「しっかり症状が出ていますので、この年末年始はちゃんとお休みを取ってください」
2023年12月、心療内科を受診してお医者さんに言われた言葉だった。
自分のために頑張ってきたと思っていたら、誰かに人生を奪われていた日々を過ごしていた。そんなことに気がつかずに、ただ息を殺して生きていたなと思う。
感情の原点
社会人1年目の冬、仕事の都合で京都で一人暮らしをすることになり、北大路から烏丸線に乗って税理士事務所に勤めていた。父が税理士事務所を営んでおり、幼いころから働く姿を見てきた中で、自然とその道を進みたいと思うようになった。大学は経営学部に進み、社会人になってからも働きながら税理士試験の合格を目指す日々が続いた。
社会人になって初めての一人暮らしを京都で過ごせて、かけがえのない時間を送った。
仕事を通じて人と街と文化を知れたこと。
一人で修学旅行のやり直しをしてみたこと。
春先の鴨川を歩くことが気持ちよかったこと。
あわただしい時間の中でも、色濃く、生活と景色が目に刻まれていた気がする。
その日々を記録したいと写真に収めはじめた。
京都に住んでいた期間は短く、家庭の都合で、一年も経たないで実家のある東京に戻った。しかし、東京にいても京都がふるさとだと思う気持ちは変わらなかった。
なぜ?と言われても「北大路に住んでいた時の鴨川が好きだったから」としか言えない。それが立派な理由だった。
東京に住んでいても、定期的に京都に「帰る」ことを忘れなかった。新幹線で京都駅のホームに降り立ったときは、心の中で「ただいま」と必ず声をかける。
試練が教えてくれたこと
試験には受からなかった。努力不足はもちろんながら、それ以上に自分の人生を家族や親戚の判断にゆだねることで、安心している自分が嫌だった。自分の本当の声に耳を傾けたくなった。だけど、将来を期待している人たちの想いにも応えたかった。
いま思えば、あのときに自分がどうしたかったのか、なぜ声を聴いてあげなかったんだろうと思う。
20代の終わり頃に、コロナ禍になり、仕事も生活も影響を受けた。そして、試験まであと3ヶ月という最後の最後でコロナに罹り、「あ、これは受からないな」と思った。というよりも、「その道ではないことに気づいてほしい」と願っていた自分が罹りに来たような感覚があった。
そして心からの誓いを立てた。
「何年かかってでもいいから、本当に生きたい道に進んで、幸せになる」と。
その後、コーチングを受けたのをきっかけに、自分のためにコーチングを学び始め、少しずつ自分の心の輪郭が見えるようになった。
ふと、京都が浮かんだ。人と文化が近かった街の匂いは過去の体験を呼び起こした。小学生のときに不登校になり、人を嫌いになった。それでも「ただいま」と温かく迎えてくれたのは京都の地域の人たちだった。
地域のために働きたい、でも実家のある東京のコミュニティも大切にしたい。そんな模索をしつつも、どこで働き、どんな人と出会いたいかが定まらずに焦っていた。そしてエージェントさんに誘われて、実家近くの税理士事務所に転職してしまった。「やりたいこと」と「できること」は分けてしまおう。そんな想いで入社してしまった。
「やりたいこと」がグラデーションのように広がりがある一方で、「できること」の世界は白黒のように厳しい世界だった。息を殺して働いていたと思う。幸せになりたいあまりに焦っていた。
キャリアブレイクがくれた余白
限界が来たのが、2023年12月のことだった。
「いつか休まないといけないかも」
キャリアブレイクという言葉を知ったのも、この頃だった。キャリアブレイク研究所主催の「無職酒場」が都内で開催されており、同じ境遇の人たちが沢山いることを知った。本当に心強かった。仲間がいるだけで一歩を踏み出す勇気をもらえるのかと感じた。
12月の仕事納めで、キャリアブレイクが始まった。
年が明けてからはとにかく休んだ。そして今までの垢を全て落とすように部屋の断捨離をした。1月は寝て、掃除するだけで終わった。しかしそれだけで、心の中も、目に見える風景も、きれいになっていくのは確実に感じた。
その後は、学生時代からの仲間と撮影旅をしたり、好きなものに没頭したりする時間を創っていく中で、心に大きな余白が生まれた。コーチングを学んでいたおかげもあり、内省で湧きあがるものを感じて、心療内科も2月には卒業した。
本当に自分が好きなことを仕事にしたい。今までの全てのリソースを好きなことに活かしたい。
そんな想いを持ちながら、2回落ちていたコーチングの実技試験に受かり、まちづくり会社に仕事が決まり、新しい学びや、新しい人間関係の出会いも生まれた。
いっぱい手放した分、新しい風が吹いてきた感覚がある。
人と街がすき。その変わらない想いは京都での暮らしのなかで生まれたと思う。短い生活の中で「この街で生きていく」と決めた。何度も心の中で生死を繰り返しながら、今の自分に引き継がれている。だから、いつかまた京都で暮らす日々ができたらいいなと思う。
京都での暮らしをきっかけにはじめた創作活動は、今ではポートレート撮影の依頼や作品創りにつながっている。京都に感謝を示したく、来年の文学フリマ京都ではこれまでの作品を出展してみたいと思っている。
今年が「はじまりの年」になったのは、キャリアブレイクがあったから。
冬の後に春が来るのを諦めなくて本当によかった。
古い自分を捨てるには本当に勇気がいる。怖くて寂しかった。そのときに撮った写真たちが、感情の日記のように今に伝えてくる。
小学生のとき、不登校で学校に行けなかった自分に両親から「大きくなったらきっと生きやすくなるよ」と伝えられた。「本当にそうかな」とは思っていたけど、人や環境に恵まれてきた今、その言葉の答えが少しずつ、見えてきている気がする。
私の名前は「真」だ。
その名の通り「真=ほんとう」を生きたいという想いに気づいた。
感情や言葉や人に嘘をつかずにやりたいことをやっていく。時にはコーチとして、写真で作品を創る人として、人や街を文化を共に創る人として。それらは人とつながるリソースだと思う。
今もなお、最適解は探し続けている途中だけれど、悩んで、でも最後は直感で「今、この世界を選んでよかったと」と心からそう思う。
また春先になったら、出町ふたばで豆餅を買って、鴨川を歩きながらあの頃の自分に感謝する旅路を歩きたい。
柴山 真(しばちゃん)
1992年、東京都生まれ。大学卒業後、税理士法人・税理士事務所で7年ほど従事。その後、地域創生や地域活性化に興味を持ち、ベンチャー企業に転職。前職経験を活かし財務・経理を担当している。2022年4月からコーチングの世界へ足を踏み入れ、2022年7月より「旅することば舎」の名のもと、パーソナルコーチとして活動を開始しました。2024年3月には米国CTI認定CPCCを取得。
現在は「旅するコーチ×カメラマン」として、旅先で出会う言葉や土地のエネルギーをセッションに活かし、クライアントの心の奥底へ深く繋がることを目指している。言葉と視覚の両方で心の表現を引き出し、共に心の旅に出るようなセッションを提供。主に20代、30代の方を対象に、ライフステージの大きな転換期を迎える方へのコーチングを提供しており、葛藤を抱え、未来への不安を感じている方々に寄り添い、その方だけの答えを見つけるお手伝いをしている。
Instagram:https://www.instagram.com/lifefilm_jup/
執筆:柴山 真(しばちゃん)
編集:つじのゆい