京都移住計画での募集は終了いたしました
京都・四条烏丸の一等地、COCON-KARASUMAの名で知られる複合ビルに本社を置くワン・トゥー・テン・デザイン。さまざまな技能を持つクリエイターやエンジニアが集う“インタラクティブスタジオ”が手がけるのは、広告コンテンツ制作からロボット開発まで実に幅広く、代表の澤邊芳明さんですら「もはや何の会社かわからない」と苦笑するほど。そんなユニークな企業を支えている人たちから、会社のこと、仕事のこと、そして新たに迎え入れたい仲間のことをうかがった。
デジタルマーケティングに目覚め、24歳で起業
もしもあの時◯◯がなかったら……あとでそう気付かされる転機の一つや二つ、誰にでもあるものだ。ワン・トゥー・テン・デザイン(以下、1→10)の代表・澤邊芳明さんの場合は、京都の大学に進学してまもない頃、バイク事故に見舞われたことで「人生が変わった」という。
「事故がなかったら化学系の勉強を続けて、そのままどこかに就職していたでしょうね。でも治療に2年間もかかって、復学した時には20歳。やりたいことを見失っていた矢先に、ある教授からまちの活性化事業を手伝ってみないかと誘われて、ポスターやチラシをつくったり、イベントを企画したりするうちに、広告の仕事に興味を持つようになったんです」
ちょうどその頃は、インターネットの一般普及が始まった時期とも重なる。大学でプログラミングを習得していた澤邊さんは、「もっと面白いことができるに違いない」と確信し、1997年、24歳の時に1→10の屋号を掲げ、学業のかたわらデジタルマーケティング業に乗り出した。実はその当時から“フリーランスの集合体”と位置付ける1→10の原形ができていたのだとか。
「京都は芸術系の大学が多いので、自分を売り込むために個人的に活動しているクリエイターの卵が結構いたんですよ。企業のサイトをつくるにしても、そういう連中と組んで、アイデアを出し合ったり、役割分担したりするほうが断然面白いものができる。このスタイルを貫いて、いずれはピクサー(アメリカのアニメーション・スタジオ)みたいな、クリエイターが個々の創造力を存分に発揮できるスタジオを……と当時から思い描いていました」
起業から4年後の2001年、澤邊さんは大学卒業と同時に会社を設立する。折しもITバブルの真っ只中。インターネットの普及率が一層高まり、企業がこぞってコーポレートサイトの開設に乗り出した時期でもある。Web制作会社やインターネット広告代理店も急増し、情報量がどんどん膨張していた状況が「すごくダイナミックで面白かった」と澤邊さん。1→10では当時まだ珍しかったキャンペーンサイトの制作などWebを介したプロモーション活動を精力的に展開し、やがてクリエイティビティに富んだ“仕掛け”で注目されるようになった。
「特に話題になったのは、コニシボンドさんのホームページ。接着剤にちなんで、あちこちにカーソルがくっついちゃうっていう表現が結構ウケて。関西的な発想というか、オチをつけるストーリーづくりがウチの特色になって、たくさんの賞をいただいたり、あちこちからサイト制作を依頼されるようになっていきました」
ITバブル後の変革期、Webからインスタレーションへ
1→10が快進撃を繰り広げた2000年代は、世のデジタルクリエイターたちが「新たな表現を追い求め、競い合った時代だった」と澤邊さんは振り返る。風向きが変わったのは、2010年頃。リーマンショックや震災にともなう景気の低迷に加え、スマートフォンやソーシャルメディアの普及による情報アクセスの変化によるPC離れ、さらに米・アップル社のFlash非採用化というショッキングな出来事まで起き、それらの対応が急務となったのである。澤邊さんはどのように向き合ったのだろうか。
「それまでWebがデジタルコミュニケーションの中心だったのでもちろん動揺はしました。けど、危機感はそれほどありませんでしたね。というのは、デジタルサイネージをはじめ、コンタクトポイントが多様化していくなかで、僕らの強みである表現の場も増えていくと思ったから。ユーザーに直接働きかける、体験型、イベント型のプロモーションにシフトしていく転機になりました」
「我々は、希望ある未来への作用点を生み出すをビジョンに、プロダクトやコミュニケーションに体験の視点で変革をもたらすべく活動しています。私自身が体が不自由であるということの反動もあり、身体性や体感、知能の拡張に非常に興味が強く、ロボットや新デバイス、バーチャルリアリティなどの分野にフィールドを広げていっています」
そのビジョンを体現している最たるものが、2014年に発表されたソフトバンクの人型ロボット「Pepper」だろう。このプロジェクトにおいて1→10は、ロボットの人工知能・感情認識と連携した会話エンジンの開発とキャラクター設計を手がけ、企業に貢献したばかりでなく、SFの世界で終わらないリアルな“夢”を人々に与えた。同時に、澤邊さん自身の“夢”も膨らんだ。
「面白いものをつくるという意味では今も昔も同じ。でも今は、それだけじゃなくて、体験を通じて、世の中や人の行動を直接変えられるんじゃないかという可能性を感じています。未来が楽しみになるような、そんな作用点をつくる役割を担っていきたいですね」
新たな創造を妨げる、“受託脳”はいらない
ロボット開発を機に、メーカーの商品開発に直接かかわる機会も増えているそうだが、それに対応し得るスキルをもつスタッフの存在も欠かせないはず。採用活動においては、やはり能力重視となるのだろうか。
「もちろん能力も選考ポイントの一つではありますが、そこだけにこだわると、能力を生かす土台が変わった時についていけなくなる。Flashがいい例です。必要とされない時代が来るなんて、思ってもなかったことが現実に起こるわけだから、そういう事態に直面した時、また別のことに取り組んでみようと思えるかどうかが大事。変化を楽しめるくらいの適応力がある人がいいですね」
そう語る澤邊さん自身が、誰よりも「変化大好き」なのかもしれない。最近では、ある企業の演劇チームの舞台演出を自ら指揮。「舞台演出なんてやったことないですけど、身体性のあるものは超楽しいですよ」と目を輝かせる。
「いくら仕事といっても、やっぱり楽しくなきゃだめでしょ。僕らの仕事は基本的に“受託”で成り立っていますが、言われた通りつくっていても楽しくないし、何も生み出せないと思う。だから、言われたことさえしてればいいという“受託脳”の人は、はっきり言っていらない」
実際、1→10で活躍するクリエイターやエンジニアの多くが、仕事以外のところで自分の興味のあることを日々探求し、新たな発見や成果が得られるたびに、「こんなのができました!」と澤邊さんのもとへ訪れるという。そこで「それ、おもろいやん」となった時には、澤邊さんが取引先に働きかけ、新たな仕事に発展するケースも珍しくないのだとか。
そうやって自己主張できるのは当たり前で、本人のやる気さえあれば、プロジェクトの中心的なポジションを得ることもできる実力主義の現場だ。「クリエイターの羽を折らずに、組織化していくにはどうすればいいか」。澤邊さんが創業当時から考え続けてきた課題の答えである。
東京は通過点の一つ、京都から世界を目指す
ところで、サイト制作が主体だった頃から東京のクライアントが大半を占める状況下にあって、本拠地を東京に移すという考えは浮かばなかったのだろうか。
「まったくなかったですね。好きなんですよ、京都。どこがって言われると困るんですけど、まず東京より時間が長い感じがしますね。1時間が1時間5分くらいある感じ。逆に東京は55分くらいで、ちょっと短いんですよ。あの感覚がいやで……。東京はあくまでグローバル展開を目指す上での通過点の一つに過ぎません」
その言葉通り、東京に続いて、上海、シンガポールにも拠点を置き、グローバル展開を本格化させつつある1→10。今後は外国人スタッフの雇用も大幅に拡大させていく構えだが、まずは心臓部である京都本社の人材強化が急務だ。デザイナーやプロジェクトマネージャーなど5職種におよぶ採用においては、それぞれに適した経験やスキルが不可欠だが、最も求められているのは、自分のスキルの新たな使い道を自ら考え、開拓していく意欲だろう。そこを見込まれて1→10にやってきた2人のスタッフにお話をうかがった。
1→10が誇る”特殊部隊”で活躍する転職組
コミュニケーション・テクノロジーグループに所属する森岡東洋志さん(写真左)と北島ハリーさん(写真右)の二人は、ともに2014年に中途採用で入社した、1→10歴1年未満のスタッフ。それまで森岡さんは京都府内の機械メーカーでソフトウェア開発のエンジニアを、北島さんは東京のWeb制作会社のディレクターをしていたそうだ。転職に至った動機もそれぞれ違う。
「前職では、開発を手がけていた機械の性質上、スキルはあっても冒険的なことはできなかったんです。技術者としてはそれがちょっと不満で、勤続5年を機に転職しようかなと。1→10に決めたのも、ここでなら面白いことに挑戦できそうだなと思ったから。京都を離れずに済むというのも大きかったですね」(森岡さん)
「僕は森岡さんとは真逆で、東京を離れることを前提とした転職です。あまりにも東京が恵まれているので、それが気に食わなくなっちゃって、これからは地方貢献だ!と(笑)。札幌や福岡なども移住先として検討しましたが、東京と出身地の広島の中間にある京都が一番しっくり来ました。1→10の存在は以前から知っていて、京都で前職に近いWeb系の仕事と考えた時にすぐ思い浮かびました」(北島さん)
ちなみに、二人が所属するクリエイティブチームは、体験型プロモーションや商品開発などを幅広く手がける、1→10の“特殊部隊”である。そのなかで、森岡さんはインスタレーションデベロッパー、北島さんはテクニカルディレクターというポジションで活動している。各自の役回りと関係性についてたずねた。
僕のほうは、デバイスと連携するソフトウェアをつくったり、デバイスそのものの基盤をつくったりするエンジニアリング業務が中心です。前職のように規格が決まったものをつくることはまずなくて、最初にフワッとしたイメージを与えられて『どうやったらできる?』みたいなところから始まるんです」(森岡さん)
「僕はその『どうやったらできる?』を投げかける側です。たとえば、ルノーの車にプロジェクションマッピングを施したプロモーションイベントを担当した時の話ですが、ただ映像を映して見せるだけじゃなくて、車体に触れると映像や音が変わる仕組みなんです。『こういうの、あったら面白いよね!』から始まって、僕のほうで技術の組み合わせを考え、森岡さんはじめ、いろいろな得意分野を持つスタッフと連携を図りながら、全体を取りまとめる仕事をしています。エンジニアリングにあまり詳しくない僕がこのチームにいるのがちょっと不思議なんですけど、前職でテレビとWebのメディアミックスを行っていたので、何かと何かをつないで作用を起こすという部分で貢献できていると思います」(北島さん)
職種を超えて共有する「人を楽しませたい」
入社後すぐにプロジェクトに携わり、いくつかの成果を残してきた二人。彼らが実際に1→10の仕事を経験して気付いた、同社の強みとは何だろうか。
「VJに強い人、カメラに強い人、サウンドに強い人という風に、みんな何かしらの得意分野がある上に、新しい技術に対してすごく貪欲。まだビジネス化されていない技術をどこかから仕入れてきて、あわよくば次の仕事につなげてやろうと目論んでいる人が多いです ね。普通の企業だったらお金になるかどうかわからないことに手を出すなって止められるんでしょうけど、ウチはむしろ、どんどんやって!という感じで、やる気にさせてくれる。それが今までにない表現や作用を生み出す原動力なのかなと思います」(森岡さん)
「この業界にアート&コードという言葉があって、つまり、アートもできてプログラムもできる、ハイクリエイティブな人種のことを指すんですけど、そこにエンタメの要素を付け加えられるのがウチの強みかな。カッコよさを求めるだけじゃなくて、多くの人が楽しめたり、生活に役立ったりすることまで視野に入れて動いているからです。『人を楽しませたい』という根源的な思いを分かち合っているからこそ、自立心の強い人間の集まりが組織としてまとまっ ているんでしょうね」(北島さん)
得意分野、貪欲さ、自立心、共通理念……。1→10ワーカーが心得ておくべきものが示された格好だが、改めて二人に一緒に働きたい仲間のイメージをたずねてみると、森岡さんは「何事にも前のめりな人。やるべきことを自分で探す人」、北島さんは「会社を利用してやろうくらいの意気込みで、自己実現を目指している人」と、セクションにかかわらず、積極性のある人を求めているようだ。
自分なりの働き方で、目標に向かって邁進できる
一方、1→10の門を叩くほうとしては、現役社員のワークスタイルや京都の住み心地といった職住の実態も気になるところ。包み隠さず教えてもらおう。
「この業界の宿命とも言えますが、やはり制作期間のラスト1、2週間は長時間勤務になることが多く、場合によっては休日出勤や泊まり込みになることも。ただ、ひと段落したらまとまった休みを取ることも可能なので、平均すると9~10時間労働ですかね。始業は一応11時と決まっていますが、裁量労働制なので、朝型にしたいと言って早めに来て早めに帰る人もいます。逆に、社内でコンセンサスが取れているなら遅めに来るのもアリです」(森岡さん)
「東京で暮らしていた時は、情報にのまれて疲弊気味だったのですが、京都は情報量が多すぎず少なすぎず、30代の僕にはちょうどいいですね。街がコンパクトにまとまっているので、目的地にすぐに行けて、あまり困ることがありません。あえて不満を挙げるとしたら、思ったより物価が安くないところでしょうか」(北島さん)
プロジェクトの最終局面ではハードな時期もあるようだが、そこを乗り越えれば時間の融通が効きやすく、自分のライフスタイルに合った働き方ができるようだ。また、東京で長年暮らした北島さんが不自由なく、むしろより快適に暮らせるようになったという京都の住み心地のよさも、1→10で働く魅力の一つと言えるだろう。そうした環境に満足している二人だが、仕事の面では「まだまだこれから!」と気を吐く。
「今、1→10が本格的に切り開こうとしている商品開発の仕事にどんどん絡んでいきたいですね。製品をつくる段階からかかわって、企業や社会に貢献するものづくりがしたい。そのためにも、依頼を待つのではなく、一緒に何かをつくりましょうよ!とメーカー側に働きかけを行っていきたいと思います」(森岡さん)
「僕はとにかく森岡さんたちエンジニアが納得して制作に取り組めるように、たとえクライアントさんが相手でも譲れない時はNOと言う、あるいは代案を提示する、そんなプロフェッショナルを目指したいですね。あとは、地域貢献がしたくて移住してきたので、京都や大阪など関西のメーカーさんとの仕事をつくることも目標に掲げています」(北島さん)
入社からわずか1年。しかも、ほとんど個人プレーで進行する仕事であるにもかかわらず、二人は澤邊さんのフィロソフィーをしっかりと吸収し、同じ方向を見ている。彼らと自分に通じるものがあったなら、仲間に加われる可能性は十分にある。最初のミッションは自分の売り込み。「君、おもろいやん!」。1→10にそう言わせたらしめたものだ。
京都移住計画での募集は終了いたしました