2026.10.01

好きを拾う、生活は踊る

32歳の秋。仕事を辞めた。次の宛もない、それでも京都でならと思えた。

働くってなんだっけ?

当時の僕は、社会人として東京で暮らしはじめて9年目。ゲーム会社でグラフィックデザイナーとして働いていた。自分の中に才能の片鱗は見えず、かといって積み上げてきたものを捨てる度胸もない。大都会・東京で優秀な同僚たちに囲まれ、「これが天職なんだ」と自分に言い聞かせる毎日。自分を見失いそうな中で、身につけた防衛術はヘラヘラとマイペースを装うこと。

いつしか仕事が“苦しいもの”へと変換されはじめていた。だけど気づけばもう30歳過ぎ。後戻りできるものかと、いま握りしめているものに必死でしがみつく。

限界がきた、いや、限界が見えてしまった。とにかく、「働くことが辛い」。憧れていた仕事なのに楽しむことができない。キャリア、才能、給料、年齢、将来。そういったものが頭の中でグルグルと渦を巻き、眠れなくなってしまった。逃げ出したいのに、まだ何かにしがみつきたい。そんな矛盾の中で身動きが取れなくなっていた。整理して考えれば解決していたかもしれない。それでも当時の僕にそんな余裕はなく、家に帰ればメソメソ。

東京時代に住んでいた街。ここに住んでいなかったら、とっくの昔にダメになっていたかも

「辞めさせてください」たった9文字の言葉を呪文のように繰り返し練習するも、上司と対面すると喉に詰まる。バンジージャンプで飛び降りる瞬間ってこんな感じかな、と意味のわからないことを考える。明日こそは明日こそはと思いながら、実際に伝えられたのは半年後。

結局、会社には本当の退職理由を伝えられなかった。みんなが当たり前のように仕事をこなす中、「自分は何もできない弱い人間です」と告白しているみたいで。本当は辞めたくないけど不本意ながら……と適当な理由をつけ、ヘラヘラと会社から逃亡した。最終出社日に同僚から掛けられた優しい言葉に心臓がギュッとなる。

キャリアってなんだっけ?

「生活の延長線に仕事があったら幸せだろうな」

退職を伝えるまでの半年間、そんなことばかり考えていた。毎朝ハイテンションな音楽を聴き、カフェインを流し込む。スイッチを切り替えるように会社員としての自分を見繕う。仕事、生活、仕事生活仕事。スイッチをパチパチと切り替える度に自分の心をすり減らす。そんな毎日はもう辞めたかった。

もっと仕事と暮らしの境界線がフラットになるような、楽しく暮らしているだけで不思議とお金が舞い込んでくる、こんな妄想を膨らませる。そんな甘い仕事あるわけない、だけどもしあったらどうしよう。甘々な妄想を繰り広げる毎日が続いていた。

幼い頃から“何かを作る”仕事をしたいという考えは一貫していた。

昔から工作が好きだった僕は、自然とデザイン科のある大学へ進み、自然とグラフィックデザイナーという仕事を選んだ。休日になれば粘土を捏ねたり、観葉植物の剪定をしたり、新しい料理に挑戦したりと、手を動かしている間は時間を忘れて没頭できた。いつしか何かを作ることが僕の生活の一部となっていた。

グラフィックデザイナーという仕事においては努力不足、情熱不足、能力不足を痛感したが、作ること自体は依然として好きだった。手を動かしてきた時間が今の僕を形成しているとすら感じる。今までは単なる生活の一部だったものに、急に仕事としての可能性を感じ始めた。

大学時代の卒業制作「からくりを覗く」

「会社員としてキャリアを積むことだけが仕事ではないのかも」
「安定した仕事に就くことだけがいい大人になることではないのかも」

せっかくならキャリアのことは忘れて、焦らずゆっくり次の仕事を決めよう。そう思い始めてからは心がスーッとした。本当に自分がやりたい仕事は何処に!

とはいえ、仕事や収入、変なプライドも捨てちゃおうという自分が、東京に居続けることに不安があった。街に繰り出せばリクルート広告やキラキラした会社員、周りの友達も順当に出世をしている。「……正直かっこいい」

一体お前は何を学んだのか、『グラフィックデザイナー 正社員』という採用募集に飛びつく自分が目に見えた。コンニャクのようにフニャフニャの自制心を持つ僕は東京に居ちゃダメだ。「おら、東京を出るだ」

京都ってなんだっけ?

「そうだ、京都行こう」
そう思い立ったのは、京都の街並みをルンルンで歩き回るイメージがふと湧いたから。

社会人になって以降、京都には旅行で毎年訪れていた。早いうちに有名どころを巡りきってしまった僕は、次第に好きな小説の舞台を巡るようになった。その中で見つけた喫茶店のナポリタンの味、銭湯での爺ちゃんとのお喋り、鴨川で浴びた風や日光。京都といって思い浮かべるのはそういった等身大の日常ばかりだった。

あの日常の中にいる自分は楽しそうにしていた。移住を決断する理由はそれだけあれば十分だった。早速京都に再訪し物件を決めた。

引っ越し搬入前夜に見かけた焼き芋屋さん。京都での新しい生活に胸が膨らむ

観光都市・京都。古い町並みや寺社仏閣が多く残り、非日常を求めるインバウンド客で賑わう街。そんなイメージを持たれがちだけど、それだけがこの街の魅力ではない。

例えば鴨川。観光客で賑わう繁華街・四条河原町から東へ数分歩けば四条大橋が見えてくる。その下には一級河川・鴨川が流れ、長閑な風景が南北へとまっすぐ伸びている。ここから河川敷へと降り北を目指す。見たことのない楽器を演奏するおじさん、羽根を大きく広げて羽干しをする青鷺、観光客のおにぎりを狙う鳶たちをムムムと観察しながら45分の散歩。やがて地元民や観光客の憩いの場・デルタが現れる。飛石に腰掛けて川に足を浸す人、土手に座り込み談笑する大学生。みんな笑っている。その様子を眺める自分の口角も自然と上がる。

観光都市に住むからといって無理に名所を巡る必要はない。そんな選択肢があってもいいんじゃないかしら。京都という街は、その選択を否定しない。「これが正解の楽しみ方です」なんて正したりしない。責めも急かしもせず、ただただこの時間を許してくれる。

そうして続く京都での生活の中で、何てことない景色に魅力を感じ始める。広告や雑誌から教えられたのではない、生活を送る中で気づいた僕だけの〝好き〟が貯まっていく。

京都は〝選択する余白〟がある街だと僕は思う。

なぜか布団屋のシャッターに描かれたウェディングのイラスト
徐行の赤ちゃん
蚤の市で見つけた登山人形

生活ってなんだっけ?

園芸には『切り戻し』という専門用語がある。伸びすぎた枝を切り詰めることで樹形を整えたり、不調だった新芽の成長を促す技術のことだ。将来に悩み立ち止まってしまった自分自身を、“キャリアブレイク”という形で切り戻してあげたことは、僕にとって大きな転換期だったと思う。

一抹の不安を抱きながらもキャリアに執着する自分を手放してみると、日々の生活の中に本当の自分が見つかりはじめた。梅干しを漬けた、道端の植物の名前を調べた。そんな生活の中の些細な変化を“成長”と呼べるようになった。

生活はもっと楽しくたっていい。失敗もたくさんしていい。京都の街でたくさんの”好き”を拾ってきた僕は、少しだけ強くなり、それでもまだまだ弱い自分自身を許せるようになった。

そんな僕は、工作機材を備えた風変わりなカフェで昨年から働きはじめている。機材の無償利用という福利厚生に目が眩み、邪な思いで応募した仕事だ。だけど今ではコーヒーを淹れている時間が楽しい、お客さんとお話している時間が楽しい、自転車で職場に向かう時間が楽しい、植栽を弄っている時間が楽しい。働くって楽しいことなんだ。初めてそう思えた。

あの時に料理を好きになれたから。あの時に植物を育て始めたから。あの時に作ることに夢中になれたから、あの時に京都を選んだから。生活の中で拾ってきた、たくさんの“好き”が、仕事を楽しめる今の僕に繋がっている。

僕は今の生活が好きだ。

鈴木 実訓

1992年、岩手県生まれ。大学卒業後は広告代理店やゲーム会社でグラフィックデザイナーとして働いた後に退職、2024年に京都へ移住。今はカフェ店員としてコーヒーを淹れながら、併設する工作機械でカラクリ作りに励む。休日は蚤の市へ繰り出して郷土玩具を買い漁る。ニコニコの日々。

執筆:鈴木 実訓
編集:つじのゆい

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