世代を越え、手仕事の炎をつなぐ 2代目硬質ガラスペン職人が描く道

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京都のおもしろい人を訪ねる「人を巡る」シリーズ。京都に移住した人の体験談や京都の企業で働く人をご紹介する連載コラム記事です。移住するに至った苦労や決め手、京都の企業ならではの魅力など、ひとりの「人」が語る物語をお届けします。

第19弾では、硬質ガラスペン職人・菅清流(かんせいりゅう)さんをご紹介します。左京区北白川にある「ガラス工房ほのお」の2代目として、祖父・菅清風さんの後を引き継ぎ、日々製作に励む清流さん。美しさと実用性とを兼ね揃えたガラスペンは、日本国内だけでなく、世界中で愛されています。職人としての道を、これまでどのように歩んで来られたのでしょうか?お話を伺いました。

世界で初めてとされる、硬質ガラスペンづくり

――清風さんは、小さな頃から職人を目指していたのですか?

いえ、まったく。工房には、メディアが取材に来ているときに少し顔を出して、写真を撮らせていただくくらいでした(笑)

初めて工房としっかり関わったのは、高校生の時。「世の中にどんな職業があるのか、どんな風に商売をしているのか知りたいな」と、身近でできることから色々と挑戦をはじめました。その中のひとつとして、ここ「ガラス工房ほのお」で、仕事を手伝ってみたんです。

――実際に工房で仕事をしてみて、どうでしたか?

祖父が開いた当時の工房では、ガラスペンだけでなく、ネオンの製作もしていました。
基本的に職人って、手取り足取り技術を学ばせてもらえることってないんです。最低限の機械の使い方だけ教えてもらって、あとは自由にやれって(笑)
見様見真似でパイプ状のネオン菅をくっつけて、息を吹き込みながら作業をしていました。ほんの少しでも息が強いと膨張して破裂するし、吸ってしまうとペチャンコになるし……。上手くできるようになりたいと頑張っているうちに、だんだんとガラスの虜になっていったんです。

でもそのときに、ネオンよりもずっと難しいぞと祖父から言われていたのが、硬質ガラスペンでした。

――「硬質ガラスペン」とは、どのようなものなのですか?

硬質ガラスの特徴は、耐熱温度です。1200度以上という高温の炎でないと溶けないので、もともとは実験用のビーカーなどに使われていました。硬質ガラスを素材としてガラスペンを作ったのは、祖父が世界で初めてとされています。加工は難しいですが、ペン先の摩耗が抑えられ、滑らかな書き心地がつづくんですよ。

技術の結晶のようなガラスペンですが、実は当時、ほとんど売れていませんでした。平和を大切にしていた祖父が、ノーベル平和賞を受賞したり長生きをされたりした方などに、個人的に寄贈するためのものだったんです。この素晴らしいガラスペンを、もっと商売の知識を身につけて世の中に広めていきたいと、そんな想いで京都市内の大学に進学しました。

ですが、入学して間もない頃、唯一の弟子が工房を離れてしまったんです。そこで祖父から「ガラスペンの製作をしてみないか」と、声をかけられました。

本気で道を進むなら、人一倍の努力と覚悟を

――大学生活と修行は、両立できたのですか?

最初は大学に通いながら、修行していけたら良いなと思っていました。ですが、改めてガラスペンに触れたとき、痛感したんです。これは中途半端な覚悟でつくれるものじゃないなと。

本気でその道で生きていこうとしたら、人一倍努力しなければいけません。硬質ガラスペン職人への道に踏み出すなら、大学生活との両立は無理だなと考えました。

祖父は、覚悟を見る人でした。例えばお寿司の板前さんは、長い期間をかけて修行をしますよね。あれは何年もかけて技術を習得するというより、その人が本当に職人としてやる気があるのか、人生を捧げて覚える気があるのかと、覚悟を見る期間でもあると思うんです。祖父も例外ではなく、きっと僕に本当に覚悟があるのか知りたかったから、あえてこれまで「難しいぞ、簡単じゃないぞ」と言ってきていたんですね。

当時、僕は大学に入学して、まだ2ヶ月くらい。ですが覚悟を決めて退学届を出し、祖父に「弟子入りさせてください」と頭を下げました。そこで初めて、師弟の関係になったんです。

――周囲の反応はどうでしたか?

そりゃあ、反対されましたよ。喜んだのは祖父だけでした。でも、ガラスペンの素晴らしさを広めたいと思って大学に入ったのに、もしも僕の他に弟子が見つからなかったら、この技術が途絶えることになってしまいます。寝食の時間以外は工房に来て、死にものぐるいで炎に向かっていました。

ガラスペンの良さを、若い世代にも

――どのように修行の日々を過ごしたのですか?

最初に取り組んだのは、素材となるガラスを組み合わせて繋ぎ、ペンの軸をつくる作業です。それができるようになったら、次はペン先。順番的には模様の練習のはずでしたが、「ペン先を極めたら模様もできるようになるから、まだつくるな」と釘を刺されました。でも、不安だったんですよ。ペン先の練習だけで、本当に模様がつくれるようになるのかなって。

何回聞いても「模様はつくったらあかん」と返ってくるから、こっそり練習をはじめたんです。皆が寝静まった深夜2時頃に、1人で工房で火をつけ、ガラスをあぶってひねって。毎日、その日に一番良くできたものだけを箱に入れ、隠していました。

そしたらある日、祖父に呼び出されたんです。机の上にあったのは、隠しておいたはずの箱。これは怒られるなと身構えていたら、僕の一番の自信作のガラスペンを取り出し、「よくできたな」と褒めてくれたんですよ。

「指示されたことだけをやっているようなら凡人。それ以上にやる人間は成長する。私はあえて模様を作るなと言ったが、お前が実際に取り組んでくれて、とても嬉しい」と。それが、祖父に認めてもらった第一歩でした。

――本当に嬉しい瞬間ですね。

それからも厳しいところは健在で、「これはどうかな?」と持っていったガラスペンを、無言で叩き割られたこともありました。そんな中で、ようやく満足のいく一本が仕上がり、「これだったらお客様に出せるぞ」と言われたときは、涙が出るほど嬉しかったですね。

祖父・清風は、2019年の秋に他界しました。
僕は2代目として、祖父の名前に恥じないガラスペンをつくり続けていかなければ、と思っています。 

――最後に、これから頑張りたいことを教えてください。

最近はコストパフォーマンスが重視される世の中になり、職人が時間をかけて手づくりしたものよりも、安価で使い勝手が良いものが選ばれがちになっていますよね。若い世代の皆さんにも、もっとガラスペンを使ってもらえるような取り組みをしていきたいです。

割れてしまうのが心配とか、高価だから私にはまだ早いとか、気負いしてしまう方の気持ちも分かります。ですが、本当はボールペンや万年筆と同じ感覚で、気軽に使ってほしいものなんですよ。ガラスペンの良さを知ってもらうためには、実際に書いていただくのが一番。試し書きだけでも良いので、まずはぜひ、工房に足を運んでもらえたら嬉しいですね。

▼ガラス工房ほのお
工房内では、ガラスペンの試し書きができます。
遠方の方向けに、オンラインショップも開設されていますよ。
http://kanseiryu.com/index.html

記事の作成に関わってくれたクリエイター

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