京都移住計画での募集は終了いたしました
みなさんは「伝統産業」という言葉を耳にしたときに、どのような情景が浮かびますか?
寡黙な職人が静かに手を動かしているシーンや、後継者不足などの課題を抱えている様子を思い浮かべる方も少なくはないと思います。
これからお伝えしていく京都府北部・丹後地方も、ある伝統産業の生産地として長い歴史をもっています。そこには、古くから伝わるものづくりでありながら、新しい風を常に取り入れ、世界へチャレンジしている方々がいます。
海の京都、丹後の地で1300年織りつづけられている絹織物。なかでも、生地の表面に「シボ」と呼ばれる独特な凹凸がある「丹後ちりめん」は、この地を代表する織物で、京都・西陣よりその技術がもち帰られてから今年で300年を迎えました。
しかし、1973年に白生地の生産量が史上最高の920万反(※1)を記録してから、長らく厳しい状況におかれています。時代とともにライフスタイルが変化していくなかで、次世代へどのようにバトンを渡していけるのか、生産地としての力が試されています。
(※1)・・・1反あたりおおよそ13メートル。920万丹で、おおよそ地球4周半程度の長さです。
今回ご紹介するのは、与謝野町に拠点を構える「クスカ株式会社」。1936年に丹後ちりめんの製造・販売業をスタートし、着物生地やちりめん小物を生産してきた会社です。
2008年に、楠泰彦(くすのき やすひこ)さんが3代目代表取締役に就任してからは、現代のライフスタイルに適したものづくりをしていこうと、伝統・ファッション・芸術の3つを融合させるテキスタイルブランド「KUSKA」として、ネクタイを主軸にさまざまなファッションアイテムを手がけています。
歴史とともに新たな挑戦を重ねてきた「クスカ株式会社(以下、クスカ)」で、手織りテキスタイルデザイナーとWEBマーケターの募集がはじまります。
素材の魅力を伝え、長く愛用してもらえるブランドへ
「丹後ちりめんの質感や、手織りならではの風合いを表現するのに適したファッションアイテムを探していたところ、男性のシンボルアイテムである『ネクタイ』と出会いました」と、代表の楠さんは語ります。
「日本と同様にものづくりの歴史が長いイタリアでは、テキスタイルメーカーから服飾ブランドが生まれるケースが多いです。そのような事例に倣い、製造のプロセスや規模、コスト面のバランスを考えると、ネクタイから事業をはじめていくのがいいと思いました」
KUSKAのネクタイは現在、20パターン・30色ほど展開しており、シーズンごとに新しいデザインが取り入れられています。ひとつずつ異なる表情を見せる図柄は、楠さん自ら考案しているのだとか。
通常だと、下絵を描くところからはじまる図柄のデザインも、KUSKAの場合はすこし違ったアプローチで進んでいきます。
「私たちのものづくりは、デザインありきではなく“素材にデザインを入れていく”という感覚なんです。何度も試し織りをしながら、織り上がっていく生地の特性や色合いを活かしたデザインを考えます。実験的に糸を配置し、偶然生まれるパターンをデザインに取り込むこともあるんですよ」
楠さんは、ハイテクノロジーなものづくりが進んでいる中国やベトナムの生産地を視察し、価格や生産量以外のところで商品に付加価値をつけていくことが必要だと感じたそう。代表に就任してから、工場内の織り機をすべて手織りのものに入れ替えました。
「マーケットリサーチをしていくと、世界的にも手織りのネクタイはめずらしいということがわかりました。ただ単に昔ながらの手織りに戻すのではなく、手織りの風合いと機械織りの安定感といったそれぞれの良さを組み合わせて、KUSKAだからこそ提供できる生地づくりを心がけています」
国際見本市に出展したり、フランスの若手デザイナーズブランドとのコラボレーションをしたりと、年々活躍の場を世界へ広げているKUSKA。2020年9月には、東京に旗艦店をオープンしました。
「丹後ちりめんの素材の魅力を感じてもらうために、現在は、ベーシックな商品として手に取りやすいネクタイや、ファッションに取り入れやすいストール、スニーカーなどを展開しています。まずは、プロダクトを通してブランドを国内外に認知してもらうことが目標ですね」
「イタリアの見本市に参加した際、現地のバイヤーや同業者の反応から、限られたマーケットでもグローバルな展開が出来ると確信しました。WEBやSNSを通じて世界中に情報を発信していける時代なので、丹後に拠点を構えながら積極的にチャレンジしていきたいです。これから『KUSKA』をブランドとして成長させていくために、今回の求人で新たな仲間を募集できればと思っています」
現在、国内に流通している絹織物の70%を生産している丹後地方。織元によって得意分野が異なるため、表現の幅も広く「MADE IN TANGO」として多様なテキスタイルの提案が可能です。
「丹後地方が生産地として生き残ってきた理由は、日本に『着物』という文化があり、“いいもの”をつくりつづけられる生産・流通のシステムがあったから。私が生まれた頃から右肩下がりと言われてきた産業ですが、私たちが着物生地の生産技術を活かしたものづくりをすることで、他国の商品とも差別化ができますし、これから流通形態や発信先を変えていくことでまだまだ伸びしろがあると思っています」
プロダクトの背景を知り、丹後のファンになってほしい
楠さんは現在、家業に加えて、丹後の魅力を発信するWEBメディアも手がけています。地元・丹後で事業をはじめようと思った背景には、どんな想いがあったのでしょうか。
高知にある野球の強豪校へ入学するため、小学校を卒業すると同時に丹後を離れてから、Uターンや家業を継ぐことは全く考えていなかった楠さん。「地元への愛着はまったくなかった」と当時を振り返ります。
「丹後でサーフィンができることを知り、度々帰省はしていましたが、家族からも家業を継いでほしいと言われたことはなかったです。29歳までは東京で働いていて、住もうと思えばそのまま住みつづけることも選択できたと思います」
サーフィンができる美しい海や伝統的な絹織物の生産地があり、新鮮でおいしい食材がたのしめる。これら3つの要素が揃っていることは、ほかのどこにもない丹後の魅力だと感じた楠さんは、30歳でUターンを決断し、32歳で代表取締役に就任します。
「ふと、自身のルーツである地元や家業を見つめ直してみると伝統産業があったんです。かなり衰退はしていましたが、歴史的な厚みがあり、それを活かして何か表現することができるのではないかと思いました。ただ、いちばんの動機は『サーフィンをライフスタイルに取り入れながら働くことができないか?』という発想でしたね(笑)」
楠さんが先代からバトンを受け継ぐなかで、丹後の良さをもっと知ってもらう方法はないかと立ち上げたのが、丹後の風土やライフスタイルを発信するWEBメディア「THE TANGO」。
「自分たちがおすすめしたい丹後の情報を発信できればと『THE TANGO』を制作しました。『KUSKA』というブランドの背景にある地域の魅力を感じてもらうためにも、今後はイベントやツアー、商品開発などをしていきたいと思っています。これから新たに仲間になってくれる方と、世界中の人々が丹後のファンになってくれるような企画をつくっていきたいですね」
丹後の魅力をかたちづくるのは、ほかでもない丹後の人々。一人ひとりが心豊かに暮らしている状態そのものが、土地の魅力を高めることにつながると楠さんは考えます。
「職人の仕事は、突き詰めていくととても繊細でクリエイティブ。だからこそ、働く方々が働きやすい環境をつくっていくことがいちばんだと考えています。職人の多くは子育て中のお母さんなので、お子さんのことを優先してもらうように伝えています。私自身も職住一体型のライフスタイルを発信していけたらと、サーフィンをしてから出社する日もあるんですよ(笑)」
昨年、丹後地方に71年ぶりに創立された「清新高校」の制服として、ネクタイを無償提供。丹後の未来を見据えたクスカのチャレンジはまだまだつづきます。
「丹後の豊かなものづくりと地場産業を次世代の若者たちに伝えていけたらと、高校生のネクタイにもKUSKAの『ALL HAND MADE IN TANGO』のタグを縫い付けています。彼ら・彼女らが今後どのような進路を進むかは分かりませんが、たとえ故郷を離れたとしても、自分たちのアイデンティティとして丹後のことや、丹後ちりめんのことを思い出してもらえたらいいなと思っています」
糸からデザインできるKUSKAならではのものづくりに惹かれ
つづいてお話を伺ったのは、2015年に入社した川端晃(かわばた あきら)さん。職人の平均年齢が65歳と言われている丹後ちりめんの世界で、次世代を担う30代の若き職人として、現在はKUSKAの工場長を務めています。
「大阪の服飾専門学校を卒業後、就職を機に与謝野町へ来ました。当初は、丹後が絹織物の生産地であることは全く知らなくて。転職を考えたときに東京や大阪で働こうか地元に帰ろうか迷ったのですが、3年働くなかで友だちや知り合いも増えていて。丹後でものづくりをつづけたいと思っていたので、クスカの求人を見つけてすぐに工場を見学させてもらいました」
「丹後は生産規模が大きく設備も整っているので、職人として生きていくには魅力的だと感じています。そのなかで、ブランドとして手織りに特化してきたことや、使用する糸からデザインできることはKUSKAの強みですね。ネクタイ・マフラーを中心に、消費者のニーズを取り入れながら日々ものづくりに励んでいます」
未経験から職人の道を選んだ川端さん。生地を織ること自体はじめてだったそうですが、現在は、徒歩10分のご自宅にも趣味として手織り機を導入してしまうほど織物漬けの毎日です。
「経糸のあいだに緯糸を通していく作業の繰り返しなので、織ること自体はとてもシンプルです。手織りワークショップでは、30分と経たないうちに織り方を習得される方もいます。ですが、手織り機は木材、糸もシルク100%とすべて天然のものなので、その日のちょっとした気候や湿度によって織物の風合いが変わってしまいます。最初は、そういった感覚的な調整が難しかったです」
世の中に服飾ブランドがあふれているなかで、いかにしてマーケットのなかで生き残っていくのか。KUSKAが手がけているのは特色ある織物ではあるものの、自分たちにしかできないものづくりを常に考えていると、川端さんはおっしゃいます。
「現在挑戦しているのは、イギリス・スコットランド地方発祥のツイード生地をシルクで織ること。2020年秋冬の新作としてネクタイが登場しているのですが、このようなチャレンジができるのは、丹後で自社ブランドとしてテキスタイルを製造できる環境があるからだと思っています。そのようなプロセスに職人として携わっていけることは、とても魅力的ですね」
日々の生活リズムのなかで、つくる喜びを感じながら
最後にお話を伺ったのは、2017年に入社した溝口望(みぞぐち のぞみ)さん。KUSKAを知ったのは、5年前にたまたま手にしたフリーペーパーがきっかけだったそう。
「ずっと丹後に住んでいたのに、クスカのことは全く知らなくて。地元にこんな会社があるんだ!と驚きました。職人のインタビューを読んで、“自分がつくったものを買ってもらう”というまっすぐな仕事に惹かれました。職人の募集を見つけたときは、わたしのための求人なのでは?と思うくらいうれしかったですね(笑)」
現在、クスカでは9名の職人が働いており、その多くは子育て中の女性。勤務時間も5,6時間と短縮されており、生産量にノルマを決めず月に生産できる数を販売していく製造スタイルです。
「子育てをしながらでも、自分がやりたい仕事を見つけたくて。前職では、子どもが熱を出すと代わりの人を探さないといけなかったので、心理的な負担から働きつづけることの難しさを感じていました。ここではひとりの職人に一台ずつ手織り機があるので、それぞれのペースで仕事ができます。楠社長も『子ども優先で』と言ってくれるので、とても働きやすいです」
「先輩たちが丁寧に教えてくれるのですが、糸が切れるのが怖かったり、早く織ることばかりを意識してしまったり・・・はじめは大変でした。織り機から聞こえるタ・タ・タンという3拍子があるのですが、1年くらいするとだんだん自分のリズムができてきて、そのリズムにのっているうちに自然と織れるようになりました」
手掛けているものは決して安くはないからこそ、商品を手にとった方がどんな気持ちで身に付けてくれるのかを想像しながら織ることが、職人として働くたのしさだと溝口さんは話します。
「以前、工場に併設されているショップに若いカップルがやってきて、ネクタイを購入されました。ちょうどお昼休憩から帰ってくる同僚がすれ違ったのですが、2人がKUSKAの紙袋を持ちながらとてもうれしそうな表情で歩いていたそうで。そういったお客さんの反応が聞けると、つくり手としても喜びを感じます」
「丹後では成人式だけでなく、子どもの入学式にも着物を着る文化があります。丹後ちりめんはあまり身近なものではなかったのですが、親世代はみんな一着持っていました。丹後は、季節の変化や人のあたたかさを感じられる場所。冬は雪が積もって大変ですが、野菜や魚もおいしいですし、近所の方も知り合いで安心して子育てができます。家族の生活を大切にしながら働ける環境があることが、今はとてもうれしいです」
ものづくりに適した風土があり、300年の伝統を受け継ぐために挑戦する人々がいる。それが丹後地方の魅力であり、土地の吸引力そのものだと改めて感じる取材となりました。
与謝野町のちいさな工場から、どこにも真似できないファッショナブルなものづくりを展開する「クスカ株式会社」の魅力を、世界に届けるチームの一員にあなたもなってみませんか。
※本記事はBeyond Career事業にて受注・掲載した求人記事となります。Beyond Careerについてはこちら
執筆:並河 杏奈
撮影:清水 泰人
京都移住計画での募集は終了いたしました