募集終了2016.08.26

建物ではなく、心を建てる。安心・安全な暮らしを支えて

「建設業」という仕事に、どんなイメージを持っていますか?住宅やビルなどをつくったり、橋や道路をつくったり、という工事現場が思い浮かぶでしょうか。あるいは、しばしば一緒に語られる「公共工事」や「ハコモノ」という言葉から、あまり良いイメージを持っていない方もおられるかもしれません。

ただ、そのイメージがどうあれ、都市生活にとって欠かせない仕事が建設業です。そして今回ご紹介する公成建設株式会社は、建物から道路や橋といった都市のインフラまでを様々に手がける、今年で設立88年という歴史ある建設会社です。6代目社長である絹川雅則さんは、建設業の大切さをより広く伝えていこうとされている一人です。

pkpk

一つ一つの現場に思いを込めようという「心を建てる」を社是とする公成建設。京都は五条通りに本社ビルを構えています。今回、施工管理の職種を募集していきますが、その仕事内容や会社の特徴を見ていきましょう。

公成建設という会社

まず絹川社長から、今回の求人にかける思いを聞かせてもらいました。

「我が社には多くの「高倉健さん」たちがいてくれます。24時間対応で高速道路を守る「健さん」たち、鳥人間コンテストの発射台を39年以上もつくり続けた「健さん」たち、都市の生命線であるガスや電気を守る「健さん」たち、除雪に災害対応に飛び出す「健さん」たち、学校や保育園、病院や美術館……まちの大切な建物をつくる「健さん」たち、工場やマンション、福祉施設をつくる「健さん」たち……。

でも、どの「健さん」たちも多くは語りません。「自分、不器用ですから……」と。けれど、仕事を終えて現場を去ってゆくその背中からは静かな自信と誠実さがにじんています。一般的には「公共工事は悪だ」という偏ったイメージが擦り込まれていますが、実際に彼らが働いているところを間近で見てもらうと現実が分かると思います」

いわゆる「ゼネコン」と呼ばれる公成建設が手がけるのは、大規模な建築物や、京都にも数千ある橋、そして道路といったインフラの建設、管理、そして整備。その工事現場にはたくさんの職種の方が関わりますが、そこでオーケストラの指揮者のようにとりまとめるのがゼネコンであり、それこそが公成建設の仕事です。

5

「便利な都市生活を送れて当たり前、と思っている方もおられるでしょうが、それを影で支えている人たちがいるんです。私たちもその中の一人。でもこれまで私たちはあまりにも声を出さないままだった。それが公共工事が悪であるというイメージにもつながってしまったんじゃないかと。私はそんな現状を変えたいと思っています」

公共的な仕事も多く手がける公成建設には、民間/行政問わず仕事の依頼があります。行政からの仕事は「一般競争入札」という形で他者と競うのが一般的。会社の経営状態、技術者の数や経験含めた「通信簿」が公開されており、「いくらでその工事を引き受けられるか」と合わせて総合的に点数評価され、それが最も優れていた場合に工事を引き受けることができるのです。

_DSC4347

一方で民間からの仕事も。通常であれば最初に設計事務所が設計し、それを実現するところを公成建設が担当。建築業者を指名し、それぞれに工事の見積もりをしてもらって、安すぎないラインを超えた中で最も安価なところと組みながら仕事を進めていきます。

端的に言えば、公成建設はこのようなとても厳しい条件の中、88年という長い間京都で建設業を営んできました。歴史ある建設会社の社長というとどこか近寄りがたい雰囲気があるでしょうが、絹川社長はむしろ逆。京都を拠点に様々な活動を行う人たちへの注目を欠かしません。

11166075_675538905891437_1079919580_n

「コワーキングスペースのImpact Hub Kyotoのようなところに行くと、面白い若い人たちに会えますよね。京都移住計画さん、home’s viさんなど、理念に共感できる若い人たちが最近は増えてきたなという感じがあります」

絹川社長、実はコミュニティFMである三条ラジオカフェで「まちづくりチョビット推進室」という番組を持たれ、京都で活躍する若い人たちを紹介し続けています。なんと今年で13年目。「ラジオだったらお小遣い程度で続けられますから」と絹川社長は語りますが、社長のまちづくりにかける強い思いを象徴しています。

公成建設のこれまで

ここで公成建設のこれまでを振り返ってみましょう。絹川社長の曽祖父が大阪の天満に始めた会社「絹川染工場」と絹川織物」が公成建設の「祖先」にあたり、それ以前は松前貿易という北海道との貿易を行っていました。『ベニスの商人』のように、持ち船を嵐で亡くして破産をしてしまったようですが、その後曽祖父の代に織物で財をなしました。

「その頃はお金ができると借家を持つ、というのが一般的だったみたいですね。その例にもれずうちでも借家や工場をつくる際、祖父がその現場で職人さんに遊んでもらっているうちに現場監督の真似をして現場を仕切るようになったようです。「お前かしこいやないか」と。そんなこんなで祖父がおこした建築会社が、公成建設の前身となる公成社です」

_DSC4727_00

元々は木造建築を専門にする会社だった公成社が土木工事まで手がけられるのは、絹川社長の祖父の代に土木工事の工法の特許を取得したため。JRの前身国鉄時代の大阪駅や横浜市役所など、軟弱地盤を工事するような土木の仕事を主に手がけます。並行して扱う建築工事もどんどん規模を大きくしていきました。

「建築系の仕事は、大きいところだとJR京都駅や京都文化博物館。大林組や竹中工務店といった大きな企業と組むこともありますね。不況の時は公共工事でリスクヘッジして、好況のときは建築が増えるというバランスなのですが、リーマンショック時はどっちの売り上げも落ちてしまったんです」

と、かつての大変な時期を思い返しながら語ってくださいました。

絹川社長のこれまで

さて、ここでそんな絹川社長のこれまでを聞いていきましょう。実は、歴代社長が京都大学工学部出身の所、絹川社長は神戸の甲南大学経営学部へ。組織論を専門にしていました。

「今思えば、ビジネスと組織論と臨床心理学の学際領域を勉強したかったのでしょうね。そこで「ワークショップ」という言葉を知りました。ワークショップでは非日常の閉鎖空間で濃密なグループを体感し人と深く知り合えるので、それを会社のマネジメントに取り入れられたらいいのに、と思ったんです。でもその非日常が終わるとその関係性もどんどん薄れてしまう。少し自分の研究に疑問を感じてしまったんです」

その後、京都大学建築系教室「鉄骨構造研究室」研究生として勉強をします。元文系学生にとってあまりにも専門的な環境は大変なものだったようですが、当時のつながりがきっかけになり、25歳のときから3年、大阪梅田のヒルトンホテルという大規模の建設現場で働くことになりました。

_DSC4243-2

 膨大な人数の職人さんたちが働く現場の監督をしながら、工事がうまく進むよう管理するのが仕事。「酒飲んで現場に来る職人のおっちゃんを叱って帰ってもらったこともありました」と笑いながら当時を振り返ります。

「技術屋さんはみんな現場に思い入れがあります。台風が来たときなんかはみんな現場に集合しているんです。みなさん誇りを持って仕事していますよ。職人さんは寡黙でコミュニケーションをあまり取らない、というイメージがあったんですけど、工事中に反対運動があったり怒鳴りつけられたりしながらも、地域の人との関係性をつくっているところ見ると、むしろコミュニケーションの達人なんじゃないかと思うようになりました」

その大きな現場を経験した絹川社長は、その後「少人数で回していくような現場も体感したかった」と語りますが、不幸にも社長29歳の時にお父さんが亡くなり、公成建設に戻ることになります

_DSC4727

「それまで家に戻る戻らへんというお決まりのやりとりがあり、ようやく仲直りして、私も結婚し、新婚旅行から戻ってきて2週間で父が他界。引き継ぎも出来なかった。叔父たちのおかげで今があります」

叔父ご兄弟から、経営のバトンを引き継ぎ、社長になって丸4年。「新人です」と謙虚に語る絹川社長の姿が印象的でした。

若い人たちにうちの職さんを間近で見てもらいたい

まちづくりに強い関心を持ち、悪いイメージを持たされてしまった建設業の側からちゃんと声を挙げよう、状況を変えようとしている絹川社長。活動する京都の若者たちの話にも耳を傾けようと、これまでコツコツと行ってきたラジオ番組が、なんと本業に影響を与える機会が。

「御池大橋の耐震補強工事の入札があったのですが、その技術提案の中に「京都市の橋梁の耐震補強の必要性についてラジオでPRします」という内容を入れたんです。なんとそれに点数をつけてもらい、そのおかげで他の会社よりも高い総合評価点を取ることができました。これまで「お金にもならないことを」って言われていたんですが、ラジオ番組を大手を振ってできるようになりましたね」

コツコツ続けて来たことが日の目を見た瞬間です。絹川社長に、どんな人に来てもらいたいかを最後にうかがいました。

_DSC4655

「来るもの拒まずですね。山を大事にしたい、農を大事にしたい、という分野が違う人たちにも来てもらいたいという思いもありますが、まずは、若い人たちにうちの職員さんを間近で見てもらって、建設業という仕事の大切さを肌で感じてほしいです」

インターンで来て「あの主任がかっこよかった」という理由で就職に来てくれた人もいる、と嬉しそうに語ってくださった絹川社長。「決して楽な仕事じゃないですけど」というのは、どの仕事でも同じでしょう。

震えるくらいの感動がある

ここで、公成建設で働く方々にお話を聞いてみましょう。「建築グループ」工事主任の日置彰さんです。絵を描くのが好きだったことから大学では建築を専攻。「建物を設計する仕事に就きたい」とも思っていたようですが、施工を行う仕事もと関心を広げ、地元が京都舞鶴であることから関西の企業を探していたところ、求人募集をしていた公成建設と出会います。

_DSC4470

今年7年目という日置さん。仕事を始めた頃の思い出をこう語ります。

「いざ現場にいくと、怖そうな職人さんに注意しないといけないこともあったので昔は嫌でしたね。工事の進捗とともに親しくなり、苦にならなくなりました。1年目の僕より、彼らの知識と経験は豊富ですし。僕は監督をする立場ではありましたが、彼らから教えてもらうことが多かったです」

1年目の仕事は、現場を整えて安全で作業しやすい環境をつくる、という内容がメイン。工事を報告するために現場の写真を撮ることも大事な仕事のひとつです。

3年目くらいになって図面を描く仕事が任されるようになった、と日置さん。例えば鉄筋コンクリート造の鉄筋の詳細が「仕様書」と呼ばれるルールで細かく決められているのですが、それを図面に反映し、またそれがうまく施工されるかを現場でチェックします。いわゆる監督と呼ばれる仕事です。「自分で図面を描くと分かるようになるんですよね」と語ります。

_DSC4663

ところで、これまで日置さんはどれくらいの物件を担当されたのでしょう?

「この7年で10件くらいですね。保育園、オフィスビル、スポーツ施設、小中学校、高速道路の電気室など。長い期間だと小中学校は1年半をかけましたが、現在施工中のゴミ処理施設が残り4年の計画で最も長い現場になりそうです」

この仕事の特徴として、着工から完成・引渡しというスタートとゴールがはっきりしているので目標が立てやすい」という公成建設の建築部門。建築部長、建築次長、所長、主任、係員と、全員で30名ほどが働きます。

工事所長が全体計画・実行予算・安全管理等、統括責任者として管理し、日置さんが務める工事主任と係員が現場における収まりや作業の流れ、そして「出来形(できがた)」と呼ばれる、工事の完了した部分などをさらに細かく管理していくような仕組み。この30人の中から各現場でチームがつくられるようで、1人で見る現場も、物件の大きさによって複数人でチームを組みながら仕事をする場合もあるそう。

7

様々な方々と仕事をする中で、日置さんにとって尊敬できる上司像とは何かを聞いてみました。

「尊敬する先輩というと、わからない事は一から教えてくれる、教えた事は任せてくれる、怒るところは怒ってくれる、そういう方ですね。仕事をはじめて最初に教えてもらった所長と主任がまさにそういった方だったんです」

どんなところがこの仕事のやりがいでしょう?

「工事終盤、外部足場が解体されて外観が見えると震えるくらい感動するんですよね。一瞬だけですけど。その感動があるからこの仕事が続いているようなところがありますね。そしてそのできあがったものをお客さんが喜んでくれるところ見るとさらに嬉しいですよね」

「うち完全に逆ピラミッドなで、どんどん新人さん入れてもらわないといけないですね」と会社の課題を語る日置さん、どんな方に来てもらいたいかを最後に聞きました。

_DSC4672

「元気で明るい人ですね。そうじゃないと現場も明るくならないし、職人さんともコミュニケーションとれないと思います。それから責任感のある人かな。仕事をいただいているんだって気持ちがあって、冷静に全体を見れる力があると良いですね」

「一番ものをいうのは経験ですけどね」という一言が印象的な日置さん。7年目の余裕を感じさせつつハキハキと答えていただきました。

親子のような関わりを通じて

建築グループの日置さんに続きお話をうかがったのは、土木グループの稲垣雅夫さんと西村将大さん。

大学時代に土木系水理学を専攻していた稲垣さん。「当時京都でトンネル工事を単独でできるのはこの会社しかなかった」と語る通り、技術力に惹かれて入社。現在まで33年間を公成建設で過ごし、現在は所長職に就いています。エコランド音羽の杜というごみ焼却した灰を埋める施設の建設に8年、最近では「京都縦貫自動車道」の丹波綾部道路の建設に5年ほど携わっていました。

_DSC4601

稲垣:30年経ってこの会社も高齢化が進んでしまいましたね。私が入社した当時は厳しかったですけど恵まれていましたね。教えてもらえる時間も多くありましたし

そんな公成建設ですが、もちろん若手社員もおられます。今年3年目となる西村さんもその一人。稲垣さんとは親子ほどの年齢差があります。地盤改良の仕事に就く父親に憧れ、高校時代に土木を専攻し、その後公成建設の求人を見て入社しました。

_DSC4589

1年目はどんな雰囲気だったのでしょう?

西村:1年目は先輩にぴったりくっついて、稲垣さんが所長をされていた丹波綾部道路の現場に入りました。1ヶ月くらい研修して、現場に戻って、研修して、という感じでしたね。研修の一つで特殊だったのは自衛隊研修。公成建設は毎年新入社員が参加することになっていて、とても面白い思い出です。2泊3日で、他社さんからの参加もあって、延べ人数は50人から60人くらいでの集団研修でした

新しく入ってくる社員は、一般的には高校や大学の土木科を卒業した人が多いそうですが、最近では機械科の方が入ってくるということもあるそうです。ただ、稲垣さんは実践的に学ぶことの多い職場であることも強調します。

稲垣:ここは3年勤めればなんでもこなせる、という職種じゃないですからね。20年経っても30年経っても仕事内容は場所によって変わりますから不安ですよ。そういう意味では、やる気さえあれば知識なんて、という思いもあります。

3

現場での仕事はもちろん良いことばかりではありません。稲垣さんはかつての厳しい話を聞かせてくださいました。

稲垣:以前、公成建設が54メートルという高さの橋脚工事に携わったのですが、そこで不具合を出してつくったものを潰さざるを得なかったことがありました。いまだに忘れられません。これを反省して、次からのものづくりに生かしていかないといけない、ということを強く感じました。会社に対しても大きな負担だったでしょうし、発注者からの信頼も失いますし、当時の現場所長は大変な思いをされたと思いますね。

かつて忘れられない苦い経験を、現在の仕事にとって欠かすことのできない出来事として、隠すことなく誠実に話される稲垣さんの姿が印象的でした。

_DSC4539

お二人にとって公成建設はどんな会社なのでしょう?

稲垣:昔から社会貢献を重視する会社ですね。利益も必要だけど、そこは忘れてはいけないと。そして良いものをつくったときにはしっかりと評価してもらえる会社です。

西村:家族的な雰囲気を感じます。事務所に帰って「おつかれさまです!」と言うと、「おかえり」と言ってもらえるような、そういう温かみを感じられる会社ですね。

こう語る西村さん、実は以前会社をやめたい、と思っていた時期もあったそうです。「今は完全に気持ちが変わりました」と語りますが、そこで踏みとどまれたのは、相談できる先輩がいた、ということが大きな理由だそうです。まさに相談を受けていた稲垣さんはこう語ります。

稲垣:普通であれば本人の意思を尊重していたと思いますが、子を持つ親として、息子くらいの人間がすぐにやめたいと言っているのは放っておけなかったですね。ここよりももっと良い会社あるなら別ですが、そうじゃないのならばやめるべき会社じゃないよ、と。まあこれからですけどね(笑)。

_DSC4684

「うちの会社は真面目って言われるんです」と稲垣さんからありましたが、お二人を見ているとそれもうなづけます。今後もそんな良さが引き継がれていくことでしょう。

建物ではなく、心を建てる

最後におうかがいするのは、公成建設で人事総務を担当する藤井崇さん。途中入社で今年6年目です

「公成建設は勤続年数が長い社員の方が多くて、入社当初は企業文化の違いに戸惑い、苦労しましたね」

人見知りの人が多く、懐に入るまでは時間がかかるけれど、心を許してもらえると優しい人が多い、と公成建設の社員の印象を語る藤井さん。建設業の人は見た目が漢(おとこ)な感じなので、色々なイメージを想像しましたが本当に気は優しくて力持ちという印象になりましたとのこと。

_DSC3373そんな公成建設の中での藤井さんは自身の「役割」をどのようにとらえているのでしょう。

「会社の社風をより良くしていくために、会社の硬いところのコリをほぐして、少しずつ柔らかくしていくのが自分の役割かと思っています。今までの会社の良いところは残して、時代の流れで変わってもいいところを、時間をかけて柔らかくできたら、より良い会社になると思っています。そのために、まずは社員全員が気持ちよく働ける雰囲気づくりを大事にして仕事をしていますね」

「誠実さ」が特徴の公成建設。藤井さんはその理由を、地に足をつけて仕事をしている人が多いからでは、と語ります。「建物を建てるのではなく、心を建てる」という社是はまさにそれを象徴するもの。想いを込めてつくることの大切さがこうした言葉になり、受け継がれています。

_DSC3365

ところで、まちづくりに力を入れる絹川社長の声かけもあり、公成建設は「建設」だけにとどまらない取り組みも行っています。「五条のきさき市」はそのひとつ。

「公成建設の本社もある五条通りに「つくるビル」という新しい拠点ができ、社長も「何かできひんかな?」と思っていたそうです。たまたま、つくるビルなど五条界隈の会社が集まる場に参加したのできっかけで、五条通りの界隈の人をつなぐ場をつくろう、という話になったんです」

それから、毎年1回開催し、今年は五条通りに位置する25の企業が協力し、80店が出店。52店舗が地図づくりに協力するという、毎年55日に開催する五条通りの恒例行事になりつつあります。これがきっかけになり、会社同士のご近所づきあいがはじまりました。のきさき市の取り組みを通し、「会社がある街を好きになる」という思いが生まれると良いですね、と藤井さんは語ります。

13177751_1075422725835058_3841298933876202781_n

最後に、新しく入る人はどんな方にきて欲しいですか、とうかがいました。

「人の話を聞ける素直な人が良いなと思います。素直な人は成長が早いと思います。後は人の懐に入るのがうまい人は先輩社員からは可愛がられると思います」

公成建設の仕事、いかがでしたでしょうか?関心を引かれたら、ぜひ一度ウェブサイトを見てみてください。絹川社長の取り組みとともに、具体的にどんな工事を行ってきたかが分かります。

最近も「前の会社が肌に合わなかった」という理由で若い方が入社して来たそうですが、経験豊かなベテランが多い今だからこそ、様々なノウハウを受け継ぐチャンスと言えると思います。柔軟な考えを持つ絹川社長が率いる公成建設は、新たな取り組みに最適の会社ではないでしょうか?

募集終了

オススメの記事

記事一覧へ