YOSANOテキスタイル|クリエイターインレジデンス

丹後の若手職人の仕事現場

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2月10・11日と2月17・18・19日の2期にわたり、京都府北部の与謝野町の若手職人の仕事場を取材する、YOSANOテキスタイル|クリエイターインレジデンス-取材型インターン- プログラムが実施されました。その様子を参加した方々の視点を踏まえてお伝えしたいと思います。

与謝野町の「みえるまち」と「YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT」
与謝野町のブランド戦略を表現したブランドサイト「みえるまち」では、与謝野町のブランド戦略のコンセプトや町内で展開している様々なプロジェクトの事業内容を発信することを目的に開設されています。
また、このサイト内にも掲載されている「YOSANO OPEN TEXTILE PROJECT」は、与謝野町内の若手織物職人と異業種のクリエイターがコラボレーションし、丹後ちりめんの新たな可能性を模索した取り組みとして注目されており、今回訪ねた職人の方々も新たな挑戦をしようという想いをもった方が多くいらっしゃいました。


寒波とともに始まったプログラム

2月10・11日は寒波が日本海側を襲い雪景色が広がる中、与謝野町の若手職人の仕事現場を取材するこのプログラムが開催されました。ここ数年では非常にめずらしいほど雪が積もり、辺り一面が銀世界となった与謝野町。とても空気が澄んだ中での取材となり、雪を掻き分けながら訪問先の工場へと行くこととなりました。


時代の変化とともに製造から小売・卸売へ
大規模織物会社から「丹後ちりめん歴史館」へ形を変えて営業され、丹後ちりめんの流通の中で消費者に一番近く、お客さんから直接声が届く現場で丹後ちりめんを支えている今井織物株式会社様を訪問しました。

今回、お話を伺ったのは小さなころから慣れ親しんだ、織機が規則正しいリズムで奏でる機音(はたおと)を聞くと、気持ちが落ち着き今でも眠気に誘われるという今井裕二さん。
丹後が好きだったという今井さんは、ぼんやりと「いつかは地元へ帰ってくる」つもりだったようです。高校卒業後に進学のため佐賀県に移り住み、そのまま接客業の仕事に就いた経験があったため、25歳で地元へUターンした時には、すでに織物業から小売・卸売業へ変わっていた家業を接客面で支える事となります。

次男である今井さんは5つ年上のお兄さんとお互い助け合いながら、丹後ちりめん歴史館の卸売部門や接客部門でお客さんと直接やりとりをする現場で、働き甲斐を感じながら職場に立っています。また今ではインターネット販売でも注文があるそうで、顔が見えない接客でも楽しさを感じているようで、この仕事に就いて5年が経ついまでは、将来売れる商品をつくっていきたいという話を地域の他の若手職人の方と語り合うこともあるようです。


とっても陽気な今井さん。ずっと笑顔で取材に応じて下さいました。地元へUターンしてから子どもの頃に知らなかった丹後が大人になってから知ることができて毎日が楽しいそうです。

都会で修行を積んで帰ってきた若手職人
小池織物で5人兄弟の長男として与謝野町で生まれ育ち、2年前の26歳の時に地元へUターンしてきた小池聖也さんにお話を伺いました。「社会人を5年したら地元へ帰ろうと思っていた」という小池さんは、専門学校で織物・染色を学んだ後、京都市内にある大手織物会社へ就職し、入社から4年間は染色の部門に配属されました。蒸気を使う仕事の現場では温度や湿度との闘いの中、夏場は汗を流しながら体力的にもキツい現場を経験したようです。その経験は家業の仕事をやっている今の現場でも活きているようで、いつか余裕ができてきたら染色もやっていきたいと思っておられます。染色の部門を経験した後の配属では、目に見えないほどの高速織機の現場でオペレーターとして従事し、その経験も今の仕事で扱う織機のオペレーションに活かされているようです。

これまで染色や織機の仕事をしていたものの家業の織物業を仕事として経験するのは、地元・与謝野町へUターンしてからが初めてで、今でもまだまだ勉強中といいます。若手のための技術指導を受けながら、古い織機ならではの老朽化した問題や一つ一つ課題がある度に解決しながら仕事をしています。
また、分からない事を親身になって教えてくれる先生が身近にいる事や商工会青年部に入り同業者の先輩方との出会いやつながりが生まれ、何かあったときに相談したり交流をしておられます。



現在住む実家にある職場では親子で織機の前に立ち、これまで培ってきた技術やノウハウを受け継ぎながら、将来の展望を描いています。これまで勉強して経験もしてきた染色の技術を活かした仕事や品質の良いものを取引先に納めて信頼を得て自信をつけていきたいと考えており、いずれは自社ブランドの商品を作って売っていく事ができたらと夢を描きます。

職場を訪ねて感じた事は仕事と暮らしの距離が近いことです。そんなライフスタイルがご自身には合っていると笑顔で仰っていたのが印象的で、まだ小さなお子さんを休憩時間に子守りをしたり、仕事と暮らしを両立しながらひとつひとつ丁寧に仕事をして「綺麗な製品」をつくるために分からない事が一つ一つ分かっていく喜びや楽しさを教えてもらいました。

ここからは、参加者の視点で捉えた職人の現場をレポートします。

町がひとつの工場になる
与謝野町に着いた当日、最初に訪問したのが今井整経所だった。工場のイメージとはほど遠い古民家のような建物の扉を開けると整経の機械、山積の生糸が出迎えてくれて圧巻だった。忙しく音を立てる機械を動かしながら、家業を継いだ若手の職人、今井信一氏が丁寧に私達に説明してくれた。


整経とは機織の前に生糸をボビンに巻きつける工程で、現在与謝野町に11 件ほどある。反物の需要減が言われてはいるものの繁忙期には早朝から深夜まで仕事をすることもあるという。

私は伝統産業に興味を持ち、工房を幾つか見学してきた。そこで、業界の分業体制と進む職人の高齢化によっていずれ分業が集約していくだろうと感じていた。そのような「仮説」が現実味を帯びたのは、今井氏から「町全体が一つの工場になる」という言葉を聞いた時だった。

同業者の仕事を請け負う、前工程の仕事をするようになるなどの動きが最近現れているのだ。また同業者間で受注が重複しないように調整することもあるという。生き残りをかけて集約されているのだ。


このような変化を見過ごさず、町の基幹産業を分析、効率的に集約を行い持続可能な強い産業にする。そして家業を承継する現場を整えて伝統を次世代に繋いでいく、そのような明確な未来予想図と施策が今こそ必要だろう。

伝統工芸の職人のイメージが変わった現場
ちりめんができるまでには様々な工程を経る必要があるが、現在は多くの企業で分業体制をとっている。しかしワタマサさんの工場では、その全てを自社内で一貫して行っている。分業に比べると人も多く抱えることになりコストがかかってしまうが、全てを一貫して行うことで、独自性を出すことができるというメリットもあるみたいだ。

ワタマサさんの工場は比較的新しく、またワタマサさん自身も若く、自分が以前に抱いていた、伝統工芸にたずさわる職人さんのイメージとは異なるものだった。普通のちりめんは絹を用いるが、ワタマサさんは絹だけにとらわれず、麻などを用いて試作したり、他業種の会社とコラボするなど、様々な新しい取り組みをしており、衰退するちりめん産業というイメージとは真逆だった。


ちりめんの生産高は最盛期に比べ6%にまで落ち込んでいるが、ワタマサさんのような、伝統を守りつつも新たなことにチャレンジする職人さんこそが、今後のちりめん産業を救っていく存在になるのではないかと感じた。

ワタマサさんは、仕事の楽しさ、ものづくりの楽しさだけでなく、地域付き合いも重視しており、地域全体を盛り上げるような活動も行っている。良いものをつくってちりめんの価値を高めるのと同時に、地域全体のことを視野にいれ活動するのは簡単なことではないが、それを同時に行っていることに対して非常に尊敬の念を感じた。


今回の取材を通して、普段目にすることができないちりめんづくりの全工程を自分自身の目で確かめられたのは非常に楽しかった。また様々な新しいことに挑戦しようとしている若い職人さんの思いを肌で感じられて、非常にワクワクさせられた。ちりめんなどの伝統工芸産業は、近年縮小傾向にあるが、ここ与謝野町から新たな逆襲が始まるんじゃないかという期待を感じることができた。

将来のために、次の世代を育てたい
父が倒れてから、家業がなくなるのはもったいないと思い、三男でありながらも家業を継ぐことを決心して、与謝野町へ帰ってきたという羽賀織物で働く羽賀さんの想いを聞きながら、仕事現場をお邪魔した。

高校を出てから地元を離れ、奈良県や神戸市で仕事をしていた羽賀さんは、丹後に帰って来て9年を迎える。前職では食品関係や自動車関係の職業に就いていたが以前、父が倒れてることもあり丹後ちりめん製造に従事し始めた。祖父が始めた丹後ちりめんの工場を自分の代でなくすのはもったいないという気持ちが、家族とぶつかりながらも今の羽賀さんを支えている。

丹後ちりめんに従事する平均年齢は70歳代という業界で、将来のためを考え次世代を育てたいと意気込み、製造の全行程を理解して対応できるように研鑽している。一番大変なことは、生地や原料の管理だという。種類が多くどこに何があるのかをしっかり管理することは勿論、四季を通じてカビや虫の対策も怠ってはならない。
今おもしろいと感じることは、自分で糸を組み合わせて提案した事が評価される時という。「こういうのができたんだけど、どうだろうか」と独自の製品を見てもらうのは、この仕事の醍醐味だそうだ。


昭和48年に1000万反の生産量があった丹後ちりめんは、現在では30万反とピーク時の3%になっている状況で、これからやりたいことや挑戦したい事があると目を輝かせ、現代では昔の用に着る機会がなくなった着物の素材としての丹後ちりめんを着物以外の商品で何かできないかチャンスを探っているという。

物腰の柔らかな羽賀さんは次世代の事や将来の事を見据えて、新たな挑戦していく姿勢を感じた。衰退していくのではなく、今ある技術を活かして切り開いていく仕事の現場を見る事ができた。

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Photo by もろこし

主催|京都府丹後広域振興局
協力|京都移住計画

 

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