2023.10.26

太鼓のように、心を打つコーヒーを。和太鼓奏者×珈琲焙煎士として追求する、自分らしい表現

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京都のおもしろい人を訪ねる「人を巡る」シリーズ。京都に移住した人の体験談や京都の企業で働く人をご紹介する連載コラム記事です。移住するに至った苦労や決め手、京都の企業ならではの魅力など、ひとりの「人」が語る物語をお届けします。

第34弾にご登場いただくのは、「和太鼓奏者×珈琲焙煎士」という肩書を持つ渡邊健吾(わたなべ・けんご)さんです。

新潟出身の渡邊さんは、プロの太鼓芸能集団「鼓童(こどう)」に8年在籍した後、コーヒーの道へ。2023年3月に京都に移住し、活動の幅を広げています。これまでの歩みや、京都での暮らし、これからの夢についてお話を伺いました。

和太鼓奏者として、全国・世界へ

ーー面白い肩書きを持つ渡邊さんですが、和太鼓とコーヒー、先に興味を持ったのはどちらですか?

最初は、和太鼓です。小学6年生のとき、同級生が万代太鼓(新潟市の郷土芸能)を叩いている姿を見て、「格好良い!」と憧れたことがきっかけでした。子どものときは、水泳や剣道、空手、ボクシングなどを経験していたのですが、和太鼓だけは辞めずに、ずっと続けていて。高校3年生の夏、ギリギリのタイミングまで進路を悩みましたが、「本当にやりたいことをしよう」と和太鼓の道に進むことを決意しました。

写真提供:渡邊さん

ーーそして入団したのが、プロの太鼓芸能集団「鼓童」。

そうです。佐渡ヶ島の集落に移り住み、最初の2年間は研修生として過ごしました。太鼓の稽古以外にも、農作業をしたり地元の伝統芸能を学んだり。自然を思いっきり感じながら、心身ともに鍛えていきました。

ーー厳しい研修を経て、正式メンバーになったんですね。

メンバーになってから生まれたのは、強い責任感です。お客さんは高いチケットを買って来てくださっているわけですし、もしかしたらその人が聴く最初で最後の演奏になるかもしれない。常に自分が持っているものをすべて出しきらなければいけない、と。そういった責任感を背負いながら取り組む日々の稽古や舞台は、ただがむしゃらだった研修時代よりもはるかに大変でした。

ーー特に印象に残っている舞台はありますか?

僕が鼓童のメンバーとして舞台に立ったのは、6年間。ツアーではすべての都道府県を巡りましたし、海外も10数カ国行きました。京都の春秋座にも、毎年来ていましたよ。

どれも全身全霊で演奏していましたが、ひとつ上げるなら、最後の浅草公会堂での舞台です。鼓童を離れると決めていたこともあって、演奏中はゾクゾクと鳥肌が立ち、拍手をいただいた瞬間は満足感や寂しさにあふれた不思議な気持ちでいっぱいでした。そういうときに限って「ずっと応援しているぞ!」という応援の声が、いつも以上に響くんです。

ーーどうして、ここまで打ち込んだ鼓童を離れたのでしょうか。

鼓童はチームで演奏をするので、みんなを飛び越えて、自分の音を出すことができませんでした。僕は和太鼓が大好きだけど、もっと自分の表現を追求していきたいと思い、鼓童を離れることにしたんです。

和太鼓奏者としての活動は今も続けていますが、新しい自分の表現として、コーヒーへの挑戦を決めました。

コーヒー修行の始まりと、京都移住

ーー「新しい自分の表現」に、コーヒーを選んだ理由を教えてください。

コーヒーはもともと大好きで、休日には必ずカフェへ行っていました。コーヒーを飲むと、太鼓で頭がパンパンだったのが1回リセットされて、次も頑張ろうとポジティブな気持ちになれたんです。そんな体験や空間を、自分の手でつくりたい。それがコーヒーに挑戦したいと思った理由です。

2020年に鼓童を離れた後、新潟の「鈴木コーヒー」で働かせていただけることになり、本格的に勉強を始めました。

ーー新潟に住み続けて頑張る選択もできた中で、なぜ京都移住を考えたのでしょうか?

京都のカフェ「STARDUST」のオーナーが、「いつになっても良いから、うちで働かない?」と声をかけてくださったことがきっかけです。以前から京都に来たときは必ず通っていたくらい、大好きなお店でした。ただ、そのときはまだ焙煎の勉強を始めたばかりでしたし、いきなり鈴木コーヒーを辞めて新潟を去ったら、中途半端すぎると思って。

「1年待っていただけますか」とお返事し、しっかり準備ができた2023年3月に、京都に移住しました。

ーー新潟を離れる寂しさはありましたか?

京都から新潟は車で7時間くらい走れば行けますし、お隣さんのような感覚です(笑)もともと鼓童では全国を飛び回っていましたし、新潟から「離れた」とは、今も全く思っていませんよ。

ーー初めての京都での生活が始まり、大変だったことはありましたか?

最初は自分の暮らしを整えることを優先しなければいけないので、なかなかコーヒーの活動に時間を割けないもどかしさがありましたね。家の一角に焙煎所をつくるための工事も、色々と苦労しました。

焙煎は煙が出るので、住む場所も、周囲に迷惑にならないようなエリアを選んだつもりです。僕は、隠れて何かをするのが苦手な性格なので。ご近所さんに挨拶に行く時に、一緒にオリジナルのドリップバッグを配ったら、「これ、どうやったら買えるの?」と気さくに話しかけてくださるようになりました。

また新潟で出会ったパートナーも、僕の後に、京都に移住してくれて。一緒に自分たちの目標に向かって少しずつ進んでいます。

オリジナルブレンドの名前は「鼓」。くるみの木のキャニスターには「鼓琲」の焼印が

移住したからこそできる、表現をしたい

ーー渡邊さんは、縁をすごく大切にしている印象です。

自分の活動を続けられるのも、本当に皆さんのおかげです。色々な人と、とにかく出会って話して、そこから生まれるものが多いですね。

京都で初めて、自分の屋号である「KENGO COFFEE」として出店させていただいたのも、偶然のご縁。京都で仲良くなった写真家さんの展示が、西院にある「YAK KYOTO」という美容室で開催されていて、それを見に行ったのがきっかけでした。

ーーそこから、どうやってコーヒーの出店に?

「YAK KYOTO」は美容室なんですが、コーヒーカウンターがある素敵な空間なんです。僕は移住したばかりで髪を切る場所を探していたので、展示を見に行ったその場で、散髪の予約をしました。オーナーはとても良い方で、「ここで出店したい」と話したら、快く受け入れてくださったんです。

ちなみに出店当日も、髪を切っていただいてからカウンターに立っていました(笑)

「YAK KYOTO」での京都初出店の様子

ーーそのときのコーヒー、とても美味しくいただきました。

僕の目標は、太鼓のように心を打つ一杯を淹れることです。「ドンッ!」という大きい音でなく、「ドーン」と優しく響くような余韻をイメージしています。

そして間口は広く、雰囲気は柔らかく、おじいさんおばあさん、子どもたちもほっこりできるような空間をつくりたいなと。これは太鼓の舞台で、たくさんのお客さんを楽しませたいと演奏していた経験がすごく生きているなと思います。自分の表現や世界観は突き詰めつつ、みんなに満足してもらえるようなバランス感覚は大切にしていますね。それに、目の前の方に最高の体験を届けたいという想いは、今も昔も変わりません。

パートナーとの活動の名前は「喫茶 暖々」

ーー最後に、これから渡邊さんが挑戦したいことを教えてください。

パートナーと、自分たちのお店を出すことがひとつの目標です。彼女はお菓子をつくっているので、2人の理想を詰め込んだ空間をつくりたいなと。先日一緒に新潟で出店をしたとき、共通の知人から京都の上七軒の物件を紹介していただいて。間借り営業ができるよう、準備を進めているところです。

それに、せっかく移住してきたわけなので、京都だからこそできる表現を目指しています。京都は職人や作家さんが多くいらっしゃる街ですし、自分にないものを見たり感じたりする時間も大切にしたい。そして経験をコーヒーに凝縮し、心を打つ一杯として、これからも届けていきます。

KENGO COFFEE:https://www.instagram.com/_kengo_coffee_
喫茶 暖々:https://www.instagram.com/_kissa_dandan_

執筆・撮影:小黒 恵太朗
編集:北川 由依

CHECK OUT

筆者の私は、健吾さんと同じ新潟出身です。健吾さんより早く京都に移住していた私のもとに、ある日、新潟の友人からLINEが届きました。「筋骨隆々の友達が京都に移住するので、ぜひ仲良くしてね」と。

「YAK KYOTO」での出店にお邪魔したとき、同年代とは思えないほどの健吾さんの落ち着きと、コーヒーの味わい深さに驚いたことをよく覚えています。

今回お話を伺って、これからの活動がますます楽しみになりました。また美味しいコーヒーを飲みに行きますね。

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