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京都の日常を彩る食を訪ねる「食を巡る」シリーズ。京都らしい食べ物や飲み物、京都移住計画メンバーのお気に入りの一品をご紹介する連載コラム記事です。食べることは生きること、京都での暮らしに彩りを与える物語をお届けします。
タイル張りの外壁が昭和の面影を残す建物に、真新しいガラス戸が光る店舗。中を覗くと目に入るのは、ぴかぴかに手入れされたアンティークのショーケースいっぱいに並ぶ、つややかなベーグルたち。
2024年6月にオープンした「つきのわベーグル」は、田中豪(たなか・たけし)さんが、生まれ育った京都ではじめたお店です。

食べることは、暮らすこと
国産小麦、素焚糖(すだきとう)、天塩、白神こだま酵母のシンプルな材料を基本とするプレーンベーグルは、噛みごたえのある皮の中に、もっちりとした生地がつまった甘くみずみずしい仕上がり。塩昆布と大葉の生地に焼き色のついたチーズが食欲をそそるお食事ベーグルや、上品な味わいのホワイトチョコとアールグレイが香るおやつベーグルなど、様々なベーグルが店頭を彩っています。

「ベーグルは合計21種。豊富な種類を用意しているのは、お客さんに飽きずに食べてもらいたいからです。『食べることは、暮らすこと』。暮らしをつくる食の大事な1回に選んでもらっているのだから、少しでもハッピーな1日になるように貢献がしたくて」
そう話す田中さんは、以前は福島県郡山市で「暮らしづくりベーグル&コーヒー」の店主をしていました。仕事のため移り住んだ福島県で、農業が身近にある暮らしに触れたことから「食べ物を生む仕事に関わりたい」と、ベーグル店をはじめた経歴の持ち主です。

5年の営業を経て、京都へUターン。お店の名前が変わりましたが、大切にしているスタンスは変わりません。一貫して「食べることは、暮らすこと」をコンセプトにベーグルをつくってきました。
食べることは、生きる限り続いていくもの。身体や心の健康を支え、誰かと食卓を囲む、かけがえのない時間さえも生み出す重要な営みのひとつです。
「お店を開くと決めた時、お客さんの食卓に自分のベーグルが並ぶことを想像したら、僕には食に対する重大な責任があると思ったんです」
顔の見える関係は、つながりに任せて
そんなつきのわベーグルの、食材選びにおけるこだわりは明快で「出どころが分かること」。
「例えば、無農薬かどうかよりも、どうやってつくられた物であるかを大事にしたい。材料の仕入れは、原則として顔を知る関係の人から行っています」
聞けば、現在お店に並ぶベーグルのラインナップのほとんどは、福島時代から継続してつくり続けているもの。一つひとつが、田中さんが今まで積み重ねてきたつながりと、暮らしと食とに向き合ってきた軌跡なのです。

「いずれは、京都の食材で商品をつくろうと考えているのですが……。人の縁ですから、無理せず自然のつながりに任せようと思っているんです」
そう笑みを見せる田中さんは自然体で、気負いはありません。すぐにでも「京都らしい」ベーグルをつくるのは難しくはないでしょう。しかしそれをしないところにお店の「らしさ」を感じる気さえしてきます。
ひとの縁が重なるまち

そんな田中さんと、居心地の良いお店の雰囲気に引き寄せられてのことでしょうか。
つきのわベーグルに集まるお客さんの多くは「この土地に縁がある人」なのだそう。
もちろん、全国から足を伸ばすパンマニアや観光客も少なくありませんが、多くを占めるのは同じ地域に住むご近所さん。そして、周辺で働く人や近くの病院へ通う人も毎週のように足を運んでくれるのだと言います。
観光地・東福寺のすぐそばという立地からは意外にも感じる気がしますが、「暮らしをつくる」つきのわベーグルの背景を知ると、どこか納得できてしまうから不思議なものです。

そして、田中さんこそ、この土地の縁に強く引き寄せられたひとりでもあります。
京都でお店を構えたのは、まさに生まれ育ったエリア。店名は、まちの旧名称「月輪(つきのわ)」に由来します。
「他のエリアも検討はしたのですが、やはり愛着がある場所でお店をしたくて。地元から離れている間に、僕が通った月輪小学校も廃校になり、月輪という名は地域から消えつつありました。ここで店をするなら、まちの名前を残したいと思ったんです」

お店の物件は、移住以前から交友がある京都の薬膳家・acoさんが掲載された記事で知った「京都移住計画」の仲介で見つけたもの。偶然にも、月輪の隣町に住む不動産パートナーが紹介したのが現在の店舗です。広い土間が特徴の懐かしい心地がする一戸建ては、元は縫製工場。アーティストのアトリエとして使用されていた時期もあったのだとか。
お店のリノベーション設計や工事を手がけたのは、現在京都で建築関係の仕事に就いている田中さんの同級生や先輩たち。
「京都に帰ってきたことで、地元の知人たちとまた縁がつながるのが面白いと感じています。20年近く経つと、昔の知り合いの中には農家に転身している人もいて、それぞれが今向き合っている仕事での新しい関わり方がはじまりそうなのも嬉しいですね。いずれは、知人が育てた野菜を使ったベーグルに挑戦したいと思っています」
Hope you have a great day

最後にこれからの夢を伺うと、「店主の顔」が少しほころんで、田中さんは「お父さん」の顔に。
「店のすぐ近くの通りはかつての僕の通学路で、まもなく小学校に入る息子の通学路にもなる予定なんです。学校帰りの息子と一緒に店から家まで歩いて帰るのが僕の夢です。それともうひとつ、小学校の社会科見学で、働く姿を見るために子どもたちがお店にきてくれたらいいなぁ」と眼を細めます。
「月輪」のお店ははじまったばかり。家族との暮らしを大事にしながらも、たくさんの人の暮らしにベーグルを届けるため、少しずつ営業体制を整えていきたいとも話してくれました。

お店のドア横にかかった看板には、「Hope you have a great day」の文字。
「やっていることやお店の形が少しずつ変わるとしても、色々な人の暮らしに貢献したいという気持ちは変わりません。生きていると穏やかな日ばかりでは無いけれど、誰かの今日が良い1日になればいいなと願っています。ベーグルでそう感じてもらえたらもちろん嬉しいけれど、うちのお客さんに限らず、この気持ちを伝えたいと思って」
つきのわベーグルは、今日も誰かの暮らしにそっとエールを送ります。

執筆:蓮田 美純
編集:藤原 朋
CHECK OUT
お店の名前をはじめて聞いた時、「つきのわ」がまんまるのベーグルを連想させるかわいらしい店名だなと思いました。それが地域の名前だと知って少し驚いたのを覚えています。取材中、田中さんに地名の由来を伺うと「諸説あるようだけれど、公卿・九条兼実の山荘『月輪殿』が関係するのではないか」と教えていただきました。現在の東福寺・即宗院の庭園「月輪殿」はその跡地だそう。お店と合わせて足を運びたいスポットができました。