募集終了2017.02.15

親子三代でつなぐ。おもてなしの心が宿る老舗旅館

年間110万人もの修学旅行生が訪れる京都では、その学生の受け皿となる老舗旅館が、アクセスの良い四条烏丸から三条河原町に挟まれたエリアに点在しています。

京都宿泊業界の雇用を促進する委員に名を連ねる綿善旅館の小野善三社長は、「昔はシーズンのオンオフがはっきりしていたものの、小泉首相時代のビジット・ジャパン・キャンペーン以来、外国人もたくさん訪れるようになり、修学旅行シーズン以外も旅館は大忙しです。ぜひ若い方に働きに来ていただきたい」と語ります。

そう、今回は創業187年を迎える綿善旅館のスタッフ募集です。まずは社長の小野善三さんに綿善旅館の歴史をお聞きしました。

綿善旅館が選ばれる理由

「1830年の天保元年に、初代の綿屋善兵衛さんがここに宿を開いて以来、綿善は旅館を営んでまいりました。はじまりは薬屋でした。室町筋が近いので、主に北陸地方から呉服の仕入れに来ていた商人の方が常宿として使っていたようです。そのうち薬屋と宿の商売が逆転していき、現在にいたります」

現在、綿善旅館のお客様の三本柱は修学旅行、日本人観光客、外国人観光客です。外国人観光客の柱をつくることができたのは、早い段階から海外のエージェントの契約をしたことが大きかったと善三さんは言います。当時からインバウンド事業が伸びることを見越して、海外のお客様向けに客室にシャワー室を設けるなど先見の明があったようです。

また修学旅行に対してはひとつの大きなニーズをつかんだエピソードを教えていただきました。

「あるとき旅のしおりを生徒さんが旅館に忘れていったのですが、それを眺めていると『外国人と話そう』という項目がありました。彼らは勉強の一環で来ているんですね。確かに清水寺とか円山公園で外国人と学生さんがしゃべっているなと思って、フロントに外国人スタッフを採用したんですよ。外国人のためではなく、修学旅行生のために雇ったわけです。生徒たちから人気がありましたよ」

昔のことを軽快に話してくださる善三さんですが、その船出は決して順風満帆だったわけではないようです。

若い頃に社長のバトンを託された

「うちの親父は僕が18歳のときに亡くなっているんです。それでずっと母親が綿善旅館を経営していました。大学を卒業して熱海の大きな旅館で勤めていたのですが、3年半働いて京都に帰って、舵取りを母親から早い段階でバトンタッチしました」

当時の綿善旅館を振り返ると、善三さんの目には会社としての体裁が整っていないように見えたそうです。従業員のだらしない服装などサービスレベルの低さを痛感したと言います。そしてすぐに熱海の旅館での経験を踏まえて、社員教育に力を入れました。また、木造の建物を改修し、外国人にも好まれる客室を導入しました。さらにエージェントへの営業活動を積極的に行いました。一泊二食売りが基本の時代に泊食分離し、素泊まりでも泊まれるように、かつ明瞭な会計を心がけたそうです。

「僕が嫌だったのはよく『一泊5000円から』といった表記がございますでしょう。実際はいくらなのかわからないし、お客様は安いほうを見られるんです。だから値段をわかりやすいように明確化していきました」

お客様のニーズに寄り添う姿勢で綿善旅館の経営は軌道に乗っていきました。修学旅行客が多くて従業員の数が足りないという時期は、朝から晩まで働き、善三さんご自身が布団を敷くなど、若い頃だったからできたと振り返ります。

「うちの標語をご存知ですか。『売上増は悪魔の声、顧客増は天使の声』。お客様が増えることを第一に考えています。バーに行けばお客様についてくれるバーテンダーがいるのと同じように、客室係には良い距離感でお客様をもてなすための教育を行っています。おもてなしを受けたお客様は時々、誰々さんはおられますかと客室係を覚えてくださっていることがあります。それが綿善の良さであると思っています」

現在90歳のお母様(女将)や娘の雅世さん(若女将)ともいっしょに働いておられます。綿善旅館のホームページを見ると、スタッフ紹介のページでアットホームさが伝わってきます。女将の周りからの印象は『東洋のクレオパトラ』で、善三さんの周りからの印象は『京都のロバートデニーロ』(確かに!)のようです。ご家族といっしょに働かれるのはどんな印象なのでしょうか。

「僕ね、一番うれしかったのは家業を継いでくれるということよりも、自分が若いエージェントに怒られたり、スリッパを並べたりしていたことを知っている娘が、それでもやろうと言ってくれたことが、自分が今までやってきたことを子どもが認めてくれたんだなと思ってうれしかったんです」

もしかすると良いタイミングで旅館自体を畳まないといけないかもと考えていた時期もあったそうです。善三さんが考える綿善旅館の課題についても触れていただきました。

「外国人の方はほとんどの方が素泊まりです。夕食を召し上がる方は2割ほどしかいないので、日本の食事をとってもらいたいなと思っています。板場さんは修学旅行のお客様が入っていないと時間をもてあます状況もあるので、知恵を絞る必要があります。企画がうまくいけば旅館業界に一石を投じることができるかもしれませんね」

愛知・香川・群馬の旅館で修行し、綿善旅館へ

ではここでフロントで働く三橋貴さんにも話を伺います。銀閣寺や哲学の道のすぐ近くで生まれ育ったという三橋さん。21歳までラーメン店や花屋でアルバイト生活をしていた頃、自分は京都だけしか知らないという思いから、さまざまな地域の人に触れてみたいと、いわゆる派遣のリゾートバイトをはじめたそうです。

「もともと接客業が好きでした。旅館は一泊二日以上、長いスパンでお客様と触れ合えると思って3つの地域の旅館を経験しました」

最初は愛知県の知多半島にある客室数が100以上ある大きな旅館。次は香川県のこんぴらさんの参道にある個人経営の旅館。最後は群馬県の旅館。少しずつ形態の違うところが経験でき、視野が広がったと言います。何よりの収穫は地元京都の良さに気づいたことでした。

「京都を出るまでは永観堂の庭で鬼ごっこしたり、南禅寺でよく怒られたりして、ただの遊び場でした。でも帰ってきてふらりと永観堂に立ち寄ったところ、庭の素晴らしさに気づいたんです。それで地元京都でやりたい接客ができそうな規模の綿善旅館を選びました」

綿善旅館よりも大きな旅館でも募集がありましたが、香川県で経験した規模の旅館が自分のやりたい接客に近いと感じて綿善を選んだそうです。

接客を、どこまでも

「スタッフの距離が全体的に近いんです。事務所を見れば一目瞭然ですが、デスクの向かいには社長が座っておられます。ほかのスタッフもそうですが、意見がすぐに言いやすい距離ですし、イエスノーのレスポンスも早くてそれがうれしいです」

複数の旅館を経験した三橋さん曰く、大きな旅館では分業制が多く、予約は予約係が担当し、フロントはフロント担当、備品の管理は管理部門が担当していることが多いと言います。

チェックインからお部屋案内まで付き添い、お客様と仲良くなる楽しさを知っている三橋さんには綿善旅館の規模や働き方がしっくりときたそうです。接客が好きで、心から今のお仕事を楽しんおられるようですが、入社後はすぐに大きな試練が待ち受けていたようです。

7年前に入社した頃は欧米のお客様が多く、現在は中国や韓国、台湾などアジアのお客様が多く訪れ、取材に訪れた日の予約リストも日本人の名前は一組でした。入社当初はお客様に応対できないもどかしさがあり、英語の話せる先輩を頼る日々が続いたそうです。そのため休憩時間や帰宅後に時間を見つけては英語の勉強をしていたと言います。

「いざ勉強しはじめると、実地でお客様と話せるので語学学習には最適な環境です(笑) 外国の方って表現が豊かで、些細なことでもパッと応えたらオーバーリアクションで『グレート!』『センキュー!』と言ってくださったり、『いっしょに写真を撮ろうよ』と声をかけてくださったり、帰国後に『こないだはありがとう』とメールをいただいたり。そういうお客様との楽しいやりとりがうれしくて、入社当初はできなかった海外の方とのコミュニケーションの部分に自分の成長を感じています」

接客の楽しさを後輩にうまく伝えることが課題

現在はフロント業務だけでなく教育係を担当する三橋さんに、今後入社される方がどういうステップを踏むのかお聞きしました。

「まず基本的な所作や言葉遣いなどのマナーを教えるのはもちろんですが、その先のステップとしては、京都の魅力や旅館の魅力をどう伝えるかというところです。この旅館の魅力を伝えるというところはここ数年ずっと模索しているところです」

以前、高校を卒業して間もないスタッフが入社した際、旅館の仕事の魅力を伝えることに悪戦苦闘したと言います。

「一番困ったのはサービス業が好きなのかわからないということです。僕はもともと接客が好きで旅館業界に入ってきているので、そのギャップをどう埋めていくかが難しかったですね。それが今でも正直課題なのですが、やっぱりお客様に褒めていただいたらうれしいと思うので、褒めていただくにはどうしたらいいかをうまく伝えていきたいですね」

ではここでお客様と接する時間の長い、客室係の方にも話を伺います。大阪国際短期大学で観光英語を学んだ川崎みゆきさんは、卒業後は海外のお客様と触れ合える時間の多い旅館を選びました。入社して6年目であり、現在は客室係を担当している川崎さんに、お仕事の1日の流れを教えていただきました。

客室係のタイムスケジュール

「朝7時に出勤します。お客様が朝食を食べておられる間に布団をあげて、チェックアウトされてから部屋をきれいにします」

午前11時ごろに仕事がひと段落し、一旦自転車で15分ほどの自宅に帰宅。川崎さんは睡眠をとったり、晩ご飯の準備をして、午後15時には出社します。

「朝は洋服でしたが、午後からは着物に着替えます。二部式着物もあり、制服は3種類あります。入社して着物を着れるようになったことがうれしいですね」

15時から朝礼がはじまり、お客様の情報や料理のメニューなどが共有されます。その後は客室の浴衣の数や髪の毛が落ちていないかなど念入りにチェックして、お客様を案内します。

「料理をお出しして、食べ終えられたら布団を敷くまでが客室係の仕事になります。家に帰るのはだいたい9時半から10時の間ですね」

また、修学旅行シーズンは早くて5時半出勤になり、終わりの時間がその分早くなります。ちなみに休みの日は平日であればとりやすいそうです。

うれしかったこととして、常連のお客様への接客時のエピソードをお聞きしました。例えば朝食をアジが苦手な方に「苦手でしたよね、交換させていただきますね」と一声かけた際、「よくこんなことを覚えてくれていたね」と言ってもらえたときなどに仕事のやりがいを感じるそうです。

大阪から京都に移住

大阪府摂津市出身の川崎さん。京都に住み始めたときの第一印象は「住みにくい」でした。

「道が狭くて一方通行が多くて。もともと地図を読むのが苦手で何々通りと言われてもわからなかったんです。でも慣れたらとても楽でした。今は鴨川の近くに住んでいるのですが、交通の便も良いし、紅葉とかすぐ見に行けるのがうれしいです」と語ってくれました。

入社当初は雰囲気に馴染めなかった

最後にお話を聞くのは社長の娘であり、若女将の小野雅世さんです。なぜかアフロヘアをかぶっての登場です。

「喜ぶお客様にしかしないですよ。修学旅行生の客室にこのアフロをかぶって『ばーん』と部屋の扉を開けて入って、5秒間ピタッと待って『ばーん』と扉を閉めて帰って行ったら『どっかーん』とうけますね。単純ですけどサプライズで誕生日ケーキを持って、すごいテンションで客室に入っていくと、子どもさんとそのおかあさんが喜んでくれて」とテンション高く話してくださった雅世さん。きっと綿善スタッフ間に流れるアットホームな雰囲気の源泉は雅世さんから湧き出るものではないでしょうか。しかし最初から楽しい雰囲気だったようではないようです。

「最初は怖かったです。もう退職されましたが、おねえさんたちは気が強い人ばかりで綿善に戻ってきたときは自分のキャラが出せなかったんです。じっくり時間をかけてみんなと話すようになって、『私はこう思っているの、このほうがみんなにとってハッピーじゃない、やりやすくない?』と言って少しずつコミュニケーションを積み重ねていきました。最初は雰囲気に馴染めなかったのですが、今はとっても楽しいです」

雅世さんは大学卒業後に大手銀行に勤め、法人営業部に配属となりました。その会社の財務状況を見ながら融資するかどうかを判断する仕事です。そこで3年半ほど経営に欠かせない感覚を磨いて退職し、専業主婦を経験した後、2011年4月に綿善に入社しました。

高校生や大学生の頃に綿善旅館でアルバイトを経験をしたこともある雅世さんは、企業で勤めた経験を活かし、少しずつ会社としての仕組みを整えていきます。

社内の働く動線を整えていく

「例えばボーナスの査定に関して社長が裁量で決めていた部分を、従業員のスキルを管理したスキルマップをもとにして、本人も上司も自覚している基準を設けました。ボーナスをお渡した前後には本人にどういう評価をしたのかフィードバックするように心がけました」

また、雅世さんは旅館全体の情報共有にも着手します。大手のホテルではインジケーターと呼ばれる、客室を出た際に情報が瞬時にスタッフに共有される情報システムがありますが、それを導入するとなると高いコストがかかります。

「フロントスタッフの三橋が『LINEで良いのでは?』と言いだしまして。『確かに!』と思って端末を用意すると今までよりも格段に効率があがりました。ほかにも写真を盛り込んだわかりやすいマニュアルをオンライン化してスタッフで共有したり、整理整頓などを心がけていくうちに動線も良くなっていきました。言葉にすると単純なことですが、本来の業務を続けながら改善していくとなると、変化に抵抗を感じる人もいるので、みんなの意見を聞きながら、コンサルの方の力もお借りして、じっくり時間をかけて取り組んでいきました」

スタッフ間の連携も高まり、雅世さんは善三さんやコンサルの方とともにじっくりと社内改革を進めていったところ、旅館業界の中の全国の改善モデル20選に選ばれます。

「社内改革をすべて私たちの力で行ったわけではありません。というのも日本旅館協会が募集していた生産性向上のモデルとなる「モデル旅館募集」に応募したのが大きかったです。改善の余地がある旅館として選んでいただき、200数軒の旅館がコンサルの方の授業やワークショップを受けて、各改善に取り組んだ事項を発表。その中で私たちのプランが厳選トップ20に選ばれたのです。もともと私たちがしたいと言っていたスキルマップや独自プランの作成、情報共有システムとして先ほどお伝えしたLINEの導入などを観光庁への報告義務があり、エンドが決められている状態で望めたのが良かったです。旅館内で誰一人携わっていない人がおらず、スタッフが以前よりも積極的になりはじめたきっかけとなりました。結果的に20選の中に私たちのプランが2つも入ったのですが、従業員がスキルアップしたことが何よりもうれしいです」

綿善旅館を最高の旅館に

最後に綿善の将来像についても聞いてみました。

「京都にはおじいちゃん、おばあちゃんが経営されている古い旅館がたくさんあると聞いています。後継者不足もあって、先が見えない状況です。とはいえ外資に売るのは抵抗があります。そんな困っておられる状況の宿の運営面を綿善が執り行えば、互いにwinwinで古い旅館や民宿を再生できるのはないかと思っています」

また、今の綿善旅館を大事にして、最高の旅館にしていきたいとも語ります。

「最高の旅館にするために足りていないのはモチベーションです。接客が好き、お客様に喜んでもらいたい、と思っているスタッフはまだまだごく限られていています。私もまだまだ引き出せてはいないです」

アフロヘアでの登場は、若いスタッフに若女将の背中を見せるためだったようです。

「いえいえ、好きだからやっているだけで強要はしてないですよ(笑) 私が歌いながら客室に入るから、とりあえずアフロをかぶってケーキを持って後ろからついてきて、と言うだけで。お客様に喜んでもらえることをしてきた結果なんです(笑)」

雅世さんは取材当日の朝一番に噛み締めた思いがあるそうです。

「また人生を預かったんです。綿善187年の歴史ではじめて中国人の方を採用しました。中国のご両親が必死で働いたお金で留学させた話を聞いて。そんな両親の思いを背負って次の人生に綿善という道を選んでくださったことを知って、これはまたがんばらなあかんと感じています」

またがんばらなあかんと言った理由はもうひとつ。綿善旅館の向かいにゲストハウスをオープンさせました。こちらは綿善旅館とは別の独立した存在となるようです。

明るくて、人の魅力を引き出すことに真面目な雅世さんには、きっと若いスタッフにとって目指すべき目標となり、お客様にとってはもう一度会いたくなる若女将として映っているのではないでしょうか。
今後もインバウンドが伸びていく京都の地で、綿善のノウハウが詰まったおもてなしの場が広がっていきそうな気配です。あなたもこの綿善のスタッフとして仲間入りしてみてはどうでしょうか?

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