2016.10.30

生きたい場所の「いつか」に向き合う3時間“いつかは”KYOTOかえるゼミ#1

あ (12 - 21)

「いつかは、地元に戻りたい」

そうは感じていても、「戻るための準備に何をしていいか分からない」「そもそも、日々の仕事に追われてゆっくりと考える時間もない」と、モヤモヤとした想いを抱えている人は多いかもしれません。

また、「移住」が頭になくとも、「今の東京の生活を見直したい」「暮らしや仕事を変えるためのヒントがほしい」と考える人もいることでしょう。

そんな、本当はもっと自分らしく生きたい・働きたいと考える人が集い、今の生活を振り返りながら、「いつか」の移住のかたちを探る「“いつかは”KYOTOにかえるゼミ」が2016年9月21日に渋谷で開催。今回はその様子をお届けしたいと思います。

会の趣旨を話す、「京都移住計画」代表の田村。
会の趣旨を話す、「京都移住計画」代表の田村。

こちらのゼミは、京都に(地元)に移り住み、自分らしく暮らす先輩移住者をゲスト講師に迎え、ケーススタディで学びながら、参加者が自分自身の今とこれからについて考えていく場となっています。

第1回のゲスト講師には、NPO法人「fullbloom」代表理事を務める安井亜希さんにお越しいただき、ゆるやかに始まりました。

その「いつか」は、いつ来るのだろう?

京都にあるさまざまな課題を「京都移住計画」も含めた、株式会社ツナグムとして事業に取り組んでいることを説明する田村。
「京都移住計画」も含めた、株式会社ツナグムとして事業に取り組んでいることを説明する田村。

現在は、「居(コミュニティ)・職(仕事)・住(住まい)」の三つの観点から、移り住みたい人の暮らしを作りを応援する「京都移住計画」。

このプロジェクトがはじまった背景は、田村自身のこんな体験にありました。

田村

京都に戻ってから4年が経ちましたが、もともとは東京にいたんです。当時、僕の周りには「いつかは京都(地元)に戻りたい」と思う人が多くいたのですが、と同時に『その“いつか”は、いつ来るんだろう』という疑問もありました。

その解決のために、一人ではなく、周りの人も巻き込みながら、みんなで京都に戻るための方法を東京で考えはじめたのが、『京都移住計画』のきっかけです。

話が終えると、参加者同士で自己紹介し合いながら、「この場から持ち帰りたいこと」についても話しました。それぞれの視点を共有しながら、一緒に過ごす時間をより濃くしていくための観点を共有していきます。

ざっくばらんに、京都との縁や、今回の場で気になっていることをシェア。開催日が平日夜だったこともあり、仕事帰りに駆けつけてくれた人も多かった。
開催日が平日夜だったこともあり、仕事帰りに駆けつけてくれた人も多かった。

「働きながら、京都っぽい生活はできるのか」「仕事はどう見つけるのか」「I/Uターンに向けて、今どんな準備ができるか」など参加者の気になることが挙げられていきます。この疑問に触れながら、ゲスト講師の安井さんの話へと進んでいきました。

「やりがいはあるけど、ずっとはできない」という感覚の芽生え

ゲスト講師の安井亜希さん。「子育て」「起業」「パラレルキャリア」などの文脈で話を進めてくれた。
ゲスト講師の安井亜希さん。「子育て」「起業」「パラレルキャリア」などの文脈で話を進めてくれた。

「生き方と働き方はすごく近いと思っています」

そう話す安井さんは、東京からのUターン組。現在は3児の母であり、NPO法人fullbloomでキャリア支援の活動を続けています。その傍らでは、実家の不動産業も手伝っており、さまざまな顔を持ちながら、京都での日々を過ごしているそうです。

そんな安井さんは、どんな社会人時代を経て、何がきっかけで京都で戻ったのでしょうか。

安井

社会人のはじまりは、大阪での広告代理店でした。『20代は勝負』と意気込んで入社したものの、営業ではなく、まさかの人事部に配属されちゃったんですよね。

ただ、人生って縁じゃないですか。『何を選んだかよりも、選んだ道で何をやるか』は大事だなと思って、この場所でがんばることにしました。

ゲストの話を真剣に聞きながら、メモをとる参加者の姿も。
ゲストの話を真剣に聞きながら、メモをとる参加者の姿も。

働きはじめると思っていた以上に、人事部との相性が良いことに気づいた安井さん。これまでに1000人近くもの人の話を聞いてきたそうです。

安井

人がめっちゃ好きなんです。他人の人生を聞くのが楽しすぎて。それは大学院時代、税理士事務所で修行中に接していた、中小企業の社長さんの話を聞くのと同じくらいおもしろいなぁと。

そしたら、家の光熱費の支払いも忘れるくらいに仕事に没頭しちゃってたんですよね(笑)。ただ会社に『働かされている』という感覚は一切なくて、自分がやりたいからやっていただけでした。

そんな日々を繰り返すなかでも、自身の将来を考えたとき、おぼろげに「こんな生活は、ずっとはできないな」という感覚があったそうです。このちょっとした違和感とも言える気づきが、大きくなったきっかけは、東京へ転勤でした。

働き方の革命が起きたきっかけ

自身のストーリーを笑いを交えながら話してくれる安井さん。
自身のストーリーを笑いを交えながら話してくれる安井さん。

関西ですでに結婚されていた安井さんは、会社都合もあり、単身赴任での東京行きが決まりました。しかし、赴任後、2週間ほどで自身の妊娠発覚したそうです。

安井

まさか、妊娠するとは思ってもいませんでした(笑)。仕事は出産直前まで続けていたのですが、大都会での子育てにはやはり不安がありました。

住まいが神田にあったのですが、つわりで一人になったときに、動けない。助けてくれる親もいなければ、旦那もいない。会社の同期も忙しいわで、結構な孤独を感じていました。この場所で、子育てをしていくイメージが湧かなかったんですよね。

そういった理由もあり、出産を機に、東京を離れることにした安井さん。特筆すべきは、仕事は変えず、関西デスクを置かせてもらうことで、会社に所属したままで京都に戻ることができたことです。

安井

住む場所だけ変えて、仕事は変わらない。だから、あいかわらず仕事には追われていて、京都らしい暮らしはできていませんでしたね。

何かを変えなくては、と思いました。そこで労働時間短縮を決め、16時に帰ることしました。そしたら、これが意外とできたんすよ。今までは『24時まで働くことに満足していた』みたいで。時間に対する価値観の革命みたいなものが、ここで起きました。

働き方の限界、傍らで動かしていたプロジェクト

安井さんの話は、スライドに出たキーワードを押さえながら進んでいった。
安井さんの話は、スライドに出たキーワードを押さえながら進んでいった。

出産をきっかけに、東京から京都へUターンをした安井さん。子育てをしながら働くことを選び、仕事は変えず、そのなかで“働き方”を変えることに成功しました。とはいえ、それも30歳のタイミングで新たな課題に出くわすことに。

安井

会社が東京集中になってきた時期で、私にもその圧力はかかっていました。企業の有給も子供の行事ですぐになくなるので、企業のなかで働き方を変えるのにも限界を感じはじめていました。

この頃から、「働く」だけでない、「生きる」ことについて考え直していたと安井さんは話します。そんなタイミングで、父親からも「そろそろどうするか考えたら」という問いが投げられたそうです。

自営業で属人的な父の会社を手伝ったとき、「私ができることは何があるのか」という葛藤を抱えながらも、腹を括って退社したのは2013年でした。

あ (10 - 21)

安井

二人目を産んだあたりから、『このままで本当にいいのか』という問いがあったんです。私自身が悩んでいました。ただ、それは私だけの話ではなく、そうやって『立ち止まって考えるスペースが意外に少ない』ことに気づきました。

そのスペースをつくるため、前職での『人の人生に伴走する』という経験を生かして、自分がやりたいと思っていることをかたちにするお手伝いをfullbloomではじめました。

実は、会社員時代から、本業と並走するかたちでfullbloomの活動は進めていたそうです。次のステップにいくための準備をちょっとずつ進めていました。

企業のなかで働き方を可能な限り調整することに挑み、その限界がきたときに会社を離れることになった安井さん。そして、離れるときのために植えたfullbloomの種を育てながらも、今を楽しんでいます。

「社会人から独立まで・結婚から子育てまで・東京から京都まで」と、キャリア・女性として・地域の3つの大きな変化のあった安井さんの話には、多角的に移住を考えるためのヒントが詰まっていました。

コンパクトシティでの、ゆるやかなつながり

安井さんのストーリートークを終えると、参加者のワークへ。何を感じたのかをシェアし合いながら、自分の現状や考えを整理していきます。

シェアタイムでは、田村さんも交えながら、参加者から挙がった「この場から持ち帰りたいこと」を眺めながら、京都と東京の暮らしの比較について話が広がりました。

参加者同士で、感想をシェア。自分の今を振り返りながら、安井さんの話でヒントになったことを共有し合う。
参加者同士で、感想をシェア。自分の今を振り返りながら、安井さんの話でヒントになったことを共有し合う。

安井

京都は狭いんですよね。だから、悪いことはできないです(笑)。コンパクトなまちなので、知り合いとの距離も近い。仕事においては、若い人のつながりが豊かな感じはしますね。

なんかいったら、誰かが答えてくれるという雰囲気はありますし、紹介文化が強いのは特徴かもしれません。

それに対して、田村自身も「仕事もつながりのなかで成り立つようになった」という感覚はあり、Uターン者であっても、いきなりそのつながりが持てたわけではないと、当時を振り返ります。

田村

移住を意識しはじめて、お盆や正月などの帰省時に、京都で活動している人には合うようにしていたんですよね。そういった、種まきができていたから、どうにかなったんだろうと思います。

もともとは『30歳で京都に戻ろう』と考えていましたが、30歳になってから新たな礎を築くのは、逆にリスクだとも感じたんです。

あ (14 - 21)

田中

ごみの課題はあるものの、京丹後市には美しい海があり、地域内外からビーチクリーンに集まってくれる仲間がいる。「プレシャスプラスチック」の取り組みも、仲間の一人が教えてくれました。

そういった理由もあり、モラトリアム的に京都で模索できる2年間をつくるため、早めにUターンすることにした背景には当時、遠距離で付き合っていた奥さんとの関係性も意識していました。

田村

妻には『30歳で自分の仕事として成り立ってなかったら普通の会社に転職する』と宣言はしていたこともあり、早めに準備しなくちゃという感覚があったんです。

『自分の仕事をつくりたい想い』と『家庭を築くこと』は両立しずらい部分がありますよね。どちらかを選ぶのではなく、両方を得る為の現実的な手段を考えた上での選択だったと思います。

パートナーとの関係性や自分がやりたいことのためにどれだけスキルが必要かなどの現実的に捉え、逆算して段階的に動くことが大切ということに気づかれされます。

「いつ帰ろうか」の問いが浮かんだときには、「今のいる場所で何からはじめられるか」の移住のための小ステップを踏めるといいですよね。

家と会社の「間」にある豊かなグラデーション

「京都で働くこと」については、安井さんからは次のような意見が出てきます。

安井

Uターン後は、家と職場を行き来する『間』に人に出会うことが増えました。これを豊かさと捉えると、京都は『人とのつながりのなかで生きている』と実感しやすいです。

参加者のメモ。「職」と「住」のバランスをどのように捉えるかは、移住を考えるときに大切な視点。
参加者のメモ。「職」と「住」のバランスをどのように捉えるかは、移住を考えるときに大切な視点。

プライベートでのつながりも、場合によっては仕事につながる。その仕事の生活の境目が曖昧という感覚を持っている人も多いのかもしれません。

田村

仕事と生活の調和を意味する『ワークライフバランス』という言葉がありますが、京都の場合、『ワークライフミックス』のような状態の人が多かもしれないです。その『間』には、東京では感じにくいグラデーションがあると感じています。

街でありながら、移動時には、ビルだけではなく川や山が目に映り込んでくる暮らしの風景がある。それも『間』のグラデーションを広げる要因の一つになっているのかもしれません。

仕事があるから、東京にいるのか? 

「自分の意思で地元に戻ろうとしている人って、少数派ですよね」

そんな声が参加者から上がりました。東京で一旗あげることが成功モデルだと思っているのが親世代がいたり、地元に戻ることは周りからすれば「都落ち」と捉えられる不安はあるのかもしれません。

情報や人が集まる良さはありながらも、“なんとなく”居ることもできるのが東京であると、自身の経験を踏まえ、「引力」という表現で紹介する田村。
情報や人が集まる良さはありながらも、“なんとなく”居ることもできるのが東京であると、自身の経験を踏まえ、「引力」という表現で紹介する田村。

田村

自分の気持ちひとつかなぁ、と思っています。『なんで東京にいるんですか』と投げかけたとき、自分の意思じゃないところで、この場所にいる人は多いですよね。

『仕事があるから』という理由が原因で、満員電車に仕方なく乗っている自分がいたとしたら、それは『自分に嘘をついている』行為だと感じるんですよ。みんな我慢しているのだから…といった同調圧力を感じながら、居心地の悪い生き方をしているのに、僕自身は違和感がありました。

安井さんと同様に、かつては田村さん自身も転職エージェントで働いていましたが、多くの人を面談するなかでも、「東京のハイスピードの世の中で働き、生きていくことが合ってない」と感じる人がいたそうです。

今回の参加者が気になった内容について触れ、話のなかから出てきたキーワードをメモしていった。
今回の参加者が気になった内容について触れ、話のなかから出てきたキーワードをメモしていった。

田村

自分のペースを見つめて、『ここでいいのか』を改めて考える。そのためのスペースすら東京で働いていると、目の前のことにとらわれ、先のことを考える時間をつくれないことは多いですよね。

東京の持つ“引力”にちょっとだけ抵抗し、自分のこれからを見つめるため、一歩立ち止まる時間が必要になってきます。

“そこ”にいる時間をどう捉えるか

日常に違和感があったとき、どう自分に問いを投げられるといいのでしょうか。会社を辞めるときの残り”半年”に悩んだという安井さんの言葉がヒントになります。

安井

『自分がどうしたいか』という疑問に、どれだけアクセスできるかで変わってきますよね。

もう半年くらいいたらかなりの退職金がもらえたんですよ。ただその半年を人生のなかで長い、あるいは短いと捉えるかは、本人次第だと思っています。

私も悩んだんですけど、結果、自分のなかでは大事な半年だからと辞める決断をしました。自分の気持ちににどれだけ純粋になれるかですし、結局、答えは自分の中にしかないと思うので。

田村はfullbloomの活動にも関わっているためか、ゆるやかなムードで話は進み、真剣な内容を扱いながらも、笑いを挟んで展開していった。
田村はfullbloomの活動にも関わっているためか、ゆるやかなムードで話は進み、真剣な内容を扱いながらも、笑いを挟んで展開していった。

その言葉を受け、時間の意識について田村さんも続けます。

田村

僕自身は、『命って、時間のこと』だと思ってるんですね。自分の命をどう使おうかと考えてたときに、東京で生きていくことは全然しっくりこなくて。

税金を払ったり、ご飯を食べたり、電車に乗ったり、『そこにお金と時間を使いたいのか』と考えたとき、そうは思わない自分に気づきました。

都会では、会社のための時間には気を張れても、自分のための時間には気が緩んでしまうことが多いかもしれません。地元/地域に時間を支払うという考え方がここでは共有されました。

京都は閉鎖的なのか?

「京都は閉鎖的だと聞きます。人とのつながりで商売する傾向があると」そんな声が参加者から上がり、どのように新規参入で仕事をはじめるのか、そのヒントが求められました。

今回の参加者の1/3ほどが、「学生時代に住んでいた」「地元である」と縁のある方たち。残りの参加者はIターンで移住や二拠点などの関わりを考えている方たち。
1/3ほどが京都に縁のある方たち。残りの参加者はIターンで移住や二拠点などの関わりを考えている方たち。

安井

個人的には、あまりその閉鎖性は感じません。おそらく今は、京都を選んで移住してきている人が増えてますよね。

Iターン移住してきた20〜30台の人たち同士のつながりも多くて、新しいかたちの将来ができ、その循環のなかで成り立つものも出てきています。

また昔からあって、地元に根ざした企業が、若い人との交流を持ちはじめてます。時代の流れもあってか、考え方が融合してきている気はしてますね。

実際に、安井さんが女性起業家として呼ばれることも増えたとか。それは新たな気風が生まれつつある証拠とも言えます。

ゲスト講師のは話を「聞く」だけでなく、参加者自身がその話をもとに、自分自身の今とこれからを「考える」ワークがあるのが、「KYOTOかえるゼミ」の特徴でもある。
参加者自身が自分自身の今とこれからを「考える」ワークがあるのが、「KYOTOかえるゼミ」の特徴でもある。

仕事の広げ方については、補足が入ります。

田村

東京と変わらないかもしれませんが、一つ一つ目の前の関わりのなかで結果を出すことだと思います。

また、『東京との関わりを持っている』ということすら強みになる。仕事の関係性を欲している人たちもいたりしますよね。それが自分の資源になることもある。その辺は意識しました。

人生の選択肢として、「そうだ京都へ住もう」

自分の気持ちに素直な子どもと向き合うなかで、「こうしなくちゃいけない」という概念に捕らわれてしまっている自分にハッとしたこともあったとか。
自分の気持ちに素直な子どもと向き合うなかで、「こうしなくちゃいけない」という概念に捕らわれてしまっている自分にハッとしたこともあったとか。

ゲスト講師のケーススタディ、参加者のワーク、質疑応答を終え、会の終わりには「いつか」をより現実にするための言葉が投げかけられました。

田村

fullbloomで大切にしてる問いは、『あなたは今、あなたの人生を生きてますか』です。

一度しかない引き返せない人生だからこそ、内側の選択で自分自身の人生を選んでいくのを、みなさんと一緒に考えていければと思っています。

当イベントの共催である「京都産業21」のメンバー。京都での若者の起業支援など、制度面など幅広くサポートしている。
当イベントの共催である「京都産業21」のメンバー。京都での若者の起業支援など、制度面など幅広くサポートしている。

「本当は何がしたいのか」「自分らしい、フィットする働き方・住まいのかたちとは何なのか」は、この場ですぐに答えをだせるものではありません。しかし、“提出のない宿題”として、参加者のみなさんは持ち帰ることができたのではないでしょうか。

田村

「小さな違和感の積み重ねが人生がつくっていくはずです。働き方で言えば、『どういう状態で会社に通いたいのか』というイメージとズレた生活を送っていたときの毎日ってしんどいですよね。

イメージ通りの環境が整っていれば、東京でもいいと思うんですけど、そうでないとき、その選択肢があるかどうかが大切ですし、その選択肢として京都へのU/Iターンも考えてもらえるとうれしいです。

懇親会では、参加者が好き好きに交流していく。会のなかで気になっていたことや京都(地元)トークなどで賑わいをみせた。
懇親会では、会のなかで気になっていたことや京都(地元)トークなどで賑わいをみせた。

「京都移住計画」は移住の“支援”ではなく、“応援”をしています。それは主役として、生き方を選び、動いていくのは本人でしかないからです。

その人の意志があってこその“応援”であり、「いつか」を一人でなく一緒につくっていくために、この場を育てていくとのこと。

ちなみに、「ゼミナール」という言葉の意味は、「苗床」だそうです。もし形にしたいことがあったとき、この場で答えが見つかるわけでなく、今回の問いや参加者同士のつながりが水や肥料となり、ゆるやかに芽生えるのだと思います。

暮らしのモヤモヤを抱えていたり、おぼろげにでも形にしたいものがあれば、まずは種を植えに足を運ぶのはいかがでしょうか。

 

「KYOTOに帰る」を実現するために。

3月10日、働き方の新たな出会いの場、「京都仕事探訪」を開催します。

京都で自分らしく生きる・働くの選択肢を増やす【祈りに寄りそう仕事・京都奉製編】~ 京都の企業×若者、働き方の新たな出会いの場~

京都への移住応援プロジェクト「京都移住計画」と、自分らしい生き方・働き方を応援するNPO法人「fullbloom」とがコラボレーションし、京都で働く人を探している会社と、京都で働きたい若者をつなぐイベントの企画・運営を行います。

少人数で会社を訪ね、社長や社員の方々の仕事や働き方の想いに触れながら、より良い人と仕事との出会いを作っていきます。

大きなホールで開催されるような一方通行の説明会ではなく、人や仕事のリアルを感じ、自分の働き方の未来を考えていく京都仕事探訪。

今回訪ねるのは、昭和49年創業。神社仏閣に息づく伝統文化を形にする京都奉製さん。

今回のイベントは、“いつか”は転職をしよう、“いつか”は移住をしよう。

そんな想いと裏腹に、忙しい日々に追われて、その“いつか“を、具体的に描いたり、前に進めれていない人に、届ければと思っています。

今回の出会いをきっかけに、学生であれば、就職活動の一歩を踏み出すも良し、在職中の方は、日々の仕事を見つめ直すもよし、転職活動中の方は、想いを重ねることができたらなら、応募してみてもいいかもしれません。

ありそうでなかった仕事知る・探すの新しいカタチ。一緒に、はじめてみませんか?

京都仕事探訪のイベントページはコチラ

京都奉製さんのお仕事についての記事はコチラ

本記事は、公益財団法人京都産業21が実施する京都次世代ものづくり産業雇用創出プロジェクトの一環で取材・執筆しております。

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