトクチヤには都度通った。時には悩みをきいてもらい、時には挑戦することに背中を押してもらった。夏になると桃やイチジクの「季節のパフェ」がたまらなく美味しくて、元気がないときでも富依さんが作るランチプレートなら食べられた。
※紹介したカフェ・喫茶店は、いわずもなが珈琲の味は格別だ。ただ、その微細な味を表現する技術を私が持ち合わせていないため、ぜひお店に足を運んで味わってほしい。
「ここに行けば、“好き”に会えて、なんか元気になる」
人生の中で、あといくつそんな場所を見つけられるだろうか。自分にとって、とてつもなく大切な場所だったのではないだろうか。新しい挑戦のために京都を去る決意をした今、気を緩めると涙がこぼれそうになる。
それでも京都というまちは、流れ者を受け入れつつ、変化しつつも、ここに在る。
京都生活2年半のなかでも、人生の休息をした約7ヶ月はとても密度が高い時間だった。焦っていた私の心に時間を与えてくれ、好きなものたちには背中を押された。
「落ち込む日が続いたら、またここに帰ってこよう」
ただいまと言える場所があることが、私を少し強くさせるのであった。
つじのゆい
ライター
岡山生まれ、大阪・東京を経て、2020年に京都に移住。新卒からメディア運営に関わり、企画・執筆・編集に携わる。関心領域は市民、政治、テクノロジーなど。
執筆:つじの ゆい
編集:北川 由依