遺書を書いた。
東京都豊島区。天を衝くほどに高い商業ビルのテナントに飛び込み営業をかけている途中、突然全てが虚しくなって近くの水族館へ入り、ぷかぷか浮いている海月を眺めていて、ふと思った。

「あ、もうええわ」
と。数分間隔で震える社用携帯には上司の電話番号が表示されている。経過報告を怠ったために、催促の電話がひっきりなしにかかってきた。電源をOFFにし、目の前の海月に集中する。周りには「今商談中で……」と電話の向こうの人に言い訳するサラリーマンが自分の他にも4~5人いた。だいたいみんな同じ顔をしている。覇気を失った表情で、虚ろな目で、口を半開きにして、ただ目の前の海月を見ている。わかる。海月っていいよな。ただ浮いているだけで何かしらの存在意義があるんだから。
関西の大学を出て新卒で入社した会社は、新宿に本社を置く人材関係のベンチャー企業だった。意気揚々と仕事に取り組んだものの、ものの数ヶ月で周りとの力の差や社会の厳しさに打ちのめされ、次第に心は壊れていった。飲む酒の量は増え、徐々に心身を蝕んでいき、いくつか病気も抱えることになった。通勤中、「この電車に飛び込めば今日会社休んでも許されるんじゃないか」と思い始めたころから、いよいよ自分がおかしくなっていった気がする。我ながらなかなかグレートなアイデアだと、当時は本気で思っていた。

そんなとき、遺書を書いた。これ以上辛い思いをせず、失敗を重ねず、傷付かず、学生時代の優秀でちやほやされていた綺麗な思い出を最終章に、自分の人生を終わらせようと思った。
そして、それは実現間近で頓挫する。
ごめん、俺無職で金無いねん
当時のことは正直あまり覚えていない。人生最後に良い景色を見たいと思い、全てを置いて沖縄へ。連絡がつかなくなったため、周りは騒然となったそうだ。警察へ失踪届が出され、SNSで瞬く間に拡散された。
大変だったのは故郷の奈良県に帰ってきてからだった。生きていたのだから一安心、とはならない。人生は諦めるより続ける方が難しい。再就職できる精神状態ではなく、かといっていつまでも休んでいられるわけもなく、転職先を探すことになった。
心を病んで半年そこらで会社を辞めた人間の居場所は市場には無い。2014年当時は「キャリアブレイク」なんて文化は無かったし、鬱をはじめとする精神疾患への理解も今ほど進んでいなかった。深夜に泣きながらスマホで求人サイトを徘徊し、気がついたら朝を迎えるといった日々が続いた。「根性なし」「社会不適合者」といった烙印を押され、自分もそうだと思い込んだ。
中でもキツかったのが飲み会の誘いだ。「大変やったんやなロペス、飲みに行こや」「ごめん、俺今無職でお金無いねん」。やり取りするたび、自己肯定感がゴリゴリに削られていった。

転機を迎えたのは、日銭を稼ぐためにライブステージの設営やトンネルの掘削といった土木系の派遣をしていた頃だ。どんな経緯だったかは思い出せないが、京都駅付近にある一軒のシェアハウスに出会った。そこでの思い出は、今なお絶望の夜を超える活力を与えてくれる。
「ロペス財団」を創るのさ
度を超えた寛容性を持つ女性、古今東西の映画に明るい社会人受験生の男性、大柄で女装したバーレスクダンサー、実家の親に勘当され家を追い出された職業不詳のフリーターなど、その場所には変わった面々が集まっていた。
彼ら・彼女らがどういった経緯でそこにいて、どういった背景を持っているのかはほとんどわからない。お互い干渉しすぎないよう距離をはかりつつも、ゆるやかな共同体の中で身を寄せ合うように暮らしていた。度々人を呼んではイベントが開かれ、みんなで酒を飲んだりゲームをしたり、映画を観たりして過ごした。アングラな雰囲気が漂う中でも確かな人熱が感じられ、不思議とそこは居心地が良かった。

茹だるような酷暑の季節。シェアハウスメンバーのグループLINEで「プールに遊びに行こう」と起案がされた。例の如く自分には金が無い。「俺、無職だから金無いんだよね。パスで」と誘いを断った。
そこでメンバーの一人から奇妙な提案が持ち上がった。


ロペス財団。それは決して裕福とは言えないシェアハウスメンバーが協力して集めた資金で立ち上げられた、たった一人の無職の男の、娯楽のための財団だった。この時の感情は筆舌に尽くし難い。嬉しいような申し訳ないような、色んな感情がごちゃごちゃになってスマホの前で号泣したのを覚えている。
「ごめんな、俺情けないわほんま。ほんまにごめんな」と繰り返すたびに、「こういうときは『ごめん』じゃなくて『ありがとう』って言うんやで」と返すメンバーの笑顔が心にじんわりと沁みた。
それはあなたがあなただから
とはいえ、財団設立の意図が全くわからない。誰が好き好んで他人の飲み代を出すのだろう。娯楽費をカンパするのだろう。理由が気になりすぎて、本人に直接聞いたことがある。彼は一言こう答えた。
「それはロペスがロペスだから」。
全く答えになっていないように思ったが、本人は「当たり前やろ?」という顔でこちらを見ている。「俺はただの無職で何もしていない」「せやな」「そんな人間にここまでする意味がわからない」「たしかにな」「何の価値もないと思う」「そういう話とちゃう」といったやり取りを何度も繰り返した。資本主義、市場経済ど真ん中で生きてきた自分にとって、まるで理解できない価値観だった。でも、その価値観が当時の自分を癒し、再生させてくれたことは間違いない。

京都で過ごした日々は、何者でもないありのままの自分を受け入れてくれた。肩書きも無く、キャリアも無く、取り立てて何か秀でたものや可能性が感じられるものが無かった自分を、それでもあたたかく迎え入れてくれた。京都には、不思議とそうした懐の深い寛容性を感じる。反骨精神溢れる評論家・批評家や、個性的な芸術家・クリエイターを輩出してきた文教施設が多くあるのも無関係ではないだろう。件のシェアハウスが多くの変わり者の受け皿になっていたのは、京都のそうした地域文化が少なからず影響していたのかもしれない。
あのとき、玄関で煙草を吸いながら見た、線路向かいの種苗会社の看板は常に滲んでいた。今振り返ってみても感謝の言葉は尽きない。
現在はもうその場所はなくなってしまったし、訪れる機会もない。それでも今でも京都駅で降り、八条西口の出口から出る度にあの頃を思い出す。どん底で、人生を諦めかけ、帰ってきて生きようと再出発を目指していた当時。京都の地であたたかい人たちの支えで再生したキャリアは、こうして今、自分に筆を執る機会を与えてくれた。

中野 広夢
株式会社マスターピース
近畿圏を拠点として活動している編集ライター、カメラマン。Ropeth/ロペス代表。オンラインフリースクールchoice共同代表/講師。大阪・福島のコワーキング・イベントスペースGRANDSLAMのコミュニティマネージャー。大学卒業後、小学校教諭、塾講師、保育士を経験。2019年からはコワーキングスペースの運営や立ち上げに関わり、コミュニティマネージャーとして活動。その後兵庫県播磨地域の地域雑誌の編集・取材フォトライターを経て独立。2024年3月より大阪・福島のコワーキングスペースGRANDSLAMのコミュニティマネージャー。
執筆:中野 広夢
編集:つじのゆい