先日、門川京都市長(以下、親しみを込めて一部「かどやん」の愛称で表記)との「おむすびミーティング」が、3月4日(水)に京都リサーチパーク町家スタジオにて開催されました。
おむすびミーティングとは
市長自らが,市民活動の場や市民の皆様と行政が協働して実施するイベント等の中に飛び込み,市民の皆様の願いや要望に直接耳を傾けるとともに,未来の京都を共に語り合うものです。市民の皆様と市長が,和やかな雰囲気で自由に意見交換する中で,多くの市民の皆様の思いと知恵をしっかりと引き出し,市政運営に反映させていく。
(※京都市HPより抜粋)
といった民意を取り入れる現場感を大事にした取り組みです。
これまでも何度か市長にお会いする機会はありましたが、移住計画の取り組みをお話する機会はなかったこともあり、緊張でそわそわしながらスタート。
そんなメンバーの緊張を感じとってか、まずは市長が着物トークでなごませてくれました。 この着物は琳派生誕400年になぞらえて、風神雷神があしらわれています。何種類もの刺繍で見事に彩られた風神雷神は、ワンポイントながら存在感があり、みんな我先にと、即席の撮影会となりました(笑)
場も和んだところで、メンバーの自己紹介にはじまり、京都移住計画のきっかけやこれまでの取り組みについてお話をさせて頂きました。
そして一通りの説明を終えての市長の第一声。
門川市長(かどやん):
「桓武天皇以来やね、『京都に住もう』なんてことを言い出したのは。」
京都移住計画(京移):
「???(ポカーン)」
かどやん:
「京都のはじまりは、桓武天皇がこの地に平安京をつくったことですから。」
京移:「・・・・・!!!(その視点はなかったー!)」
冗談半分のなかにも、京都が歴史を受け継ぐまちということを、794年まで遡ってしまうあたりのスケール感は想像してませんでした(笑)
そんな感じでスタートした市長と僕らとの対談は、時間を忘れる程に盛り上がりを見せていましたが、しっかりと一人一人の声に耳を傾けつつ、メモをとってもらっていたことが印象的でした。
簡単ですが、移住計画のメンバーが印象に残っていることをまとめてみました。
・実は京都は人口減少を一度経験している。明治天皇が、東京に引っ越しする際に、大幅に人口が激減に転じた。その当時の方々が、廃れしまう都への危機感から、ひとづくりに注力をした。
・ひとづくりの一貫として、教育に目を向け、政府が小学校制度をつくるより早く、自分たちで小学校を作ってしまった。そして当時は、釜戸の数に応じて寄付金を募り(釜戸の数のは、当時の裕福さをはかる尺度だったそう)、自分たちで小学校をつくった。
・京都市立芸大も、京都御所の中に設けられた日本で最初にできた画学校が起源。
・京都の有名企業の創業者は、京都出身者じゃないことが多い。オムロンの立石さん(熊本県出身)、京セラの稲森さん(鹿児島県出身)、ワコールの塚本さん(滋賀県出身)など。
・地域力とは、その地域に住む人たちの力だけをいうのではなく、地域力というのは、よそものを受け入れ、その人たちを地域に融合していく力のこと。
・京都(府)は、人口10万人当りの医師数が全国1位であったり、森林率が74%と全国平均を高く上回っているということ。
・持続可能性というテーマやソーシャルビジネスに力を入れていく。
・ひとづくりと同時に、ものづくりへ、そして物語づくりも大事にしてきた。
歴史文化の視点にはじまり、京都のまちがどのようにできてきたのか、そしてどこへ向かおうとしているのか、といったお話からは歴史の深さだけでなく、他者を受け入れる懐の深さがありました。
そして、ものづくりの歴史も、他者を受け入れることで、革新を繰り返し、やがてはそれが伝統となり、物語がつくられていく。そういった脈々と受け継がれるものの“おかげさま”の上に、自分たちがあるということを感じました。
地域の一つの歴史を見守る責任がある人としての市長が、何を思っているのか?を知ることができ、また何を思ってこういう活動をしているのか?を知ってもらえたことは、これから何かを一緒にするかは分かりませんが、とても良い機会になりました。
そして「学校がないなら、つくろう!」という先人の志の高さやDIY精神に触れ、自分たちの在り方としてもそのような歴史の一端を担う活動になってゆくといいなぁと、そんなことを考える機会になりました。
最後になりましたが、門川市長はじめ、おむすびミーティングの会談のご準備を頂いた皆さま、貴重な機会を頂きまして、ありがとうございました!
自分たちと共にある京都の未来をつくってゆきたいと思います。