手仕事・産業・街づくりを見つめる 「つくり手」を目指す過程で地域のマルチプレイヤーに変化

京都府南丹市園部で中間支援団体『テダス』を運営する高橋博樹さん。職人としてものづくりをし、またものづくりを子どもたちに教える先生としての活動もしながら、中間支援団体の代表として地域活動のサポートをしています。

大阪出身で、もともとは神戸の建築設計事務所に勤務されていましたが「つくり手になる!」と閃いて2004年に脱サラをし、現在は教育者・支援者・制作者3つの顔をもつようになりました。「いつも自己紹介で苦労する」とご本人もおっしゃる経歴に迫ります。

つくり手を目指すなかで産業の問題に気づく

高橋さんは小学生のころ、父親と一緒にものづくりをすることが週末の過ごし方だったそう。ホームセンターへ行き木材を購入して本立てや棚を作るなど、毎週のようにものづくりをしていた幼少時代を過ごされていました。

親父は印刷会社を立ち上げていて、日曜大工が趣味でした。それに付き合ってたらぼくはノコギリとかそういうのが上達して夏休みの宿題の工作はだいたい展示されるみたいなことになっていましたね。

あと中学生になったら技術・家庭がありますよね。技術の先生は、ぼくに最初から材料2個渡すんですよ。「お前どうせ早くつくってしまうから2個作ってみんなとちょうど一緒や」って。


そして大きなものを作りたいという動機で大学の建築学科へ進学し、その後は都市計画を手がける設計事務所へと就職します。しかしある日、木工家のWebサイトを眺めているとアタマに雷が落ちたかのように「これや!」と閃くことに。
1年後には事務所を退職し、伝統工芸大学にてものづくりを学ぶことになりました。ここで高橋さんに意識の変化が起こります。理由は、卒業生が職人の仕事につけていないという現実です。

自分が職人として活躍したいかどうかっていう前に、産業そのものをどうにかしないとあかん。そこで京都匠塾を立ち上げて、最初はプロデューサー業をしたいと思って。いろんな人の作ったものを販売するようなことですね。「安心して作ってくれ、ぼくが売ってきたるからな」みたいなことをしようと思ったんですよ。

よせ木で作られたペン立て


こうして高橋さんの中に、つくり手を下支えするような観念が芽生え始めNPO法人『京都匠塾』を2006年に設立します。

子供たちにものづくりを教える『体験教室』での発見

京都匠塾の活動をしているうちに南丹市の小学校から「体験教室をしてくれませんか」というオファーをもらいます。そこで高橋さんは児童たちに、木工(指物)の基本である「箱」をつくるというお題を与えました。
一枚の板をポンと渡し「これつくってみい」と見本を見せて、子どもたちに作り方を考えさせながらつくる方法です。

最初はみんなノコギリで真っ直ぐ切ることすらできなくて。ほんで斜めになってたら、隙間だらけになるから箱にならないんですよ。それがどうやら、取り組んでいるうちにわかってくるんですね。

つづきをやる2週目に見本の箱もういっかい見せると「その箱ようできてるなーっ」て言い出して。これはすごいことやなと、体験をすることで、この子たち物の良し悪しがわかるようになるなという可能性を感じましたね。


近頃は素材やものづくりの過程を知らずに(また想像せずに)購入している人が増えていると指摘する高橋さん。ものづくりのプロセスを知り、つくり手の存在や手仕事のよさを感じながらものを購入してほしい・使ってほしいという願いも語られていました。
匠塾の行っている体験教室は、未来の消費者の「目を育てる」という意味合いが強いのだそうです。

NPO運営に関する問い合わせが増加。中間支援団体『テダス』を創業

中間支援団体である『テダス』の創業は、2012年。当時、NPOという組織が徐々に認知され始め、2006年からNPO法人京都匠塾を運営していた高橋さんに周囲の注目が集まります。

匠塾のオフィスに「私たちもNPOか何かを起こしてやりたいけど、やりかたがわからない」というような相談がどんどん来るようになったんです。子育て問題とか障害者問題とかいろんなことを思っている人たちがいるのに、ノウハウがないために活動が育たないのはもったいないでしょ。

だから相談窓口を設けたいと思い、南丹市にも相談して中間支援団体を立ち上げることにしました。市の方も「ちょうど必要と思っててん!」と偶然の一致もありましたね。

京都をはじめ各地で中間支援の役割などのワークショップや研修も行う


高橋さんと同世代の方で、おなじようにNPO法人を運営されている同志もおり、行政にも民間にも仲間がいたからこそ『テダス』が設立できたそうです。

学生期(工芸大学)や創業期はアルバイトも並行していた

サラリーマン時代にすでに結婚していた高橋さんは、工芸大学に通っていた時代や匠塾の創業期、アルバイトも並行していたそうです。サラリーマンを退職した人が事業家へとシフトする際の、リアルな面も語ってくださいました。

サラリーマン時代はもともとスキューバダイビングが趣味で三宮のダイビングショップに通ってて。ぼくが会社を辞めることを知ったオーナーが、店番のアルバイトしないかと誘ってくれましたオーナーやスタッフが海に行く週末のお店番を頼まれましたが、お客さんが来ないときは、組織改編の方法とかスタッフ教育のプログラムとか勝手に作っていました。

それをオーナーに提出すると「こんなことしてくれるアルバイトは初めてや!資料も素晴らしい。よしコンサルタント契約をしよう」とその日からコンサルタントとして雇われることになりました(笑)。


社会人経験を経た人がアルバイトとして働くと、通常のアルバイトでは起こり得ない現象が起こることが学べますね。ちなみに高橋さんがこのダイビングショップで働いたシーズンは、新規顧客数が前年度比の10倍になったそうです。
この他にも、焼肉屋や塾講師のアルバイト経験があるそう。世間体を気にしなければ、食べることはいくらでもできる。一歩踏み出せない人は、食えるか食えないかを心配しているようで実は世間体を気にしている、という指摘もありました。
高橋さんのような経験を伺うと、社会人経験(時間給でなく、与えられた時間でいかに価値を生み出すかという働き方)を活かしたアルバイトの可能性を感じます。

教育者・支援者・制作者という3本柱。基本は人の役に立つこと

つくり手を目指していく過程で肩書が次々に増えていった高橋さん。人を雇うことになったことをキッカケに「仕事って何やねん」と改めて考えたことで、「人の役に立つこと」という自分のなかにある軸に気づいたそうです。

NPOの設立から運営までを疑似体験できる「NPOゲーム」を開発

人を雇い始めたというのはひとつのターニングポイントですね。「仕事って何やねん」ということは昔から考えていましたが、教えなければいけない状況になって改めて整理できました仕事とは「人の役に立つ」ということですね。

一般的には、お金が入ってくることを仕事、お金が入ってこないことを趣味というような定義づけをすることが多いかもしれませんけど、ぼくは人の役に立つことを仕事、自分の役に立つことは趣味という定義づけをしています

仕事であると言えることの基準はまず「人の役に立っているかどうか」。お金はあくまでも、その副産物という捉え方ですね。匠塾でものづくりを教える立場として、地域活動の支援者として、そして制作者として「どういう風に人の役に立つか」を考えて行動することが高橋さんの仕事の軸といえそうです。

小刀を使い、制限時間内に長さ・バランス・美しさ等の出来栄えを競う「全国えんぴつけずり大会」も開催。

中間支援の仕事では、まちを元気にするってよく言うけれど、元気な状態っていうのが何か考えることは大切です。ぼくの場合は、何かやりたいと思った時にすぐ動ける状態っていうのが元気なことと思っています「トイレ行きたいけどしんどいから行かれへん」ていうようなのは元気じゃない状態ね(笑)

テダスの仕事では「なにかやりたい」という人がすぐ動けるような仕組みがまち全体に広がることが目標で、匠塾では「南丹市の子ら、なんであんなにものづくり上手なんやろ」と周囲の人が思うことが目標だそうです。
制作者としては、2018年の3月で職人のスタッフが独立して自分一人になる環境をある意味楽しみにしているそう。ちかごろは職人としての仕事をする時間が少なかったが、今後自分でやらざる得なくなることを機に週に何日か職人の日を作ろうと目論んでいるのだとか。

手間を愛着に変えていく、木の名刺入れ


最後におしゃっていた言葉には、高橋さんのビジョンが垣間見えました。

一番やりたいのは借り物工芸品事業。みんなが買うというよりは、借りて使うというのが当たり前になっていくと素敵な世の中になるんじゃなかろうかと。スクラップアンドビルドじゃなくてストック&リノベーションに、ライフスタイルを変えていくといい

誰かの「やりたい」を支えながら、未来のつくり手や消費者の目を育みつつ、自身は製品や作品を生み出していく高橋さんの未来が見えてくるようです。
本記事は、公益財団法人京都産業21が実施する京都次世代ものづくり産業雇用創出プロジェクトの一環で取材・執筆しております。