募集終了2023.08.21

茶道文化が息づく京都・紫野で、不易流行の畳づくりを極める

清々しい草の香り、足裏から伝わるやさしい感触、きめ細かな畳の目――。普段の暮らしや懐かしい記憶の中に息づく「畳」は、日本の住文化をまさに足元から支えている生活資材です。現代に近い様式になったのは、茶室建築が確立された桃山時代の頃といわれ、京都がその先進地でした。

今回ご紹介する株式会社もとやま畳店(以下、もとやま畳店)は、そんな畳の歴史と密接にかかわる京都・紫野の地で100年以上続く老舗の畳店。すぐそばに茶の湯の聖地とされる大徳寺があり、周辺には茶道家元とその伝統を支える職人衆の拠点が点在しています。

「この地域で認められれば、全国どこででもやっていける」。そう言われるほどハイレベルなものづくりが要求される京都・紫野で、日本の畳文化を継ぐ職人を目指しませんか?

時代に翻弄された末、BtoCを再構築

もとやま畳店は、1916(大正5)年頃に石川県出身の初代が創業し、以来四世代にわたって受け継がれてきました。「注文通りに畳を作って納める」という基本は同じですが、畳業界を取り巻く状況はこの半世紀の間に大きく変わっています。それを間近に見てきたのが、四代目店主の本山浩史(もとやま・ひろし)さんです。

「私が子どもの頃は、家に畳の間があるのが当たり前でしたから、ご近所のお客さんを相手にした地域密着型のBtoCの商売が普通に成り立っていました。ところが高度経済成長を境に、われわれ畳屋がお客さんと直接取引をする機会はだんだんと減っていきます。
新しく家を建てる時に工務店が一切を取り仕切るようになり、大工も左官も畳屋もみんな工務店の下請け業者に組み込まれていった。父の代でそんな転換期が訪れて、私が見習いに入った90年代の初め頃には、工務店相手のBtoBの仕事が売上の約半分を占めていました」

時はバブル崩壊直後の平成不況期。受注件数の減少や価格競争が激しさを増す中、本山さんは「このまま下請け仕事に頼っていては先細りするだけだ」と、BtoBからの脱却に向けて動き出します。当時普及しはじめたばかりのインターネットを活用し、日本中、さらには世界中を視野に入れたBtoCの再構築を目指したのです。

海外で、東京で、畳のニーズを次々発掘

「以前、旅行代理店に勤めていたので、海外進出への抵抗感はあまりなかったですね。日系企業が進出しているアメリカの都市部では、日本人の駐在員が増えていると聞いていましたから、畳を欲しがっている人もいるだろうと見込んで営業を開始しました」

予想は的中し、営業先のアメリカ・ロサンゼルスで次々に注文を獲得。BtoCを軸に日本食レストランへの卸ルートも独自開拓しました。京都から完成品を発送する一部のケースを除いては、本山さん自ら道具や材料を携えて海外出張し、採寸から製作、納品までをすべて現地で行いました。畳業界では前例のなかった、画期的な取り組みです。
京都の職人が作る上質な畳の良さは口コミで広がり、やがて日本文化に関心を寄せるアメリカ人の間でも評判に。海外対応の開始から20年以上を経た現在も、月に1〜2件のペースで注文が入るそうです。

また、もとやま畳店では海外事業と並行して、東京を中心とした関東方面での事業展開にも力を入れてきました。海外進出時と同様、「ニーズがある」と踏んでいたからです。

「畳は大きく分けて、サイズの大きな京間と小さめの江戸間の2種類があり、現代の住宅では江戸間が主流となっています。ですが、お茶室では伝統的に手縫い仕上げの京間の畳が使われます。関東にも畳屋は数多くありますけども、茶道家の先生などにお話を聞くと、向こうではなかなか満足のいく畳が手に入らないと。
そこでホームページを通じて情報発信を始めたところ、やはり反響がありまして。今は東京にも工房を置いて、関東のお客さんのご注文に対応しています」

地元の職人仲間と茶室を手掛ける

国内外に商圏を広げることでBtoCへの回帰を果たしたもとやま畳店ですが、「地元のお客さんとのご縁は変わらず大事にしていきます」と、地域密着の姿勢も維持しています。そこには、本山さんの地元に対する特別な思いがありました。

「この仕事を始めて痛感したのは、非常に目の肥えたお客さんが多い土地柄だということ。例えば、畳を入れ替えたあとに家具を元の場所へ戻す時、位置が少しでもズレたら、『そこ、違うで』とすかさず指摘される。美意識が高くて、細かいところまで目が行き届くんですね。
だからこちらも隅々まできちっとしなあかんと、妥協せんようになります。畳屋に限らず、京都の職人はそういうお客さんに育てられて一人前になっていくものだと思います」

もとやま畳店が本社工房を構える紫野には、数寄屋大工や表具師、指物師など、目の肥えたお客さんも一目置くほどの名工が集っています。本山さんとはもちろん顔馴染みで、互いの仕事ぶりもよく知る間柄です。
ある時、「茶室の畳の一部を江戸間から京間に変えたい」という依頼を受けた本山さん。畳の変更にともない「炉」の位置を変える必要が生じたため、紫野の大工や左官の力を借りて無事に茶室のリフォームが完了した、という出来事がありました。

「お客さんは炉の移動なんて簡単にできないだろうと諦めかけていたので、実現したことをすごく喜んでくださって。こんな形で茶室に関するさまざまな要望にお応えしていけたらと、紫野の職人さんと一緒に茶室の施工やリフォームを手掛ける『紫匠庵』という組織を立ち上げました。うちが窓口となって全体のコーディネートを行っています」

もとやま畳店が立ち上げた茶室専門の施工会社「紫匠庵」には、裏千家職方で表具全般の仕事を手掛ける表具工房「静好堂中島」をはじめ、数寄屋建築に精通した職人が多数参加しています

本山さんはこうして地域に根ざす一流の職人仲間とともに茶室のプロデュースを手掛ける傍ら、「おうちで気軽に茶道を楽しめるように」と現代の住まいに適した畳の開発にも乗り出しています。

「置き畳と言いまして、フリースペースがあればどこにでも茶室風のひと間がつくれる京間サイズの畳です。厚みのあるタイプなら置き炉を埋め込むこともできます。われながら発明品やなぁと思っています(笑)」

本山さんが考案した「置き畳」は、スペースに適した個数を並べるだけで茶室空間が生まれる優れもの

やり手のビジネスマンさながらの発想力と行動力を発揮する本山さん。会社の規模拡大を意識しているのかと思いきや、「そんな大層な野心はありません。これまで通りお客さんに喜ばれる仕事を続けていく中で、自然と成長していけたら……」という考えです。

専門学校と連携し、次代の畳職人を育成

地道に取り組むのは、畳づくりや経営ばかりではありません。もとやま畳店では長年、京都畳商工協同組合が運営する「京都畳技術専門学院」の入学生を受け入れ、卒業までの4年間、実務経験の場を提供し、畳職人の育成に貢献してきました。
本山さんが家業を継いで以降も約10名がもとやま畳店を巣立ち、実家の畳店を継いだり、独立して店を構えたりしています。同学院の卒業生でもある本山さんに、学校で学ぶメリットについて聞きました。

「京畳の伝統技法を4年間でしっかり学べる点ですね。畳屋で学ぼうと思ったらもっと年数がかかりますし、店によって教え方も違ったりするでしょうから、学校で教わるほうが理に適っています。気の合う仲間に出会えるのも、学校ならではの良さだと思います」

授業があるのは火曜と木曜の週2日、そのほかの曜日や授業の前後、畳店へ出勤するのが基本的なスタイル。製造補助から始まって、機械縫いなどの応用技術から接客対応、事務作業まで、実務全般を学ぶことができます。

今回の求人にあたり、どのような人材を迎え入れたいのか、またどのような人がこの職業に向いているのかをたずねました。

「畳屋の後継者に限らず、ものづくりに対する熱意がある人ならどなたでも歓迎です。器用、不器用は問いません。ただ純粋にいいものを作りたい、人に喜ばれる仕事がしたいという気持ちがあれば、おのずと上達していくものです。技術だけでなしに、真摯に仕事と向き合う、人格的にも優れた職人になってほしいと願っています」

これまでは4年を一区切りとしていましたが、「できればその後もうちの一員として長く勤めてもらいたい」と本山さん。その場合は本人の希望を尊重しつつ、海外や東京、紫匠庵といったさまざまな活躍の場が提供されます。

出来栄えを喜ぶお客さんの笑顔が励み

現在、京都畳技術専門学院に通いながら見習いとして働いている方にもお話を伺いました。2020(令和2)年、京都府京丹後市からやって来た梅田拓実(うめだ・たくみ)さんです。畳店を営む父の背中を見て育ち、高校卒業後、畳店を継ぐ決意を固めて同学院へ進みました。

「ほかの選択肢も考えましたが、子どもの頃からものを作るのが好きだったので、畳職人が自分に一番向いているのかなと思って。そこで、父が昔通った京都畳技術専門学院に入り、畳製作の知識や技術を学ぶことにしました。
実務経験をさせてもらえる事業所を探していたところ、たまたまもとやま畳店で人員を募集していて、しかも親方(本山さん)が父の修業時代の同期だったんです。ここなら安心だと思い、迷いなく応募しました」

入社3年目を迎えた梅田さんは、「だんだんと本格的な仕事を任せてもらえるようになってきました」と充実した表情。工房内の掃除や道具の準備、在庫管理など1年目から続けている作業に加え、最近は「表替え」を担当しています。

表替えとは、古くなり傷んだ畳表を剥がし、新しい畳表に張り替える仕事。隙間やムラができている部分もきれいに修正し、新品さながらの畳に仕上げます。その出来栄えを喜んでくれるお客さんの笑顔に、梅田さんはいつも励まされるそうです。

学びと実践の両立による成長の手応え

一方、学校では畳の授業以外に、建築の基礎や建築法、広告などの基礎も学んでいるそう。「学びながら仕事をしているので、習ったことをすぐに活かせるし、ノウハウも早く身につきます」と、学校と実務の両立による相乗効果を実感しています。反対に、両立の難しさを感じることはないのでしょうか。

「実技の授業が朝から夕方まで続く時期があるのですが、その影響で店の仕事に遅れが出た時でしょうか。その時に覚えた段取りの付け方は、将来の仕事にも活かせると思います」

梅田さんが「両立よりも大変だった」と語るのは、畳屋の力仕事に慣れること。畳は重いものだと1枚35kg程度の重量があるため、技術以前に体力が肝心なのです。

「最初の頃は体力を回復するのに1日では足りない時もありましたが、3ヶ月も経つと筋力と体力がついて疲れも軽減しました。仕事のペース配分や段取りが掴めると、休憩を取るタイミングが見つけやすくなり、休み方も上手になっていくと思います」

一点モノに近い畳づくりのやりがいと難しさ

体力・技術・知識を身につけ、着々と畳職人の階段を昇っている梅田さん。任せられる仕事が増える中、どんなところにやりがいと難しさを感じているのでしょうか。

「畳は一見どれも同じで、流れ作業で作られているかのように見られますが、実際は一つ一つ寸法が違い、その畳に合わせてヘリなどを作製するオーダーメイド的な作業で成り立っています。だからこそ、作り甲斐があり、完成後の達成感も大きいですね。
でも、まだまだだなと思うこともあって。納品時、敷き込んだ畳の段差をなくすために調整用の資材を挟むのですが、量や位置の見極めが難しく、いつも悪戦苦闘しています。もっと現場経験を積んでスムーズにできるようになりたいです」

最後に梅田さんは「一人前になってからですけど」と前置きした上で、畳職人として今後挑戦したいことを教えてくれました。

「日本の畳は外国からの支持が高まっている反面、国内需要は減少傾向にあります。畳の魅力を十分に伝えきれていないのだとしたら、もっとPRをする必要があるのかなと。家業を手伝いながら、新しい畳の形や用途について考え、全国に向けて発信していきたいと思います」

ゆるやかな時間が流れる京都の暮らし

畳職人を目指す人にとって、畳製作の技術・技能を学ぶ環境が整った京都は絶好のまちといえますが、“暮らしやすさ”はどうなのか。その疑問に答えてくれたのは、2022(令和4)年秋、本山さんとの結婚を機に大阪府堺市から移住した本山幸恵(もとやま・さちえ)さん。現在、もとやま畳店の運営に関わる事務・接客業務、紫匠庵のコーディネート業務など、「畳づくり以外のすべて」を受け持っている、縁の下の力持ち的存在です。

以前からたびたび京都観光に訪れていたという幸恵さんは、「同じ関西圏でも、大阪と京都では時間の流れ方が全然違う」と言います。

「大阪はまちも人も常に慌ただしく動いていて、なんだか急かされている感覚になるのですが、京都は全体的にゆるやかな空気感に包まれていて、すごく落ち着きますね。いつかは京都で暮らしたいなと思っていましたが、まさか結婚という形で叶うとは、自分でも驚いています(笑)」

京都移住に胸を躍らせた幸恵さんとは対照的に、周りの家族や友人は「人付き合いが大変そう。やっていけるの?」と心配を口にしていたそう。確かに巷では、京都人はイケズだとか、よそ者に厳しいだとか、何かとネガティブな印象を持たれがち。歴史的な社寺や旧家が集うまちで暮らすとなれば、心配されるのも無理はないでしょう。幸恵さんも多少不安があったようですが……。

「イケズされるなんてことは全然なくて、皆さんやさしい方ばかりです。堺市出身ですと言うと、利休さんの出身地やんかー、縁のある所から来はったんやねーと歓迎してくださって、お茶のことや京都のこと、何でも気さくに教えてくださいます。超一流の職人さんなど普段なかなかお目にかかれないような方ともお話ができ、本当に贅沢な環境で働かせてもらっています」

楽しく一生懸命に学ぶことの大切さ

幸恵さんが職人さんとコミュニケーションを取る際に心がけているのは、「こちらの思いを一生懸命に伝えること」。例えば、茶室に関わる仕事を依頼する際、お客さんの要望に基づいた完成イメージを言葉で伝える必要があります。知識や経験の浅い幸恵さんにとっては容易なことではありませんが、熱意を持って伝えれば、相手も幸恵さんにわかるように応えてくれるのだそうです。

そんな幸恵さんの姿勢は、これから見習いとして働く人のお手本になりそう。上手にできなくても、ひたむきに一生懸命取り組んでいる人を、周りは応援したくなるものです。

職人さんとのやりとりを通じて、茶室に関する知識を深めつつある幸恵さん。お茶の文化と触れ合う機会が増える中で、すっかり茶道にハマってしまったそうです。
「見習いの職人さんも仕事を通じてお茶に興味を持つかもしれませんよね。茶道を習い始めて、予習・復習がしたい時はうちの茶室でどうぞ」とも話していました。

「近くに新大宮商店街があり、少し歩けば賀茂川もあって、ほかに足りないものがないというくらい、何でも揃っています」と、幸恵さんは暮らしの利便性にも太鼓判を押します。
「毎日が学びと感動の連続です」。笑顔でそう話す幸恵さんのように、何事にも前向きに挑戦できる人なら、京都生活はきっと充実したものになるでしょう。

京都には、伝統的なものづくりが深く広く根付いています。その中でも畳づくりは、今も人々の暮らしや文化とともにある“生きた伝統”に触れられる世界です。そこで自分を試してみたい、ものづくりで人を笑顔にしたいーー。そんな熱意を持った方をお待ちしています。

編集:北川由依
執筆:岡田香絵
撮影:進士三紗

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