募集終了2015.08.03

常に新しいチャレンジを。京都に根ざすIT企業と歩む道

京都といえば、千年の都の歴史を物語るあまたの名所旧跡、文化が息づく“歴史と伝統のまち”。ゆえに旧きよきものを慈しみ、守り継ぐ様子がクローズアップされがちだが、一方で先端の技術を糧にグローバルな躍進を続ける一流企業や、世界に先駆けた新しい技術・サービスを武器に最前線を目指すベンチャー企業を育んできた、進取の気風に富んだまちでもある。

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IT黎明期に誕生した学生ベンチャー

1996年に京都で創業した「フューチャースピリッツ」は、当時黎明期にあったインターネット業界に参入したベンチャー企業の一つ。大阪大学工学部に在籍していた谷孝大(たにたか・だい)さんが、一足先に京都で創業したIT企業「イー・エージェンシー」のデスクを借り、サーバーホスティングサービスを主とした事業を開始。2年後の98年には、アメリカのサービスの再販および運用代行まで一手に引き受ける会社をイー・エージェンシー社の協力のもと立ち上げる。これを機に谷孝さんは学生の肩書きを捨て、若干二十歳で名実ともに起業家として独立を果たした。

「おそらく学生と社会人の二足の草鞋を履き続ける選択肢もあったはず。でも谷孝は『お客様から片手間でやっているような印象を持たれたくない。代表である以上、その責任をしっかりと果たしたい』と不退転の決意を固めたようです」

そう話すのは、2005年に入社し、現在は京都本社のソリューション本部本部長としてフューチャースピリッツの基幹事業であるネットワークソリューション事業を統括する河本暁宏(かわもと・あきひろ)さん。創業時こそ立ち会っていないものの、同社の歴史の大半を谷孝さんのそばで見続け、成長を支えてきた古参中の古参だ。創業から20年足らずの間に、京都・大阪・東京のグループ全体で100人規模の会社に成長するまでの「山あり谷あり」のドラマも知り尽くす。

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「大きな転機はいくつかあります。たとえば、創業間もない頃からわが社が拠点を置く京都リサーチパーク内にデータセンターが設立された時に新しい挑戦ができたこと。それまでは大阪のデータセンターを利用していましたが、どうしてもコストがかさみますし、何らかのトラブルが生じた時にすぐに対応できないという課題を抱えていました。そうした矢先にデータセンター設立の話を聞き、それならいっそ会社と同じ敷地内のデータセンターを使って、より価値の高いサービスを開発し、売っていこうとなったんです」

自社開発のサーバーによるワンストップサービスを確立して以降、顧客数、業績ともに右肩上がりに伸びていくが、その成長の過程にはさまざまな困難もあったという。

「最新のインターネットサービスを求めるお客様のご要望にすぐに応えられなかったり、トラブルを発生させてしまったりと、私たちの力量や知恵の足りなさゆえに多大なご迷惑をおかけしてしまいました。苦い思い出ですが、そうした失敗をなんとか乗り越えられたからこそ、現在のわが社があるのだと思います」

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曲げられない、顧客最優先の理念

いかなる試練が待ち受けていたとしても、お客様のため、社会の未来のために常に新しいことにチャレンジし続ける――。この姿勢は社長の谷孝さんが持ち続けてきたポリシーであり、フューチャースピリッツという社名にも込められている揺るぎない企業理念だ。

たとえば、レンタルサーバーの提供によって一定の役割を果たせたとしても、「さらに顧客の事業を支える手立てはないか?」と常に考え、よりよい提案を行っていくのが同社の流儀。困りごとをなんでも相談でき、手厚いサポートを受けられるのは顧客にとってうれしい限りだが、経営の面からすると決して合理的とは言えない。サービスは一定の範囲にとどめ、新たな顧客創出に時間を費やしたほうが利益率は上がるはずだが……。

「もちろん会社をもっと大きくしたいという夢はあります。でも、目の前で困っているお客様を見捨ててまで利益を優先するつもりはありません。もし一人のお客様から100の要望あったとしたら、そのうちの半分を叶えるのではなく、100の要望を全部叶えて差し上げたいんです。顧客最優先を貫くことは、いまのところわが社の強みであり、弱点でもあるのですが、この矛盾をいかに解消していくかが当面の課題。基本的な方針を変えずに弱点のない会社にしたいと考えています」

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社員が幸せを感じる企業であるために

次々と新しい挑戦を続けるサービス精神旺盛な企業だけに、社員の働き方や求められる能力も同業他社とは少し違っているようだ。河本さんは今回募集する職種の一つ、サーバーエンジニアを例に次のように語る。

「社内で一日中モニターに張り付いているイメージが強いと思いますが、わが社のサーバーエンジニアはお客様のところへ出向いて、お話をうかがったり提案をしたりすることも多々あります。そのほうがお客様の不安が解消され、満足度が高まるケースがあるからです。上からの指示を機械的にこなすだけでなく、積極性や創造性なども求められますから大変なところもありますが、返ってそれがいい刺激になるみたいで、同業他社では5年程度で顔ぶれが変わる傾向にあるなかで、わが社では勤続10年の社員も珍しくないんですよ」

入社した以上は誰もが長く、快適に働きたいと願うもの。フューチャースピリッツでは、「社員が幸せでなければ、顧客を幸せにできるはずがない」という考えのもと、社員一人ひとりの声に耳を傾ける面談の機会を年2回設けているほか、各セクションでもこまめにミーティングを開き、意見を述べやすい環境づくりを心がけているという。そうした場で自分がやってみたいことを主張するのも大歓迎。

ほとんどの場合「好きなようにやってみろ」という後押しの言葉が返ってきて、仮にうまくいかなかったとしても、評価に響いたりはしない。大事なのは、自発的に何かをやろうとする前向きな姿勢や、最後までやり遂げようとする粘り強さ。これらは日常の業務でトラブルが起きた場合にもプラスに作用する力ばかりだ。人間誰しも失敗もあるし落ち込むこともあるけれど、そこで終わらずに前へ進もうとする、そんなたくましさを持った“人財”がさらなる成長の原動力になると、河本さんたちは考えている。

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育ててくれた「京都」への恩返し

また、ビジネスにおける忍耐力を養う上で、「京都ほど適した場所はない」と河本さんは豪語する。今でこそ薄らいでいるが、京都の人々はもともと新参者に対する警戒心がとても強い。京都生まれの河本さんですらへこたれてしまうほど、会って話を聞いてもらうだけでもひと苦労する土地柄だ。でも、諦めずに何度も足を運んで誠意を示すことで、重い扉が開かれるばかりか、家族同然の付き合いにまで発展し、そこから後退することは滅多にないという。

「本当に義理堅いですよ、京都のお客様は。こちらに不手際があっても一度受け入れたらとことん付き合ってくれる。そのご恩に報いるためにも、わが社はこれからも京都に本拠地を置き続けます」

2010年の中国におけるサーバーホスティング会社設立を皮切りに相次いでいるアジア各国への進出も、「京都をはじめとした日本のお客様が海外でビジネスを展開するための手助け」の一環として始めたもの。「今後も新たな挑戦を通じて多くのことを学びながら、顧客またはコンシューマーにとって有意義な技術やサービスを創造し、世界70億人を対象にした幸せのネットワークを築きたい」という大きな夢を打ち立てている。

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京都暮らしをようやく実感

では、今回の募集職種で活躍中の社員の声にも耳を傾けてみたい。対象の2職種のうちの一つ、Webアプリケーションプログラマーとして働く山村忠司(やまむら・ただし)さんは、2013年2月に中途採用枠で入社した方。大学卒業まで出身の愛知県内で過ごし、就職と同時に長年憧れていた京都に移り住んで15年になる。前職はフリーランスで活動していた山村さんが、フューチャースピリッツでの再就職を志した動機とは。

「京都に暮らしながら、京都に根ざした仕事がしたいなという思いからフリーランスになったのですが、実際に来るのは大阪の仕事ばかりで、毎日のように大阪まで出かけなければなりませんでした。これでは本末転倒だなと思ったのと、個人でプログラミング全般の仕事を行うなかでサーバーに関する技術不足を感じていたこともあって再就職を意識しはじめました。『自分のスキルを生かしつつ、新たにサーバー周りの技術を学ぶことができそうな京都の会社を』とエージェントに相談したところ、この会社がぴたりと条件に当てはまったんです。面接でもそうした思いを伝え、採用していただくことができました」

現在は自社ASP開発や、東京の大手デパートのeコマースシステムのリプレイスや、大阪のFM局に提供中のWebシステムの運用保守など、プログラムの構築からメンテナンス業務まで幅広くこなす毎日。当初希望した京都に密着した仕事はなかなかめぐって来ないようだが、谷孝さんとの“サシ飲み”の機会を通じて思いは伝えており、近い将来実現できそうな手応えを得ている。一方で、暮らしのほうはずいぶんと京都に根付いてきた実感があるという。

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「以前は大阪通いが多く、帰宅時間は深夜におよんでいました。いまもプロジェクトが大詰めになると遅くなりますが、平均すると20時くらいには帰宅できています。そのおかげで前はコンビニ弁当ばかりだった夕食も自炊でバランスのとれたものを作る余裕が生まれました。夜はゆっくり休めて、通勤時間も30分以内と短いので、仕事に臨む気力・体力ともに充実しています」

暮らしの変化のほかに、他社やフリーランスで働いていた頃と比べて大きく違う点として山村さんが挙げたのは、「あらゆる面でまじめなところ」。なかでも、社内のデスクトップPC以外での作業が決して許されない、セキュリティの厳重さにはかなり戸惑ったそう。

以前は専用のノートPCを支給され、きちんと管理さえすれば自宅に仕事を持ち帰ることも可能だったというから、ギャップを感じるのも無理はない。しかし、顧客の膨大な情報を取り扱う会社の特性を考えれば当然の策とも言える。「ちょっと不自由だけど、仕事と私生活のメリハリが付いていいのかな」とプラス思考で捉えている山村さんだった。

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みんなで、最前線で、好きをかたちに

もうひとつの募集業種であるサーバーエンジニアとして働くのは、梅田さん。大阪の文系大学を経て、エンジニア職へ。東京で社会人をスタートし、7年間勤務したのち、フューチャースピリッツと出会う。前職では、自社メンバーそれぞれが他企業に入り込んで業務を行なう、いわゆる“出向型”で働くスタイル。そのせいか当時は、「自分が一社員である」という感覚は薄かったそう。その分、転職後の「チームを組んで、メンバーで意見を交わしながら業務を進め、みんなでやり遂げられる」一体感は強く、喜びも大きかった。

エンジニアは計7名、技術部隊と運用部隊に分かれる。梅田さんが主に担当するのは、サーバ運用における技術的サポート。お客様の問合わせに対応して、チーム内の誰がアサインするかを割り振り、より良質なサポートを行なえる体制づくりに取り組む。社内でもお客様に一番近いところにいるからこそ、その声を拾って、新しいサービスに展開させることも。「こういうの便利だよね、使えたらいいよね」を自社サービスとして展開できるのも、この仕事の楽しみのひとつ。社内環境については、「好きなことがあれば、どんどん提案していくことできる」と語る。

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Uターン後、近くにいる安心感

実は、梅田さんは京都の福知山出身。東京勤務が始まる前から「いつかは京都に戻ろう」と考えていた。30歳という年齢と、京都在住のパートナーの存在がUターンを決めるきっかけに。京都に戻られたタイミングで結婚され、現在は二児の父である。また、定年退職されたご両親の近くで暮らしたいという気持ちも強かったそう。

「実家には月に一度は帰っていて、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に遊ばせたりもしています。子ども達にも、自分が育った場所がどんなところかは見てもらいたいですよね。親もそれを喜んでくれるのでうれしいです」。物理的距離もあってか、年に数回の帰省だった東京時代と比べたときの“安心感”はやはり大きい。

Uターン後の暮らしにおける変化は、他にもあった。東京では電車通勤だったが、こちらでは自転車通勤へ。「時間の縛りがなく、自由に行けるのは、良いですね」。また職業柄もあるが、新しい技術を学べる勉強会のような機会は都内のほうが多かった、と振り返る。ただ今は、ネットの情報でカバーできる部分もかなり増えたとも言う。

実は、梅田さんは京都の福知山出身。東京勤務が始まる前から「いつかは京都に戻ろう」と考えていた。30歳という年齢と、京都在住のパートナーの存在がUターンを決めるきっかけに。京都に戻られたタイミングで結婚され、現在は二児の父である。また、定年退職されたご両親の近くで暮らしたいという気持ちも強かったそう。

「実家には月に一度は帰っていて、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に遊ばせたりもしています。子ども達にも、自分が育った場所がどんなところかは見てもらいたいですよね。親もそれを喜んでくれるのでうれしいです」

物理的距離もあってか、年に数回の帰省だった東京時代と比べたときの“安心感”はやはり大きい。

Uターン後の暮らしにおける変化は、他にもあった。東京では電車通勤だったが、こちらでは自転車通勤へ。

「時間の縛りがなく、自由に行けるのは、良いですね」

また職業柄もあるが、新しい技術を学べる勉強会のような機会は都内のほうが多かった、と振り返る。ただ今は、ネットの情報でカバーできる部分もかなり増えたとも言う。

休日の過ごし方として、地元サーカーチーム「京都サンガ」の試合観戦に行ったりしながら、子供たちと遊ぶことも多い。ちょっと寂しいのは、東京時代からずっと続けてきた趣味のフットサルがある頻度が減ったこと。チーム、フットサル場の数も少なく、アクセスが不便なことも多いそう。

とはいえ、そういったプライベートの趣味への課題を、社内で解決しようとする動きもある。ランニングや登山、バーベキューなど、気の合うメンバーで集まって好きなことをやれる社風がフューチャースピリッツに近年つくられてきた。この流れの中で、梅田さんは「フットサルチームをつくる」と密かに計画している。

公私ともに、のびのびと提案でき、好きなことを形にしやすい。そして、何をするにもメンバーとの一体感のある雰囲気は、フューチャースピリッツ「らしさ」かもしれない。

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未来に向かって、こんな人と働きたい

最後に、山村さんと梅田さんの二人に、それぞれの現場で一緒に働きたい人物像について聞いてみた。

「一言でいうと、困難に立ち向かっていける人ですね。チーム内で何か問題が生じた時に誰かに指示される前に、自分から進んで行動できる人。かといって自分一人で背負い込むのでもなく、先頭に立って周りを引っ張っていける人がいいですね」(山村さん)

「自分がやりたいこと、好きなことをぶつけて提案できる人でしょうか。経験が無くても、色々とチャレンジしたい人がいいです。決められてないとできない人ってのは、ちょっと合わないかもしれません。ただ実際にはさまざまな声を拾えるように社内環境も整ってきていますので、会社としての成長と、自分の成長を一緒にしていける人だとうれしいですね」(梅田さん)

彼らが働くオフィスは7階建てのビルの最上階にあり、ガラス越しにいつでも京都の街全体を見渡すことができる。その景色のどこかに自分が帰る場所があると思うと、なんとなく安心できて仕事も頑張れそうだ。そして、周りを見回せば、ともに会社の未来を支え合う仲間がいる。フューチャースピリッツが誇るチャレンジ精神は、社員一人ひとりの充実した仕事と暮らしを基盤に生まれているのかもしれない。

(岡田香絵)
(2015.7一部更新:大見謝将伍)

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