募集終了2016.09.11

食と暮らしをつなぐカフェ。まちの未来をつくる仕事(後編)

人口約8万3500人。京都府北部にある舞鶴市は、軍港から発展した東舞鶴と、城下町や商港として賑わった西舞鶴から構成されます。市内中心部にある標高約300メートルの山「五老岳」にそびえる展望タワーからは、「近畿百景第1位」に選ばれたリアス式海岸や緑豊かな山々の雄大な景色を眺めることができます。その五老岳の麓で始まる「kan,ma上安プロジェクト」。

地元の食材やこだわりの料理を提供するカフェでの仕事のカギは、“人”。前編のお二人の取材後、大滝さんに連れられて、舞鶴で暮らす3人の方を訪ねました。

「家ありき」の暮らしからの脱却

舞鶴の老舗企業「大滝工務店」のインテリアコーディネーター、田中久美子さんは、「kan,ma上安プロジェクト」の発起人、大滝雄介さんが信頼を寄せる人物の一人です。田中さんは、今回の求人となるカフェに併設するオフィスで“暮らしのコンシェルジュ”として常駐し、居住者の相談にのったり、地域を一緒に盛り上げていく予定です。

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田中さんは今、生まれ育った舞鶴で自然とともにある暮らしを満喫していますが、以前は「舞鶴が好きではなかった」と言います。「冬は暗いし寒い。遊べるところも何もない」。高校卒業後、舞鶴を出て京都市内の芸術系大学でファッションデザインを専攻。卒業と同時に、デザイナーとして京都市内のアパレル企業で働きました。

5年が経ったころ、オーストラリア州政府の来客接待をきっかけに、仕事を辞め、ワーキングホリデーで約1年間、オーストラリアへ。皮製品のアパレル企業でデザインの仕事に携わった後、バックパッカーとして各地を周り、お金持ちの近代的な家屋やアボリジニーが運営するゲストハウスなど、たくさんの人の多様な暮らしに触れました。多くの移民が暮らすオーストラリアで、それぞれに合った暮らし方を垣間見て、住まいの多様な楽しみ方に興味を持つようになったと言います。

帰国後、結婚を機に自らの暮らしを通して「住まう」を実感。

「夫が建築士だったこともあり、昭和の古民家をリフォームして住んだり、マンションで暮らしてみたり、念願の新築住居も建てました。現在のインテリアコーディネーターの仕事は、そんな実体験が生かされています」

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他方、家具・インテリア事業を営んでいた家業を手伝うため、約13年前に舞鶴へ戻った田中さんは、あることに気がつきます。それは「暮らしのない設計」が当然のようにまかり通る業界の常識。完成間近の新築に置く家具を購入するため、来訪客の持っていた図面には、ベットを置けない寝室や人が動く“動線”のないリビングなど、建てた後の暮らしをイメージできない設計がありました。

その後、働き始めた住宅業界でも、椅子がひけないほど狭い部屋に家具を詰め込むなど、作り手優先の設計手法に疑問を持ち「もっと使う人のことを考えた設計ができないのか」と考えるようになります。

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そうした中、巡り合ったのが大滝工務店のインテリアコーディネーターの仕事。それは、舞鶴に戻ってきたばかりの大滝さんが、組織の変革を目指して新しい人材を募集していた時期でした。大滝工務店に入社した田中さんは、新社長・大滝さんと従来からいた社員たちの人間関係がまだ構築されていない状況の中、ときに板挟みになりながら、理想とする家づくりを模索してきました。

「いろいろありましたが、今はお客さんが本当に望む家づくりに携われる喜びを感じています。家を建てることは、一生に一度あるかないかの大きな買い物。使う人に合った暮らしやすい家をつくるために、顧客の要望を聞き、最善の道に誘導しながら暮らしをコーディネートするのが、自身の役割だと感じています」と、やわらかな物腰で静かに語る田中さん。丁寧な言葉の奥にインテリアコーディネーターとしての信念が垣間見られます。

数年前、初めて社長のkan,maプロジェクトの構想を聞いたとき、田中さんは大反対したそうです。

「いい加減な思いでやっても絶対にうまくいかないし、経営の視点からもちゃんと考えているのか、いろいろと口すっぱく言いました」

でも、何度か大滝さんに問ううちに、地域を盛り上げていくために、大滝工務店が既存の家づくりの枠を超え、町の将来のために新しい役割を担おうとしていると確信できたそうです。

田中さんは今、kan,ma上安のカフェができるのを楽しみにしています。

「舞鶴にはカフェが少なく、みんながほっとできる場所になればいいと思います。これからカフェで働く人には、地域の皆さんと信頼し合いかざらない人間関係を築いていってほしいです。良いことも悪いことも何でも話し合いながら、誰もが来たくなるようなお店になったらいいですね」

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「じいちゃん・ばあちゃんになっても一緒って楽しい」

舞鶴の特産品、万願寺とうがらしを使った「万願寺まつり」、日替わり店長のカフェ「FLAT+」、町家を改修してイベントやセミナーを開く「宰嘉庵(さいかあん)」…。舞鶴市内には、ここ数年、地域の人々が集う新しい場が増えつつあります。そんな地域を盛り上げる活動に携わってきたのが、舞鶴で生まれ育った矢野麻衣子さんです。

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田中さんとは対照的に「ずーっと舞鶴が大好き」という矢野さんは、高校卒業後、京都市内の大学に進学して油絵を学びましたが、「空気がおいしい舞鶴に帰りたい」と、卒業後に戻ってきました。

現在は、舞鶴の名産、万願寺甘とう農家で働いていますが、それまで舞鶴を拠点に印刷会社や地元の大手企業、市役所、京都府、喫茶店、花屋などさまざまな職場に身を置いてきました。正社員やパートタイム、アルバイト、いろんな形で多様な分野の仕事をしてきましたが、それらのほとんどは「人とのつながり」の中で生み出されてきたもの。

そして、矢野さんは仕事で培った様々な縁やスキルを生かしつつ、まちを元気にする活動に力を入れています。その一つが、赤岩高原という集落にある「雲の上のゲストハウス」の運営。20代から80代の地元の有志17人が出資して、村の大工さんと一緒に古民家を改修した簡易ゲストハウスです。その名のとおり、晴れた早朝には雲海が眼下に広がる美しい風景を見ることができる場所で、ここに客人として泊まった後、舞鶴が気に入って移住してきた人もいるそうです。

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2012年には、大滝さんや舞鶴を想う仲間と一緒に築130年の町家を改築。宰嘉庵(さいかあん)と名付けた新しい空間は、レンタルスペースとして利用されています。

そして、この町家再生プロジェクトを足かけに結成されたのが、まちづくりチーム『KOKIN』です。

「点在する古い家屋などを活用して何かできないかと始まりました。古今という名前は、文字通り古いものと新しいものが混在しているイメージ。建物と自然が作り出す景観は舞鶴の魅力で、“古”から今に続く人々の歩みを現代の価値観に合った形で伝えていきたいとの思いが込められています。一人一人が町の良さを発見し、それぞれが当事者としてかかわり、まちを良くする“主体”が増えていくことを目指しています」

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真剣な眼差しでこう語った後、矢野さんは笑顔でこう話してくれました。「いろいろやってますが、結局はじいちゃん・ばあちゃんになっても周囲に昔からの知り合いがいるって楽しいじゃないですか」。家庭の事情や家族の都合などで、一度舞鶴に来た後に、再び離れていく人もいるけれど、「来るもの拒まず去るもの追わず」の姿勢で、たくさんの人とのつながりを大切にしています。

「農薬を使わない信頼できる野菜をはじめ地元で採れる食材を食べて、見知った仲間と日々顔を合わせる。そんな小さくて自然な暮らしが一番いい。そういう生き方でいいのだと、現代の新しいライフスタイルとして提案し、共感してくれる人が増えていけばいいですね」

生活の原風景が残る“ホンモノ”がある町

人や物流の拠点として発展してきた舞鶴には、新しいものを受け入れる包容力があり、そんな大らかな雰囲気に居心地の良さを感じて県外から移住してくる人も少なくありません。

舞鶴市中心部から約30分、由良川沿いの舞鶴市久田美で暮らすファッションデザイナーの河崎吉宏さんは、横浜出身。2013年に移り住み、使われていなかった古民家を自ら改修し、他にはないおしゃれなアトリエとして活用しています。現在、市内で見つけたガソリンスタンドの跡地を利用し、ショップオープンに向けた改築も進めています。

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河崎さんは、アパレル企業で経験を積んだ後、「服の原点を探す旅に出よう」と2年ほど世界をまわって民族衣装を収集する旅に出ました。そして、2000年にブランド「HALLELUJAH(ハレルヤ)」を立ち上げ、100〜200年続くヨーロッパの羊飼いの作業着をテーマに、100年後も残る服作りを目指しています。

2005年には東京コレクションでデビューし、今やパリやベルギー、ロンドンにも取り扱う店舗を持つ河崎さん。肌に優しく、丈夫な天然繊維“リネン”の個性を生かした風合いのある作品に対する信頼は厚く、世界各国から注文が相次ぎ、数カ月待ちの商品もあるそうです。そんなこだわりの服づくりの拠点として、河崎さんが舞鶴を選んだのはなぜでしょうか。

「タイミングっていうのは、願っていれば向こうからやってくるものかもしれません。それまでパリなど世界各国で暮らしましたが、やっぱり日本が一番。ルーツのある場所で暮らしたいと思っていたときに、舞鶴にあった曽祖父の空き家を壊す話が舞い込んできました。子どものとき、夏休みに訪れたことがあった古民家で、もう80年以上人が住んでいませんでしたが、壊すなんてもったいない。改修してアトリエにしようと決めました」

また、ファッションを軸に活動の幅を広げてきた河崎さんは、これまで映像制作の仕事や、学校づくりのプロジェクトに携わってきました。教壇に立つ機会もあり、そのとき気になったのが、世界的に著名なファッションデザイナーにチャンスを与えられても、外へ出て行く勇気が持てない学生がいたこと。

「教えるばかりでなく世界で実践している自分の姿を若い人に見せようとパリでの活動を開始し、ヨーロッパでも認めてもらえるようになりました。都会では何でも手に入れることが出来る、けれど原点となる “ホンモノ”を見つけるには外に出て行かないと」と、自ら外に出ること、ホンモノに触れる体験の大切さを伝えています。

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そして、一定の成果を携えて帰国後、次は日本でゆっくり暮らしながら、作品が出来たらパリに売りに行く。そして服づくりと同じように、昔から伝わる家を再構築する作業をすることになったのです。一緒に服をつくっている妻の由有子さんも「舞鶴は意外と世界に近いんですよ」と今の生活が気に入っているそうです。

「舞鶴には“ホンモノ”がある」と河崎さんは言います。「ホンモノを見極めるためには、自分から見つけにいかないといけない」。そして、そんなことを勉強できる遊び場とは、ビジネスで使う頭とはちょっと違う、“ホンモノ”を見つけられる場所かどうか。昔からほとんど変わらない風景のなかで、山や畑、海で採れたものを食べて、自然とともに丁寧な暮らしをする生活こそ、河崎さんのいう“ホンモノ”なのです。

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また、河崎さんは、舞鶴の魅力を「カオス」と表現します。

「自然と共生した生活の原風景が残る舞鶴で、楽しい人たちが集まって文化を造り上げていく、何かが生まれる過程のおもしろさを感じています」

河崎さんは、モノづくりに対するこだわりやストーリーを持ったクリエイターたちの作品を、国内外に発信するホームページ「KIWO UETA」の運営も手がけています。展示会を開いたり、仕事だけでなくみんなで遊べる場所をつくる。そのための仲間を増やしたいと考えています。

舞鶴での暮らしを、「何もない退屈な生活」ととらえるか、「“ホンモノ”がある町」と思うか。少なくとも今回ご紹介した舞鶴の住人たちは、自分たちでつくる暮らしを楽しみながら、それぞれが理想とする生き方に向かって突き進んでいました。おもしろい生き方をしている人がいる場所には、おもしろい人が集まります。

海と山の幸に恵まれた旬の食材やこだわりの素材を使ったカフェでのお仕事は、地域に根ざしながら今回ご紹介したような人たちと共に、自分たちの手にしたい暮らしや、仲間をつくってゆく仕事になるんだと思います。たくさんのユニークな仲間たちが舞鶴であなたを待っていますので、気になった方はエントリーしてみて下さい。

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