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京都のおもしろい人を訪ねる「人を巡る」シリーズ。京都に移住した人の体験談や京都の企業で働く人をご紹介する連載コラム記事です。移住するに至った苦労や決め手、京都の企業ならではの魅力など、ひとりの「人」が語る物語をお届けします。
第20弾にご登場いただくのは、ゲストハウス「京小宿五条みやび」「京七条みやび」を運営するLRC株式会社代表取締役鄧世敏(とうせみん)さん。台湾出身の鄧さんは、30代で日本へ留学。日本語学校で日本語を学び、大学と大学院を卒業後、当時はまだ少なかった京町家のゲストハウスをオープンします。京都にきてから13年。その紆余曲折のお話を聞きました。
思いきって飛びこみました
――今、行っている事業について教えてください。
今は「京小宿五条みやび」「七条みやび」という2軒のゲストハウスを運営しています。二つのゲストハウスは基本的に貸切でいわゆる”一棟貸し”です。「京小宿五条みやび」は五条駅周辺にある築100年近い町家で、「七条みやび」は京都駅近くにある明治45年に建てられた町家をリノベーションしたゲストハウスです。もちろん台所もあり長期滞在にもいいし、坪庭もあるので京都の風情を十分に感じられる造りになっています。実は京都のあるバンドが町家でミュージックビデオを撮影したこともあるんですよ。
――そうなんですか!町家でゲストハウスをしようと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
日本語学校で学んでいた時、文化体験の一環で京町家に行ったことがきっかけでした。夏の暑い時期なのに風が通って涼しいのに驚いたんです。普通のマンションって風なんて入ってこないじゃないですか。それで興味を持って、市内にある町家を見てまわりました。
――そこからどうやって現在の事業に繋がって行ったのでしょうか。
日本語学校から大学に進学しました。大学の卒業論文で町家のことを書いて、大学院で町家の研究をしました。そうやって町家について深めていくうちに「宿泊施設にできないか?」と思いはじめました。
卒業後、最初に立ち上げたのが、古川町商店街にある「古川みやび」というゲストハウスです。2013年のことでした。当時は、町家カフェやお土産屋さんはありましたが、宿泊施設はまだ京都市内でも100軒以下だったんじゃないでしょうか。だから、チャンスがあると思って飛び込みました。さらに、2017年、「古川みやび」の経営会社から退職して自分の会社を設立しました。
美しい京町家を残したい
――日本で事業をする上で、大変なことはありましたか?
そうですね。やはり外国人なので、交渉したりするのは不利になったりして大変な思いをしました。それから、町家のリノベーションはとてもお金がかかるので、それも大変ですね。
――それでも、この仕事をされている理由はなんですか。
京都に歴史ある町家はたくさんありますけど、それでも、どんどん壊されていきます。それを見ると残念だと感じます。せっかく歴史ある美しい家なのに、なぜ潰してしまうのか……。自分が町家のビジネスをすることで、自分も生きていくことができ、それと同時に町家を残すお手伝いができればと思っているんです。
気がつけば13年。京都は第二の家。
――そもそも、最初に京都に来ようと思ったのはどうしてですか。
台湾での仕事を辞めて、日本に留学しようと思った時、北海道に行きたいと思っていたんです。何より、静かで涼しいところに行きたかったから。でも「寒いよ」と言われて……。その時、たまたま学生を募集していた京都日本語学校に行ったんです。京都は「昔の首都」というイメージしかありませんでした。
――京都にきて何年になりますか。
初めて京都にきたのが2008年だから、今年で13年ですね。京都は私にとって第二の家になりました。当時、一緒に留学していた台湾の留学生はほぼ100%帰国しましたし、わたしも日本語学校で数年勉強したら帰国するつもりでいたんです。でも、「日本語を忘れないように、もう少し」と思っているうちに、町家に出会い、人に出会い、やりたいことができ、今の事業をはじめるようになっていました。
そのベースになっていたのは言葉ですね。日本語を習得しなかったら、ビジネスもできなかったと思います。これからも、ずっと京都にい続けたいですし、一つでも多くの町家を残せたらと思っています。
▼京小宿五条みやび
2015年オープン。五条烏丸近辺の路地を入ったところに佇む昔ながらの町家をリノベーション。
https://www.miyabi-inn.kyoto.jp/gojo
▼七条みやび
2020年3月オープン。京都駅からの徒歩圏内の町家の施設。美しい坪庭をみながらゆったり過ごせる。レンタルスペースとしても借りられる。
https://www.miyabi-inn.kyoto.jp/nanajo
執筆:若林 佐恵里