2023.10.05

酒の肴は昆布料理と伏見の話。訪れる人の腹も心も満たす「おこぶ 北淸」

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京都の日常を彩る食を訪ねる「食を巡る」シリーズ。京都らしい食べ物や飲み物、京都移住計画メンバーのお気に入りの一品をご紹介する連載コラム記事です。食べることは生きること、京都での暮らしに彩りを与える物語をお届けします。

食を巡る第23弾は、京阪沿線・中書島駅のほど近くで昆布とだしを使った料理を提供する「おこぶ 北淸(きたせ)」。かつて花街として栄えた中書島と、この町のある伏見の文化を伝えながら、人と人をつなげる場としても機能するこのお店はどのようにして誕生したのか。老舗昆布店の四代目にして「おこぶ 北淸」の仕掛け人・北澤雅彦さんにお話を伺いました。

左から奥様の八重子さん、店主の北澤さん、娘の凛さん

若者に昆布を食べてもらえる場所を

「おこぶ 北淸」は北澤さんの曽祖父・太一さんが明治45年に開業した昆布の卸問屋からの流れを受け継いでいます。現在店舗のある中書島の商店街にはもともと昆布の加工場があり、隣接する町・伏見桃山の商店街に販売店がありました。北澤さんはうず高く積まれた昆布を間近で見ながら、花街の風情が残る中書島で育ったといいます。

「景気の良い時には祖父と父と私、3人がかりで昆布を加工していた時期もありました。しかし平成に入り、人々の生活スタイルが変化するにつれて次第に一般家庭でだしを取る機会が減り、従来のうちの昆布製品の売り方では厳しくなってきたんです」

現在も「おこぶ 北淸」の隣にある販売スペースで昆布を購入することができる

一時期はデザイナーとして家を離れて活動していましたが、家業を支えようと中書島に戻ってきた北澤さん。そんな折、2010年からNHK大河ドラマ『龍馬伝』の放映が始まり、寺田屋のある伏見桃山と中書島界隈に多くの観光客が押し寄せるようになります。

北澤さんは、これを契機に伏見に人を呼び込み、若い人にも昆布を食べてもらえる場所をつくろうと、加工場の一部を改装して飲食スペースを完成させました。

ところが開店を目前にして販売店を切り盛りしていた父親の信二さんが病気で亡くなり、観光客もドラマの終了と同時に減少。北澤さんは昆布の販売を一手に引き受けることになったため、飲食スペースはすぐにその扉を開くことはなかったのです。

立ち飲みイベント「月一」のはじまり

現在では酒蔵の町としてのイメージがすっかり定着している伏見桃山。ドラマ終了後、寺田屋目当ての観光客は減ったものの、伏見の日本酒蔵元で酒蔵開きなどのイベントが行われるようになり、新たな客層が集まるようになっていました。

それに伴い、地元の八百屋や乾物屋なども日本酒に合う料理を販売するようになり、北澤さんも昆布を使ったつまみの販売を始めます。

「日本酒って、おっちゃんが一升瓶抱えて飲んでいるようなイメージがあったんですけど、イベントに来ている客層を見ていると女性や外国人も多く、時代の変化を感じました。つまみの売れ行きも好調で、こういうアプローチの仕方もあるんだなと思ったんです」

そこで北澤さんは閉じたままだった中書島の飲食スペースを開放し、昆布を使った料理と日本酒をテーマにした立ち飲みの会を始めることにしました。月に1回の開催だから名前は「月一(つきいち)」。

月一の様子。カウンターテーブルには旬を取り入れた料理の数々が並ぶ (写真提供:おこぶ 北淸)

向かいの酒屋のご主人や料理が得意な知り合いに協力を仰ぎ、SNSで告知してイベントを始めると、予想を上回る数の人々がやってきました。

参加した人がまた新たな知り合いを呼び、次第にイベントには伏見区以外からも若者が集まるように。結果的に2013年から3年間続いた月一には様々な文化人も訪れ、その後の北澤さんの人生にも大きく影響していきます。

「おこぶ 北淸」誕生秘話

イベントが軌道に乗る一方で、今度は伏見桃山の販売店に立ち退き話が浮上します。

「当時は京都中にインバウンドを狙ったホテルや施設ができていた時期。伏見桃山の商店街でも同様の話題が持ち上がっていました。私は月一をもう少し大きなスケールで試してみたいと思っていたので、これを機に中書島に拠点を集約し、飲食店経営を始めようと思ったんです」

「面白いと感じたことはすぐにやってみる」という北澤さん

そうして2017年春、代々受け継いできた店の名「北淸」に京都らしい「おこぶ」の言葉を冠した「おこぶ 北淸」が中書島に誕生します。

伏見の日本酒をはじめ、若い人やお酒が苦手な人でも飲みやすい全国各地の日本酒を揃え、昆布や昆布のだしをつかった煮物、和え物、軽いおつまみからご飯ものまで、様々な料理を提供するお店は、次第に中書島の顔として定着していきました。

居心地の良い店内。奥の座敷や天井の梁などは加工場だった頃のものをそのまま生かしている

伏見の文化人から教わった土地の魅力

「おこぶ 北淸」の入口にかかるのれんは、染色家の第一人者である故・吉岡幸雄さんの作品です。吉岡さんはある日ふらりと月一に現れ、そこから親交が始まりました。

「吉岡先生は向島に工房を構え、植物染料と伏見の豊かな地下水を使って制作活動を続けられた方。私は先生から伏見の歴史や自然について多くを教わりました」

吉岡さんの人柄に魅せられた北澤さんは、吉岡さんのドキュメンタリー映画『紫』を伏見の地で上映しようと計画します。残念なことに、その頃伏見ではまだ同作品の上映実績がありませんでした。

伏見の文化や自然、産業などの魅力を発信する「伏見まるごと博物館」という活動の運営メンバーでもあった北澤さんは、同団体に映画の上映企画を持ち込みます。そしてメンバーと月一や店を通して知り合った若者たち、京都移住計画のタナカユウヤも加わり計画の実現に向けて準備を進めた結果、伏見の町家を貸し切った40名限定の上映イベントを実現させました。

伏見にある町宿「枩邑(まつむら)」で開催された上映イベント (写真提供:おこぶ 北淸 撮影者:山野勝也)

「吉岡先生は自分の生まれ育った伏見に誇りを持ち、世界的に有名になっても、この場所での制作にこだわり続けていました。伏見には、大坂と京都を舟運でつないだ水上交通の歴史もあり、洛中とはまた違った面白さがあります。まずは伏見の人々がその魅力に気づき、誇りを持つことが大切だと思っています」

北澤さんの店で扱う昆布も、かつては北海道から北前船で大阪堺港に入り、淀川を上がって伏見の河川港まで運ばれてきていたそう。そうした歴史を連綿と受け継ぎ、新たなかたちで今に届ける北澤さんは、まさに昆布と伏見の水先案内人。

今宵も「おこぶ 北淸」には美味しい酒肴と北澤さんの話を求めて多様な人々が集まっています。

執筆:大久保 久美子
編集:藤原 朋

CHECK OUT

取材の後、北澤さんが伏見区の観月橋近くに広がる葦原の話をしてくれました。そこは京都中で生まれ育ったツバメたちが飛んでくる集合場所で、ツバメたちはこの葦原から南国を目指して旅立つそうです。私は伏見に住み始めて10年以上が経ちますが、これまで伏見の自然に目を向けたことはありませんでした。あらためてこの土地のポテンシャルに気づかされると同時に、次回はゆっくり昆布料理をいただきながら北澤さんのお話を楽しみたいと感じた取材でした。

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