大量生産型の食品企業から食の安全を守る家業へ

心から共感する理念を源に食を届ける

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っl (6 - 6)からだが求める良い原料をつかいます。

津乃吉の商品は、素材を使い切ることをから生まれます。
すべて、手でつくります。自然にやさしい工夫を続けます。

そんな理念を持っているのが、ちりめん山椒や京佃煮を製造販売する「津乃吉」です。

その津乃吉の理念と「僕の想いと完全に合っているので、一度も迷ったことはないです。」と話されるのが、大学まで京都で過ごし大阪で9年勤務したのちに、2011年の11月にUターンをして、今年(2016年)9月『津乃吉』の代表に就任されたのが吉田大輔さん。

移住して良い部分・悪い部分どちらもあったそうですが、「自分の人生への納得感は今の方が断然高く、総じて移住してよかった」と思っているんだとか。食に真摯に取り組む吉田さんの、移住するまでと移住してからの道のりを辿ります。

父が始めた佃煮のお店 2016年に代表を譲り受ける

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『津乃吉』のルーツは、100年以上前から母方の家系が営んできたお米やさんにさかのぼります。婿養子にきた吉田さんのお父さまとお母さまが「これからは米屋では生計を立てていけないのではないか」という想定から、いろんな人のアドバイスを参考に 米の横でちりめん山椒などを売り始めたことがきっかけ。

そうして1年ほどかけてお父さまが独自に開発したちりめん山椒は、だんだんとお客さまに受け入れられ、米に変わって主力の商売になっていきました。吉田さんが生まれた頃はお父さまが米屋を継いで少し経った時だったそうで、物心ついた時には、すでにちりめん山椒を売っていたそうです。

生まれた時からお店の二階に住んでいたため、お店の店番をするお母さまの隣に座っていたりと、ずっと商売には触れてきたんだそうですが、当の吉田さんは「昔はお店を継ぐなんて考えたこともなかった。その頃の将来の夢もスポーツ選手とかだったと思いますが、覚えていないくらいです。」と話され、就職で大阪に出るまで継ぐことを意識したことは、なかったといいます。

生まれてから大学までの京都での暮らしの中で、初めて”食”に興味を持ったのは、意外にも実家とは関係もない、大学時代のある体験がきっかけでした。

”作って振る舞う喜び”を感じたアルバイト

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初めて食に興味を持ち始めたきっかけは、大学時代のアルバイト。最初のアルバイトでファミリーレストランの厨房で働いたことをきっかけに、大学時代は飲食関係の楽しさにのめり込みます。

ファミリーレストランのあとに働き始めた鉄板焼き屋さんの経験が、とても面白かったそうで、「僕が働いていた鉄板焼き屋さんは、お客さんの目の前の鉄板で店員が焼くんですけど、僕がお好み焼きを目の前で焼いたら、お客さんが『すごい!』や『美味しいね。』などと言って喜んでくれるんです。それが、すごく嬉しかったんですよ。自分が作ってその場で実際にお客さんに味わってもらい、喜んでもらう…この一連の流れが楽しくて仕方なかったです。」

お好み焼き屋さんの経験を通して、”食で人に喜んでもらう”ことの魅力に気づいた吉田さんは、バーのバイトを始め、それをきっかけに店長になり、お客さんにオリジナルのカクテルを振舞ったりと、食への関心がさらに高まっていたそうです。

”食を通して誰かに喜んでほしい”という想いで『関西近辺で食関係の会社』という条件で就活し、面接の人とも気があった大阪の食品メーカーへと進み、大阪に引っ越します。

食品メーカーに就職

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就職した会社は、コーヒーフレッシュや飲料、大手飲食店に卸す食品などを扱う会社。商品開発で5・6年過ごしたのちに管理職に就き、そこからは人材育成やチームマネジメントなどを行っていた吉田さん。5・6年目までは「月曜日に会社に行きたくない」や「この人と働くのが難しい」という不満などはありながらも、辞めたいとも思うこともなく、会社員生活を過ごしていました。

「辞める勇気がなかったんです。社会人になるまでは自分でいろんなことができると思っていたのですが、『自分にできることないなぁ』とネガティブになって、とにかく目の前の仕事をできるようになろうと思っていたんです。でもしばらく経って管理職に就きチームを管理するようになった時、大きな違和感に気づきました。そこからその違和感を無視できなくなり、この会社を辞めるんだろうなと思うようになりました。」

その違和感とは、『仲間と目標を目指すのはやりがいがあるが、その目標自体にに自分の想いが乗っていないこと』であり『僕が感じたい”喜び”を感じきれないもどかしさ』だったんだそう。

どんどんと大きくなる違和感 「自分で作ったものなのに…」

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「僕は友人と仕事の話もしたいタイプなんです。でもこの会社で働いている時は自分で作った商品が採用されたとしても、友人に『これ食べてみて』と言えることがあまりなかったんです。作り方があまりにも工業的で食べ物を作っている気になれなかったり、食べるお客さんのことよりも会社やメーカーさんのことを優先することも多かったのがその理由です。」

入社5・6年目に行った結婚も大きなきっかけだったそうで、もし僕に子どもが生まれた時に、妻や子どもに食べてほしいか?と考えた時に、「食べるように勧めないだろうな」と思い至ったんだとか。

それに加えて、元々の『食を通して誰かを喜ばせたい』という想いもなかなか満たされなかったそうで、「普通の企業って分業、分業じゃないですか?商品開発、営業…みたいな感じで。だから、僕たち商品開発にいる人は商品は作ったとしても、買ってくださるメーカーさんや、食べてくださるお客さんには会えないことも多いんです。買ってくださる方の声も聞きたかったから営業に同行したりもしたんですけど、やっぱり限界がありましたね。」

自分が作ったものに誇りが持てず、『食を通して誰かを喜ばせたい』という想いが満たされない日々…

そうした時に想いを馳せるのは、家業の『津乃吉』のこと。今の会社とは正反対の、手作業で素材にこだわる姿勢に、どんどんと惹かれていったんだそう。

ゆみさんとともに移住 そして 代表に

吉田さま記事用

吉田さんが京都に移住してきたのは2011年の11月。会社を辞め、東日本大震災の被災地にボランティアツアーに行ったのちに、京都に戻ってこられました。違和感の大きさに耐えきれなくなり、京都に帰り家業を継ぐことを奥さまに相談すると「まぁ、そうなると思っていたから…帰ったらいいよ。」という返事が返ってきたんだとか。

近くで吉田さんを見ていた奥さまは、「いつか京都に帰って『津乃吉』を継ぐんだろうな。」と、先に腹をくくっていたそうです。

「妻の理解もあって、移住の計画はすんなりと進みました。給与のことや親子関係など発生するであろう”嫌なこと”もある程度想定はできていましたが、『津乃吉』の掲げる理念には共感していたので、迷いはなかったですね。」

実際京都に移住してから数年間は、震災の影響もあってか売り上げが伸び悩み、収入面でも親子関係の面でも苦しい時期が続いたんだそうで、芳しくない売り上げに、互いに苛立ったりと父と思うように意思疎通が取れなかったこともあったんだとか。

「その頃は苦しかったですが、今となってはその時期があったからこそ、自営業の難しさなども体感し、続けていく体力がついたと思います。そんな中でも続けられたのは、津乃吉の理念に父も自分も心の底から共感していたからなんです。理念に共感しているからこそ、父は自分に自由にやらせてくれたし、その理念を数十年に渡って守り続けた父を尊敬することができました。」

家業を継いだ時からの懸念点である財務計画を含めた経営にも関わりたいと思い、2016年の9月に代表に就任、お父さまが会長になられました。

昔ながらの職人気質の言葉数は少なくとも義理堅く筋の通ったのお父さまに、お客さまとのやり取りを通してお客さまの声を商品に反映させてゆく商売人気質も併せ持った吉田さんが加わり、事業の幅も広がっているようです。

津乃吉の代表として、そして父として

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移住してきて早5年が経ち、2児の父となった吉田さんは、プライベートと仕事が調和したライフスタイルに充実感を感じているといいます。

「今の生活は、プライベートと仕事の境目がないんです。ご飯を食べに行ったお店でちりめん山椒の話をしたり、仲良くさせていただいている酒蔵さんとの試飲イベントを主催したりと、プライベートとしても楽しく、仕事にも繋がることが増えてきました。こういう生き方が僕の性に合っているみたいで、本当に楽しいんです。」

吉田さんが昔から大好きだった鴨川の近くの多様な文化が受け入れられ食に感度の立つ人が多い左京区に住んでいることも充実感を感じる一つの理由なんだそうで、いろいろな考え方を持つお店や人と交流することが、いい商品を生み出すことにも繋がっているんだそう。

「そうは言っても、京都での生活が充実感に直結しているというよりは、生活に関する考え方が変わったことの影響が大きいですね。津乃吉の理念を心から大切にしたいと思っているからこそ、いろんなところにアンテナを貼ることも苦ではないし、楽しむことができるんです。」

それでもこれからの津乃吉の売り出し方にはまだまだ迷いがあり、『津乃吉』の商品は、無添加で安心安全な作り方を徹底しているのはもちろんだが、”添加物が入っていない”という意味での”無添加”であることが大切なのではないと感じているんだとか。

「”無添加”という一見表面的にも思えることではなく『ほんとうに美味しいものを作っている』ことや『自然にやさしい作り方』をしていることを伝えたいんです。そして、どんなに難しくとも実践し続けたいです。」とお話を聞く中で何度も話してくださった吉田さん。

将来的に奥さまのみゆさんが育児休暇から抜け一緒に働けることになれば、作る商品や売り方も、母親の感性を生かして柔らかくなってくのではと期待されているんだとか。

津乃吉は、譲れない芯はそのままに、時代やお客さまお店を作っていく人たちに合わせて穏やかに変化し続けているようです。

「妻や父、母とともに『津乃吉』の大切にしたいことを守りながらも、津乃吉以外から関わってくださる人たちとも協力してやっていきたいです。2児の父として、妻や子供にも美味しいと思ってもらえるものを作りたいし、その上で、津乃吉の代表としてちゃんと収益をあげ丁寧に作るという努力が売り上げとしても報われる会社にしたいです。」

津乃吉の理念を芯に、父として、代表として、吉田さん個人としての生き方が調和して結びついている…

そんな暮らしがこれからも広がっていきそうです。

そんな吉田さんとの取材を通して見えてきた、職人気質のお父さまと支えるお母さま、お二人のお子さまを育てていらっしゃる奥さまなどが造ってらっしゃる『津乃吉』の絶妙なバランスに、『津乃吉』のこれからのますます素敵な変化を予感せずにはいられない時間となりました。

▼3月のイベントのお知らせ

今回ご紹介したような事業継承や創業・起業といった働き方の選択肢を、より多くの方にお届けする為に、
実際に、起業や事業継承をした人たちとのリアルに出会える場をご用意しました。

“いつかと“先延ばしにしている「移住」や「転職」や「起業」や「事業継承」のヒントとなる機会。
開催日程などの詳細が決定しましたので、気になる方は以下よりご覧の上、是非エントリー下さい。

3月25日(土)これからの家業の話をしよう@東京
→実家が家業の人たちの京都出身者の集いの場を東京でご用意します。

本記事は、公益財団法人京都産業21が実施する京都次世代ものづくり産業雇用創出プロジェクトの一環で取材・執筆しております。

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