振り返ると道ができていた

京納豆を食卓へ

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いきなりですが、京都に納豆メーカーがあるのをご存知ですか?

「ご近所さんでも、ここで納豆づくりをしていることを知らない人もいるんですよ」と笑うのは、藤原食品四代目の藤原和也さんです。

藤原食品があるのは、地下鉄鞍馬口駅からすぐのところ。住宅街の中にあるため、たしかに暖簾がかかっていなければ素通りしてしまうかもしれません。

大正14年創業。日本人にとって身近な納豆を、藤原食品は93年に渡り京都の食卓に届けてきました。
藤原食品の納豆は全8種類。代名詞でもある大粒の大豆を使った「大粒 京納豆」をはじめ「京納豆 ひきわり」「青大豆大粒 京納豆」など5種類の大豆それぞれの特色をいかした納豆を製造しています。

食卓の主役になれる食べ応えのありながらさっぱりした藤原食品の納豆は「豆の味がしっかりしている」「いやな臭みがない」と評判で、「まさに京都らしい納豆だ」と言う人も多いんだとか。

また納豆の全国大会である「全国納豆鑑評会(主催:全国納豆協同組合連合会)」では2014年から3年連続入賞!密かに、藤原食品の納豆は注目を集めているのです。

「子どもの頃は絶対継ぎたくないと思っていたけれど、振り返ると道ができていた」と話す和也さんに家業を継ぐこと、京都で生きること、そしてどんな未来を描いているのかをお伺いしました。

本当に継ぐの?両親すら疑った帰京

2016年に藤原食品4代目に就任した和也さんですが、子どもの頃は親への反発もあって納豆を食べなかったと振り返ります。

親父が家業をどう思っていたかは分からないけれど、仕事をしている姿を見ると全然楽しそうじゃなくて。だから反面教師として、納豆屋になるのは嫌だと思っていました。親からも「継いでほしい」と言われたことはありません。

納豆特有の匂いも嫌で、家業を継ぎたいと思ったことは一度もなかったそう。そのため和也さんは大学卒業後、家業には関わらず外で仕事をすることにしました。

若い頃は、けっこうフラフラしていたんです。新潟のペンションに住み込みで5年くらい働いていたんですけど、25歳になった時に「やばいぞ」と思って。そこで就活をしてみたんですがどこも不採用でした。

「働く先もないし、家に仕事があるんだからとりあえず働こう」と26歳の時に和也さんは、藤原食品で働き始めました。しかし「おもしろくない」と1年ほどで離脱。埼玉へ移住します。

一度やってみようと納豆屋の仕事をしましたが、まったく楽しくなくて。若気の至りから、親父のやり方に「これは違うでしょ」って反発していましたね。上京するってみんなと同じでダサいなと思ったから、意外性のある場所に住もうと思って。

2016年、和也さんは最低限の荷物と1ヶ月分の生活費だけを持ち浦和へ移住。やりたいことはないけれど、自分の仕事に何かしらリアクションをもらえる仕事がしたいと飲食店で働くことにしました。

イタリアン、スペインバル、居酒屋、焼肉とさまざまな業種で働く中で、和也さんは働く楽しさに目覚めていきます。浦和での生活に満足していた和也さんは、この頃も「いつか家業を継ごう」という気持ちはなかったと言います。転機となったのは、東北大震災でした。

震災の時、僕は地元の牛肉を使った焼肉店で働いていたのですが、七輪が全部割れてしまったり計画停電でお店を閉めざるをえなかったりして、お店の運営が厳しくなったんですね。そこでご近所付き合いを大切にしようと、挨拶してビラを配って営業活動をするうちに、納豆屋も同じかもしれないなと思ったんです。

自信を持っておすすめできる商品を紹介すること、人との関係性を大切にして商売することの大切さに気付いた和也さんは、納豆屋もできるかもしれないと思うようになります。

震災から数年後経って、どん底まで追いつめられていたお店の売上も伸び、後輩にお店を任せられるタイミングがきました。その時なぜかはわからないけれど、ふと「京都に帰ろうかな」と思ったんです。

京都に帰って、家業を継ぐーー。その決意をご両親に伝えたところ、喜びではなく心配の声が返ってきたそうです。

「うちの仕事は儲からないし、継いでもいいことないよ。埼玉で飲食業をしていた方が稼げるんじゃない?」って。埼玉で僕が楽しそうに生活しているのを知っていたから、すごくビックリしていました。

それでも和也さんの決意は固く、2013年5月に和也さんは埼玉から京都へUターン。藤原食品で働き始めました。

二度目のチャレンジで見えた納豆屋の可能性

かつて働いた時には、「まったくおもしろくない」と感じた納豆屋の仕事。しかし再び工場に立つと、26歳の時には見えなかった景色が34歳になった和也さんには見えるようになっていました。

もはや、納豆屋ほど楽しい仕事はないですね。自営業なので、売上も労働時間も自分次第でなんとでもなります。会社で働くと利益を上げてなんぼだけどそれだけじゃない。何をしたら楽しいだろう、ワクワクするだろうという視点から仕事をつくれるんです。

働く楽しさや自分で仕事をつくるおもしろさに気付いたのは、埼玉での7年間があったからだと和也さんは言います。

働くことや仕事に関して、型が身についたんだと思います。型があるから、京都に帰ってこれたし、今はそこからもう一歩踏み出してやりたいことをやろうとしています。

京都に帰った時点で、お父様から「藤原食品を任せる。好きにやっていい」と言われた和也さんは、まずは納豆屋の可能性を探るため、京都の町を歩くことから始めました。すると、無名だからこそ大きな可能性があることに気付きます。

お店で出会う人達に「京都に納豆屋があるのを知っています?」と聞いたら、ほとんどの人が知らないし、うちの名前はまず出てきませんでした。でも逆にチャンスだと思えましたね。知ってもらえさせすれば売れる自信はあったんです。

基準は、ワクワクするか?一緒に居たいか?

2016年にお父様が死去したことを機に、和也さんは代表に就任。代々受け継がれてきた味を守りながらも、新しいことに積極的に取り組んでいます。

その一つに大豆の仕入れ先の変更があります。現在、藤原食品で使う大豆の半数は滋賀県長浜市の生産者さんから直接購入しているもの。「一緒に居て楽しい人と付き合いたい」という和也さんの考えが、色濃く反映されています。

父の代までは業者から大豆を仕入れていましたが、それでは誰がどういう思いで作ったかわかりません。納豆は大豆と納豆菌だけでできているから、大豆がおいしくないと納豆もおいしくならない。だから原材料にはこだわりたかったんです。

偶然イベントで滋賀の生産者さんに出会って、おもしろい人だなとピンと来て。翌日には畑を訪れて、どんな思いで作っているのかを聞きに行きました。

中でも和也さんの胸を打ったのが、こんなシーンでした。

その畑で収穫した大豆は、最後おじいちゃんおばあちゃんの手に寄って1個1個選別されます。ビニールハウスの中でラジオを聞きながら作業する姿を見たら、なんだかジーンときちゃって。

ただ大豆を仕入れるだけではなく実際に見学をしたり収穫をお手伝いしたりと、都合がつく限り和也さんも生産現場に関わっています。

仕入れ先を変えたことで原価は上がりましたが、良いものを作っている生産者さんの生活も支えられるようにお付き合いしたいです。

ラベルもタレも容器も、安さだけで選ぶなら業者を変えた方がいいかもしれないけど、僕はみんなでワイワイ楽しく一緒に成長していきたいから。「この人と付き合いたい」と思う人と関わっていきたいです。

限りある人生、一緒に居て楽しい人と時間を過ごした方がいいし、長い目で見たら良い生き方な気がするんですよね。将来的には大豆ができるところから納豆の製造、そしてお客さんの食卓に届けるところまでやりたいと考えています。

また販路を広げようと和也さんは「二度見シリーズ」を展開。納豆を買うのはスーパーという固定概念を打ち破る企画にチャレンジしています。

”ここに納豆が置いてあったらおもしろいな”という基準で、意外な場所で納豆に出会える仕掛けをしています。今は左京区にある本屋に納豆を置いてもらっているんですよ。本屋にポツんと納豆が置いてあったら、「えっ?」て二度見しません?まだ1店舗だから小売店さんみたいに商品は動かないけれど、おもしろいかなって。SNSで反響があって、若い層にも藤原食品の納豆を知ってもらう機会になっています。

本屋での展開をきっかけに、東京の有名アパレルチェーンのショップに納豆が置かれたこともあるそう。遊び心のある和也さんの試みは、今まで納豆の食べなかった層にも認知を広げるきかっけになっています。

無駄なことは一つもない

家業を継いで5年。仕入れ先の変更や「二度見シリーズ」など新しいことに果敢にチャレンジする一方で、たくさんの悩みや失敗もあったと和也さんは振り返ります。

一緒に成長していける会社と関わっていきたいと思いながらも、「儲かりそうだな~」と欲に目がくらんで大きなプロジェクトに手を出し、うまくいかずに赤字だけが残ったこともあります。

だけど今はもうありません。やっぱり僕は、好きな人と応援しあえる関係を築きながら仕事をしたいと気付いたんです。

時に失敗も経験しながら、気の合う友人や取引先そして支援機関のサポートを受け、和也さんはやりたいことを少しずつ形にしてきました。

パンフレットを作ったり新商品を開発したりするのはお金がかかるけれど、京都にある様々な支援機関に行けば親身に相談に乗ってくれますし、適切な補助金のアドバイスをもらえます。色んな人に会って、話をしたら道は開けていきました。

葛藤や悩みもあるなかで、どこまでも楽しく仕事をしている和也さん。これから事業を継ぐ人へのアドバイスを聞くと、こんな答えが返ってきました。

気楽にやったらいいと思います。仕事は自分次第で楽しくできるから。「二度見シリーズ」のように、視野を広げてみると売り先はたくさんあるんです。

だから家業に直結しないことでも、ワクワクすることがあるのなら絶対やっておいた方がいいと思います。それが発想の転換や新しいアイデアにつながるはずだから。やって無駄なことは一つもありません。

めざすは鞍馬口の名物おやじ

最後にこれからも大切にしていきたいこと、そして新たにチャレンジしたいことをお伺いしました。

納豆の味だけは変えたくありません。納豆は大豆と納豆菌だけで作れるシンプルなものだから、小細工はしたくない。納豆を作っているというよりも、納豆になってもらっているという感覚なんです。僕は良い納豆になるように環境を整えてあげるだけです。

また4代目として果たしたい役割も見えてきたと言います。

先代達が残してくれた商品が良いという自信があるので、どう魅せてどう売るかが僕の役割かなと思います。おかげさまで藤原食品の納豆を知ってもらうことが増えていますが、それは僕の手柄じゃなくて先代達が築き上げてきたもの。おいしい納豆を作って、もっとうちの納豆を広めていきたいですね。

納豆屋として生きる日々を楽しみながら和也さん。めざすのは、鞍馬口の名物おやじです。

毎日納豆を食べる人がいるということは、その人の体の何%かが納豆でできているということ。食べることは生きることだから、僕は食で地域に貢献していきたいです。

将来的には工場の入口に飲食スペースをつくって、うちの納豆と竃で炊いたご飯と自家製味噌の味噌汁を出す朝食屋をやりたいですね。学生や若い人の悩みを聞きながら、「いってらっしゃい」と見送るのもいいなって。

半生をお伺いする中で、「家業を継ぐつもりはなかったけれど、いつも食に関わる仕事をしていたんですよね」とつぶやいた和也さんの言葉が心に残っています。はじめから一つのビジョンを目指して生きるのもかっこいいけれど、「振り返ると道ができていた」と言えるそんな生き方も素敵だなと思いました。

Photo by Morocoshi Writing by 北川由依

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